第14話 しっぱを失くした禽獣たち(2)
そもそも『八咫烏』とは陰陽道を司る者たちの集まりだった。超自然的な秘術を駆使することによって、いわば裏の陰陽寮として古代から朝廷に対する影響力を持っていた結社。武家社会になってからは幕府にまでその影響力が及んでいたものの、帝を主君としていた彼らはあくまで裏方として助言を呈するに留まっていた。それが増長し、助言の範疇から逸脱して指揮の領域に足を踏み入れ始めたのは、江戸時代中期のこと。契機となったのは、時の『八咫烏』頭目を務めていた
数ある霊渉の中でも、世界そのものを揺るがしかねないものが認定されて固有名称を宛がわれる〈特殊指定霊渉〉。勘解由小路在保が発現させたのは、その一つである『不死』だった。彼は、それを以って百年単位という時間をかけ、独自の政治基盤を築き上げたのである。平行して本来の在り方を良しとする原理主義者たちがそれを示す語を取り入れてほぼ同名の別結社を創設するなどの悶着もあったが、これは却って隠れ蓑になると見逃された。
そして『八咫烏』は、いつしか日本という国そのものを裏から実効的に支配するまでになっていたのである。専らは治安維持に努めながら各地の情報を収集し、いざ勅命が下れば彼らの手足となって暗躍する私兵集団も組織された。後の『追儺局』である。
「その頃から『八咫烏』が常に欲しがっていたのは、希少で有用な霊渉だった。なんせその霊渉の一つで成り上がったんだからな。陰陽道の秘術を、過去の遺産扱いで蔑ろにしてまで。だからとにかく、霊渉の遺伝子を持つ子供たちを集めていた」
「っ、それって結局、今のチンピラたちがやってるのと同じ……」
「いや、やり方が違う。なんせ国家ぐるみだ。民間人の遺伝子持ちを片っ端から調べ上げて攫うなんて、非効率で危うい真似はしない。霊渉の存在が公になるのを避けていたのは、ヤツらも同じだったしな」
「じゃあ、どういうやり方で」
「それはまあ、色々だよ。代表的なのは、児童養護施設と裏で繋がっていたパターンだ。施設の子供は失踪させやすい上に、追う者も少なく出来るからな。『追儺局』だけじゃなく普通の警察も、間接的に『八咫烏』の影響下にあったわけだし」
「あ」
榛の言わんとすることを理解し、あやめは覚えず小さな声を漏らした。
平穏に暮らしている家庭の子が、ある日突然に失踪したとすれば、家族は血眼になって行方を追うだろう。公的機関を頼るに限らず、あらゆる手段も用いて。対外的にも親子関係が良好だったならば、そもそも親を疑ってかかるような人間も少ない。
だがそれが、どこがしかの施設の子供であったならば。理由も証拠もでっち上げやすい、加えて『八咫烏』の威光で警察さえも抱き込める状況ならば。場合によっては、身内を容疑者として仕立て上げることさえ容易になる。総合的に言って、子供を攫うハードルはぐっと下がる。
「そもそも『八咫烏』が健在だった頃の日本で、民間上がりの霊渉能力者は、大半がそうした流れでどこかから調達されてきたような人間だったんだよ。稀少だったり有能な力を発現させれば、そのまま『八咫烏』の資産になるし、それ以外は、奴らの配下組織や御用聞きに支給される。外交手段として海外に流されることもあった」
だがその分、国内すべての霊渉遺伝子持ちは潜在的に『八咫烏』の所有物であるという認識があり、却って秩序が保たれていたのも事実。『八咫烏』の狩猟対象外であるはずの一般家庭の民間人であっても、遺伝子持ちが狙われるなんてことは滅多になかった。そんな真似をするのは、よほどねじの外れた連中。
「それが『八咫烏』のやり方だった、っていうの?」
「ああ。自分たちが直接行動して攫ってくるんじゃなく、周りから献上させる。奴ら曰く穏便なやり方だ」
「……そう。で、ハヤトは?」
「ああ、『八咫烏』とハヤトの話だったな、そもそも。悪い、つい熱くなった」
言って。榛は区切りを着けるように一息吐いてから。
「というか、まず……ハヤトがどういうもんかっていうのは分かってんだよな? そこの認識からしてズレてる可能性あるし、確認したいんだけど」
「ハヤトは、一人で複数の霊渉を発現できる特殊な種族」
「色々と足りない気はするけど、別に間違ってはいないか。そうだ。だから『八咫烏』が目を付けたのも当然だった」
