第10話 彼らの邂逅(2)

 ――関東地方の某県某町。


 組織の位置づけとしては、警察庁の内部部局に当たる『追儺局』。だがその本部は霞が関の合同庁舎にはなく、ただ一応は辛うじて首都圏内であるこの地に所在する。一般には存在すら知られてはならないという秘匿性の保持を主な理由とし、都市部の事件にも対応し易くするための折衷案――という建前の下。はっきり言えば隔離されている。


 眼前に川を臨みつつ、閑静な住宅地からもそうは離れていない場所に立つ低層ビル。地上四階建てのすべてが宛がわれている。情報機関と言っても今や日本国における神秘魔道絡みの事象に対する最大の抑止力として、むしろ武装組織としての色合いが強くなっているが。


 ともあれ。ガードマンの姿も見えず開け放たれた門扉をあっさりとくぐり、榛はまず一階部分にやって来た。待ち合いのソファと大型テレビ、飲料とパンの類の自動販売機。そして受付のデスクだけがある、会社やホテルでいうエントランスホール。というよりこの場所の正体を知らないものからすれば、本当に単なる会社だとしか思えないだろう。実際問題、民間人を欺くためのフロント企業としての姿も持っている。


 現にその企業名と、『三雲』という姓を入れた札を胸につけた受付の女性も、スーツ姿に首にスカーフまで巻いて。白々しいまでのそれらしさと清楚さを湛えていて。


「げっ、また出た」


 湛えていた。さっきまでは。今は露骨なまでに眉を顰めている。


「出たってなんだ。人をゴキブリみたいに言うな。せめて来た、だろ」

「だって十鳥さんが来るとピリつく人とピキつく人多くて、空気悪くなるし。ゴキブリの方が殺せるだけまだマシなぐらいですよ」

「俺だって来たくて来たわけじゃねえのに、なんつう言われようだよ」

「じゃあ何の用です? ついに出頭ですか?」

「誰が今更。呼び出されたから来たのに、話通ってねえのかよ」

「呼び出されたって、誰にですか?」

「藤林さん。室長の」

「まあ知ってますけど」

「なんなんだお前。よくそんなんで受付が務まるな」

「他の人にこんな対応するわけないじゃないですか」

「ならいいけど。で、通っていいんだな?」

「いや、ここで待っていてもらうように言われてます。サインだけ、もらえます? 一応、決まりなんで」

「はいよ」


 言って。差し出されたシートに榛が記名している内に、三雲は内線をかけていた。記名のために顔を伏せている榛と目線が合わない間、さっきまで悪態をついていた彼女の表情はかすかな笑みを湛えていた。



 ◆



「待たせた」


 受付を待つこと数分。現れたのは、泣く子もちびりそうな強面で高身長なスーツの男。一応は公安警察にも属する『追儺局』からすれば、むしろ取り締まる側の人間なのではないかと見紛うような人物で。

「お久しぶりです、藤林さん」


 名は藤林雄一郎。『追儺局』における役職名は『特別組織犯罪対策室』室長。


「急な呼び出しで悪かったな。この分は別件として給与を振り込んでおこう。正直、大した額にはならないが」

「いえ、助かります」

「うむ。早速だが色々と話を聞きたい。ついて来てくれ」

「はい」



 ◆


 一様にスーツ姿の大人たちがまばらに行き交う物々しい廊下を、藤林と、そのすぐ後ろに榛が連れ立って進む。誰かとすれ違う度に藤林は彼氏彼女らと挨拶を交わし、共通の知り合いであった場合は榛もそこに加わる。ただ大半の人物は、榛に気付いた瞬間に露骨なまでに目つきを変えて微妙な反応を示していた。


「嫌われてますねえ、相変わらず俺は」

「悲観的に捉えすぎだろう。悪意を以てばかり見られているわけじゃあるまい」

「そうですかね。三雲の言い分では、そんな感じじゃなかったですけど」

「あいつの減らず口はサクヤの影響だろう。しかも真似ているのは口ぶりだけだ」

「そういえば、誰かに雰囲気が似て来たなとは思ってました。今腑に落ちましたよ」

「さすがに誰にでもあんな風というわけじゃないがな。そもそも、あいつの口数が多くなる相手は限られている」

「それは三雲自身がどうしたいかというより、相手の方がまともに会話しようとしないのが原因じゃないですかね」

「三雲の能力を恐れて、ということか?」

「それもあるでしょうけど、そういう理由ならむしろ仕方ないと思います」


 三雲の持つ霊渉。それは、人の心を読む能力である。しかも本人でさえ上手く言語化出来ないような複雑な感情まで精確に理解出来るから、下手をしなくとも本人以上に本人のことを分かってしまえる。そんな相手を空恐ろしく感じて、積極的な付き合いを避けようとするのは理解が出来ると述べた上で、榛は更に本題としての言葉を紡ぐ。


