第9話 彼らの邂逅(1)

 田舎というより仙境と呼んだ方が相応しいほど、町から遥かに位置する山間の村で。


「ハリー見っけ!」

「ばっか、おま――」


 榛の静止も空しく。見目十一、二か歳そこいらの少年が思い切り蹴り上げた空き缶は、馬鹿げた速度で青天に向かって突き上がって行って。


「落ちてこねーなー」

「当たり前だろ、完全に燃え尽きたぞ。だから加減しろって言ったのに」

「空き缶って燃えないゴミじゃなかったっけ?」

「……分かって言ってるだろ、お前」


 とぼけたツラと口ぶりで抜かす少年を、榛が非難がましく見つめていると。


「なに? またユウトが失くしたん? 物理的に」

「ちょっといい加減にしてくんない? また買いに行かなきゃダメじゃん」


 わらわらと集まり出す数人の子供たち。いずれも先の少年と似たような年頃の少年少女。大人は榛ただ一人だけで。さながら休み時間に児童たちと遊ぶ教師という絵面。いや、場所はグラウンドではなく緑広がる野山であるから。遠足の自由時間という方が的確か。もちろん、実際にはそのどちらでもありはしないのだが。


「つうかやっぱさ、あんなカンカンでやるのが無理あるわ」

「不意にでも力加減出来るようになる練習も兼ねてるんだぞ」

「それは分かるけど、段階ってのがあんじゃん。最初はもっと、おもっきし蹴っ飛ばしてもいい感じに飛んでくようなヤツでさ」

「お前らが蹴っ飛ばしても? そんな物体がこの世に存在するか?」

「ハリーが空き缶の代わりになれば、ちょうどよくない?」

「いくら俺でも、ただ突っ立てるとこをお前らに蹴飛ばされたら、隣の山まで吹っ飛ぶわ」


「拒否る理由、他にもっとあるだろ」


 馬鹿げたやり取りを繰り広げている榛と子供たちの輪から少し外れた位置。いつからか現れていた女性が呆れ口調でそう言い捨てると、皆が一斉に彼女の方を向いて。


「サクヤじゃん」

「また帰って来たん? 平日なのに、ハリー並みに暇なんだな」

「あっちに友達いねえの? あ、彼氏もか」


 言いたい放題のご挨拶を繰り出していく。これには女性―サクヤのこめかみもぴくついて。


「どういう教育してんだよ、ハリー」

 榛をちくりとした視線で睨みつけるが。

「俺は別に親でも先生でもねえし」

 暖簾に腕押し。馬耳東風。悪びれる様子もない榛は肩すら竦めず平然としたもので。


「腹減ったから、もう帰るわ。空き缶は今度また調達してくるから、勘弁な」

「うちもそろそろ帰ろっかな。母ちゃんの手伝いしなきゃ」

「俺もゲームしてーから帰ろ。じゃあな、ハリー。また明日ー」

「おう、またな」


 言って。特になんの理由も告げなかった子供たちも皆一様に、手を振り去っていく。どこかにやけた、いたずらっぽい笑みを浮かべながら。

 

 広々としたのっぱらに、あっという間に榛とサクヤだけが残されて。


「ああいうところも含めて、生意気だっつうんだよな。また明日って、まだ昼前だぞ」

 後ろ手に頭を掻きながら、ぽつりと漏らしたサクヤが言葉を続ける。

「まあ、生意気なだけならいいけどさ。あんま思い上がっていつか痛い目見ないかは心配」

「野良のチンピラじゃあるまいし、大丈夫だよ。力量も分からない内から、相手を侮ってかかるほど能天気なヤツはここに一人もいない」

「ならいいけど。そんならそれで、ハリーはいつまでここに引き籠ってるわけ?」

「あ? なんだよ急に、飛躍して」

「飛躍なんてしてねーし。元々あの子らが大きくなるまで、って話だったろ。もう十分成長したわけじゃん? 精神的にも肉体的にも」

「まあな」


 歯切れの悪い返答。自分からそうだと言ってしまった以上、取り繕って否定するわけにもいかず仕方ない肯定していることが瞭然な言い分。


「昔の貯金とか、この間のバイトみたいなヤツで金ならそこそこ持ってるだろ? 出ようと思えばいつでも出て来れるだろー。そんなにもう隠居したいのかよー」

「いや、なにもそこまでは……。ほら、シズとユウのところ、赤ん坊生まれたとこだし」

「マジ勘弁。もう一世代分先延ばしにする気かー? つうか保護者ぶってるけど、色んな意味でめっちゃ追い抜かされてるじゃんよ。シズもユウもだいぶ年下だろうが」

「悲しい現実」

「そうやっていつまでもふざけてりゃいいよ、もう。とりあえず折角帰って来たし、墓参りしてから家に寄るから」

「あー、俺も参っとくよ。いつでも行けると思って、最近はあんまり行ってなかっし」



 ◆



 墓場とは言っても、いわゆる霊園のように整備されたものではない。田舎の山寺の裏手にあるような、こじんまりとしつつ雑然としたもの。大半の墓石は表面があちこち剥がれて、うろこ状になっていて。ただでさえ村自体が世俗から大きく浮世離れしてる中、一層に非日常感と尋常の外側を思わせる雰囲気が漂っている空間で。


