第4話 謝罪



 鏡の中の自分を見つめる。

 情けない顔が、微塵の輝きも持たない瞳でじっと見返してくる。


「…気持ち悪い」 


 俺は紺色のネクタイを締め、小走りで玄関から飛び出した。


 

 空は俺の心模様をそのまま写したような曇天どんてんだった。十字路を抜け、緩やかな勾配のある道を少し歩くと、瀧宮家の表札が見えてきた。

 

 この時間は意外と人通りが多く、ランニングをしている人や、犬の散歩をしている人をよく見る。その人たちの邪魔にならないように道の端に寄り、顔を伏せて彼女を待つ。


 緊張が解けることはなく、玄関が開く音がした。


「なんで居るの?」


 聞き慣れた、体の芯まで凍りつかせるような冷たい声が聞こえる。

 いつもならヘラヘラ笑ってやり過ごすとこだけど今日はそうもいかない。


「瀧宮」


 返事は無い。


「今まで、本当にすみませんでした」


 深く頭を下げる。

 多分、こんな謝罪じゃ足りない。


 今回の一件を機に、一度自分を見つめ直した。

 瀧宮に大きな迷惑をかけてきたことを、今更ながら自覚した。謝罪しようと決めたのは、両親から許嫁の存在を伝えたられた夜。


 俺は他人から好意を向けられたことは無いから分からないけど、興味の無い人間から無理やり押し付けられる好意なんて、きっと気持ち悪い。


 何度も何度も瀧宮自身の口から否定され続けてきたのに、それでも態度を改め無かった今までの俺がどうかしている。


 いずれ、しなければならなかった事だ。


「何? 今度はどんなおふざけ?」


 瀧宮は鼻で笑って受け流す。


「こうやってここに来るのも最後だから。ちゃんと、謝りたくて。今まで本当に、申し訳ありませんでした」

「何を言って……え? 最後? 最後…って……どうせ、また明日も明後日も来るんでしょう? どうせ嘘をつくなら、もう少しまともな嘘をつけば? あぁごめんなさい。あなたの頭では無理な話ね」


 俺はこれ以上、何を言えばいいのか分からない。 

 気を抜くと、思ってる事が全部口から漏れそうになる。


「本当にごめん」



 俺は脇目も振らず学校へ走り出した。

 瀧宮が少し気になったけど、情けない顔を見られたくなくて、振り返ることが出来なかった。



 

*****



 俺と瀧宮の席は遠い。具体的に俺は窓側、瀧宮は通路側。つまり端と端だ。

 以前は、何度もその席配置を怨んだけど、今は少しだけ感謝してもいいのかもしれない。正直、気まずいしな。

 

 机に頬杖をついて、窓の外をボーッと眺める。


「どーしたの? 今日は瀧宮さんと来なかったの?」


 前の席の広瀬ひろせが、椅子の背もたれに腕をまわして足を組む。似合わない長い金髪を手櫛でときながら、くすりと微笑んだ。

 不自然に長いまつ毛と、やたら濃いアイシャドウが余計にギャル感を強くしている。

 薄いメイクの方が似合うと思うけどなぁ。


「まぁ…たまにはさ」

「ふーん」

「何か言いたげだな」

「べっつにぃ〜。なんかテンション低いし、いつも瀧宮さんの話ばかりしてくるのに全然しないし、変だなぁと思って」

「生憎だが、俺は元から変だ」

「それもそうか! アハハっ」 


 こいつと話してたら妙に疲れるんだよなぁ…。

 まぁ、そのウザくて明るい所に、少し助けられてるってのも事実だが。


「彼氏とは最近どうなんだ? 確か…昨日が記念日だったっけ? 先週言ってたよな」

「はい、そうです、記念日でした。そして昨日…振られました」

「あ…あぁ、そっか。あの…なんか…悪いな。もう少し、気を使うべきだった」

「アーホ。気なんて使わないで。こっちが疲れるから」


 広瀬は俺の額に軽くデコピンすると、前を向き直した。その赤くなった目から察するに、傷心中なのは間違いなさそうだ。

 …そっとして置こう。俺も…気分は良くないし。



 顔を伏せる前に、何となく…瀧宮の席を横目で見る。


 普段通り、瀧宮の周りには男女問わず数多くの生徒が集まっていた。瀧宮は周りの生徒に対して平等に笑顔を振り撒いている。


 滝宮は基本的に俺以外の人間には優しい。

 最初出会った時は俺にも優しかった気がするんだけど…。適当にあしらわれることに慣れすぎて、もう忘れてしまった。まぁ、その対応を招いたのも全部、俺の自業自得なんだけど。

 


 俺は視線を落として机の上で腕を組み、顔を伏せた。目を閉じると、さっきの光景が脳裏に浮かぶ。



 やっぱり、瀧宮の周りに俺が居ないことは実に自然で、微塵も違和感を感じる事は無かった。




***** 



 とどこおりなく授業は進み、昼休憩を迎えた。

 つい、いつもの癖で席を立ったけど、すぐに弁当を机の上に置き直した。こればっかりは…慣れるしかないな。


「神代、今日は瀧宮さんと食べないの?」


 広瀬が顔だけ後ろに向けて話しかけてきた。

 

