第2話 抹茶



 俺は腫れた目を少しでも元に戻す為に、保冷剤で瞼周りを冷やしながら歯を磨く。


 今日は土曜日。西条家ご令嬢との初顔合わせだ。

 にしてもなぁ……許嫁が居る事を知らされた次の日にいきなりってのはなぁ…。


 俺は別にコミュ力が高い訳でもないから、多分、気まずい雰囲気になる。それが名家のご令嬢ともなれば、コミュニケーションを取ることすら危うい。


 なにより、まだ俺は…。

 いや…それは…もう昨日諦めたから…。


「はーい。翔様ー。失礼しますよー」


 悶々としている俺に構わず、お手伝いさんが着付けを始めた。


 お手伝いさん…美香さんの年齢は俺よりちょっと上、多分…20代ぐらいのお姉さんの…はず。 


 "見た目"は…かわいいんじゃない? 出るとこ出てるし、引っ込むとこは引っ込んでるし、顔も整ってる。

 瀧宮の見すぎで価値観がバグった俺にはまともな判断なんて出来ないけど。

 

 

 それにしても…勝手におっぱじめるのもいいけどさ……ちょっと……空気を読んでくれよ。


「なんでしょう、翔様。なにか私めに問題が御座いましたか? それとも…あの方が忘れられませんか?」

「……なんのことだよ」

「翔様が一番お知りでは? いつもストーキングしてたじゃないですかぁ! 鼻の下伸ばして!」

「……解雇するぞ…」

「ジョーダン、ジョーダン、マイケル・ジョーダンですよ! もー、翔様ったら、本当、バスケットボールが好きですね。特に……オウンゴール…好きですもんね!」

「父さーん! 美香さん辞めるってー!」

「あわわわあわわ、オウンゴールなんて誰でもしますから気にしないでくださいよ! 私もした事ありますから。だから、解雇だけは勘弁ですぅ」


 

 なんだよこのノンデリ女。オウンゴール…って言う時だけ声ちっさくしてるのも滅茶苦茶ムカつく。殴りたい。

 なんでこんな奴雇ったんだ? 父さんは。

 ただでさえ家にはお金がないのに、コレは無いだろ。コレは。


 俺は、美香さんに…バカ女に補助されながら、予め用意されていた礼装着に袖を通し、重い足取りで父さんが運転する車へと向かった。


「翔様! お似合いです! 写真を撮って額縁に飾っても宜しいですか?」

「あー、はいはい。もう好きにしてくれ」

「もう! つれないですね! ほんと、小さな頃から変わりませんね。

 ……では、冗談も本当にここまでで。

 いってらっしゃいませ。ご武運をお祈りいたします」

「俺は戦争にでも駆り出されるのか?」

「ある意味…戦争かもしれないですね」


 意味ありげな表情をしているけど、大方なんの意味もないと思われる。この人は昔からそうだった。


 バカ女との談笑もそこそこに、俺と母さんは父さんが運転する車に乗り込んだ。



「じゃ、出発するぞ」

「うん」


 


 思っていたよりも俺の家から近く、僅か十分足らずで目的の屋敷に着いた。

 和風建築を代表するような昔ながらの大きな屋敷で、いかにも金持ちが住んでそうな家、俺が受けた第一印象はそれだった。


 こんな家の娘と結婚か…。絶対…話合わないだろうなぁ。……はぁ…。


 父さんが木製の大きな門を数回叩く。

 すると、すぐに返事があり、木の軋む音と共に門が開かれた。


「神代様…ですね。旦那様方がお待ちです。どうぞ、お入りください」

「失礼します」


 姿を見せたのは70代ぐらいのお婆さんだった。

 すみれの花の刺繍が施された着物を身にまとっている。いかにも、高貴な家の女中さん、といった感じだ。


 頭に一瞬だけバカ女の顔が浮かんだ。いや…あんなのと比べるのも失礼か…。


 その方の案内で、俺たちは屋敷の中を進む。


 年季の入った木製の廊下を、ゆっくりとすり足で歩く。廊下にはこれといった照明はなく、障子戸越しに薄く入ってくる陽光だけが頼りだ。

 なんだか、終わりのない延々と続く道を歩いているようで、少しだけ恐怖を感じる。

 …夜には通りたくないな。

 


 暫く歩いた所で、女中さんは俺たちの方を振り返った。

 

「お待たせ致しました。御二人はこちらへ。ご子息様はもう暫しの間、御付き合い願います」

「御案内、心より感謝致します。それと、言わなくても分かってると思うが……翔、失礼の無いようにな」

「分かってるよ。父さん」

 