霊長『ハヤト』。神代より生き、あらゆる意味で人間と一線を画していた彼らはしかし、時の流れに抗い切れずに二つのグループへと分れた。
一つは後に朝廷となる古代の王権に下り、人間の世界に交わっていく者たちに。
一つはハヤト達だけで生きる選択をして、人間たちから隠匿して暮らす者たちに。
数で圧倒的に勝る人間と混血してでも、系譜を永らえさせることを選んだ前者。
先細り、滅びの運命を免れないと分かっていてでも、純血を保つことを選んだ後者。
恐らく生物としては、前者の判断が正しかったのだろう。そして実際、後者のグループは緩やかな滅びも許されなかった。
「勘解由小路の地位も盤石になって、『八咫烏』の権力が絶対的なものになった頃。明治維新の流れを裏で操っていた『八咫烏』は、幕末の動乱に紛れて、僅かに残っていた純血のハヤトたちを狩り尽くした。絶滅危惧種の保護という名目でな。これにキレたのが、人間の世界に交わっていたハヤトの末裔たちだ。大半はとっくに人間の血の方が濃くなっていたけど、彼らはハヤトとしての尊厳と囚われた同胞の解放を掛けて『八咫烏』、ひいてはこの国そのものに戦いを挑んだんだ」
「それが『八咫烏』とハヤトの戦いの始まり?」
「そうだ。そして結果は」
主だった戦力の全滅と、唯一絶対の首魁たる存在であった勘解由小路在保の完全な死によって『八咫烏』は潰滅した。
「疑問なんだけど。ハヤトって、そんなに大勢いたの? その、『八咫烏』に捕まっていた純血のハヤトたちのことじゃなくて。『八咫烏』と戦った、混血のハヤトたちのことだけど」
「俺が仲間に加わった時点で百人もいなかったはずだ。最後の戦いに参加したのは十六人」
「いやいや、おかしい、おかしい。それでどうやって、国そのものなんて言えるような組織を相手に。いくら一人で何個も霊渉を使えるからって」
「実際に一人でそんなにいくつも霊渉を使えるのはいなかったぞ。大体みんな二つか三つ。ハヤトって言っても混血だしな」
「だったら尚更、それでどうやって……」
もっともな疑問。しかし答えはあまりにもシンプルで。
「それだけハヤトの強さが桁外れだった、ってことだ。霊渉を抜きにしたって、素の身体能力からして人間を遥かに凌ぐ戦闘種族だぞ。昔『八咫烏』が純血のハヤトたちを狩った時も、ハヤト一人につき腕利きの兵士を最低でも十人は動員したらしい。それでも生け捕りに出来れば褒章もの。何世紀も前に表舞台から姿を消して、実戦も訓練も積んでいなかったようなハヤトを相手にだぞ」
ともなれば、明確な目的を持って本気の鍛錬を積んだハヤトなら当然その強さは桁違いになる。たとえ混血の末裔であっても。
「いや、けど、にしたって、限度が」
「そりゃまあ、さすがに真正面から戦っていればハヤトに勝ち目はなかっただろうよ。『八咫烏』自体はともかくとして、『八咫烏』が動かせた全兵力をぶつけられてたらな。だけどそうはならなかった。そんなことは出来なかったんだ」
「なんで?」
「『八咫烏』の敵はハヤトだけじゃなかったからだよ。例えば当時の『追儺局』の中も内心では奴らを快く思っていない人間は少なからずいたし、ハヤトほど明確に声を張り上げていなくても密かにその転覆を狙っている組織はいくつもあった」
そして彼らの存在が、勘解由小路亡き後の『八咫烏』残党の運命を決定付けた。再興ではなく徹底的な消滅という運命を。ハヤトが死に体にした『八咫烏』の臓腑まで破壊し尽くしたのである。大昔の在り方を継承する原理主義者たちの結社は今も健在なのは、皮肉な話。
「あと、完全な敵じゃないけど海外の情報機関にも警戒していたし。そんな状況でハヤトだけのために兵力を集中させるなんて到底出来なかったんだよ。というか、そんな必要性をそもそも感じてなかったんだと思うぞ。『八咫烏』にとってハヤトは、個々の兵力は突出してるけど全体としての規模は小さいテロリスト集団、ってぐらいの認識だったはずだ」
いかに戦闘種族の異名をとるハヤトとはいえ、霊渉や異能や法術の使い手となり、鍛え上げて戦士となった人間が相手となると、一騎当千出来るほどの力量差はないから。
「舐められてたんだ」
