第11話 彼らの邂逅(3)

 緑と土色に囲まれた、終点の無人駅に降り立った唯一の乗客――榛は、どこか浮ついた足取りで歩く。閑古鳥も鳴かないような、のどか過ぎる風景。先日、榛とサクヤが捕り物を繰り広げた場所は、真っ昼間であってもまるで人の気配がなかった。当然である。もうここに住んでいる人間などいないのだから。


 田園風景も明るい陽の下で見てみれば、長い間人の手が入っておらず荒れ放題であることがよく分かる。ゴーストタウン、いやゴーストヴィレッジか。立ち並ぶすべてが廃墟であり、その筋の好事家にとっては垂涎ものの風景と言える。にもかかわらず観光客の類、それらが残す新しめの落とし物さえまるで見当たらない。


 榛にとっても普段であれば、ただ真っ直ぐと家路についているだけの道の途上。先に見える山を越えれば、彼の暮らす郷へと辿り着く。それだけの道のりを、しかしこの日は考え事をしながら一歩一歩踏みしめていた。


『だったら、もうなんの文句もありません。俺の分までアイツに託しますから』

(格好つけて、ああは言ったけど)


 つい一時間ほど前の自分の言葉を、榛は想起する。


(なんだろうな、このもやもやは。やりたかったのか、やっぱり俺も)


 本当は反芻するまでもなく、当然の感情。出来ることなら自分も。それだけの因縁がある相手だった。何せ自分の人生を根本的に変えた、すべての発端。


(でもまあ、勝手に嫌気差して抜けておいて。本命だけは自分でやりたいってのは、虫が好すぎるよな)


「ふうっ」


 大きく嘆息した榛は、通りすがった公園のベンチにいよいよ腰を下ろしてしまう。


(ダメだな、こんな顔のまま帰っちまうとまたサクヤに気を使わせちまう)


 だから少し気を落ち着かせよう。それから帰るとしよう。それだけのつもりであったのに。


「っ」


 不穏な感覚が、一瞬にして榛の思考を塗り潰した。警戒という一色に。


「もうじきアラサーになるような男を覗いて楽しいか?」

「――気配は完璧に殺してたつもりだったんだけど」

「完璧にって、そいつはそういう霊渉でもなきゃ無理だろうが」


 人体に質量と熱量がある以上、気配というのはオカルトではなく、物理的に必ず存在するものなのだから。『追儺局』の基本技能たる遁術を以ってしても、完全にゼロには出来ない。


「つっても、それだけ存在感を薄められるのは素人じゃあり得ねえ」


 技能もへったくれもなかった昨日の連中とは明らかにわけが違う、ということ。


「どこのどいつが何の用事だか知らねえけど、さっさと出て来い」


 公園のほぼ中央に聳え立つ、一本のエノキを睨みつけながら榛は告げる。


「このままじゃあ、譫妄に憑かれた野郎がぶつぶつ独り言を言ってるみたいじゃねえか」

「仕方ない」


 聞いている方の気が抜けそうなほど抑揚のないその声がした直後に。まるで手入れをされておらず、茂りに茂っていたボサボサの緑葉が揺れる。狭小な公園には不釣り合いなほど立派なエノキ。地上からの高さ十四、五メートルといった箇所から跳び出す影。事も無げに、無駄な回転も魅せず、音も砂埃も立てることなくそれは降り立ったのは、一人の少女。こんな場所にはあまりに不釣り合いな、パンキッシュな出で立ちをした。


 榛は知る由もないが、彼女の名前はあやめといった。そのあやめは、値踏みするように榛の顔を眺めて。


「アンタが十鳥榛? 変な名前してるわりに、顔はつまんないし、服もダサいね」

「放っとけ。何が目的だ? この前の連中の残党か? あの子を取り返しに来たにしても、今更俺を当たってもしょうがないぞ」

「なんの話? アタシは純粋に、アンタに用事があんの」

「仕事の依頼か?」

「舐めんなって」


 一円に冗談ばかりのつもりでもなかった榛の言を、あやめは鼻で笑う。先ほどの意趣返しのように。何もわかっていないと、榛を蔑むように。しかし顰められた眉と鋭い目つきに現れているのは、呆れより苛立ちの感情。


