第18話 水晶幻葬
その少年は世界のほとんどを恨んでいた。だが皮肉なことに、最も恨んでいる相手に付けられた自分の名前は気に入っていた。すなわち
「わたし、
あの施設で出会った、同じように世界を恨んでいた少女にそう言われたから。まさしく二人で一つを実感させる名前だったから。瑠璃も玻璃も照らせば光る。だがその名前でさえも、勘解由小路在保を殺した後に、自ら捨ててしまった。思い出も汚すことになりそうだからと。
しかし彼女に何度となく呼ばれたその音だけは捨て切れず、玻璃は榛となった。
『八咫烏』の潰滅後、すぐに訪れた暗黒期。十鳥榛は、常にその前線にいた。霊渉遺伝子を持つ民間人やハヤトの末裔たちが次々と毒牙にかけられていく中、榛は彼らの救出にすべてを懸けてすべてを尽くした。
彼らが望めば『水晶幻葬』の力によって、救出した者たち及びその親族まで含めて、霊渉遺伝子を消し去った。元の世界へと戻れるように。
だが口先だけならともかくとして、榛に心から感謝する者は十人に一人もいなかった。榛はすべてを伝えたから。自分が元凶であることも。
それでも我武者羅に行動し続けた結果、遂にオーバーフローを起こした彼の遺伝子は眠りに就いた。
――実のところは、全く使えなくなったというわけではないのだが。そもそも彼自身が嫌っていた力であるから、“制限”が出来てから使うことをやめてしまった。
「さすがにもう、少しはペースを落としたっていいんじゃないか?」
かつて、サクヤが彼に言った。後の彼女の態度からすると真逆のことを。
「人の霊渉を消しまくってたハリーの霊渉が消えたってさ。なんか運命的なものすら感じるよ」
「じゃあ、なおさら続けねえと」
榛はそう返した。
「ここからがようやく、俺の自由意志ってことだろ」
だから彼はなおも戦い続けた。しばらくの間は。だがそんな強がりはいつまでも続かず。『追儺局』が旧『八咫烏』派を駆逐して完全な新生を遂げると、もう自分は必要ないとばかりに表舞台から去っていった。ペースを落とすどころか、撤退した。
本来、どこまで行っても終わりのない戦いに、結局、元凶が中途なところで勝手に切り上げて逃げ出しやがったと後ろ指をさされながら。
◇
「最悪、このまま目が覚めないままということも覚悟しないといけない」
「そう。その方が、いいかもしれないけど」
神楽京介、あるいは加藤恭伍が搬送された『追儺局』が運営する病院の診察室で、治療を担当した医師からの説明を受けたあやめは淡々と答えた。育ての親の容態を聞いてもそんな調子である彼女のことを、しかし医師も看護師も冷酷だとはまったく思わなかった。事情を知っているだけに、むしろ不器用な優しさすら感じていた。
「……じゃあ、今日はこれで終わりだ。明日には能力者用の病棟に移されてるから、ここに来ても面会は出来ないよ。まあ何か変化があったら、すぐに連絡するけど」
「起きた時か死んだ時だけで結構ですよ。それじゃあ、失礼します」
言って。椅子から立ち上がったあやめは会釈して踵を返した後、一度も振り返ることなく診察室を後にした。演技でない敬語を使うのは久しぶりだな、と感じながら。
病院はこの時、いつも以上に患者やその関係者が多く、更にそれに対応するために非番の職員たちも臨時に借り出されているとあって、一般の大病院が如く大勢の人々が廊下にも待合室にも溢れていた。ちょうど榛が神楽と戦っていた頃、強制捜査という名目でとある財団と『追儺局』との大規模な戦闘が展開されていたとのことで。その結果。待合室のブックラックに差し込まれた新聞の一面にも『財団を強制捜査』、『書類送検』という文字が見切れていた。
誰とも目を合わさず複雑な表情で廊下を進んでいたあやめはしかし。
「っ」
視界の端に映り込んでしまった相手を前に、覚えず立ち止まってしまった。するとその相手の方――サクヤもあやめに気付いた顔をして、彼女に歩み寄り。
「やっぱり、こっちの出口からこっそり逃げようとしてたんだなー。読みやすいわ」
と、したり顔で言った。
「いいじゃん、別に……逃げるって言っても、外で待ってる『追儺局』の人間に、連行されるだけだし」
バツの悪そうな顔でそう言って、あやめはサクヤから目を逸らしながらも会話は続け。