「問題なのはむしろ、あいつを半端に理解したつもりになってる方ですよ。あいつの霊渉を当てにして、コミュニケーションまで色々省こうとする人も結構いるじゃないですか」

「まあ、確かにそういう場面は多々あるな」


 言われてみると、と。藤林は過去に出くわした場面を思い出す。他愛のない雑談の中、例えば好きなドラマや芸能人について話している時にでも。


『三雲さんなら、わざわざ聞かなくても大丈夫だよね』

『三雲さんは、私の言いたいこと分かってくれるよね?』


 そんな風に接している人間のなんと多かったことか。


 悪意はないのだろう。小気味よく弄ることで多人数での会話を潤滑に進めようとしているだけだったり。あるいは、『私はあなたの能力を好意的に、肯定的に捉えているよ』という意思表示ですらあるのかもしれない。だがそういった態度は、ただ彼女が話す機会を奪ってしまっているだけなのではないだろうか。


「しかし精神感応系の能力者は、コミュニケーションを嫌う者が多い傾向にあるのも事実だからな。なるべく話さなくて済むように、という気遣いもあるんだろう」


 それが裏目になっているというのであれば、まさに半端な理解者気取りによる悲劇だが。


「俺には三雲の本心までは分からないんで、あまりテキトーなことは言えませんけれど。少なくとも、お喋りは好きな方だと思いますよ、あいつは」

「内弁慶ってわけでもなくか?」

「違うでしょう。だって、俺がまずあいつにとっての身内や内輪じゃないし」

「……お前はお前で、ふとした時に無神経なことを言って人を傷付きかねんから、気を付けた方がいいな」

「なんですか、急に?」


 心の機微のような部分について、長々とご高説を垂れ流した直後に。あまりと言えばあまりに鈍感な台詞を吐く榛に、藤林は呆れて小さく嘆息した。それをどう受け取ったのか、榛は話題を変えるように慌てて言葉を紡ぐ。


「そういえば。なんだか、今日はやけに人が多くないですか?」


 つぶやくように榛が零した。藤林がそれに答えて曰く。


「今日はというより、最近はだな。先日お前が来た時は夜中だったらしいから、分からなかったのだろうが。現場に出ないタイプの工作員も増えているんだ。科学捜査課やらサイバー課やら、その手の人員が戦闘職と入れ替えで本部に集まって来ている」


 神秘魔道に携わる組織として人員的には間違いなく国内最大を誇る『追儺局』。しかしそのすべてが現場に出る実動工作員というわけではなく、科学捜査やサイバー犯罪捜査を専門とする特殊工作員もいる。組織の在り方から、国家の放し飼いの犬とも揶揄される『追儺局』ながら、本部や支部に籠りっぱなしという人間も少なくない。


 神秘魔道に関する研究、犯罪が万一にも外へ漏れることを防ぐために徹底した監視の下に置かれ、むしろ飼い殺されているというのが実情。


「科学捜査はまだ分かりますけど、サイバー犯罪捜査? 『追儺局』にですか?」

「私はあまり詳しくないが、なかなか侮れないらしい。まさに先日の一件がそうだが、野良の霊渉能力者など、みながみな慎重に活動しているわけじゃないからな。霊渉を使っているところを一般人に見られて、SNSに投稿されることもたまにあるとか。大抵は嘘つきや作り物の烙印を押されて終いだが、本人への揉み消しなり保護なりのフォローは必要だからな」

「なるほど。そう考えると、むしろこの時代によくまだ世間から隠し通せるもんだなって気がしますね」

「……上がそれを最優先としているからだろうな。お陰で証拠隠滅にも長けた連中の組織犯罪への対応は、被害の大きさにもかかわらず後回しにされがちだ。さあ、着いたぞ」

「ああ、はい。ってここ、取調室じゃないですか!」

「聞かれたくない話をするのに適した場所を選んだだけだ。他意はない」

「取調室って最近はむしろ、オープンな場所になってるって聞きましたけど」


 自白強要や暴力沙汰が問題になっているという件で。そういった話は確かにあるが。


「表の警察の話だろう、それは。うちにそんな倫理観があると思うか?」

「あった方がいいんじゃないですかね」


(その顔の相手と二人きりにされるだけで、ほとんど自白強要みたいなもんですよ)

 という言外の思いは飲み込んで、榛は肩をすくめる。


「私にサクヤのような能力はないが、お前が今何を考えているか分かるぐらいの観察眼は持っているぞ」

「……やっぱり、扉って開けっ放しじゃダメですか?」



 ◆


「なるほど、確かに部下やサクヤの報告とも一致するな。これで正式に上げ投げても問題ないだろう。ありがとう、助かったよ」

「じゃあ、命だけは助けてもらえますか!?」

「いつまでその茶番を続けているんだ。それより、この件に関することで、お前の方が訊いておきたいこととかはないのか?」

「そんなのあるわけ、あ、いや」


 何かを思いついた榛が即答を中断して。


「あの子はどうなりました? 俺が、一応保護した」

「雷撃の霊渉を持っていた子か? とりあえず、今は百地さんの預かりになっている。まだ確定ではないが、本人は戸籍を作り変えた上で、うちに入ることを希望しているそうだ」

