10年前の災厄②

私は戦慄した。

息子の言う事を信じたくなかった。

もし、あのモンスターが奥の手を残していたとして、それで今戦っている狩人がやられてしまったら、この広場にいる人達だけじゃなくこの町自体めちゃくちゃにされてしまうかもしれない。


そう思った矢先の事だった。

不安が絶望へと変わる。


「ぐあぁぁぁあぁぁ!」


声の方に目を向けると、双剣を持った狩人の男が飛ばされ、建物に打ち付けられていた。

うずくまって腹を抑えている。

その手の隙間からは血が滲んで広がっていた。


モンスターが鎧のように纏っていた鱗は尻尾の先まで逆立ち、一つ一つが鋭利な刃のような凶器と化していた。

さらには両腕には先程まで見られなかった紫色に輝く巨大な刃が生えていた。


「嘘……。」


先程までの希望が180度ひっくり返った。

最悪なことに息子の予想は当たってしまったのだ。


「終わりだ……。逃げても結局殺されるんだ……。」


「嫌だ!死にたくない!」


「あんなの、勝てっこないよ……」


周りからも絶望が混じった声が発せられていた。

もうダメだ……。このままみんなやられてしまう。

私は半ば諦めかけていた。

その時だった。


「みんなっ! ここから逃げてっ! 早くっ! 少しでも遠くに逃げるんだ!」


隣にいた息子が立ち上がり、周りの人たちに向かって叫んだ。


「逃げるったってどこに逃げるんだよ!」


「無責任な事言うな!」


息子に向かって怒号が飛ばされる。

しかし、息子は怯む事なく続けた。


「あのモンスターのターゲットは戦ってくれている二人の狩人達に向いている。幸いこちらには一切興味を示していない。それにモンスターも相当痛手を受けている筈だ。体力も消耗している。逃げるなら今が最後のチャンスかもしれないんだ!」


周りの顔色を伺ってみた。

先程まで興奮していた人も息子の声に耳を傾けていた。

少し間を開けて続けた。


「町を出て少しのところにあるリースの森に身を隠そう。あそこは霧が深い。隠れるには絶好の場所だ。奥に行けばモンスターが出る危険性があるが手前の方なら比較的安全だ。」


息子が「リースの森」と言葉を発した途端、空気がザワつくのがわかった。

あの森に入ることは禁忌だと、町では暗黙の了解となっていた。

一度入ってしまうと決して出ることはできないと言われている。

実際、興味本位で入っていた人達が帰ってくることがなかったという事件が後を絶たない。


そんな森に逃げろと息子は言ったのだ。

当然反感する者が出てくる。

しかし、すぐさまそれに被せるように息子は言った。


「俺はほぼ毎日あの森に行ってる。そして、実際に帰ってきている。一定のラインを越えなければなんて事ないただの森なんだ。」


私は初めて聞く事実に驚きを隠せなかった。

どこで修行をしているのか息子に問いただそうとすると、いつも何かと誤魔化されていた。

頻繁に傷を作って帰ってくることはあったものの、毎日無事に帰ってきていたので、いつからか特に聞き出そうとすることはしなくなっていた。

でもまさかリースの森に行っていたとは。

私は息子の事を深く知らなかった自分を嘆くと同時に、気が付かぬうちにたくましくなっていた息子を誇らしくも思った。


「だからみんな、勇気を持って逃げてほしい。あのモンスターがこっちにターゲットが向いた瞬間命がなくなったと思っていい。今しかないんだ。早く逃げて!」


息子のこの発言を皮切りに、ぞろぞろと隠れていた人たちが動き出す。

今のところモンスターはこちらに気が付いている様子は無さそうだった。


「コガレは、どうするのよ」


私はモンスターを一点に見つめる息子に話しかけた。


「俺は、母さん達を守るためにずっと修行してきたんだ。たとえ敵わないかもしれないけど、少しでもみんなを助けられる可能性があるのなら、狩人とともに戦う。だから、母さんも父さんを連れて一緒に逃げて。」


息子の目は一寸の曇りもなく澄んでいた。


「…………わかったわ。でも約束して、危ないと思ったらすぐ逃げるのよ。」


気迫に押されて思わず首を縦に振ってしまった。

これが最後の会話となることも知らずに。


息子は「わかってる」と一言だけ言うと、軽く口角を上げて微笑み、モンスターの方へと振り向いてゆっくりと向かっていった。

その背中は今まで見てきたどの姿よりも大きく、どこか遠い世界の別人のような気さえした。


段々と小さくなっていく背中を見つめていたが、「あんたも早く逃げろ」という近くにいた男の声で我に帰る。

急いで家へ夫を迎えに行き、街の人たちと共にリースの森へと向かった。


町を離れリースの森へ向かう途中、何度も何度も振り返った。

町からはモンスターが暴れる轟音が響く。

足元からもその戦いの激しさが地響きとなって伝わってきていた。

何もできない自分の弱さを恨んだ。

ギュッと下唇を噛む。

じんわりと血の味が口の中に広がった。


リースの森に着くと、すでに何人もの町の人が集まっていた。

そこには足を怪我している人や泣いている子供、塞ぎ込んでいる人など阿鼻叫喚な光景が広がっていた。


森の中はジメジメと湿気っていて、漠然とした気味の悪さがあった。

光は届いていたがどこか薄暗く、奥の方は霧がかかって霞んでよく見えなかった。

そして霧の奥から何かがこちらを見ているようなそんな錯覚さえした。


周りをよく見ると明らかに自然ではあり得ないところがいくつもあった。

蔦で作られたロープで木の枝に吊るされた丸太。

藁で作られたカカシ。

樹皮が抉られた樹々など。


それらは全て息子が来ていた証拠だった。

一人で修行に励む日々が手に取るように想像できた。

涙で視界がボヤけてくる。

私はただただ息子の無事を祈った。


しかし無情にも1日、2日と時は流れていく。


結局、あれから息子が森に来ることはなかった。

その代わりに森に来てたら3日経った頃、双剣を腰に携えた男が森に姿を見せた。

あの時、町を襲ったモンスターと戦ってくれた狩人だった。

腹に巻いている包帯には血が滲んでおり、その傷の深さを物語っていた。


その狩人曰く、町はなんとか守れたらしい。

周りから安堵の声が漏れる。



しかし二人犠牲になってしまったと付け足した。

一人は大剣を持っていた狩人で、モンスターに体を貫かれやられてしまったそうだ。

でもその狩人は刺し違えるように脳天に渾身の一撃を叩き込み、なんとか撃退することができた。


もう一人は14,5歳の少年だったという。

その少年は勇敢にも戦いに苦戦していたところ、モンスターの気を引いてくれた。

そのおかげで隙ができ、町を守ることができたそうだ。

しかしモンスターの怒りを買った少年は、巨大な腕で弾き飛ばされてしまった。


「その少年が持っていた物だ。」とボロボロになった木刀を見せてくれた。

それは息子の物だった。


私の中で何かが切れる音がした。




その後のことはよく覚えていない。

後から聞いた話だと、私は泣き叫び周りの人の静止を振り切って町に帰ろうとしたそうだ。


―――――

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