 とぼけているわけではないと分かっていながら、それでも榛の問いを呑気な思い上がりだと非難したい思いに駆られていることが、当の榛にも十分に伝わってくる熱量で以ってそこにあった。あったが。


「いくら凄まれたって、ハッキリ言われなきゃ分かんねえよ」

「『八咫烏』」


 形として。あやめがその単語をまさにハッキリと口にした瞬間、榛は口を噤んだ。


 もはや冗談めかすような態度は素振りさえもなくなって。誠実ささえ窺わせる真剣な目をした彼は、先ほどの自分自身の発言もどこへやら。無言のまま視線だけで相手に次の言葉を促す。そんな榛の反応に満足したのか。あやめは却って冷静かつ余裕を感じさせた表情へと立ち戻っていて。


「忘れるわけないよね。アンタが潰したんだから」


 榛が待っていた言葉を紡いだ。


「アンタは大そうなことを成し遂げたつもりかもしれないけど。『八咫烏』が潰滅したせいでどれだけの人間が不幸になったか、分かってんの?」

「っ、分かってるつもりだ」


 胸に刺すような痛みを覚えながら、榛は応える。それは彼が自戒の念を込めてずっと脳と心に刻み付け、生きていかなければいけないと誓っている事実。


「まだお前がどこの誰かも知らないけど、俺はいくら土下座してもし足りないような相手なんだろうな」

「うん、そうかも。でもアタシは土下座なんて要らない。別に謝って欲しくもない。代わりにこの質問に答えて。アンタ、今は霊渉を使えないって本当?」

「ああ、そりゃ本当だよ」

「まあ、言葉だけじゃ事実かどうかなんて分かったもんじゃないけど。もし本当なら、アタシでも少しは戦えそう」


 直後、榛は身を捻って真横へと跳び跳ねた。ほぼノーモーション。真っ当な人間の動体視力では消えたようにしか思えぬ俊敏さで。膝すらほとんど曲げず。そもそも人間の体幹でそんな動きが可能なのかという跳躍方法。


 そうして跳びながらわずかに首を捻った榛の視線に映ったのは、彼が想像していた通りの光景であった。すなわち寸刻前まで彼が立っていた場所へその背後から上段蹴りを決める、もとい決め損ねたあやめの姿。服装や背格好のみならず、姿すべてがさっきまで真正面で対峙しながら榛と話していたあやめそのもの。


 しかしながら彼女が超高速で動いて榛の背中に回り込んだというわけではない。何故なら、最初のあやめもやはりさっきまでの位置――榛の真正面にも未だに立ったままなのだから。つまり現状としては、榛の視界内にまったく同じ容姿容貌のあやめが、彼を挟む形で同時に二人存在しているということ。


(双子――なわけねえわな、こいつは……っ!?)


 判断は一瞬。未だ跳躍の最中で地に足が着いていなかった榛は、突然に思い切り背中を逸らした。そうしてバク転することによって、待ち構えていた三人目のあやめの頭上を、紙一重で飛び越えた。そしてその先で、ようやく両足立ちした榛を見つめる六つの瞳。


「「「すごいじゃん。学生時代、器械体操やってた?」」」

「何年か学校には通ったけどな、万年帰宅部だったよ」


 と。まったく同時に動く三つの唇と、重なる三つの声に、榛は返答する。


「分身か」

「「「そう、それがアタシの霊渉」」」

(っ、いっぺんに喋りやがって。まるで区別がつきやしねえ)


