第15話 しっぽを失くした禽獣たち(3)

「…………」


 先の家を出て一人きりになったあやめは、そろそろ夕暮れ近く薄橙色になった空の下をとぼとぼと歩いていた。涼しい顔をしながらも、頭の中は整理の付かないことだらけでごちゃついている。榛にケンカを吹っ掛けてから、まだ半日の更に半分も経っていない。しかしその密度はあまりにも濃いものだった。


(『八咫』……ハヤト……十鳥榛。十鳥榛のことはともかくとして、『八咫烏』のことは)


 明らかに、神楽の言と矛盾しているのではないか。いや、矛盾というより正反対。

彼女とて、今日見聞きしたことのすべてを真実と思っているわけではない。むしろすべてが欺瞞だったと解釈した方が胸に落ちてくる。そもそも十鳥榛は敵だったはず。恩人であり、十年以上を共に過ごした神楽を疑って榛の方を信じる方がどうかしている。しかし、しかし。


(もし、十鳥榛の言ったことが本当で。神楽さんが『八咫烏』だったってことも、本当なら)


 それは最悪の組み合わせじゃなかろうかと。首筋に冷たいものが伝う。だが直後。


(いや、だとしても。そんなに問題ないのかも。昔は悪かったけど、今は改心してるとか。そもそも『八咫烏』の一員でも、当時から実は組織のことを良く思ってなかったとか、かもしれないし)


 だから引け目があって本当のことを言えなかったのではないか、という解釈。それならそもそも自分が『八咫烏』の一員だったなんてこと自体を言う必要がなかっただろと、即座に想起される反論を思いつけないぐらいに、あやめの頭は混乱していた。何を信じるべきかを見極めることよりも、何を信じたいかという仮想の事実を考え出すことに躍起になっていた。


 そんな、いっぱいいっぱいの頭で歩いていた眼前に。


「あやめ」

「え」


 件の人物が現れた。顔中に包帯を巻き、その隙間から覗く頭髪さえも汚れた包帯のように白色の男。すなわち。


「神楽……さん」

「どこへ行っていた? しかもこんなに長い時間。みだりに一人で外へ出るなと、散々言ってきただろう」

「っ、ご、ごめんなさい……っ」


 親に叱られた幼子のように、あやめは反射的に謝った。ただその声色が尋常ではなかった。上擦っていた。引き攣っていた。


 トラウマを掘り起こされたような反応は、包帯の隙間から覗く神楽の冷酷なまでの目付きに起因する。その目は、彼女の思い出したくもない記憶の中にある目と酷似していた。それ故の脳の痺れと、


(え、あれ?)


 もとより考え事で混乱していたことと併せて、気付くのが遅くなった。


(なんで、神楽さんがここに?)


 その激しい違和感に。ここはあやめたちが根城にしていた場所からは遠く離れている。加えて神楽は目立ち過ぎる包帯姿を晒し出したまま、フードや帽子で顔を隠してすらいない。


 心配して着の身着のまま探しに来てくれたのか。それは確かに合理的な解釈に思えるが、実際はただの好意的な通釈に過ぎない。どうやってこの場所が分かる? スパイ小説よろしくに発信機なり見張りなりを着けていない限り、そんなことは――。


「加藤……っ!?」

「は!?」


 背方からの突然の頓狂声に、覚えずあやめもらしくない大声を出して振り返る。声がした時点で分かってはいたことだが、相手の顔を見て改めて彼女は絶望する。強く歯噛みする。


「十鳥榛……なんでっ」

「『八咫烏』の関係者を名乗っている知り合い……。よりにもよって俺が、そんなもんを見過ごすわけねえだろ。様子がおかしいとは思ってたけど、そこまで頭が回ってないとは思ってなかったぞ。いや、そんなことより。まさか、加藤、お前が……」

「心中お察しするよ。しかし。なんだあやめ、お前、尾けられていることに本気で気付いていなかったのか? まあ追儺仕込みの遁術とんじゅつが相手では無理もないか」

「なに言って……ってか、加藤って……」


 二度そう呼ばれても否定せず。むしろ肯定するような物言いで。口角を上げて、もはや自分のことより榛の方に傾注している様子である神楽に、あやめはぞっとする。


(なにこれ、どういう状況……?)


