第6話 彼の帳恨(3)

「……あ」

「目が覚めたか」

「……?」


 煌めく土壁に囲まれた六畳の和室。布団の上で目覚めた子の眼前には、顔面も含めた全身を包帯でぐるぐる巻きにしたミイラ男の姿があった。しかし子供は騒ぐこともなく、彼をただ置物でも見るかのように呆然と眺めるだけ。


 幼稚園なり保育園なりにも、まだ入っているかどうか微妙な年頃。男には負けるものの、子供の方も体の至る所を包帯や絆創膏で覆われている。にも関わらず、苦痛に顔が歪んでしまうような痛みを感じている様子はない。


 代わりに、まるで今が夢か現か判別し難いほどの倦怠感と、長時間正座した後に立ち上がろうとした瞬間のような痺れを、脚だけでなく全身に感じていたのである。身動きどころか、身じろぎ一つ満足にできないような状態。そしてそんな状態のまま、ストローを差した経口補水液入りのペットボトルを口元に置かれている。あまりといえばあまりに無惨な姿。


「おい、ちゃんと聴こえているか? 鼓膜は無事だったと思うが」

「……ん、うん」

「ならいい。……災難だったな」

「わたし、なんで。ここ、どこ?」

「ここは俺の家だ。自分のことは分かるか? 名前は?」

「あやめ」

「あやめ、か。お前、どの辺りまで覚えている?」

「わたしは――」記憶の糸を辿る。「いえに、へんなひとたちがきて」


 脳裏に甦る記憶。リプレイ。白昼堂々、一軒家を襲撃する謎の集団。手慣れた様子で傷一つなく攫われていく自分。手慣れた様子で縊り殺された父親の――。


「っ」


 セピアカラーで想起した凄惨極まる場面に、あやめは頭痛を覚えたように顔をしかめる。男はその反応を見て目を細めるが、口は真一文字で他者からは感情をはかり難いもの。ただ彼の沈黙は短く、またすぐに口を開く。まずは独り言めいた言葉から。


「回収までの瞬間は、しっかりと覚えているか。その後のことは?」

「……なんとなく」

「やり過ぎたか、奴ら。まあ鮮明には覚えてもない方が良いかもな」

「なに?」

「知りたきゃ後で教えてやる。なんにしても、災難だったな」

「……べつに」

「は?」


 余りにも素っ気ない言葉に、男は虚を突かれた思いで目を丸くする。


「『べつに』だと? 親を殺され、自分も攫われ、こんなにも全身ズタボロになってもか?」


 傍から聞いていれば、あまりに気遣いに遠慮と欠けた言葉の羅列。しかし子供の方は意にも介さない様子でただ頷いて。


「おうち、きらいだったもん。みんな、きらいだったもん」

「ああ、そうか」


 みなまで聞く必要はないとばかりに、男は嘆息混じりに応えた。片手の指だけで歳を数えられるほどの子供が、自分の家を嫌いだという。みんなが嫌いだという。その言葉だけで、家庭環境の劣悪さは容易に想像が出来るというもの。そこから抜け出せたことに限っては、むしろ幸運だったのかもしれない。しかし。


「ここの方が、これからの方が、もっと辛いかもしれんぞ。お前はまだ、俺がどういうヤツなのかさえ知らないだろう」

「なにしたらいい? どっちに――」

「……っ、もういい。俺が悪かった。……プリンでも食うか?」

「ぷりん、ってなに……?」


 世の近しい年頃の子供なら、一番好きな物に名を上げてもいいはずの物。その正確な発音すらも、彼女は知らない有様であった。



 ◆そして、時は流れ――



 踏み入れると厚みを感じられるほどの埃が、床にも壁梁にも溜まったトタンのガレージ。天井の垂木は暗がりの中でも、なお黒ずんでいることがはっきりと分かるほどで。いつ崩れ落ちてもおかしくない危うさに満ちている。経年劣化と管理の杜撰さは当然の話で。何年も前に操業を停止した零細の会社が、買い手がつくはずもない値段で土地ごと売りに出したまま、未だ残されたそこは、悪ガキどもにとって格好の隠れ場所となっていた。


 もっとも、今その場を占拠していたのは、悪ガキと言っても小学生や中学生ではなく。現行法的には一応成人の扱いとなっている、二十歳前後の青年たちが二人と、同世代の女が一人という組み合わせだったが。


