第2話 霊渉(2)

「マジでいい根性をしてるよな、お前。俺たちのことを知っちまった民間人を生かしておけるはずないことぐらい、分かってただろ。時間稼ぎの撒き餌に使おうとしたんだよな? こいつを。岩崎がまだどこからか見張っているのを見越してさ。殺すだけならともかく、死体の処理と証拠隠滅には時間が掛かるもんな?」

「……い、いつの間に……っ」

「おいおい、なんだよそのありきたりな反応は。忘れたのか、俺の霊渉を」

「瞬間移動……っ」

「おー、よかったよかった。どっかで頭ぶつけちまったのかと思ったぜ。しかしさっきは助かったよ。お蔭で岩崎を楽に片付けられたし」

「え」


 多田が軽々しく言ったことに、少年は動揺して息を呑んだ。


 ――片付けられた? 片付けた?


「なんで……そんな……」

「実は、俺も抜けたんだよ。あの組織は。どうも先がなさそうだったからな。だからってソロで生き抜けるほど甘い世界じゃない。いい組織を見つけたんだが、手ぶらじゃ門前払いだ。お前なら、ちょうどいい土産になる」

「だからって何も……」

「もう終わったことをやんや言うな。俺と一緒に来い。どうせお前は普通になんて生きられないんだから」

「っ、そうなったのはアンタたちのせいじゃないかっ! またあんな怖い世界に戻るぐらいなら、もういっそ……!」

「なっ!? 待て、早まるな!」


 自分の胸に掌をあてがった少年に、ただは焦りの声を上げる。余裕ぶった態度と口振りで接してはいたが、今や少年の存在が多田にとっての生命線である事実。自害など冗談ではない。


 霊渉行使の予兆たる青い輝き。青年はすぐさま止めようと、足をもつれさせながら飛び掛かろうとするも、もう少年の掌はその心臓わずか二センチ手前にある。秒速百キロメートルを優に超える先駆放電がその心臓を焼き潰すにかかる時間は、刹那の更に何万分の一ほどか。間に合うには、その霊渉が実際に放たれるより先に少年を捉えなければ。だがそれにせよもはや彼の思考一つ。せいぜいゼロコンマ一秒。ただにとってそれは短すぎて。


 ――だが、彼にとっては。


「あっ!?」


 その瞬間に何が起きたのか。多田だけでなく、少年も理解が出来なかった。確かなのは、霊渉を今まさに放とうとした少年の掌が、心臓の位置を外れて空に向かっていたこと。それにより彼の心臓を焼くはずだった稲妻が天上高くへと飛んで行ったこと。そしてそれらが、突如として少年の腕を襲った衝撃によりもたされたこと。


 そして少年と多田の二人が瞬間的な動揺から覚めて、ようやく明らかになったのは。


「命はもう少し大事にしろよ」


 一人の男が、先のすべてを起こしていたことである。少年の手首をつかみ、掌を空へと向けさせることで。それを、真実一瞬の内に為すことで。


「いくら子供でも、そういう思い切りの良さは勘弁してくれ」

「え、ええ……?」

「てめえ、一体……っ!」


 二者一様。状況の意味不明さに、少年も多田もただ戸惑いを露にしている。取り繕うことすらせず。だがそれも仕方のない話。少年の自害をまさしく間一髪に阻止した男とは、新たなる闖入者などではなく、ほんの先ほどまで横たわっていたはずの人物。すなわち、怪物に襲われていて少年に助けられたはずの男に他ならないのだから。


「く、首の骨を砕いたはずだぞ!」

「並みの人間ならそりゃ砕けてただろうよ。俺にはマッサージにもなりゃしねえけどな」

「なっ、なにを」

「『異能』にも届いてない腕力じゃ当然だ。急所ってわけでもなかったし。よっぽど戦い馴れてないみたいだな、お前。不測の事態にも弱すぎる。どうせヤバイと感じた時は、その霊渉ですぐにとんずらこいてたんだろ? 臆病者向きの霊渉で良かったな、今までは」

「ぐっ」

「…………」


 図星を突かれたという思いで歯噛みする多田。

 虚を突かれたという思いで唖然とする少年。


 霊渉。確かにその言葉については自分が先ほど教えたのだから、男が知っていて当然。しかし少年は、その上でも何か強い違和感を覚える。言い方があまりに自然だったと。そもそもこの男は『霊渉』という言葉を言い慣れているのでは? つまるところ――。