「朝言っただろ? たまには…って」

「…そ。なら丁度いいや! ちょっと元カレの愚痴聞いてよー。今日いつも一緒に食ってるダチが休んでてさぁ…。一緒にどう?」

「愚痴を聞くのは気が進まないけど、1人で飯を食うよりはマシだし、いいよ」

「マシってなによマシって。まぁ、愚痴を聞いてくれるなら何でもいいや」


 こうして、広瀬の愚痴大会が始まった。


「…でさぁ! アイツ有り得ないんだよ! あたしがちょーっと他の男子と話しただけで、浮気だなんだって言う癖に、自分は女子と2人で遊びに行ってんだよ!? マジで有り得なくない!?」

「そーだな」


 この唐揚げ美味いな。冷凍か?


「で、それを問い詰めたら、『あの子はただの友達だ』って! それを言うなら、あたしが話してた男子だって、ただの友達だっつーの!」

「そーだな」


 うわぁ…海老入ってるじゃん。…食えねぇ。


「だってそうだよね! あたしと神代ってただの友達じゃん?」

「そーだな…ん?」


 今のは流石に聞き流せない。


「だから! あたしと神代はただの友達ってこと!」

「それは分かってる。広瀬の言う通り、俺と広瀬はただの友達だ。それ以下でも以上でもない。そうじゃなくて…いや、えーっと…勘違いだったら申し訳ないんだが、もしかして、お前がその彼氏に振られたのって…」

「あ! いや、それは違うの」

「その彼氏って、どこにいるんだ?」

「…うちの学校、具体的には2年」


 これ、かなり面倒な事に巻き込まれたんじゃないか。


「えっと、ほんとに違うの。神代のせいじゃないのは確かなの。ほらあたし達、委員会一緒じゃん? その時さ、あたし、他に話す人が居なくて神代とだけ喋ってて。…で、あたしの元カレも同じ委員会で…」


 大体分かってきた。

 広瀬の話をまとめると、俺と広瀬が話をしている所を見た先輩が勘違いして、広瀬に当たった。ってことでいいよな。

 

「そんなの、事情を説明すれば1発で解決じゃないか? 俺たちが入学してから、まだ3週間も経ってないんだ。同じクラスの人だけと喋ってても、何もおかしい事はないだろ」


 広瀬は、心底面倒くさそうにため息をついた。

 …そんなに的外れだったか?


「さっき言ったでしょ? 神代が原因じゃないの。委員会の時以前から口喧嘩が増えててさ。ほら、それこそ、元カレが別の女と2人で遊び行ったりとか。そういう小さな事が積み重なって別れたって感じ。だから、神代は関係無いよ」

「…そっか。カップルって難しいんだな」

「そうなのよ。ほんの些細な事で嫉妬したり、嫌な部分ばかりが目に付いたりさ。案外、上手く行かないもんだよ」


 広瀬は、広げた弁当を箸でつつくだけつついて、口をつけずに鞄にしまった。机に出来たスペースに顎を乗せて、俺を見て薄気味悪い笑みを浮かべた。


 どうせろくな事考えてない。

 

「あたし、神代となら上手くいくかもね」


 ほら、やっぱり。


「冗談でもそんな事言っちゃいけません。下手したら勘違いしちゃうだろ?」

「勘違いじゃないかもよ?」

「あーはいはい。クソビッチクソビッチ」


 おいおいおい。その振り上げたシャーペンでどうするつもりだ? 0.3は痛いからせめて0.5にしてくれ。


「ま、瀧宮さんを相手に勝負するのは無謀かな」

「馬鹿か。そもそも瀧宮は俺に興味無いんだから、勝負は起きない。自分で言うのもなんだが、俺は取り放題だ」

「ふーん。取り放題…ね」


 広瀬の視線は、瀧宮の方を向いていた。

 何かあるのかと思って視線を追ってみたけど、友達と仲睦まじげに弁当を食べる瀧宮が居るだけ。


「ま、神代も頑張りなよ」 

「広瀬こそ、早く復縁するなり仲直りするなりしろよな。わざわざ愚痴を聞いたんだから」

「あの男はもういいや」


 この切り替えの速さには見習いたいものがある。

 …俺もさっさと切り替えなきゃな。



 なんだかんだで昼休みも終わり、下校の時間になった。


 俺はさっさと荷物を片付けて教室を出ることにした。広瀬に挨拶して、教室の後ろ側を通り抜ける。


 教室を出ようとした際、突然、袖が引っ張られる。


 意外も意外、瀧宮だった。



「あ、えっと……早く帰ったら?」

「…え? …うん」



 待たずに早く帰れって事だろう。

 ただ、こうして直接伝えられたのは初めてだ。瀧宮も流石に、俺が鬱陶しくなったのかな。

 いや…鬱陶しいと感じてたのは前からか。


 まぁ、言われなくてもそのつもりだったし、さっさと帰って寝よう。

 

 俺が帰る素振りを見せると、瀧宮はすぐに手を離した。


 

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