第2話

 それからは再び、何の変哲もない日々へと戻っていった。当然と言えば当然で、もはやこの世には偶然のチャンスなどという甘美な幻想は存在しないのであるからして、『目と目があえば、物語が始まる』という上品なお決まり事ももう潰えている。


 はずだった。


「ねぇ」

 とっさのひとことに思わず返事しそうになったが、やはりためらいが打ち勝った。

 新海佳奈とは親しくなれない。

 それは彼女の頭脳に伴う孤独さを表現しつつも、一方では彼女とは仲良くなるな、というひがみでもあった。それがこの三年間、気づけばクラスメイトの一人であるかのようにして、僕達に寄り添ってきた暗黙の了解。


「そ、それ」

 声を発してしまったのは、僕が平等に接しようと徹したからではない。彼女のあの瞳には無機質な眼帯が付けられていたからだ。

「見られては、困るから」

 先日見えた時には、何もなってはいなかったが、彼女も別段、悪魔という訳ではない。きっと年頃の女子には、ニキビやできものなどで、何かしら気になることがあるのだろう。そういうことには触れない、というのは、あくまでも産業革命以前から掟であり続けている。

「こう言ってはなんだけど、眼帯それも変じゃないよ」

「そう」

 そう、か。確かに僕の褒め言葉は低級かもしれないが、どうもやはり無機質なのは眼帯あれだけではなさそうだ。


「それで、どうかした?」

 話しかけてきたのは彼女だ。何も眼帯自慢でもないだろうし。

「今、古多君は私の目、思い出せる?」

「え」

「正確に」

「えっと………それが用件?」

「質問に」

「答えます。うん、思い出せるよ」

 目が特別、フェチということもないが、どうもあの目は忘れられない。そんな実感があるね。

「そう」

「そう、だよ。」

「『深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いている』という言葉を?」

「どこかで聞いたことは」

 美人なだけあって、眼帯のままをするのは様になる。自然とこちらも茶化しずらい。

「その言葉を胸に刻むのを推奨するわ」

「それも君の用件?」

「そう、これは重大な

 正直、やはり話すのは無茶だったか、と後悔のような思いがある。僕はただ『了解』とだけ言ってそそくさと教室から出て行った。



 …………あれ、彼女の右目って、どんな感じ、だったっけ。


 とっさに振り向いたがそこには、心なしかやや口角を上げた眼帯の彼女しか居なかった。

「待って!」

 この考えはあまりにオカルト的で、どうも自分でも納得できないが、この現象に対する解釈として、これ以上のものはあるまい。

 つまり―――――


「君は僕の中から、君の眼に関する記憶を消したね」

 数多の複合的な思考はこのように、言葉にして初めて、自分が何を考えているかがどうかハッキリする。それ故に活動家の声はデカい。

 そうした制限された意識に対し、彼女は暗示の一種か、もしくは超能力か、ともかく僕の記憶を変容せしめた。


「気になる?古多君が忘れたセカイのこと」


 目というモノは外界の情報を取り入れる器官である以上、基本的には誰しもに向けられたものだが、彼女はそれに封をしてしまった。

 僕達はいかなる秘密を他者が秘めているか、統計的に知ることができる。

 だがそれでも、万物を解釈しよう、という昨今においては、未知への欲求は非常に高い欲望として君臨しているのだった。



 ――新海佳奈とは親しくなれない――


「もう一度、もう一度だけ僕に見せてくれる?」

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