「ふっ!」


 青年の一人が腹に力を込めると、彼の掌の内に青白い輝きを帯びた剣が現れた。生で目の当たりにしなければ合成としか思えないような、輪郭線のぼやけた不自然で不確かな存在感。更に言えば剣と言ってもシルエットがそれらしいだけで、柄と刀身の境界も曖昧な形状。かろううじて鍔らしきでっぱりが窺える程度の代物。しかし青年はそれを剣と呼んでいたし、剣として扱っていた。


 そんな剣を持った彼の目の前には、水底から拾い上げたとしか思えないほどにボディーが錆付いたマウンテンバイク。芝居がかった深刻な顔でしばらくそれを睨みつけていた彼は、やがてその中心に向かって剣を振り下ろした。果たしてマウンテンバイクはゼリーのように。容易く真っ二つとなった。支えを失った前輪の側が、初めはゆっくりと仕舞いには勢いよく埃の上に倒れたのを見届けて。青年は恍惚とした顔を浮かべた。


「アンタ、そんなことするためにわざわざ拾って来たわけ?」

「いいだろ、別に。試すのに丁度いいのが、あんまりねえんだよ」


 一連を傍から見ていた女からの呆れたような口ぶりに、剣の青年が少しムッとした顔で答えると。


「でもやっぱすげえよな、そいつの切れ味。電柱とかも斬れんじゃねえの?」


 別の青年が、感嘆の意を表しながら言う。すると剣の青年は途端に得意げになって。


「多分、いける。コンクリのブロックは余裕だったし」

「おいおい、だからってマジの電柱はやめとけよ?」

「分かってるっつうの」


 軽薄そうに笑いながら言って。剣を持った青年が手首を軽く振ると、その剣は姿を消した。言葉遣い、そのやり取りは確かに年相応な学生らしさ。一方で尋常ならざる者たちであることも瞭然な三人組。


「で、どうすんのこれ?」

「あー、どうするよ?」

「そうだな。マジで、どうしよう」


 揃いも揃って。なんとも語彙力に乏しい反応とともに、彼らが唸りながら目を向けた先にいたのは、年端も行かない一人の幼女――就学前でもおかしくないような歳頃の。虚ろな目から流れた涙が乾いた跡。かすかに開いたままの口の端から垂れた涎の跡も同様に。そして手首には注射の痕が二つずつ、まるで獣か吸血鬼に噛まれた牙痕のような並び方で。明らかに生気も正気も失っていたが、呼吸音は聞こえるしまばたきもしている。つまり生きているが尋常ではない状況。


 にもかかわらず、青年たちはひどく落ち着いていた。むしろ気落ちしていた。ある意味で、光る剣を自由に出し入れすることよりも異様さの漂う態度。


「アンタさー、コイツマジで遺伝子持ちだったわけ? 自分の趣味だった、ってだけなんじゃねえの?」

「はあ? ロリコン扱いかよ。ふざけんな」

「おい、やめとけよ。ケンカしてもしょうがねえ。だいたい、遺伝子持ちが全員能力まで発現させるわけじゃないんだろ? クスリからして偽物を掴まされた可能性だってあるしな」

「まあ、それもそうだな」

「やっぱり、バラして海にでも捨てるしかないんじゃね?」


 あまりにも身勝手な青年たちの言い分は耳に届いているのか。届いていたとしても状況を理解できるような状態なのか、という問題もあるが。幼女は身じろぎもしない。


「可哀想だけど、仕方ねえよな。運ってあるからさ」


 何様なのか。嘘偽りない同情心で不憫そうに顔をしかめた青年の一人が、彼女の首に手を掛けようとしたその瞬間に、ガレージの壁一面が吹き飛んだ。


「はっ!?」


 三者一様の頓狂声を上げて。吹き飛んだ壁、もとい壁があった方を、青年たちが振り返っていた。果たして巻き上げられた埃が白い煙に混じって漂っている向こう側、橙色の夕空を背負って誰かが立っていた。フードを深く被ることで顔を隠してはいるが、背丈は青年たちと同じか少し高いぐらいで。


「ひどいもんだ。まともに霊渉を発現させる手順も知らないのか?」


 発する声は、ひどい酒やけか或いはもっとハッキリと喉が潰れているかのような掠れ方をしていたが、聞き取ることは十分出来る範疇。ともあれ。見た目と合わせて、これで闖入者が大人の男であることだけは明白となった。


