第8話 彼女の夜明け前(2)

 霊渉なる力の存在、自身がそれ故にとある組織に目をつけられ、攫われたこと。あやめが詳細を知らされたのは、彼女がそういった話を真っ当に理解出来る歳になってからであった。それまでも何となく聞かされてはいたが、改めて。具体的には、ごく普通に暮らしていれば中学校に上がっていたはずの歳になって。その頃には神楽の方も、青年期から壮年期に差し掛かり、言葉遣いまで随分と大人になっていた。


「霊渉遺伝子は、ある種の呪いだ。ただ持っているだけで、不幸となり得る因子。野良の霊渉能力者たちは、自分たちの仲間を増やすために民間人で遺伝子を持つ者を探り当てて攫うからな。しかし実際にそんな被害が起こる件数と言えば、微々たるものだった。『八咫烏やたがらす』がいたからな」

「なにそれ?」


 八咫烏が何かと訊かれれば、三本の足を持つ巨大なカラスで日本神話に登場する……というものになろうが。無論、神楽が口にしているのはそれそのものではなく、そんな霊鳥の名を冠する組織のことで。


「神秘魔道の事象に関しては、間違いなく日本最高峰の組織だ。この組織が存在するからと、単なるチンピラ紛いの連中が民間人にまで手出しするようなことは、滅多になかったんだ。稀にあったとしても、相当周到に組織立って動ける連中か、逆に、ただただ浅慮なだけの阿呆連中ぐらいだった」

「どうして?」

「日本中の遺伝子持ちは、我々の資産である。と宣言していたからな、八咫烏は。それに手出しするなんてことは恐れ多かったわけだ」

「そんなにデカい組織だったわけ?」

「規模よりも個々の力が問題だったんだよ。何せ構成員の大半が『ハヤト』だったからな」

「また知らねーの出て来た」


 まだ『八咫烏』に関してもつかみ切れていないというのに参戦して来た新出の単語に、あやめが覚えず口を挟んだ。果たしてその『ハヤト』とは――。


「化け物じみた力を持つ一族とだけ理解していればいい。生まれついての純粋な身体能力も普通の人間を凌駕しているが、霊渉に関しても規格外だ。たとえ使い物にならないような霊渉であっても、一度発現してしまえば生涯それだけに固定されてしまう人間と違って、奴らは一人で複数の霊渉を持つことが出来る。純血に近ければ近いほど、その数も増える」

「インチキかよ」

「……ふっ」

「? 何?」

「いや。昔、お前と同じようなことを言ったヤツがいてな」

「言いたくもなるじゃん」

「そうだな。本当にそうだ」

「……意味深だな」


 その『昔』とやらを思い出してか。懐かしんだ目をする神楽にあやめは少々の疎外感を覚えて唇を尖らせつつも先を促す。


「で、どうなったわけ? そのインチキ集団からなる『八咫烏』は」

「潰された」

「インチキなのに?」

「インチキを超えた超インチキには叶わなかったんだ」

「インチキインフレーションじゃん」

「冗談みたいだが、本当にその通りだったんだよ。『八咫烏』を潰滅させた連中は、想像だにしない、いかれた力を持っていたんだ」

「まあともかく『八咫烏』は潰されて、そいつらがその座に成り代わったわけか」

「成り代わってなどいない」

「どうしてだよ」

「もともと、奴らは私怨のみで『八咫烏』を潰滅させたんだ。自分たちが成り代わろうなんて考えは微塵もなく、責任もなく。暴れるだけ暴れ回った後は消え失せた。結果的には、ただ一つの抑止力がこの国から喪われただけだ。野良の霊渉能力者たちにとっても、遺伝子持ちの人間たちにとっても、悪夢の時代が始まったんだよ」

「……それで現状があるわけか」

「そういうことだ」


 現状。今の日本という国。それについては現在進行形で、あやめも把握認識しているつもりである。民間人の遺伝子持ち、特に幼い子供たちがあちこちで攫われているという現状。それまで遠慮をしていたチンピラ紛いの連中の、箍が外れてしまった。結果、民間人の遺伝子持ちを狙う事件は爆発的に増加した。


「今は主に『追儺局ついなきょく』という名の情報機関が、霊渉や神秘魔道絡みの警察を行ってはいる。お陰で暗黒期とまで呼ばれた頃よりはずっとマシになったが……それでも、まだかつての『八咫烏』の影響力には遠く及ばない」

