オウムアムアの涙

綾波 宗水

1I / 2017 U1

第1話

 超ひも理論が完成して数十年、もはや人類に残された謎は無いとさえ言われ、人々は今一度、この世界や現象に対し、何らかの『解釈』を提示しようと努めるのを良しとした。いわゆる第三次哲学時代である。

 人々は努めて疑心暗鬼を生じさせ、それを長い長い人生の余暇に充てていた。


 高等学校をもうすぐ卒業しようという僕もまた、平々凡々に大学校の準備をしつつ、幾分腑抜けた気持ちで僅かに残された高等生身分を謳歌していた。

 きっとそれ以外にさしてしたい事も、また高等学校への嫌気も無かったから、こうしてやる気も無いのに、大勢の集団の中で時を浪費しているのだろう。誠に身勝手で恐縮だ。


 でもどうやら、そういった感慨に耽っているのは何も僕だけ、という特殊な気性ではなさそうだ。

 斜め左前の、窓際に座る彼女―新海にいみ佳奈かな―もまた、授業に出席しつつも、ノートを取るわけでもなく、ただ悠然と文庫本そのものと、そこに付随する多数の活字だけに親しみを表していた。

 それでも彼女は、高等生の中でも『准特等生』というなかなかに上位能力分布層の住人。だから、あえてわざわざ『ノート取りなよ』や『もっと真剣に受講しなさい』とお節介する友人も教師もここには居ない。


 この能力主義的リサーチの結果、社会一般によく言われだしたのは、『賢い者ほど孤独』というフレーズ。

 一時は社会問題としてよく報道されていたが、今ではノブレス・オブリージュよろしく、それも良し、といった具合に一部の上流能力層の人々は感じ始めていた。

古多ふるた君、ちょっといい?」

 論語曰く、中庸ちゅうようこそ目指すべきであり、何事もそこそこがいいんだ。それがあと数年で成人する予定の中庸青年・古多ふるた智和ともかずの人生訓だった。


「あ」

 なぜそうなったのかは見えなかったが、新海さんが本を落とした。それを見て思わず僕は声を出してしまった。何も相手は幽霊ではないのだから、本当は構わないのだろうけど、事実上、強いて関わるべきではない、といった感じの不文律がクラスにはあった。

 それを受けて、本を取るよりも先に、彼女はこちらを見つめてきた。

 その目は何らの感情すら察しさせない、言わば義眼の如き、ただ器官としてのみこちらに開かれているかのようなものだったが、そうは言っても綺麗、ではあった。

 それに…………何か全てを見透かしていそうな、魅力、いや、魔力があった。

 やがて黒髪が風に流れ、目を覆ったと思えば、何気なく本を拾い上げ、再び独りの世界に舞い戻ってしまった。


 それが平和でいて退屈な日常の、ほんのささやかな事件だ。

 僕はこの事をそう解釈した。

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