第7話 距離


 今日は雲ひとつない快晴だ。

 何故か分からないけど、朝から晴れているだけで少しだけ気分が上がる。

 そんなお得な日にも関わらず、俺のテンションは地の底まで落ちていた。


「…なんで…」


 俺は再度アプリを開いて、グループのメンバー一覧に目を通す。


 上から順に、いかにも高校生が好きそうな、夕焼けが海面に反射した綺麗な砂浜をバックに、右手を空に掲げている姿がアイコンの磯山先輩。自己顕示欲と承認欲求の塊にしか見えない自撮りの川原先輩。盛りすぎだろ、誰だよ。

 それに引き換え俺のアカウントは実にシンプル。初期アイコンに、名前はメンバーがいません、これで、翔が退出しました。って送ったらめちゃくちゃおもろいからな。

 …あ…あぁ、俺も大概だな。なんなら先輩たちの方がよっぽど良いわ。後で変えとこ。


 さて、問題はここから。こんな清々しいまでの快晴の日に、俺のテンションが下がっているのには深い理由がある。…いや、とても浅いか。


 溜める必要もないので言ってしまえば、増えた部員が瀧宮だった、それだけだ。


 この瀧宮澪って名前のアカウントしか判断材料がないから、新しい部員が100%瀧宮とは言い切れないけど、まぁ余っ程のことが無い限り俺が知っている瀧宮澪で間違いないだろう。

 

 なんでこの部に入ったのか、どうして運動部じゃないのか、入部する前に部員を確認しなかったのか、いつ入部を決めたのか。


 聞きたいことは山ほどあるけど、その辺はおいおい先輩づてにでも聞けばいいだろう。



 「よろしくお願いします」とだけ、グループに送っておいた。



*****




 学校が終わるまで瀧宮が話しかけてくることは無かったし、俺からコンタクトを取ることもなかった。昨日あんな事があったばかりだから、話しにくくて当然ちゃ当然だけど。


 俺は帰りの挨拶と共に、すぐに図書室へと向かい始めた。こういうのは最初が肝心だ。初日から遅刻するような人間は、この先ずっと同じような目で見られる。最低でも最初の2週間は早めに行っておいて損は無い。


 図書室の戸を開けて、奥に進む。先輩の説明では件の小さな広間が活動場所らしい。

 目論見通り、誰よりも早く着くことができた。そんなちょっとした優越感に浸りながら、近くの本棚から適当に本を取って開く。


 嗜む程度にしか読書をしない俺だけど、題名すら見なかったその本は意外と面白くて、時間の経過なんて忘れてしまうほどに魅入ってしまった。

 あっという間に1章を読み終わり、使い古された藁半紙の栞を挟んで、机に置く。


「面白かった? その本」


 聞き慣れた冷たい声。

 この感覚は最近味わったばかりだ。…そう、西条家を訪れた時に、西条さんそっちのけで写真を撮っていたときの、あの背筋が凍りつくような感覚。


「悪い、気づかなかった」 


 瀧宮は、俺を嘲笑うようにフッと小さく鼻を鳴らした。


「いいわ。…それより、なんでここにいるの? 私、これから部活動なんだけど。あまり長居されると活動の妨げになるから、気に入った本があったなら、帰宅してから読んで貰えると助かるのだけれど」

 

 やっぱり、俺が文芸部って事知らないのか。まぁメンバーがいません、なんてアカウント名なら、分からなくても当然か。


「言いにくいんだけど、一応俺も文芸部の一員だよ」

「つまらない嘘ね。だってあなた、グループに居ないでしょ? 私と先輩2人と、あとは…削除されたアカウントが1つしかないわ」

「その削除されたアカウントってのが俺だ。分かりにくくて申し訳ないな」


 瀧宮は口を手で覆ったまま、暫く動かなくなった。あの瀧宮がここまで動揺してるのも珍しい。


「…そう…分かったわ。同じ部員なら仕方ないわ。私情は関係無しに、部員同士、部活動に誠心誠意取り組んで行きましょう」

「ああ」


 瀧宮はどこに行っても瀧宮らしい。何を当たり前のことを言ってんだと思うかもしれないけれど、どこへ行ってもやるべき事は一生懸命に、責任をもって果たそうとするその姿は、やっぱり瀧宮だとしか言えない。

 そういう人だから、俺は好きになった。



 2人きりの、気まずい時間がただただ流れる。

 瀧宮は俺の斜め前に座っている。もっと離れて座ればいいのにとも思ったけど、恐らく、窓から射し込む夕陽を避けているんだろう。この時間、かなり眩しいし。


 他にすることも無いので、俺は勉強道具を取り出した。

 1度は辞めようとした日々の勉強だったけど、身についた習慣は中々取れないらしく、辞めるどころか、やらなければ落ち着かない域まで達していた。


 数学のワークを取り出し、問題を解いていく。

 カリカリと、シャーペンの音だけが無音の図書室に響く。

 

「ねぇ」 

「…なに」

 

 気まずさに耐えかねたのか、瀧宮が視線を逸らしながら話しかけてきた。


「そこ、間違ってる」

「あぁ、ほんとだ。ありがと」

「どういたしまして」

「………」

「………」


 瀧宮からの有難い指摘も僅か数秒で終わり、再び静寂が図書室を包み込む。

 沈黙を破ったのは、俺でも瀧宮でも無く、俺たちのスマホの通知だった。


--後輩くんたちごめんね! 私たち、ちょっと用があって今日は顔を出せそうにないから、適当に何かしてて!