「ひどい話だな」

「まるで他人事のような言い草だな。お前だって被害者の一人だろうに」

「別に、私はむしろ感謝してるぐらいだし」

「まあ、お前の場合は結果的にそうだったかもしれないが」

「……でも」

「ん?」

「神楽さんは、違うよね。仲間の仇でもあるし。八咫烏の、ハヤトだったんでしょ? その生き残りなんでしょ?」

「まだそこまで話してはいなかったと思うが」

「さすがに分かるって。仇、討ちたくないの?」

「……昔は、そういうつもりで我武者羅にやっていたがな。そんな青臭さも失くしたよ、色々あって疲れたんだ。せめて残りの人生は、失敗と後悔の少ないものを歩んで行きたいと思う」


 神楽の言葉に偽りがないこと、そして本心でないことを、あやめは察していた。既にかつての傷が癒えて包帯から解放されていた彼女は、未だあの日からずっと顔に包帯を巻いたままである神楽の目に、諦念を感じ取っていた。


   

 ◇



 月に弄ばれた波がコンクリートの岸壁に打ち寄せている。ひっきりなしに。ささくれだったロープで岸に括りつけられたボートは、緩やかにしかし絶え間なく揺ら揺らと。海中に投棄されたゴミから異臭とともに滲み出た油脂は水に溶け込めず、海面に複雑怪奇な模様を生み出している。まるで瑪瑙めのうの断面図。


 そんな夜の波止場に佇む一人の人物。見目三十代半ばかそれ以上といった男。キャスケット帽からダークオレンジの髪が、色眼鏡の下には狐のような目が覗いている。首元には金色のネックレス。ファッションは自由なものとは言え、時間帯と場所のことも考慮に加えると、見るからに軽薄そうで不審と言わざるを得ない風体。


 そんな男がバックライトの点いた腕時計を時折覗きながら、明らかに何かを待っている様子。そしてその何か、神楽の運転するトラックがやって来ると口角をやや吊り上げて。停車し、運転席から降りて来る待ち人を出迎えた。


「おー、待ってました、待ってましたよ、神楽さん」

「ああ、遅くなって悪かったな。山田」

「やー、俺もわりかし、ついさっき着いたとこですから」


 互いに語調は柔らかだが、心を許しているようではない。そんな微妙な距離感のあるやり取りを男二人が交わしていると、荷台の扉が開いてあやめがそこから身軽にも飛び降りて。


「どうも、山田さん」

「おー、こんばんは。相変わらず不愛想なガキだな」

「こっちから挨拶してんのに、言い草、ひどい」

「いや君、ただでさえ目付き悪いんだから。口の端っこぐらい上げて喋れねー?」

「そんなの、わざとらしくすんの、やだ」

「ははっ、いいなー。羨ましい生き方だ」

「あんまりウチのに絡んでやるなよ」


 本気とも冗談ともつかないような真面目くさった顔で神楽が言うと、山田はわざとらしく肩を竦めた。軽薄そうな笑みを顔面に貼り付けたまま。そうして彼は荷台の後ろに回り込んで中を覗き込むや、ヒューと口笛を吹いて言う。


「おほー、今日はなかなかの成果っすねー。しかも、若いのばっかり。ちなみに、即戦力で使えそうなのいます?」

「いいや、揃いも揃って話にならん。霊渉は凡庸。しかも恐らくは誰一人、『見鬼』すら体得していない」

「あちゃー。まあ、仕方ないっすね。ま、性根も身体も、こっちで一から鍛え直しますよ」

「頼んだぞ」

「了解っす。ところで、助手席のお人形みたいな子は?」

「ああ、そっちは第一種だ。お前から瀬登に預けてくれ」

「……分かりました。そっちも了解です」

「よろしくな」

「ええ、ええ。しっかり任されますよ。それじゃあ、これ、帰り用の車のキーです」


 言って。山田が神楽に手渡したのは、キーレスな電子キーやスマートキーではなく、実際に差し込まなければならない、電子レスでチップレスな昔ながらのタイプ。


「場所はいつものところですから」

「ああ、助かる」


 そして。トラックごと青少年たちと少女を引き取った神楽が、先に波止場を後にする。会釈代わりにテールランプを二度点滅させて。


「じゃあ、俺たちも帰るか」

「うん。……あの子、どうなる?」

「さあな。生きている限り、どうにでもなってしまうだろう」


 あやめの問い掛けに対して、神楽は淡白に答えた。実際、彼の言葉は淡白というよりも薄情にも近いものであった。どうにでもなる、ではなく、どうにでもなってしまう。ポジティブなものでも、ネガティブなものでもない言葉。


『行動次第で、努力次第でどうにでもなるのが人生だ』というのは、無意識にも『自分の人生には何かしら最低限の保証があって、そこからは逸脱しないはず』だと考えてしまっているからこその楽観主義だというのが神楽の持論であり、あやめも何度か聞かされたことがある。