「も、もしかして……知ってたのかよ!? 霊渉のこと!」

「ああ、お前よりよっぽど詳しいぞ。いや、多分お前らよりな。ったく、お前が素直について行けば、コイツが加わろうとしてる組織にも辿り着けたってのに」

「な、僕をエサにしようとしたのか!?」

「お互い様じゃねえか。それに俺はちゃんと後で回収する気だったっての」

「ひ、ひとでなし……っ」

「だからお互い様だろ、っつうの」


 緊張感があるのかないのか。口喧嘩じみたやり取りをする二人をよそに、多田の方はそんな余裕もなく。


「っ、お前、まさか『追儺局ついなきょく』の……っ!」

「いや、残念だけど違う。俺は」

「ついなきょく?」


 聞き覚えのない単語を反芻する少年は軽く無視して、男と多田は睨み合い続ける。


「なら、一体……っ」

「俺は――」

「――■■■■■□□ッ」


 男達と多田の間に割り込んで。先ほどの怪物が地中から現れた。少年の『人間の身体と霊渉による攻撃以外は、あらゆる物質がすり抜ける』という言葉通り、地面には穴一つ開けず。まるで合成する位置を間違えたコンピュータ・グラフィックスのような登場の仕方。それでいて人体程度なら掠めただけでバラバラにするという爪で男に襲い掛かる。だが。


「なっ」


 感嘆の声は少年から。完全な不意打ちと思われた怪物の攻撃を、男は事も無げにしゃがんで躱した。そして大ぶりな攻撃のせいで無防備になった怪物の脇下へと肘鉄を見舞う。パターンの決まり切っているゲームの敵を相手にでもするかのような、正確無比なまでのカウンター。


「■■□■■□■■ッッッ!!」


 悲鳴を上げながら仰け反った怪物の、更に今度はくびへと、男の蹴りがヒットする。果たして怪物の頸は折れ、ひしゃげて。恐竜並みに巨大な怪物が、自動車で轢かれた小動物が如く悲惨な姿になって倒れていく。倒れながら消えていく。だがその消え方は少年が稲妻を食らわせた時とは様子が違っていた。ただ幽鬼のように全身がすうっと消えていくのではなく、外皮から中心部へと向かって徐々に煙のようになっていく。その光景は消失というより、さながら焼失と言い表す方が相応しいか。


「やっぱり、さっきのはやられたフリだったか」

「くっ!」

「あっ!」


 怪物の一方的な敗北を受けて、多田が姿を消す。瞬間移動。


「マズいよ、逃げられ――へ?」


 少年が声を上げた時、男もそこからいなくなっていた。


(くそっ、ムチャクチャだ! なんなんだアイツは!)


 無我夢中で場を離脱した多田は、なおも混乱の極致にあった。彼とて今まで多くの敵と相対してきた。マズイと思えばすぐさま逃げていたのは図星だが、かといって常に逃げ回っていたわけではない。純粋な身体能力だけでも人間離れした者は幾人か見て来た。しかし先の男の力は明らかに、多田が過去に見て来たすべての相手を凌駕していた。更に言えば。


(アイツ、霊渉の気配も感じなかった。まさか素の身体能力がアレだっていうのか? そんなのいくらなんでも、デタラメすぎ――)


「があっ!?」


 後頭部に強い衝撃を受けるまで、多田は敵の存在に気付くことすら出来なかった。だから訳も分からないままに、脳を揺らせながら、膝から崩れ落ちることになった。さっきまでの場所がもう見えなくなるところまで離れた道の上。霊渉により四秒弱でそこまで瞬間移動していた多田は、最後の力を振り絞って身体を捻る。その視界に映ったのは予想通りの相手。他にいないだろうという相手。しかし同時に、まさかそんなはずはという相手であった。


「……ばっ……」


 馬鹿な。あるいは馬鹿げている、か。薄れ行く意識とともに言葉も掠れさせていった多田は完全に身体を地に伏させた。男はそれを、特に達成感もない表情で見下ろしていた。



   ◆



「一丁上がり。悪いな、一人にして」


 完全に失神した多田の身体を背負って戻って来た男は、そのまま少年に頭を下げた。だが唖然とする少年はそれに対して。


「え……あ……ああ、別に」と曖昧に答えるのみで、二の句には「あなたも、瞬間移動の霊渉を?」と、取ってつけたような質問をしていた。


「俺もそんな便利な霊渉を持ってりゃ良かったんだけどな。というか、まずそこが気になるのかよ」

「だっていきなり消えたから……」

「消えちゃいねえよ。俺は普通に走って追いかけただけだ」

「……瞬間移動した相手を?」

「霊渉での瞬間移動ってのは、一回に跳べる距離に限界がある。だから長距離を移動するには連続して使う必要があるんだよ。でも、そうすると発動ごとにタイムラグが生まれるし、いちいちその場に霊渉使った気配を残すことになる。その残滓ざんしを感知して、次の移動先を予測しながら追いかければ、脚で走って捕まえることも出来る」