「舐められてたのは勿論だし、何より首魁の勘解由小路が『不死』なんていうふざけた霊渉を持ってたせいで警護に無頓着だったからな。奴自身、自分の命が『八咫烏』の命そのものだと自覚していたくせにな。まさか霊渉を消す霊渉なんてものが現れて、しかもその保有者が明確な敵側に渡っちまうなんて、夢にも思ってなかったんだろうよ」
「霊渉を消す霊渉!? なんだよ、そのマジモンのインチキ」
「ああん? お前、俺が今霊渉を使えねえことは知ってるのに、その霊渉が何かってことは知らなかったのかよ? やっぱりお前――」
「いや待って。なに? 霊渉を消す霊渉の持ち主って、アンタのことなん?」
「正確には、霊渉以外の神秘魔道も全部ひっくるめて消しちまう霊渉だけどな」
それが十鳥榛の霊渉。自身も『不死』などという霊渉を持ち、四百年以上を生きていた勘解由小路在保をして、信じられんと言わしめた力。当然〈特殊指定霊渉〉に数えられ、『
「まあ、とにかく。ハヤトが『八咫烏』を潰せたのは色んな要素が重なったお陰だ」
「言ってみれば、因果応報。『八咫烏』は運命に殺された、ってことか」
「それはちょっと癪に障るな。俺たちの手柄を運命なんかに横取りされたみたいで」
「手柄? 罪の間違いじゃない? 大義名分を抱えてたって、人殺しは人殺しでしょ」
「本質突いたような気になってんじゃねえよ。何も知らねえくせに」
「っ」
大声を出したわけではなく、しかし確かな怒気を孕んだ榛に、あやめは怯んで息を呑む。
「……悪い、今のは俺がみっともなかったな」
「いや、アタシも、生意気過ぎた」
「……」
「…………」
しばし、二人とも黙り込み始めて。なんとも気まずい空気が流れ始める。もっとも、そもそもが敵同士だったのだから、和やかな方がどうかしているのではあろうが。
「ちなみに。アンタはハヤトじゃないんだよね?」
「ああ、俺は人間だ。それも昔は霊渉なんて知らなかった、ごく普通の子供だった」
「どうしてハヤトに協力することになったん?」
「最初はハヤトと『八咫烏』の戦いに巻き込まれただけ、だったんだけどな。例の霊渉のお陰で前線に引っ張り出されたわけだ。ハヤトたちも出来ればハヤトだけで全部やりたかったんだろうけど、勘解由小路を殺すトドメには、どうしても俺の霊渉が必要だったから」
「利用された、ってこと?」
「利用されたには違いないけど、それを言い訳にも出来ない。最終的に勘解由小路を殺したのは間違いなく俺が自分の意思でやったことだ」
「じゃあ、色んな人たちから恨まれてもしょうがないね」
「まあな。っていうか、なんか俺ばっかり質問に答えてるけど。お前は結局なんなんだ?」
「なんなんだ、って。何が?」
「俺に恨みがあって勝負仕掛けてきたのかと思ってたら、肝心なことは知らなすぎるし」
「いや、別にアタシ個人はアンタに何の恨みもないっていうか、むしろ感謝すらしてたぐらいなんだけどね」
「そんなことあるか?」
「あるんだよ。この世界に引きずり込まれてなきゃ、馬鹿げた戦いに巻き込まれる前に実の親に殺されてたかもしれないしね」
「ああ、そういう……」
「でもさ、アタシの恩人が『八咫烏』の関係者だった、っていうから」
「代わりに仇を討とうとしたのか」
「いや、アタシだけで勝てるとは最初から思ってなかったし。仇なら本人が討った方がいいに決まってるし。ただ探りを入れるだけのつもり、だったけど。今になって考えたら、負けておきながら逃げられるわけないし。結局、ただの自己満足、だったのかも」
「……そいつ、本当に『八咫烏』の関係者なのか?」
「分からない。分からなくなった。でも、少なくとも、アンタの話よりは、まだその人の言い分を信じてる」
「当たり前だわな。とりあえず、お前の事情は分かった。俺は先に帰るから、お前も動けるぐらいに快復したら帰りな。さっき戦ってた公園も目と鼻の先だ。迷う心配はない」
「本気で見逃す気かよ?」
「少なくとも『追儺局』に突き出す事案じゃないからな」
「結局、先走ったガキの癇癪扱いか」
「お前の場合、ガキとは思えないから放っとくんだよ。じゃあな」
言い残して。榛は部屋を後にしていった。少ししてから、玄関の戸が開く音と閉められる音も連続で続いて。静けさに包まれた部屋で。
「ムカつく」
と、あやめの呟きが静かに響いた。
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