幻覚

「助けって、そんな大袈裟な」


ゲンは少し呆れたように苦笑いを浮かべた。

しかし、ユズハの真剣な眼差しがゲンを突き刺す。


「確かにそうだ。全く怪しくないと言えば嘘になるが、別に今が危機的状況という訳でもないだろう。」


シャクドウもゲンに賛同する。

するとユズハは大きな溜息の後、神妙な顔つきで話し始めた。


「二人とも、リースの森に来るのは初めてよね? だったらこの森の一番恐ろしいところを教えてあげる。この森の中、深い霧で充満しているわよね? 実は幻覚作用のある霧なの。一度侵入した人を森の養分にするためにね。」


「幻覚? どの辺が幻覚なんだ? 俺たちはお互いの姿を認識できてるし、この部屋の壁もベッドもちゃんと触れてるけど。」


ゲンはここに来るまでの情景を思い浮かべていたが、全くと言っていいほど思い当たる節がなかった。


「そう……。あなた達には今いるここが、ちゃんとした『部屋』に見えているのね。」


「どういう意味だ?」


今度はシャクドウが食いつく。


「そのままの意味よ。それにここに棲む『あいつら』は、この霧で見せる幻覚を利用して襲うつもりよ。」


「ちょっと待って! 全然頭が追いついていかない! ここが『部屋』じゃない? それに『あいつら』って親切にしてくれた村人達のことか?」


「そういうことになるわね。」


「じゃあ証明してよ。いきなり現れた君のことを信用しろという方が無理がある。」


「いいわ。幻覚から醒めるためには、この森に自生している『キツケソウ』の葉を噛むの。ここに棲むあいつらが平気でいられるのは『キツケソウ』を持っているから。もちろん、私にもリースの森の霧は効かない。」


ユズハはそう言うと、腰のポーチから怪しげな親指大の葉を取り出した。


「これが『キツケソウ』よ。現実を見る覚悟があるなら、あげる。」


シャクドウはユズハからキツケソウの葉を受け取ると、間髪入れず口に放り込んだ。

その瞬間、シャクドウは目を見開き身体が強張った。


「……ほう。これは中々、刺激が強いな。」


気持ちを落ち着かせるためなのか、シャクドウは右手で顎ヒゲを撫でている。

その様子を見ていたゲンも、覚悟を決めたかのように「よし」と気合を入れるとユズハからキツケソウの葉を貰った。


「これを、噛めばいいんだよね。」


葉を持つ手が震える。

ゆっくりとその手を口元に持っていき一呼吸置くと、目を瞑り一思いに噛み切った。


特に変わった感覚はない。

ゲンは恐る恐る目を開けた。


言葉が出なかった。

それ程までに周りの様子が一変していた。


月明かりが差し込んでいた窓はただ蝋燭が埋め込まれた土の壁と化し、ベッドが置かれていた場所には枯れ葉が雑に積まれているだけだった。


そして、ユズハが『ここが部屋ではない』と言っていたことを嫌でも理解せざるを得なかった。


部屋の壁がなかったのだ。

その代わりに鉄格子のような物がはめられている。

つい先程までいた部屋の面影は全くなく、そこまるで穴蔵に作られた牢屋のようだった。


「何だ……これ。」


ようやく絞り出した言葉がそれだった。

ゲンは驚きを隠せないでいた。


「どう? これが現実。あなた達がさっきまでここで体験していたことは全て夢物語だったっていうこと。」


「信じられない。じゃあ、俺たちに親切にしてくれた村人は? 村長さんは?」


「あいつらは村人なんかじゃないわ。ここに迷い込んできた人を油断させて襲う『アープ』っていう猿型のモンスターよ。」


「アープ……。」


ゲンは衝撃を受けた。

人の言葉を操るモンスターがいるなど聞いた事がなかったからだ。

シャクドウも同様に初耳のようだった。


「あいつらの手口はこうよ。森で遭難してこの場所についた人を歓迎し、睡眠薬入りの食事をもてなす。そして地下の牢屋に閉じ込めて完全に寝付いたところを襲うってわけ。」


「じゃあここにいたらまずいんじゃ……」


「そうね。きっともうすぐ来るでしょう。」


「そうね。って……。ここままやられるのを待てって言ってるのか?!」


ゲンはユズハに対する苛立ちと焦りが隠せなかった。


「落ち着けゲン。きっとユズハが冷静なのは何か考えがあるのだろう。」


シャクドウが落ち着いた口調でゲンを宥める。


「鋭いわね。その通り、いい策があるわ。」


ユズハは怪しげな笑みを浮かべると、白く整った歯をキラリと光らせた。

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