「ど、れ、に、し、よ、う、か、な、て、ん、の、か、あ、さ、ん、の、い、う、と、お、り。よし、これだ」


 まさかの方法で参る墓を決めたサクヤが、その墓の前で手を合わせて目を瞑る。合わせて榛も同じように振舞うが。目を開けると。


「いいのか、本当にこんなんで」

「しゃーないじゃん。さすがにいちいち全部は参ってらんないし。ハリーは一人の時、いつもどうやってんだよ?」

「なんとなく、全体に向かって一回手を合わせる感じが多いかな」

「それとこれって、どっちがテキトーで罰当たりなんだろうねー」

「んー……」


 言われてみると、確かに自分のやり方も褒められたものではなかったと榛は思い直す。


「というか。昔はもうちょい綺麗に草むしりとかしてたじゃん、ここも。それがこんな風になってるのってさ、ハリー自身もなしくずしのおざなりでここに留まってるだけ、ってことの現れなんじゃねーの?」

「まだ言うか。ってか、ことあるごとに帰省しまくってるお前が、俺に色々言えた口か?」

「ハリーが来れば頻度はだいぶ減ると思うんだけど?」

「何お前、本当に友達いねえのか?」

「ケンカするか?」

「俺がお前に勝てるわけないだろ」

「お互い霊渉抜きでやってもいいぞ」

「それでやっと良い勝負ってとこか」

「はー? 腕っぷしだけでやったって、負ける気しねーんですけど?」

「は? ふざけんな、てめえ。さすがにただの殴り合い蹴り合いなら、トントンぐらいの勝負は出来るっつうの」

「勝てるとはどうしても言わねー辺り、言い返し方としては中途半端なんだよな」

「言ったら言ったで絶対認めねえくせに」

「それはまあ、もちろんつうか当然そーだけど、んあ?」


 子供じみたやり取りを二人がしていると、サクヤのスカートからバイブレーション。そして彼女が取り出したのはレトロニム的にガラケー(ガラパゴス携帯)とも呼ばれるようになった携帯電話、フィーチャー・フォン。画面を見るなり露骨に眉を顰めつつ、サクヤは訊ねる。


「悪い、出ていい?」

「そりゃまあ、好きにしろよ」


 墓地という静粛にすべき場所ではあるが、今周りには彼氏彼女ら以外に人は無し。少なくとも生きた人は。それに榛はサクヤの取り出した物が仕事用の物であることも知っていた。


「はーい、もしもしー。んー、はー、えー? 今からまたー? ついさっき郷に着いたとこなんだけど。はー、非番なのになー。ウチを誰だと思ってんだよ? サクヤだぞ?」

(高飛車極まってんな)

 と。心の中で嘆息混じりに苦言を吐きつつ、手持ち無沙汰になった榛は通話が終わるのをただ突っ立って待っていた。


 すぐ傍にいながら相手の声が一切榛にまで届いていないのは、彼女の使っている携帯電話が持つ性能のお蔭。だが相手の声が聴こえずとも、サクヤがずっとぶー垂れているところを見ると、やり取りの様子はなんとなく想像が出来るというもの。


「分かった、分かった。しょうがないなー。でもこれ、貸しだから。んー? いいよ、いいよ。どうせ断らない、つうか断らせねーから。ハリーには」

「おい?」


 聞き逃せない文言に反応するハリーをよそに、サクヤは携帯を耳から離して。


「はーっ」

 と。これ見よがしの溜め息を、榛に見せつけた。


「色々言いたいけど、とりあえず誰からだったんだ?」

「藤林」

「どっちの?」

アキラのことなら、旦って言うじゃん」

「じゃあ室長かよ!? お前、未だにあんな口の利き方してんのか?」

「別にいいだろー? 誰の下にもつかないって条件で入ってやってんだし。室長だろうが局長だろうが、ウチの上司ではねーもん」

「だからってお前の立場が上ってわけでもねえだろ。それなのに貸しってお前……」

「ジョークみたいなもんじゃん。貸しっつったらそもそも、一生返し切れないヤツ背負ってるでしょ、藤林に限らずあの連中は。サクヤたちに対してさ」

「それはまあ、そうかもしれねえけど」


 渋い顔をしつつも、それを言われるともう何も言えないとばかりに唇を一旦噤んでから榛はまた口を開いて。


「で、用件はなんだったんだ? 俺が巻き込まれてることは分かったけど」

「別に大層なもんじゃないよ。この前、一緒に捕まえてもらった連中いるっしょ? あれの残りも捕まったから、ハリーにもいろいろ共有したり話とか聞きたいんだってよ。手ぶらでもいいし、一時間もかからねえから、出来れば今日中に本部来て欲しいって」

「はー? たかが木っ端の二人捕まえるの手伝っただけなのに?」

「建前なんじゃねーかな。なんか他に本題ありそうな感じだったし」

「ふうん……まあ、そういうことなら行ってみるか。お前も呼ばれてんのか?」

「いんや。来て欲しいのはハリーだけだってさ」

「だったら、なんで直接俺の方に連絡して来なかったんだろ?」

「かけたみたいだぞ、ほんのついさっき。また携帯家に置きっぱなしなんじゃねーか?」

「ああ、そういやそうだった」

「ったく。いつもなら一緒に付いて行ってあげてもいいんだけど。今はせっかく帰って来たばっかだし、面倒だからパス。家で昼寝でもしとくわ。鍵なんか掛けてないよな?」

「掛けてねえけど、どうせ俺も一旦戻るぞ。手ぶらでいいっつったって、財布がなきゃ電車にも乗れねえし。あと着替えもしたいし。まあそれだけの用だから、どうせすぐ出るけど。留守してる間に余計なことして家を荒らすなよ?」

「ウチの実家なんだけど?」

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