 何が起きているのか。二人の間、中心にいるのに、蚊帳の外。


 いや、混乱こそしていたが、あやめとて馬鹿ではない。状況は少しずつ飲み込め始めている。神楽が元『八咫烏』の関係者というのがやはり事実であり、十鳥榛がそれを潰した勢力の生き残りであることも事実。そして神楽は昔、加藤という名前だった。たったこれだけで二人の会話は説明できてしまう。二人の間に面識、因縁があることは。しかし、それだけなのだろうか。


(昔潰し合った、勢力同士の生き残り……。それだけじゃない、この感じ。なんか、もっと根深いものが、あるような)


 そんな雰囲気が漂っている。少なくとも、組織同士の確執に収まらない、個人的な何かが二人の間には確実にある。だがそれ以上のことは分からない。何も知らない。そんな彼女を置いて、男二人はまだ喋る。


「しかし、よくすぐに私が分かったな。こんな姿になり果てて、声もこんなだというのに」

「てめえのその目、その匂いは忘れねえよ」

「なるほど。あの頃の貴様は『見鬼』すら使えないただの子供だったはずだが……それでもそんな曖昧な感覚で覚えているというのは、霊渉や魔道よりよほどオカルトじみているな。それはそうと、今の私は神楽京介と名乗っているんだ。呼ぶならそっちにしてくれないか?」

「かぐらきょうすけ、略して『からす』ってか? アホらしい。お前は加藤恭伍きょうごでしかない」


 はっきりと宣言するがために念押しで、榛はその名を呼んだ。


「……どうも、本気で私を嫌っているらしいな」

「当たり前だ。お前が俺を、この世界に引きずり込んだんだからよ」

「あ」


 それだけであやめが理解出来たのは、彼女自身に重ね合わせることが出来たからだろう。


 霊渉など知らない普通の子供だった自分が今この世界にいるのは、遺伝子を目当てに自分を攫った連中によって引きずり込まれたからなのだから。


「……二十年前か。あの時のアンタが、ちょうど今の俺と同じぐらいの歳だったか?」

「ああ、そう言えばそうだな。そうか、あの時はまだ私もそんなに若かったか」榛の言葉に男はどこか自嘲気味に鼻を鳴らし、当時を懐かしむようにそう口にして。「しかし、私が生きていたことへの驚きは、あまりないようだな」

「死体は見つかってなかったしな」

「『八咫烏』が隠蔽のために処理した、という結論を『追儺局』が出していたはずだが」

「結論じゃなくて見解だろ。死んだ証拠がなきゃ、生きている可能性はある。世の中には『不死』の人間だっているんだからよ。ああ、の間違いか」

「貴様……」


 おぞましい軽口を叩いた榛に、神楽は怨嗟に燃える猛禽が如き眼差しを向ける。その火を焚きつけた榛の方も、負けじと獣のような目つきを向けていた。それに気付いた神楽は少しばかり溜飲を下げるとともに小鼻を鳴らすと、わざとらしくあやめを一瞥してから視線を榛へ。


「どうだった? そいつは。そこそこ、いい戦いをしたんじゃないか?」

「ああ。この世界にいて、今更、歳や見てくれで判断するのもナンセンスだけど。にしてもあの強さには面食らったよ。さすがハヤトなだけある」

「は?」


 榛の何気ない一言に、あやめは目を丸くする。その反応を見て、榛は得心したように息を吐く。吐いてから、神楽を睨み付けて。


「やっぱり、それも知らなかったのか。こいつは。でも、お前は」

「ああ、もちろん私は知っていたさ。混血とはいえ、ただの偶然でハヤトを拾うはずがない」

「え……何、言ってんの? アタシが、ハヤト……?」

「そこに関しては、私もお前を騙したことなどないがな。思い返してみろ。一度でも言ったことがあるか? 『お前は人間だよ』、『お前はハヤトじゃないよ』と」

「っ、そんなことっ」


 詭弁にもならない。


「だって、アタシは生まれた時からあんな……っ」

「生まれた瞬間の記憶でもあるのか?」

「いや、それは―――え」

「手元で大事に保護するほどでもないまでに血の薄まった混血のハヤトを、生まれてすぐにあえて苛烈な環境に放り込む。たとえば、死なない程度に虐待するよう仕向けた親役を用意するなどしてな。そうして時機が来れば回収し、懐柔する。従順な手駒とするために。『再刷り込み』という、かつて『八咫烏』が行っていた施策だ。『八咫烏』が潰滅した後すぐ、私はその残りであった一つを頂戴した。それがお前だ」