「だ、誰だよてめえ!」

「っ、『追儺局ついなきょく』か!?」

「あんな犬ころどもと同じにされては困る。まあいい、ともかくそいつは寄越してもらうぞ」

「ああ? ロリコンかよ、おっさ」 


 ついさっき仲間にからかわれた意趣返しを闖入者ちんにゅうしゃに向けたつもりだったその言葉は、しかし最後まで紡がれなかった。紡ぎようがなかった。


「はひぁ」

「なあっ!?」

須川すがわ!」


 突然に喉を切り裂かれた青年――須川というらしい――が、鮮血を散らしながら倒れる。


「あっ、ああっ、あああがっ」


 激痛に悶えながら須川が身を捩るほどに、両手で抑えようとも溢れ出る血がなおも床を濡らしていく。まともに声を上げることも叶わず。ただのたうち回っているその様を、他の青年たち二人は驚愕しながら見つめることしか出来ないでいる。


「死に至るほどの傷はつけていない。みっともないぞ」


 心底呆れている男の言葉を受けて。青年たちの、寸刻前までまだ心のどこかにあった、イレギュラーな事態への好奇心は刹那に消え去って、一気に恐怖の一局へと振り切れる。


「れ、霊渉!?」

「で、でもなんも見えなかったぞ!?」

「そういう霊渉ってことでしょ!?」


 パニックに陥り騒ぎ立てる青年たちをよそに、男は落胆を通り越して驚いているような表情を見せつつ後頭部を掻いて。


「信じられんな。仮にも霊渉を持つ人間が、この程度の『見鬼けんき』も機能していないとは。……いや、この反応だと、そもそも知らないのか? 野良上がりなら、それもあり得るか」


 溜め息交じりに呟いていた。そして彼の推測通り、まったく状況を解していない青年たちは既に諦念の顔色をしていて。


「わ、わかった……やる! こいつはアンタにやるから!」

 そんな降伏も。

「なんだ、いいのか? それでも貴様たちは帰せないが」

 空しく一蹴された。


「っ、くそがあっ!」

「ばっ!」


 片割れの制止は間に合わず。剣を出した青年が、男に向かってそれを投げつけた。本物の刀剣ではあり得ない軌道。一直線に。剣が男の首を目掛けて飛んでいく。錆び付いていたとはいえ、鉄製のマウンテンバイクをも容易く切り裂いたそれは。


「はあっ」


 まるで羽虫を払うかのような。溜め息交じりの、男の軽い手振り一つで簡単に弾かれて砕け散った。そして破片は床に落ちるより早く、消失した。幽鬼のように。やってしまった青年の顔がにわかに青褪める。寸刻前の須川の惨状を想起した彼は自分の喉を庇うようにして、両手をそこへ宛がう。が。


「心配しなくても、こちらはもう霊渉を使わない。霊渉能力の高だけで勝負が決まると思われては、貴様らの教育にも良くないからな」


 男が言い終えるより少し早く。青年たちが同時に彼へと飛び掛かった。一人は再び作り出した例の剣を持ち。もう一人は一見すると素手だが握り込んだ拳自体が青い輝きを帯びていた。



 ◆



(脆いにもほどがあるな。見張りの連中とも大して変わらんじゃないか。未だにこんな連中がのさばっているとは)


 倉庫の中、今やただ一人立っている男が腰に手をやって呟いた。心の中で。彼自身には傷一つも汗一つもなく、青年たちは完全に意識を失っていた。喉を裂かれた青年も、流血こそ止まっていたが、改めての一撃を喰らわされて昏倒していた。


(さて)


 ガレージの隅。未だ正体なく座り込んだままでいる幼女の真正面に男が立つ。そうして被っていたフードを取って露になった男の髪は真っ白で、顔はミイラ男の如く包帯でぐるぐる巻きになっていた。子供でなくとも叫びたくなること必至なビジュアルであるが、幼女は相変わらず一切の反応を見せない。


(これはずいぶんと、質の悪いクスリを使われたもんだな。偽薬ならまだ良かったものを。こんなものまで出回るような国になったか。それというのもすべて……っ)


 素顔こそ見えないものの。包帯の隙間から覗く男の目は、同情と怨嗟とが綯い交ぜになったような、複雑な色を湛えていた。そんな感情を深呼吸とともにどうにか抑え込んだ彼は落ち着きを取り戻して。優しげなとまでは言えないものの穏やかな表情を作って膝を折り、目線の高さを幼女に合わせた。そして彼は改めて幼女の顔をまじまじと見つめて。


(なるほど。確かに霊渉は発現していないな。こいつにとっては不幸中の幸いか。ガキどもの方はこの調子で何人も無駄に殺していたことも窺えるが)

 青年たちに対して、男は改めて憎悪を覚えながら吐き捨てて。

(……あっちは一人でも大丈夫か?)

 もう、別の何かを心配していた。

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