 二人とはそこで別れることになった。親と子は別々に顔合わせするらしい。

 そこにどういう意図があるのかは、俺みたいなガキには分からないけど、ま、聞かれたくない話でもあるのだろう。


 今はそんな事よりも……はぁ……女子と二人っきりか…。

 上手く話せる自信が全く無い。キョドって気持ち悪がられるのが目に見えてる。


 父さん達と別れてから程なくして、女中さんはまた立ち止まった。


「どうぞ、こちらへ。お嬢様がお待ちです」

「お付き添いありがとうございました」


 俺は女中さんにお辞儀をして、案内された部屋の戸を引いた。

 

「…まじか」


 真っ先に目に付いたのは、縁側に広がる日本庭園だった。

 俺だってそこそこの家の出だし、今まで名の知れた旅館に泊まったりしてきたから、こと庭に関しちゃ他の人よかは目が肥えてると思う。


 そんな俺ですら、この家の庭には目を奪われた。


 他の庭園にあるものとは一線を画すような大きな池を、悠々と泳ぐ紅白色の鯉。自然に配置された大小様々な岩、雑草が生える余地もない程に美しく敷き詰められた純白の軽石。松の木と…あれは、紅葉の木だろうか。他にも、四季を感じさせる木々の数々が、違和感を感じ無い程度にバランスよく植林されている。季節が変わればこの庭から受ける印象も大きく変わるのだろう。少しばかりの苔が生えている石造りの灯篭もとても味がある。是非、日が落ちた後も見てみたい。素人目から見ても、そう思わせるような、素晴らしい庭だった。


 …あれ? 俺なんの為にここに来たんだっけ? 観光…だったか?

 

「…こんにちは」


 なんだあれ。すげぇ…滝あるじゃん。


「…あの…」


 あの橋、渡ってみたい。


「…………」 


 あ、そうだ、写真撮らなきゃ。

 スマホ…スマホ。


「…………」


 俺はスマホを横にして、綺麗に撮れる画角を探す。

 

「この辺かな………あ」

「…………」


 まずい。


 俺が覗き込んでいる画面の下の方に、ほんの僅かだが、艶がかった薄いベージュの髪が、バッチリと映り込んだ。


 咄嗟にスマホを懐に押し込み、部屋を見渡す。

 

 部屋の間取りは10畳はある。中心には、大きな座卓が一つ。

 

 そして…そして、視線をゆっくり落とす。


 まるで、小動物のような小柄な女性が、折りたたんだ細い大腿の上に白く透き通った手を置いていた。

 くりくりした大きな胡桃色の瞳に、筋の通った鼻、若干の艶めかしさすら感じさせる淡い桃色の口。

 緩いパーマをあてたミディアムカットの髪が、余計に小動物感を醸し出していた。

 

 …リス?


 瀧宮にも匹敵、いや、上回るような女性がそこにいた。


 それと同時に、ある事を悟った。間違いない。俺は終わった。

 

 なにが『分かってるよ。父さん』だよ。

 出会ってそうそう、挨拶も無しに庭に無中。

 死ねよ俺。失礼極まってるじゃん。


 土下座でもすればまだ間に合うか…。

 なんにせよ先ずは誠心誠意、謝罪から。


「この度の無礼、謹んでお詫び申し上げます」


 俺は畳に額を擦り付ける。

 

「…………」


 勿論…反応はない。


「この度の無礼、弁解のしようもございません。

猛省しております」

「……あの…」


 終わったな俺の人生。

 父さん、母さん、本当…ごめん。


「…お茶」


 …お茶? なにか拷問の隠語だろうか。貴族階流の闇は深いからな…。

 たとえ許されないとしても、どんな罰でも受け入れるぐらいの誠意は見せないと。


「承知しました」

「………?」


 俺は次の指示があるまで、ずっと床に突っ伏していた。


 森閑とした部屋には、庭から聞こえる滝の音と、正面、机を挟んだ所から聞こえてくる、謎のシャカシャカ音だけがのどやかに流れる。


 まるで1秒を1時間に感じてしまうほどに、俺は怯えていた。

 この時間が既に拷問といっても差支えは無い。


「…できました」


 ついに…準備が出来たか。

 俺は恐る恐る顔を上げる。


「…お茶? 拷問は……?」


 俺の目の前には、茶碗に入ったうぐいす色の泡立った抹茶がある。


「…? 抹茶…苦手……でしたか?」

「いえいえ! 大好きです! 是非、頂きます」

「……どうぞ…」


 拷問じゃなくて良かった。本当に良かった。 

 ただ、また新たな問題が生まれた。


 茶を飲む時の作法が全く分からない。


 一応、小学生の時に、茶道教室に通ってはいたんだけど、如何せん昔のこと過ぎて殆ど覚えていない。


 確か…茶碗を回したような? 何回? 