 無論、それが相手の狙いであることは榛も分かり切った上での愚痴。

三人のあやめが同時に喋っているのは、ふざけているわけじゃなければ、妙な演出をしているわけでもない。相手がじっくり観察する時間がある内は、自分を含めたすべての分身をまったく同じように動かすこと。それは分身系統の霊渉能力者にとって戦闘の基本である。


 戦闘力に絶対的な差がなく、互いに一撃必殺となるような決め手もない以上、どうしても長期戦となりやすい能力だけに、分身同士のクセを出さないようにすることこそが先ず肝要。


(やっぱ素人じゃねえな。昨日の連中とは違う。にしても完全に動きが一致し過ぎだろ)


「おらああっ!!」

「「「っ!?」」」


 なんの前触れもなかった榛の大声に、三者一様。まったく同じように、あやめたちが同様に動揺に目を見開いた。


「「「いきなりびっくりするじゃん。なんなの?」」」

「あー、悪い悪い。気合い入れただけだ」


 無論、そんなわけがなく。冗談めかした謝罪をしながら、榛は思考する。

(やっぱり『完全同期(シンクロ)』か)

 と。


 分身系の霊渉には、大きく分けて二つのタイプがある。


 一つは『自律思考によって行動する分身』を生み出すロボットタイプ。ロボットとは言ってもプログラムによって動くわけではなく、能力者本人と同じ知能の『強いAI』が搭載されたようなもの。故に本人が熟知している動きと反応については、分身の方も戦局を読んで適切に行動を真似る。


 そしてもう一つが、一挙手一投足のすべてを常に掌握し、操作する必要のある分身を生み出すマリオネットタイプ。運用のコストは格段に上がるものの、ロボットタイプと異なり臨機応変に厳密な操作が可能。更に能力者本人と『完全同期』させることで、本人と寸分違わず同じ行動を取らせることも出来る。


(自律志向型の分身なら、反射まで完全に一致するなんてことはまずあり得ねえ。脊髄反射でも全くおんなじようにはならない。つまりこいつの分身は『完全同期』が出来るマリオネットタイプ……ならっ、小細工は要らねえ!)


 と。決意を秘めた榛が駈け出した。現在地から一番近くにいた、つまりさっき彼が飛び越えたあやめのことは無視するようにその脇を猛スピードですり抜けて。なれば当然、最初に榛と話していたあやめと、空振りに終わった蹴りを繰り出したあやめが身構える。それぞれの構えは違っていて、つまり榛の読み通りマリオネットタイプの分身だったとしても、既に同期の方は切っていることが窺える。


 果たして榛は彼女たちに……突っ込むことなく、急ブレーキで立ち止まった。ちょうど、三人のあやめの中央辺りで。


「「「あん? 何してんの?」」」

 また同期したのか、あやめたちが一様に眉を顰める。

「「「突っ立ったまんまで、仕掛けてこないわけ?」」」

「なんで俺が。俺はお前になんの恨みもないんだぞ。勝負したいんなら、そっちから掛かってこいよ」

「「「……つっ」」」


 榛の挑発に乗ったあやめたちがこれ見よがしに舌打ち三重奏をしてから、一斉に彼へと飛び掛かった。霊渉による分身はハリボテでも幻像でもなく、確かな質量を持つ。脳だけが停止した状態で、身体構造も身体能力も本体とまったく同一の個体だから。腕力、膂力も当然同じ。


「っ、……っ、っと……っ、ふ……っ!」


 三方向から矢継早。踊るように繰り出される蹴撃と拳撃の連続を、榛は二本の腕だけで捌き切る。陣取った立ち位置から一歩足りとも動くことなく。踵一ミリも浮かさず。


「くっ!」


 肘で受け止めたあやめの踵落としの衝撃に、榛の骨が揺れる。


(こいつ、見た目の万倍は力あるなっ)