「ずいぶん、早く肚を決めたもんですね」

「どうせ他に道がないことを悟ってるんだろう。子供と言っても、あれぐらいの歳ならな」

「……そうですか」


 榛と藤林。ともにネガティヴな感情を湛えた目付きになる彼らだが、その気配は二人の間で微妙に異なっていた。


「被害者としての保護にしても、加害者としての逮捕にしても。霊渉を持ってしまった時点で一般社会へ簡単に戻れないのは、同じことだからな」

「それはそうですが」


 霊渉遺伝子を持つ民間人の略取が珍しくもないこの世界で生きていれば、聞き飽きるほどよくあるパターン。家族や友人に迷惑を掛けられないからと、『追儺局』の庇護下で完全な別人として生きることを選ぶ。証人保護プログラムよろしくに。


 整形などしなくとも、居住地を選べばかつての顔見知りに偶然で遭遇する可能性は低い。万一遭遇、あるいは探偵などを介して見つけられたとしても、他人の空似という戯言が国家権力のお墨付きで通用する。実際に別人としての戸籍を持っているのだから。無論、そんなこととは関係なく、情報を掴んだ霊渉組織によって、かつての身内や友人を人質に取られてしまう危惧はあるのだが、それに関してはどうせ手の打ちようがない。


「にしても、わざわざ『追儺局』に入る必要はと思ってしまいますけど」

「私たちも無理強いはしていない。本人になんの落ち度もない一被害者なのだから。たとえ『追儺局』に入らずとも、生活を保障する支援は出す。なるべく人と関わらずに暮らせ、という念押し付きでな。実際、最初の内はそっちを選ぶ人間の方が多い。元々、こっちの世界に引きずり込まれて恐ろしい目に遭って来た人間なのだから当然だろう。だが、結局は『追儺局』か、他の霊渉関係の組織や集団に加わることを選ぶ者の方が多数になる」

「なんでですかね」

「そこに仲間がいるからだろう。同じ境遇、同じ性質を持った仲間たちが。お前はどうだったんだ?」

「俺もまあ……同じですかね」


 少しの逡巡を挟んでから、一応の肯定を示した榛。そのわざとらしさに藤林は思わず苦笑しながら次の言葉を紡ぐ。


「まあ、今はうちにも色んな部署が出来た。事務や情報処理の方も専業化して、必ずしも前線に出る必要はなくなったし。昔よりはずいぶんマシになったよ」

「マシな生き方を選ぶしか出来ないんですね。霊渉なんかを持っているってだけで」

「霊渉などなくとも、大体の人間はそういうものだ」

「でも、許容範囲が全然違うじゃないですか」

「それはそうだがな。で、他に何か聞きたいことは?」

「いえ、他には特に。ありがとうございました」

「ああ、待て。まだこっちの話も終わってないんだ。別に本題があることぐらい、気付いているだろう」

「ええ、まあ」


 確信を持って問い掛ける藤林の言葉に、榛は曖昧に頷いた。というのも。


(本当はサクヤに言われてなきゃ、気付かなかったんだけど)


「……お前が昔、入っていた施設。そのバックにいた財団の検挙が正式に決定した。近々、関係各所への同時制圧作戦を行う」

「……っ、それって」


 目を見開いて息を呑む榛に、藤林は頷いて言葉を紡ぐ。


「ああ、やはり調子に乗り過ぎたようで上も看過できなくなったらしい。管理の杜撰さも目に余るレベルに達したということだろう。委員会から直々に指令が下った」

「なんていうか、ちょっと……正直、動揺してます。いつかはと思っていましたけど、実際にその日が来たとなると。でも、こんなことを自分に話しても大丈夫なんですか?」

「もちろん大丈夫じゃないが、私は事前に話すべきだと思った。お前には知る権利がある」

「そんな理由で……無茶苦茶ですよ。国家機密の指令を実行前に外へ漏らすなんて」


 守秘義務は破り捨てるものなのか。いや、事の重大さで言えばただ破り捨てるどころかシュレッダーにかけてから火をつけるような暴挙である。その顔面は伊達ではない。


「ただ言ってしまってから忠告するのも反則じみているが、信用して話しているんだ。作戦にまでお前を加えることは出来ない。独自に動くのも勘弁だ。こんなタイミングで告げることになったのも、それが理由だ。許して欲しい」

「分かってますよ。大丈夫です。さすがにもう、そこまで馬鹿じゃありません」

 下げる必要のない頭を下げる藤林に、榛は却って恐縮する。恐縮しつつも。

「ただ、出来れば一つだけ訊かせてください。旦は参加するんですか?」

「ああ」

 肯定の言葉を聞くと、榛は穏やかな顔になって。

「だったら、もうなんの文句もありません。俺の分までアイツに託しますから」

 そう返答した。

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