 要は台風の進路予測。毎度最大距離を真っ直ぐに逃げるだけの相手は、読み易いことこの上ない。だからこそ本来は、ただ逃げるだけでも知略を巡らせて相手を翻弄することが要求されるのだが。一瞬、一瞬でそれを判断するのはよほど熟練した使い手でなければ難しい。


「理屈は、なんとなく分かるけど……。一回に跳べる限界って、具体的にはどれぐらい?」

「そりゃもちろん個人差はあるけど、こいつは多分一〇〇メートルちょい。一回の発動につき、ゼロコンマ一秒ってとこだったな。真っ直ぐ逃げても、せいぜい秒速一キロだ」

「ええ……」


『熱の壁』という存在により、最新鋭の戦闘機でもほとんど採用されない領域の速度を、せいぜいと言ったことにも。それに純然たる脚力のみで追いついたということにも。驚愕を通り越してもはやマッハでドン引きした少年が、顔を引きつらせる。霊渉持ち共通の身体能力強化を以てしても、ここまで異常なものは知らない。


「まさかとは思うけど、そもそも霊渉も持ってないとか言う?」

「その辺はちょっとややこしくってな。持ってるには持ってるが、わけあって今は使えない」

「じゃあ、身体能力が底上げされる副作用だけある感じなんだ。それにしても――」

「いや、その副作用もねえけど」

「は? だったら、ますますそのムチャクチャな速さと強さはなんだったのさ」

「鍛えた」

「いやいやいや」

「ふざけてるわけじゃねえぞ。この世界で超能力として分類される力は、なにも霊渉だけじゃないんだよ。たとえば狂ったように鍛錬すれば、常人離れした能力を獲得出来る。『異能』って呼ばれる力だ。霊渉みたいな魔法じみたもんじゃなくて、人間がもともと持っている能力の延長でしかねえけどな。その代わり、習得に特別な遺伝子なんて必要ない。鍛錬次第で、生き物なら誰でも到達出来る領域だ」

「ああ、そう……」


 もはや世の中は自分が知るよりずっと広かったと解するしかないだろうと、半ば諦念を感じながら少年はそれ以上の追及を辞めた。代わりにある事実をも思い出した少年が、ハッとした顔になって。


「そうだ、岩崎さん! まだ近くに死体があるんじゃ……人が来る前に何とかしないと」

「あの霊渉獣の使い手か? なんで死体?」

「え? だって、殺したってこいつが」

「お前の選択権を縛るためのウソだろ。だいたい霊渉獣がまだ生きてたじゃねえか」

「こいつが岩崎さんから奪い取ったとかじゃないの?」

「刀とか槍とか、そういう武器の類を出すタイプの霊渉なら、他人が奪って使うことも出来るけどな。霊渉獣は無理だ。本来の保有者以外には手綱を握れない。……まあそれ以前に、本来の保有者が死んだ時点で、霊渉で作られた形のあるモノは消えちまうから。どっちにしろ、岩崎ってのが生きてるのは確実だけど」

「ああ、そういうものなんだ」

「まあ、霊渉そのものを他人に移植する研究をしていた連中もいるらしいけどな。少なくともそれが完全に成功したって例は一つも知らねえな。そんなもんが成功したら、霊渉狩りがますます加速するだろうし、ろくなことにならないのは目に見えてるけど」

「霊渉狩り……」

「お前と同じような人間が、また増えるってことだ」

「……っ、なんで、こんな力も、遺伝子も、欲しくて持ってるわけじゃないのにっ」

「……悪い」

「? なんであなたが謝るのさ。っていうか、岩崎さんのこと! 生きてるんなら、なおさら放っといちゃダメじゃないの? 怪物――ああ、霊渉獣って言うの? 本当は。それが死んだからもう大丈夫ってこと?」