 痛みこそ感じていなかったが、その振動は彼女の攻撃がまともにヒットさえすれば榛の肉体にも十分通用するレベルのものであることを示していた。


(でもこれぐらいなら……っ)


「うっ!?」


 ガードに徹していた榛が、あやめたちの内の一人、その肝臓の位置する場所へと拳を叩き込んだ。瞬間、苦悶の表情で声を漏らして動きを一瞬停めた個体。その反応に良しとほくそ笑んだ榛が、彼女の足首を掴み、ハンマーの要領でスイング――しようとした瞬間に、相手のあやめは消失した。


「っ!?」


 勢いだけが止まらずあやめという錘を失った榛の身体がよろめく。そんな態勢を整えようとしたほんの僅かな間隙に、彼の側頭に現れた別のあやめから、こめかみへと叩き込まれる足刀蹴り。そのまま榛の正面へ回り込んで、続け様の拳撃を繰り出そうとした彼女はしかし、榛からの返す刀、足刀蹴りを脇腹に受けて吹き飛ばされた。かと思えばその姿が消失する。これで瞬く間に三人の内の二人が消えた。物理的消去法。


 更に忍びやかに背後を取っていた三人目のあやめへと狙い打たれた榛の肘鉄砲。それはしかし紙一重で躱される。口惜しさと必死さの混じった表情を浮かべながら、彼女は榛との距離を取る。その間に榛の方は態勢を完全に立て直していた。


 榛が一人目のあやめの足首を掴んでからそこまでの一連が、ほんの一瞬の内。


「やっばいな。こめかみまで鍛えてやがんの? あれ食らって目も眩まなかったヤツ、アンタが初めてなんですけど」

「危なかったけどな。お前こそ、見てくれの割にやたら戦い馴れしてんじゃねえか」


 肝臓を打った瞬間のあやめの反応を想起しつつ、榛は感嘆とともに言葉を述べる。


 体の構造が能力者本人と同じである以上、当然ながら分身にも神経は通っている。だから例え脳が停止している状態でも、脊髄反射は起こす。だが苦痛に対して苦悶の表情を浮かべるような反応はさすがにない。それらしいものが見られたとすれば、能力者がそういう風に操作してみせているということで、つまりは。


「あれは釣りかよ」

 榛の言葉に、あやめはしたり顔をしてみせて。

「『どれが本物かを分からないようにする』より、『偽物のどれかを本物だと思わせ』ておいた方が、思い通りのタイミングで隙を作りやすいからね。分身をただ運任せのデコイとして使うのは三流のやること、でしょ?」


 相変わらず抑揚のない独特な口調だが、それでも得意げだと分かるような口ぶりで。あやめはご丁寧に解説まで披露する。


 複数の分身体を相手に戦っている時、特定の個体にのみ狙いを絞れば、その分どうしても他への注意は散漫になってしまう。確信を持たず、ただ見当を付けただけでも同じこと。それでも狙いが当たっていれば戦局的にはプラスだが、外れていればただ隙が出来るだけで完全なマイナス。なら、『見当をつけているが実は外れている』という状態を意図的に作り出すことが出来れば、それだけで分身を使っている側にとって有利になるのは自明のこと。だが。


(理屈で分かってても、実戦の最中にリアルタイムでそうそう出来ることじゃねえだろ。戦闘中にどういう観察力と演技力だよ)


 自身の霊渉能力をフルに活かし、しかしそれに溺れているわけではない。むしろ霊渉を活かすために、その他の能力、戦術を研ぎ澄ましていることへの感嘆。賞賛の言葉さえ浴びせてもいいぐらいの思いではあったが、悔しさもあってか榛はまだ素直にならず。


「……大したもんだけど、火力の方がちょっと足りないんじぇねえか? あの程度なら、せめて倍の分身はいねえと」

「倍? そんなもんでいいんだ?」

「あ?」


 あやめの言に眉を顰めた榛を―――本体を含め――十三人のあやめたちが取り囲んでいた。

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