 神楽にとっては今の人生も、どうにでもなってしまった結果に過ぎないのだろうか。


「神楽さん」

「なんだ?」

「本当に、このままでいいの? 『八咫烏』の仇とか、討ちたくないの?」

「それに関しては、もう何年か前に言っただろう。無意味だよ、今更」

「でも、それって……っ」

「もういいから、この話はお終いだ。厠に行ってくるから、先に車で待っていろ。ほら」

「あ」


 車のキーをあやめに放り渡した神楽は、そのままトイレがある方に目指して歩き出す。その背中をあやめは複雑な目で見遣る。


(アタシがいるから、だよね。やっぱり、どう考えても)


 そんな罪悪感に締め付けられながら、あやめは掌の中にある車のキーを握り込む。彼女は神楽の年齢さえも実は知らない。しかし少なく見積もっても、既に戦い手としてのピークは近付いてきているのではないだろうかという思いがある。実際、出会った時から今まで神楽はずっと鍛錬を続けていて強くなり続けていたが、近頃はそれが鈍化してきている。


 彼がまるで隠し切れていない、本当にやりたいことを為すには、もうそんなに時間が残っていないのではないか。


 それを自分という存在が邪魔しているに違いない。そんな忸怩たる思いさえ覚えつつ、しかし彼から離れることが出来ないことへのもどかしさを彼女が感じていると。


「ん?」


 ポケットの中で、ブゥンという音が鳴った。取り出したスマートフォン。電話の着信音。相手の名前は『山田』。


(何か問題でもあったのか?)


 一抹の不安を覚えつつ、通話ボタンを押したあやめがスマートフォンを耳に当てる。


「もしもしー? 今一人だよねー?」


 通話口から聴こえて来たのは、いつも通りの軽薄な声。少しばかり安心を覚えるとすぐ、今度は不快さを滲ませたあやめは不快感を滲ませつつ唇を尖らせて。


「そうだけど、なんで分かんの? 何か仕掛けてる?」

「やだなー、俺の異能は知ってるはずじゃん。車乗って二、三キロ離れてても、そっちの会話は耳で拾えるんだよね」

「きっしょ」

「言うねー。でも今回はいきなり切ったりしない方がいいと思うよー。つうか時間そんなにないだろうから、早速だけど手短に言うわ。『八咫烏』を潰した連中のことについて」

「っ!」


 あまりにも図ったようなタイミングに、あやめは一瞬息を詰まらせる。こいつの耳は人の心まで盗み聞き出来るのではないかと。しかし冷静に思い出してみれば。


(そういや、前々から、こっちから依頼してたんだったな)


 ダメで元々、ダメ元もダメ元であったから。言ったきり、意識していなかった油断。


「いつもの悪ふざけじゃないんだよな?」

「まさか。わりとすげー情報だ。なにせ『八咫烏』の頭を直接殺った男についてだ。その男は今、霊渉が使えないらしい。しかも遺伝子自体が壊れているから、副作用による身体強化の恩恵すらないという話だぜ」

「……マジで?」

「確かな筋からの情報だ」

「そんなん、殴るだけで楽勝じゃん」

「ところがそうでもねーんだな。素の身体能力が、並の霊渉者を凌駕してたりするから」

「……異能か」

「ああ。俺や君と同じだな」

「アンタのはともかく。アタシのはそんな、野蛮なヤツじゃないんだけど」

「そいつは失礼」


 夜も更け切って。神楽が部屋で眠りに就く中、あやめはわざわざ外にまで出て山田と電話で話していた。気を利かせてというわけではなく。


「しかし相手さんも、ただ腕っぷしが強いだけじゃない。経験則だって君よりずっと上。霊渉を使えなくなってからもう何年も経ってるけど、その間も戦い続けて生き延びてる」

「……ま、並みじゃないってことは、なんとなく分かってたし」


 あやめが実感の上で知る限りにおいて、もっともかつ圧倒的なまでに強い人物である神楽。その彼が属していた『八咫烏』を壊滅させたような連中の生き残り。そんな者が只者であるはずがないのだから。


「並みじゃねえのは確かだけど、相性で言えばかなりいいぞ、君の場合。少なくとも、勝負にもならないってことはないはずだ」

「そうなん?」

「ああ。あんまり派手な戦いを経験してねえから実感ないだろうけど、君も十分、平均値より上の方にいるしな」

「……山田さんさ、アタシのこと、死なそうとしてる?」

「おおっと? 急にどうした?」

「だって今更、いきなりこんなこと、教えるとか。いや、霊渉を使えないなんて話自体、眉唾過ぎてホントかどうか。そもそもアタシ、山田さんのこと、神楽さんほど、信用してないし」

「はっきり言うじゃん。まー、仕方ないし甘んじて受けるけど。聞いてどうするかは、君が決めることだしね」

「……一応、居場所と名前だけ、聞いとく」

「オッケー、名前はねー、十鳥榛。親しい相手からは、ハリーなんて呼ばれているらしい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る