「なに……それ」

「まだ混乱しているのか。それとも認めたくないだけか。簡単な話だろうに。十鳥榛にとってのハヤトたちが、お前にとって私だったという話だ」

「あ」


『利用された、ってこと?』


 数時間前に、自身が榛へと投げた言葉が過ぎる。絶望に染まり。


「いや、いや……」


 頭を振る。痛ましさの極まるその姿を満足げに見つめた神楽は、次いで榛に視線を移し。


「どうだ? こいつの素性を知って、貴様も共感を覚えたんじゃないか? 誰かを殺すためだけに騙され、丸め込まれて育てられたというのは、まるで貴様にそっくりじゃないか」


 問い掛ける、というよりは告げる。対する榛は歯噛みするのみ。言葉では答えてもやるものかというほどの憎悪を込めた唾棄の目で睨み返すのみ。神楽にとっては、あやめという存在を作り上げること自体も榛への意趣返しであったというのか。


 そんな中。見る間に真っ白くなっていく頭から、何かを思い出したあやめが声を漏らす。


「で、でも、神楽さんもハヤト、だよね? だって、霊渉を何個も」

「俺をお前たちと同じにするなよ」


 あやめの必死さを、神楽はせせら笑いながら言葉を紡ぐ。


「武器やその他、道具を作り出す類の霊渉は、他人でも使うことが出来るんだよ。私が持つ本来の霊渉は、後にも先にもただ一つだけだ。私は人間だからな」

「……っ、じゃあなんでアタシまで霊渉が一つなん!? そもそもなんでハヤトってことを」

「万に一つでも、人の心を読むような霊渉に目覚められると困るじゃないか。だから貴様が最初に分身の霊渉を発現させた時点で、これ以上危ない橋を渡ることはないと判断した。十鳥榛への対策としては、それで十分に使えると思ったしな」

「俺への対策?」

「ああ。当時はまだ貴様の『水晶幻葬』も健在で、そこをどう破るかが一番の難題だった。その点で分身という霊渉は、実に適していると思ったのさ」

「……まあ、それは言えてるかもな」


 触れればあらゆる霊渉の力を自動的に打ち消すことも可能な『水晶幻葬』を前にして。炎や爆弾やその他武器の類を作り出し攻撃する霊渉は、完全に無意味となる。その点であやめの持つ霊渉ならば。あくまで惑わすためだけに分身を用いて、実際の攻撃は『水晶幻葬』の効果が及ばない実体(本体)が行うという風にすれば。少なくとも使い道のある霊渉にはなる。


 もっとも『水晶幻葬』は、霊渉で底上げされた身体能力をも無効化するから。榛を相手にダメージを負わせたいのなら、素の膂力りょりょくにおいても異能レベルのものが必要になるが。ハヤトならそれも容易く達成出来る。


「俺を殺すためだけに、その子を育てていたってわけか」

「ある意味正解だが、ある意味間違いだ。手を下すのは私でなければ意味がない。私はお前に死んで欲しいわけじゃなく、この手でお前を殺したかったのだから。なんとかあやめの霊渉を私に移植する術はないかと模索していたのだが……そんな最中で貴様が霊渉を失ったと知った時は驚愕したよ。狂喜もした。その頃には霊渉を抜きにしてもバカげた強さになっていたこともすぐに知って落胆したが。いずれにしても分身が有効な霊渉であるには変わらない、というのが救いだったな」

「まあ、いくら鍛えたって身一つで大勢を相手するのはキツイからな」

「だろうな。だから結局その後も、私のやることは変わらなかった。しかし移植の方法は遂に見つからないまま、私の身体の方がピークを越えてしまった。とはいえ、このまますべてを無駄にするのはあまりにも惜しい。だからせめて最後はと、尖兵ぐらいには使わせてもらったというわけだ。貴様の強さを測るためにもな」

「……そんな、どうして、そんなことが……っ」


 とうとう、うっすらと目に涙を浮かべて悲痛な声を上げるあやめに、しかしなお神楽は。


「どうしてだと?」


 冷酷という意味では、榛に向けるそれよりも冷たい眼を彼女に向けて。


「食うために豚を飼う、牛を飼う、鶏を飼う。そこにそれ以上の『どうして』を、どうやって説明しろと言うんだ」

「っ」

「……アンタのことはただひたすら恨んでたこともあったけど、時間が経ってからは同情出来るところもあったような気がしてたんだ。それも今日で吹き飛んだよ」

「私が想像以上の屑だったからか? それとも、より同情すべき相手が出来たからか? どちらにせよ、甲斐があったというものだ。貴様からの同情など、真っ平ごめんだからな!」


