第17話 しっぽを失くした禽獣たち(5)

 あの時、何故十鳥榛だけが生き残ってしまったのかは、無論、彼が既に『水晶幻葬』を発現させていたからに他ならない。だがその使い方すら知る由もなかった榛は、自分の身しか守ることが出来なかった。


 どうしようもなかったはずの後悔。今も時折苛まれるが、因縁の相手を前にしてはその実感もひとしおで。少しでも気を落ち着けようとする榛は、ボロボロになった服を脱ぎ捨てた。その身体中には余すところなく、痛ましい傷痕。そんなものを晒しながら、神楽に向かって一直線。神楽は火球を放って迎え撃つ。一見して真っ直ぐに飛んで来る火球を。


「はあっ!」


 と、榛はその火球を左手で殴りつける。当然至極に起こる爆発と、それにより負傷する榛の左手。皮膚は灰色となって崩れ落ち、ところどころから骨ものぞく痛ましさ。だが苦悶の表情一つ見せない榛は足を止めず。遂に神楽の間近に迫ったところで、右拳を振り翳して神楽の心臓目掛けて繰り出す。が。


「っ!」


 一瞬で反応した神楽は腕で自身の急所を庇う。が。


「がはっ!?」


 神楽の顔面に、榛のノーモーションの〝左〟ストレートが突き刺さった。利き腕でなく、しかも負傷したての腕を主攻撃に使うということも含めてのフェイント。


 声を上げつつも吹き飛ばされることなく踏みとどまった神楽は、自分を殴りつけた榛の左手首を掴んだ。そして。


「づっ!?」「ぐっ!?」


 またも起きる爆発。皮が弾けた榛の左手首も紛れもなく重症に違いないが、それを起こした神楽の左手は、手首から完全に千切れ飛んで宙を舞っていた。


(ムチャクチャしやがるな、こいつっ!)


 相手のことを言えたものではない、榛の毒づき。だが実際、あまりにも差し引きの割が合わない攻撃。しかもお返しに脇腹を蹴り上げられた神楽は、結局全身もろとも宙へとぶっ飛ばされていた。


 そんな片手を失った神楽へ、更なる追撃を加えんと榛が走る。彼の左手も、先の攻撃と今の攻撃を合わせ、火傷と裂傷で無惨なことになってはいる。だがまだ繋がっているだけ、神楽よりはかなりマシか。


「ふっ!」


 未だ落下に至らず宙へ吹き飛んでいる神楽を追って榛も跳ぶ。


 空中で対峙した二人。意識までは飛んでいなかった神楽が火球を放つ。榛はそれを、上方へと跳んで躱す。つまり、空中で更に跳んだ。多段階跳躍。平たく言えば二段ジャンプ。


 どれだけ無茶でも、無理ではない限り、つまりは常軌を逸していても物理法則を脱していない限りはそれを可能とするのが『異能』であるが、これに関しては明らかに無理の部類。しかしそんな榛のふざけた曲芸にも、神楽は驚きや感嘆の反応を見せない。彼がそれを可能とすることを知っていたから。その心は――。


(『法術』か)


 霊渉を持たない人間が、霊長や霊渉能力者に対抗するために編み出した術式『法術』。異能とは違って行使には魔力めいた非物質的なエネルギーを必要とするが、その分、異能では不可能な完全に物理法則を超えた離れ業をも可能とする。


 人間でも一人で複数が習得出来、しかも任意の法術を選べるため、汎用性という点では霊渉を遥かに上回る。だが基本的な威力は、霊渉を遥かに下回る劣化品。それは榛も例外ではない。たとえば空中浮遊系の霊渉であれば滞空時間も無限でまさしく空を自在に飛べるのが当たり前なのだが――。


「ふっ」

「っ!」


 両者ともに未だ宙。そんな中、神楽は更なる火球を出現させた。榛に向けてではなく、自分自身のそばに。そして自らの拳でそれを叩いて爆発させる。その爆風を勢いに利用して、自身を地面へと叩き付けた。不格好に背中から落下する形になったが、榛に先んじて地へ。そして即座に立ち上がると榛を見上げて次なる火球を放った。


「ちっ」


 舌打ちした榛は、先ほどの突進の際にそうしたように火球を叩きつける。やはり当然至極に起こる爆発で彼の左手はいよいよ『骨が覗く』から『骨が丸見え』の惨状に。距離はあったはずなのに、何故もう一度跳躍して躱さなかったのか。答えは単純、跳べなかったのである。それが榛の法術の限界。飛び道具に対応するために体得した術だが、空中での方向転換はせいぜい二回や三回で、それが上方ともなれば一回が関の山。場合によっては神楽の変化球に劣る。


 そこまで分かっていた神楽に強引極まる方法で一撃を与えられた榛は、どうにかまた地面に降り立って神楽と対峙する。途端、無数の火球が彼を襲った。


(は!?)


 自由の利かない空中であればいざ知らず、地に足着いた状態であればいくら数を増やされても躱し切れないものではない。今度は不用意に高く跳び過ぎることは抑えつつ、縦横有尽。とんでもなくインチキなドッヂボールを仕掛けられている状況。が。


(どういうつもりだ? こんないっぺんに出しても)


 その分だけ威力の下がった火球では榛に通用しないと、神楽自身も分かっているはずだが。


(いや、これは)


 動体視力を極限まで行使するため『見鬼』を全霊に凝らしていた榛は気付く。先ほどまでの火球とこれらが、威力がどうこう以前にもっと根本的に別物であると。


「こんな芸当も出来んのかよ!」

「なんのことだ?」

「ちっ」


 とぼける神楽に、舌打ちする榛。これで何度目かというやり取り。


(この火球、見た目だけの張りぼてだ。これなら威力も分散されたりしない。そこに本命の火球も織り交ぜようってんだろ? んなもん、いくら『見鬼』でも瞬時には見極められねえぞ……!)


 状況的に思い出されるのはあやめとの戦闘だが、あれとは違いこちらは偽物にはまったく攻撃力はない。しかし不用意に振り払うことさえ出来ない上に数が膨大。そしていくら躱し続けていても、古い火球が消失するたびに頼んでもいない追加の品がやって来る。これでは本当に――。


(キリねえなっ!)


 痺れを切らした榛が一際強く地を蹴って、砲台と化している神楽に突貫する。いくつかの火球が衝突するがどれも本命ではなく、榛を傷つけるには至らない。あと少しで榛の拳が神楽に届こうという距離まで達した途端、ニヤリと口角を上げた神楽が明らかに他とは雰囲気の異なる火球を放った。つまりはすべてこのための囮。榛も一瞬で気付くが、勢いはもう止まらない止められない。


 ――ドグァァァ!!


 巻き起こる爆発と煙幕。一見すると神楽の狙い通り。だが当の神楽は不敵でも不遜でもなく、むしろ不可解な面持ちで。


(!? 早すぎ――)「がはあっ!?」


 動揺していたためか、煙の向こうから現れた影に対応しきれなかった神楽が、榛からの重すぎる一撃を鳩尾に受けて血反吐を吐く。吐いて、爆発した。


「っ!」


 直前で異変を悟った榛は、両手で急所をガードしつつ背方へと跳躍していた。しかし完全には間に合わなかったようで、彼の腕は両方とも血肉を散らし、地に足を着けた時にはひび割れの入りまくった木炭が如き有様となっていた。


「……土壇場で勘付いたか」

「さすがにな。ちょっと遅かったかもしれないけど」


 響いた神楽の声に、榛はあからさまに強がって応えた。


「……なあ、ここまでする必要があったかよ?」

「急所狙いの上でゼロ距離でもなければ、私が貴様を殺し切ることは出来なかっただろう」

「俺が言ってるのは、そういうことじゃないって」


 榛は複雑な顔で、仰向けに倒れている神楽を見下ろす。

 腹側の皮膚がすべて爆ぜ飛んで、胸に風穴が空いた神楽を。


「身体の内側にも爆弾を作れるのは分かってたけどよ、またやるとは思わなかったぜ。というか、その状態でも生きていられるのはどういう理屈だ?」

「……在保の霊渉だ。貴様がかつて戦った『八咫烏』にも何人かはいたはずだろう」

「ああ」


 勘解由小路在保の『不死』には、他者にその一端を与える力があった。不死鳥の卵が不老不死の霊薬になるという伝承を再現するように。無論、本物の『不死』とは比ぶべくもない粗悪品であるが。彼の側近を務めていた上級僧兵の一部が、その恩恵を受けていた。しかし。


「でも、アンタは」

「私は一研究員に過ぎなかったが、在保とはそれ以前から個人的な縁があってな」

「……二十年前の爆発でアンタだけ生き延びた本当の理由もそれか」

「そうだ。言ってみれば、この命は在保からの預かりものだ。ならば、アイツのために使い切るのが筋というものだろう。アイツは他人に『自分の分まで生きろ』と願うような人間じゃなかったしな。どうせ、アイツの今際の言葉は命乞いだったろ?」

「……ああ」

「ふふっ、やっぱりな」


 その応酬を以って神楽は、『ここまでする必要があったかよ?』という榛の問いへの回答とする。もう返しようのない預かりものの命を、せめて本来の持ち主のために使っただけだと。


「……アンタは、俺への嫌がらせであの子を俺と同じような境遇に仕立て上げたって言ったけど。本当に似てたのは、俺とアンタだったんじゃねえのか?」

「そうかもしれんな。私もまた、刷り込みによって都合よく作られた存在に過ぎん」

「それが分かっててなんで……やっぱり、理解出来ねえよ」

「してもらいたいとも思わん。しかし理解出来んと言えば、あれはどういうわけだ? なぜ突っ込んできた貴様にぶつかるより先に爆発した?」


 そう、それが神楽の不可解の理由。カウンターで榛を迎え撃とうとしたが、実際には榛が自身の攻撃圏内に到達するより早く爆発が起きた。榛を討つはずだった火球が彼の身にぶつかる前に四散した形。何故か。


「ああ、さっき拾ってズボンに隠し持っといたお前の掌をぶん投げたからだ。ぶっ飛んで千切れた自分の手を、もう一回自分でぶっ飛ばしたんだよ、お前は」

「その〝手〟があったか……」

 笑いながらそう言って。神楽は目を閉じた。

「……お前、それが最後の言葉でも無念ないのかよ」



  ◆



「終わったー? って、うわー、派手にやったな。人でなしは容赦なしだわ」

「俺の出来る芸当じゃねえことぐらい、見て分かるだろ」


『思考転写』。いわゆるテレパシーの霊渉を以って戦闘終了を知ってから駆け付けて。わざとらしい反応を示すサクヤに呆れながらそう言ってから、彼女と共に現れたあやめの方へと、榛は視線を移した。


 すでにその意味がないからか、彼女はもうサクヤにお姫様抱っこという名の拘束をされておらず、自分の脚で立っていた。茫然とした目で神楽を見下ろしながら、彼女は尋ねる。


「っ、死んだ……の?」

「いや、まだ生きてる」

「ふーん。で、どうすんのー? 放っといたら、いくらなんでも死ぬんじゃない?」

「死ぬだろうな、いくらなんでも」


 勘解由小路在保の霊渉を、恐らくは誰よりも強く授与されていたであろう男でも。所詮は本物の『不死』者でない限り、限界はある。


「サクヤ、治せるか?」

「んー? こういう例はあんまり経験ないからなー。やってみないと分かんないけど。ホントにいいわけ?」

「引き出さなきゃいけない情報はいくらでもある。協力者なんかも、いないわけがないし」

「じゃあ、『追儺局』に突き出すんだな? そうなると、もう手出し出来なくなるけど?」

「ちょうどいいじゃねえか」

「ハリーは、それでいいかもしれないけど」


 言って。サクヤはあやめを一瞥する。


 濁った眼で神楽を見下ろしながら。あやめはサクヤにも榛にも目線を移さず、そのまま口をゆっくりと開いた。


「いいよ、それで。別に、死んで欲しいわけじゃないし。殺したくはあるけど。少しだけ」

「そうか。じゃあ、サクヤ」

「おっけー」


 言って。神楽の前にしゃがみ込んだサクヤが、両掌を彼の身体へと宛がう。風穴の空いた胸の付近へと。眩いばかりの青い光が、神楽の全身を包み込んでいった。

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