「霊渉獣は使い手が生きている限り、時間を置けば何度でも再生できる」

「じゃあやっぱり捕まえなきゃダメじゃん!」

「そんなに焦らなくても心配ないって」

「なんで」

「それは」

「おい、ハリー、ひどくねー?」

「え?」


 口調こそ乱暴なものの。声だけを聴けば自分よりも年下の女の子だろうかと。そう思って少年が振り返った先にいたのは二人の人物で、どちらも明らかに年上の女性であった。


 舌足らずで子供っぽい声の主であろう人物は、実際には男と同じぐらいの年頃で。先ほど彼と部屋の中でトランプをしていた女。膝上のショートパンツ。キャミソールの上から、肩を出すようにジャケットを羽織っている。つまり部屋にいた時とほとんど同じ格好で。


「肩ぐらい隠せよ、はしたない。風邪ひくぞ」

「ひくわけねーじゃん。あとその考え方古っ」


 呆れたようにそう言う彼女の背後には、腕を掴まれているわけでもないのに逃げる意思を完全に失っている女性。年頃は先にハリーがのめした青年と同じぐらいの、少年の知る人物で。


「岩崎……っ」


 例の、岩崎なる人物その人らしく。言葉一つ発しはしないが、気の毒なほど青褪めた顔で震えていた。どこにも傷一つ見当たらないのに。


「こんなか弱い子の相手させねーでくれる? まだこんなに怯えちゃって、かわいそうに」

「ドSがよく言うよな」

「誰がだっつうの。そりゃ戦うのは嫌いじゃねーけど、あんまり一方的なのはイジメみたいだからヤなんだって。せめて霊渉獣は残しとけよなー」

「あんなもん、何百匹いたって同じだよ。というか、怯えさせたのはお前じゃないか」

「怪我させないように、ちょっと脅かしただけなんですけどねー」

「ちょっとの怯え方かよ、それが」

「え、あっと、知り合い?」

「知り合いじゃなくてこのフランクさなら、どっちかが催眠かけられてるだろ。とにかく二人とも本部まで連行しよう。この子の保護も頼まねえと」

「んー? ハリーも一緒に来んの? いつも行きたがらないのに、珍しいじゃん」

「片方が瞬間移動の使い手だからな。万が一にでも途中で目を覚ましたりしたら、一人じゃ厄介だろ」

「そっかー、それはそうかもねー。じゃあ一緒に行きますかー」

「ちょっと、ちょっと待ってよ!」

「なんだよー?」

「……あなた達って、結局何者……?」

十鳥榛ととり はり

「サクヤ」

「え、それ名前? いや、名前だけ聞かされても」


 まだふざけているとしか思えない態度の男と女――改め、榛とサクヤを咎めようと。眉をしかめて抗議しようとする少年であったが。


「十鳥榛っ!?」


 サクヤに連れて来られた女性の方は、榛の名を聞いただけで瞠目して肩を震わせた。名前を聞いただけで震えあがる、などという言い回しがあるが、まさにそれ。面白いほどに。しかし怯えのみで震えているというより、どこか憎悪の念が籠っている様子で。


「あ、あんた、まさかあの……!?」

「そうですけどー?」

「なんでお前が勝手に答えるんだよ」

「だってそうじゃん」

「いや、まだ何も具体的なこと言ってないだろ、そいつ」

「いやいやー、続く言葉なんて一つしかないじゃん。他にいる? ととりはりなんて面白い名前の人」

「いないだろうな、この名前はなかなか」


 ならばこそ勝手に確定させて欲しくなかったんだが、と思いながら。しかし言ってしまったものは仕方がないかと。どこまでもマイペースに振舞うサクヤに、榛は腰に左手をあてがって諦めの意を示して。


「そうだ。お前が連想している十鳥榛で間違いない。十中八九な」


 その返しが来た時点で十中八九どころか十中十。すなわち確定した事実に、女性は唇をさっきまで以上に震わせている。対して少年はまったく意味が分かっていないようで頭に疑問符を浮かべている。榛はどこか気まずそうな顔で。サクヤの表情は何一つ変わらず。


「とりあえず、車停めてるとこまで行こーよ」

「ああ」


 辛気臭い顔のままの榛に、サクヤは少し苛立ったように。


「あのさあ……自分でも思い出したくもないようなことを、他人が思い出すように振舞うのはいい加減にしてくんない?」


 そう言ってから背を向けて歩き出す。榛はそれに。

「……悪かったな」


 と、ぼやくように返して。後に続いて行った。言われたそばから、脳裏に忌まわしい記憶を想起しながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る