 瞬間、神楽の掌から拳大の青い火球が生じた。


 白昼堂々に現れた人魂のようなそれは、時速にして1000kmはあろうかという超人類級の剛速球で榛を――否、あやめを襲う。


「っ!」

「あっ!?」


 一足跳びでまずは前方へ跳んであやめを抱えた榛は、続け様に地面を踵で強く蹴って背方へと跳んだ。さながら、反復横跳びならぬ反復前後跳び。コンクリートの地面へ全力で叩きつけられたスーパーボールよろしくの跳ねっぷり。


 直後、火球もとい霊渉の爆弾が、寸刻前まであやめのいた地面に着弾し、爆発を起こす。神楽と榛の間にあった地面が抉られ、舞い上がった砂塵が視界を奪う。


(まず――っ!)


 神経を研ぎ澄まさせて、榛は神楽の気配を探る。が、それよりも先に――。


「くっ!?」


 再びの爆弾が煙の向こうから現れた。背後や頭上や足元ではなく、榛の真正面、つまり眼前から。両手の塞がっている榛は身を丸めてあやめを包み込みつつ、右脚を振り上げてその爆弾を蹴り払う。しかしボールではないのだから、言ってみれば――


「あぐっ!?」

「きゃああ!!」


 地雷を全力で蹴り抜いたようなもの。当然の爆発が榛の足先で巻き起こる。彼でなければ膝から下が吹き飛んでいたことだろう。そして彼であっても無事で済みはしない。


「……ふうう……っ、大丈夫か?」

「こっちの台詞っ! 何してんの!? 蹴らずに躱せよ!」


 あやめの反応も当然だろう。何故に躱さなかったのか。あやめであっても銃口初速が時速3000km超のライフルを躱すことが出来るのだから。あの程度の火球、榛の反応速度なら猶のこと容易に躱し切れたはず。


「お前がいるからだろうな」

「ええ?」


 爆煙が晴れた時、その声は榛のすぐ背方から響いた。同時にあやめは、榛が自分を抱きかかえつつも首を捻り、自分より数手先んじて声の主――神楽に牽制の睨みを効かせていたことにも気付く。


 つまりは最初の爆発で引き起こした爆煙と砂塵に紛れて、更に自身を爆風に乗せて吹き飛ばした神楽が、榛の背後に回り込んでいた。そして二発目の爆弾と自身とで榛を挟み撃ちしていたという形。


「爆煙の中、わざわざ見えるような角度から攻撃を打ち込むバカはいない。爆弾の方が囮なのは明白だ。ただでさえわざのろくしたのだから。だがあそこで踵を返すなりして下手に動けば、死角からの本命でお前が危険に晒されかねない」

「そんなことで?」

「私も理解し難い」

「俺がこうすると織り込んで巻き込んだくせに、白々しいんだよ」

「織り込んでいた上でそれが不可解だという話だ」

「俺にはお前こそ理解出来ねえよ。でも、それでいいだろ。ヒトとして話し合いで折り合いのつけようがないから、鳥や獣みたいに殴り合おうとしてんじゃねえのかよ」

「ああ、そうだな。力でも屈服させた上で、言葉でも。など、そこまでの傲慢さはさすがの私も持ち合わせていないとも」

「じゃあ、もう余計な言葉は要らねえよな」

「ああ。しかし、貴様はそのままで戦うつもりか?」

「まあ、それでも全然負けるつもりはねえよ」

「それでも?」


 引っ掛かると言うにもまだ弱い違和感を神楽が覚えた瞬間――榛と神楽との間にサクヤが現れた。


「はっ?」「っ」


 それはまったく一瞬の出来事であった。常人であればそもそも何かが起きたことにさえ気づけないほどの刹那の間に。突如として場に現れたサクヤは榛からあやめを受け取って、彼女と一緒に消え失せた。消える直前、神楽を鬼のような目で睨みつけてから。


 そして残されたのは、榛と神楽だけ。


「あの娘は――そうか、やられたな」


 まるで本当にやられたような台詞を、神楽は白々しく発した。

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