「十鳥……さんは?」
「ハリーなら屋上で友達と話してるよー。アンタが戻って来たらそっち行くから教えてって言われてるけど、折角だから、もうちょっと二人だけで話させといてやりたい」
「だから時間潰すために、こっちはこっちで、お話しとこうってこと? 地獄じゃん」
「ひでーこと言うな? 同じハヤト同士じゃねーか。仲良くしよーぜ」
「こっちは半分以上、人間だし」
検査の結果。血筋的には、人間の母親と混血ハヤトの父親を持つ個体。ハヤトの血は四分の一未満。だが遺伝子に人外の特性が認められる以上、人間ではなくその人外側の方に分類されるというルールに基づいて、あやめも正式にハヤトと定義された。しかし彼女にとってそれは納得の行くものではなかったようで。執拗に馴れ馴れしいサクヤに対して、ずっとその言葉を口にしていた。
「……ハリーのこと、恨んでる?」
「いや、それは最初からなかったし。それにあの人が『八咫烏』を潰してなかったら、結局はいつか回収されて『八咫烏』の駒にされてただけなんでしょ。生まれた時から決まってて、どうしようもなかったんじゃん」
確かにそれはその通りだろう。
榛が『八咫烏』を潰滅させたがために、間接的な犠牲になった遺伝子持ちの民間人やハヤトたちは確かに数多く存在し、自分もその一人であると信じていた。事情的にその頃から榛への恨みは抱いてなかったが、まあ抱くことも出来た。
けれど真実は、自分は生まれながらに『八咫烏』の掌中にあった存在でしかなかったというもので。もし『八咫烏』が健在であれば、サクヤが歩んでいたような凄惨な人生を、自分も歩んでいたかもしれない。
「や、違うちがう、そうじゃなくってさ」
「へ?」
感慨に耽っていたあまり、一体何を指して違うと言われたのか、あやめは一瞬分からずに間の抜けた声を出してしまった。だがすぐに気付く。
「加藤、っていうか神楽を再起不能にしちゃったから。それを恨んでるかって聞いてんの」
「……それこそ、なんで」
ずっと自分を騙していた男。十二年間の人生を奪い、利用し続けた末に投げ捨てた男を。
「なんで、アタシが、そんな」
頭では分かっている理屈に、心は追い付かないから歯切れが悪くなる。神楽と共にあった十二年間が、決して辛いばかりの物でなかったことを思い出して。鍛錬中の組手以外では、手を上げられた覚えさえもない。もちろん、それもすべて自分に従順な子として育てるための方針だったのだろうし、実は親心が芽生えてもいたのではとも思わない。けれど。
「やっぱり、ちょっと複雑かも。あの人しかいなかったから、アタシには」
「そっかー。やっぱ自分でぶちのめしたかったよねー」
「いや、そういうことかよ」
血の気ばかりが多い単細胞じみたサクヤの本意に対して。無駄に難しく考えてしまったことがバカらしくなって、あやめは言った。
「なんなん? 血の濃いハヤトって、みんな、アンタみたいな奴なわけ?」
「どうだろーな? 紹介しよっかー?」
「そうだね。ぜひ、見てみたいもんだわ。まあ……これが外れたらだけど」
言って、あやめは自らの両手に掛けられた手錠を見つめた。
◇
「まさか俺が財団の連中とやり合ってる時にそんなことがあったなんてな。何はともあれ無事でよかったよ、お互いに」
「無事ではねえだろ、お互いに」
干されたシーツがたなびく病院の屋上で、幼馴染である二人の青年が語らっていた。
十鳥榛と、もう一人の名は藤林旦。榛と同じ施設の出身であり、榛ではなく玻璃を知る数少ない人物でもある。
神楽との戦いで負った榛の傷はまだ生々しくそこらに残っていて、特に両腕は肘から先が包帯で完全に覆われていた。骨が露出するほど深く達した外傷は、治癒の霊渉を持ってしてもすぐさま完治出来るものでない。ただでさえ霊渉や術式による攻撃で追った損傷は代謝を遅らせるため、治癒が難しい。
もっとも傷だらけなのは榛だけでなく、旦もまた額に包帯、手の甲には絆創膏と、患者らしい痛ましい姿を見せていた。
「でも実際、お前をそこまで追い込んだってのは大したもんだな。しかも結局、最後はお前が決めたってより自爆だったんだろ?」
「ああ。二十年前といい、どんだけ自爆が好きなんだよって話だぜ。そっちも、かなりヤバイ感じだったらしいじゃねえか。お前や藤林さんまで病院の世話になるぐらいの怪我するなんて」