 俺が戸惑っていると、彼女は動作が分かりやすいようにゆっくりと茶を飲み始めた。

 …優しい。


 お茶碗を右手にとり、左手の平にのせて、右手を添える。お茶碗を抱えたまま、一礼。お茶碗を右に2回転、正面を避けて、口をつける。


 敢えてこのタイミングでは口には出さなかったけど、今まで飲んできた抹茶の中で一番美味しい。全然苦味もなく、それでいて抹茶特有の味わいと香りが口いっぱいに広がる。

 この庭を見ながら飲むには、最適の飲み物だ。


 思わず、一気に飲んでしまった。


 彼女が飲み終えるのを、のんびり待つ。

 彼女は数回に分けて飲み、最後はズズズッとわざとらしく音を立てた。

 もしかしてそれも作法…?


 疑問に思う間もなく、次の動作へ移る。

 飲み口を指で拭い、その指を小さな紙で拭く。お茶碗を左に2回回して戻し、お茶碗を机の縁に置く。


 多分…終わりかな?


「ご馳走様でした。とても美味しかったです」

「……良かったです」

「作法とか久しぶりで全部忘れちゃってて……手間を取らせてしまい、申し訳ないです」 

「…いえいえ」

「あ、あと、改めて謝罪致します。先程は大変失礼致しました。つい、庭に見蕩れてしまって」

「……ふふっ」


 笑った…気がする。表情に変化が無さすぎて良く分からないけど。…多分…笑った?


 そろそろ良いかな。


「…そうだ。自己紹介が遅れました。神代家から参りました、神代かみしろかけると申します。苗字でも名前でも、どちらで呼んで頂いても構いませんので、呼びやすい方でお任せします」

「……私は…西条さいじょうすず…です。私も…どちらでも…いい…です」


 これで顔合わせは一通り終わったんじゃないか? 

 最初はどうなる事かと思ったけど、自己紹介も済ませたし、お茶も頂いたし、満足だ。


 あとは…名前か。どう呼べば良いんだろうか。

 流石に…出会ってすぐに下の名前っていうのは…。瀧宮ですら下の名前を読んだことないし…。


 ここは、相手に委ねるってのが一番か。


 相手が下の名前で呼んできたら俺も下の名前で呼べばいいし、それは逆も然り。苗字なら苗字。


 残りの時間、俺は庭の景色を存分に味わうことにした。


 何度みても癒される。木々が風に揺られて音を立て、陽光が、木々の葉からチラチラと差し込む。


 ふと、気になったことがあったので、西条さんに問いかけて見ることにした。

 視線を庭から正面に戻す。


「ほんと、綺麗ですね」

「…ぅえ? あ、あり…とう…」

「御手入れはどのくらいの頻度でなされてるのですか?」

「…え、えっと…朝起きた時と…、出掛ける時…、お風呂を出た後と……、寝る前…です」 

「そんなに!? だからこんなに綺麗なんですね…」

「……うぅ…」

「正直、今まで見てきた中で一番です! やっぱり、これ程までの美しさを保つ為には、それぐらいの御手入れが必要なんですね…」

「………無理…」

「…え?」


 西条さんはそれだけ言い残して、顔を真っ赤にして部屋から飛び出して行った。


 トイレ…我慢させてしまってたのか。


 

 結局、その日は西条さんが俺の前に顔を出すことはなかった。



 俺は相手方のご両親に謝罪をし、そのまま帰宅した。


 家に着いてから父さんに呼び止められる。



「翔、なにをやらかしたんだ」

「…いろいろ」

「…はぁ。まぁ、多分、大丈夫だ。明日は、あちらの家がウチに来るからな。そこで取り返せる」

「はやくね!? もう…疲れたよ」

「まぁいいじゃねえか。あんな可愛い子、中々出会う機会ねえぞ?」

「そりゃそうだけどさ…」


 西条さん、怒ってるよな…。

 話がつまらなさ過ぎたって線もあるよな…。


 父さんの言う通り、明日頑張るか。




******




 休日の駅前ともなれば、やはり人は多い。

 

「そりゃ…居ないか」


 





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