 まぁ用というのは、アレだろ。2人同時に休むとか……もう少し隠そうとしろよ。

 俺はスマホの電源を切って鞄に押し込む。なんかウザイ通知が飛んできそうな予感がしたから。


 ただ、適当に何かしろと言われても、どうしたものか。文芸部としての活動を優先すべきなんだろうけど、実質、今日が初めの活動だから、何をすればいいのか全く分からない。先輩がいないとなると尚更だ。


 取り敢えず、俺は目前の課題を終わらせることにした。

 瀧宮はメールの意図を汲むのに相当時間がかかっているらしい。2人の関係を知らないんだろうな。あのなんとも言えない、幼馴染特有の付き合ってるような付き合ってないような、あの謎の関係。早く付き合えばいいのに面倒臭い。

 まぁ人の色恋にとやかく言えるほど、俺は良く出来た人間じゃないし、生暖かい目で見守るのが正解かな。



「あなた、この後どうするつもり? はっきり言って、新入部員の1年が2人居たところで、何かを出来る気がしないのだけれど」


 …今日はよく喋ってくれるな。あ、あれか? 業務連絡ってやつか。


「そうだな…取り敢えず俺は課題を済ませるよ。別に先に帰ってくれても構わないから、ここからは自由行動ってことで」

「…そう。じゃあ私も課題を終わらせるわ」

「…あぁ、気を付けて。…え?」


 てっきり、帰ると思ったんだけど。


「何かおかしい事でも? 嫌な事は先に済ませときたいでしょ?」

「ごもっとも」


 ほとんど会話が無かったけれど、こういう時間もそんなに悪くない。紙やインクの入り交じった本の香りと、この小さな広間を囲むように設置されている本棚。差し込む陽光とカリカリと音を立てるシャーペン。

 家で1人で勉強している時よりも、深く集中することができた。それも相まってか、あっという間に全ての課題は終わり、既に日も落ちかけている。


「ふー。終わったぁ。じゃ、そろそろ帰るかな」

「そうね、もう19時をまわっているし」

「鍵は俺がやっとくから、先に帰ってくれて良いよ」

「…ぇ…ぁ……そう…そうね。じゃあ、お願いするわ」



 瀧宮は席から立ち上がると、机に置いていた鞄を肩にかけて、足音を荒立てながら図書室を後にした。

 …そんなに早く帰りたかったなら帰れば良かったのに。別に気にしないし。

 

 俺は少し時間を置いて戸締りをし、職員室に鍵を返した。


 時間置いたのは、瀧宮に合流してしまう可能性を限りなく減らす為。つまり、要らぬ誤解を与えぬ為だ。これ以上無駄に関わるのは、俺にも瀧宮にとっても不利益しか生まないから。




 街灯を頼りに薄暗い道を1人歩く。


 結局、どうして瀧宮が文芸部に来たのかは分からなかったけど、このぐらいの距離感なら、同じ部活でも差程問題は無さそうだ。

 あ、もしかして、ご都合主義が存在するのか? 

 いや…そりゃないか。ご都合主義はあの先輩2人で充分、お腹いっぱいだ。


 きっと、俺と瀧宮の距離は変わらない。

 離れることはあっても、近づくことはまず無い。

 だって、俺から近づかなければ、離れていくだけだし。ほどほどの距離を取るなんて、意外と簡単なもんだ。

 

 きっと来年になればクラスは離れるし、部活もこのままじゃ上手くいくわけが無い。

 それに、いずれ俺は。



 まぁ先のことなんて考えるだけ無駄か。

 瀧宮と同じ部活になれてラッキー、程度に考えるのがちょうど良さそうだな。

 

 いつもの十字路にさしかかった。ついこの間まで瀧宮と一緒に帰っていたのが嘘みたいだ。

 俺は自分の家がある方の道へ歩みを進める。



 突然、背後から声がした。

 

「…あの。1つ言っておきたいことがあって」


 俺は何度も自分の目を疑った。幻かと思った程。

 消えかかった街灯のせいで姿ははっきり見えなくても、聞き慣れた声は続ける。


「今後同じ部活動の部員として活動していくにあたって、部員同士のわだかまりは、解消して置くべきだと思って。……あ、いや。違うの。つまり、何が言いたいかと言うと…」


 スーッと息を吸う音が聞こえる。


「昨日はごめんなさい。少し言い過ぎました」


 なんだ。そんな事か。


「謝らないでよ。あれは俺が悪かった。正直、全部瀧宮の言う通りだよ。俺の勝手な思い込みで瀧宮を傷つけた。これは変わらないし」

「……ぁ…いいえ。言いたいことはこれだけだから。…本当に悪かったわ」

「そうか」

「…そう」



 これ以上言うことも無かったので、俺はすぐに振り返って家路についた。


 

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