「ああ。まず〈特殊指定霊渉〉持ちが二人。当然のように、誰も彼も異能なり術式なりをわんさか習得しているし。さすが在りし日の『八咫烏』と通じていただけのことはある。まあ勝ったんだからいいけど」
「……スッキリしたか?」
「ちょっとはな。でも、思ったほどじゃなかった」
「そうか、俺もだ」
部外者である榛には直前まで伏されていた例の作戦。それは、かつて榛と旦のいた施設を運営していた財団への強制捜査だった。無論、榛にとっても神楽に匹敵するほど因縁浅からぬ相手。しかし作戦を伏されていたことに対して彼がそれほど憤らなかったのは、同作戦に旦が参加していたことを知ったからに他ならない。神楽たちに攫われる対象とならなかったが故に生き延びていて、後のその施設の全容を知ることになってこの世界に飛び込んだ旦が。
経緯や理由はどうあれ、ともに復讐を懸けて戦い、そして辛勝した二人。だが彼らが期待していたほどの充足感は得られなかった。今こうして振り返って話している瞬間の方が満足度で言えば高く、しかしそれは普段の任務や戦闘後に交わされる雑談ともさほど変わらないものに感じられていた。
「加藤の扱いはどうなるんだろうな」
「とりあえず、あんな状態のままでも記憶だけは読み取られるだろうよ。お前の戦いのクセやらなんやらまで把握してたってことは、うちの中にも協力者がいた可能性が高いし……しばらく忙しくなりそうだ。お前にもヘルプ頼むかもしれない」
「一応、怪我人なんだけど」
苦笑しながらそう言った後、榛はふと遠くを見つめながら真面目くさった顔になり。
「……あの子の処遇はどうなる?」
「まだ分からない。でもまあ、そこまで酷いことにはならないと思う。殺人まではやってないみたいだし、情状酌量の余地は十分あるはずだ」
「そうか。……なんで世の中って、こんなに不完全なんだろうな」
ぽつりと呟いた。独り言とも問い掛けとも取れる言い方。いつもは深刻な会話中であってもすぐに軽口で返す旦も、この瞬間だけは慎重な面持ちで唇を噤んだ。施設に来る前のことも含めて、十鳥榛の出自をよく知っているから。だから言う。
「世界が完璧なら、俺たちにも居場所なんてないだろ?」
「……っ、それもそうだな」
嘆息しながらそう言いつつも、榛は空を見上げた。瞳にとある決意を籠めて。
◆――そして数日後
「どういう風の吹き回し?」
ハヤトの郷の実家で、荷物をまとめる榛にサクヤが問い掛ける。
「加藤が切っ掛けなら、むしろ完全に引退を宣言しても良さそうなもんだけど。もうこっちの世界に分かりやすい心残りもないっしょ」
「だからだよ」
言って。どでかいボストンバッグのチャックを閉めた榛が振り返る。
「あんな冴えないスッキリしない決着の戦いが最後ってのはねえよ。それに今このタイミングなら、俺は今度こそ自分のために生きられるような気がする」
「……それって、わざわざ前線に戻らなきゃダメなわけ?」
「なんだお前、散々戻って来い戻って来いって焚きつけといて。天邪鬼かよ」
「いやまあ、戻って来て欲しいには欲しいけどさ」
「だったら余計な気を回さなくていい。俺が俺の思うように生きようと考えた結果がこれだ」
「じゃあいっか」
あっさりしたもの。ものすごく数少ない、気を遣う人間相手であっても。これがサクヤ。
「でも今から全部荷物まとめんのは気が早いんじゃねーか? とりあえずは部屋探しからだろー」
「お前の部屋はなんのためにあるんだよ」
「ウチが住むためだよ」
当たり前すぎる即答だが。
「えー、マジで言ってる? ただでさえ今までもウチの実家に住み込んでたくせに。遠慮とかデリカシーとかプライドとかねーの?」
「あったらこんなこと言ってねえよ」
「ハリーって時々アタシよりねじ外れてるよな」
サクヤは呆れ口調でそう言ってから。
「まー、この何年かの陰気臭かったハリーよりかは全然いいか。お帰り」
微笑混じりに。家を出ようという彼に向けて、そう付け足した。
キンジュウ 直弥 @marblefairy
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます