第20話 memento mori

 無我夢中で走った。佳奈をおんぶして、何度も落としそうになって。

 銃声と爆発音、そしてブザーに、男の腹から出た悲鳴。

 野放図さながらの光景を背にして、僕らは進んだ。やがて地球に隕石オウムアムアが衝突すれば、どこへ行っても、誰に頼っても意味が無くとも。


 ******


 ここはどこだろう。

 何キロも走ったとは考え難いので、おそらくまだそれほど遠くではないと思う。

 でも、建物が爆撃によって瓦礫化し、そして………そして月が崩れつつあるのを見上げたとき、もはや僕の知っている地球ではないのだと、今いる人口全員が痛感したはずだ。


 ニュースでは近衛寮要人が次々と臨時政府機関として、ロケットでこの地を去っているところが映され、残された者の中からは、またしても救世主を自称する勢力が蜂起しているとのこと。偶然、アベルトがその指揮をいち早く取っていただけで、人間の行動など数パターンに限られているということだろう。


 ひとつ違っているのは、佳奈の右眼だけがおもむろに開かれたこと。

 意識はあのまま回復していないけれど、しっかりと何かをみている。

 それは僕だけに終わりのときを知らしているようでもあったし、もう一度だけこの宝石を見たいという僕の願いを叶えてくれた気もした。

「ありがとう」

 自然と僕は彼女のまぶたを撫で、そうして再び安眠を促した。

 すると彼女は一言、そう呟いた。

「佳奈!?」

 眼を閉じたまま彼女は微笑んだ。なるほど、これは敵わない。運命は止められないんだ。


「私はここに居る必要ができたの」

「えっ」

「オウムアムアはあと数分で地球に衝突する。その衝撃波は月にも被害が出る程の高出力。そしてそれは避けられない。でも、地球とオウムアムアが原子衝突することで、疑似的なビッグバン、というよりかはむしろ加速器の働きを生じさせ、今再びオウムアムアティック・レコードという叡智と、地球という生命種が誕生することが予想される」

 相変わらず目は閉じたままなので、彼女がそのことについて、憂いているのか、あるいは喜んでいるのか、僕には声だけでは判別できなかった。でも、今ここに、僕の前に新海佳奈が居てくれる。その事実は、オウムアムアとして存在するよりも遥かに僕にとっては重要だった。

「結局僕は君に何もしてあげられなかったね」

「いいえ、観測者として智和はずっと私を認識してくれていた。それだけで十分。もしそうじゃなかったら、『次世代』はなかった」

「まるで子どもを作るみたいだね」

「思春期の男子っぽくて何だか変」

「こうみえても僕は単なるそこら辺の男子なんです」


 夕日が海に落ちるのではなく、まっすぐこっちに向かってきているような空。

 きっと彼女が目を閉じたままなのは、僕がそうであったように、彼女もまた、僕の感情をしたくなかったからだろう。

 最期くらいはロマンチックにいきたいもので、結局、世界を股に掛けた大冒険は、ヒロインとのキスで幕を閉じる。ハッピーエンドとも大団円ともいかなかったけれど、いずれかの思惑に歴史を委ねることは避けられたので良しとしたい。

 天変地異は長らく神の御業とされてきたのだから、たとえオウムアムアに使命があったにせよ、犠牲となる人類はそれを知るすべがない。つまるところ、触らぬ神に祟りなし。

 大人になるとき、僕のそれまでの世界は崩壊し、混沌に満ち、愛する人を知り、彼女を守るために奔走した。

 たとえどのような選択をしようとも、そう、無宗教であったとしても、死からは逃れられないものだ。

 彼女の言った、次世代には、きっと無能として僕は嘲笑をかうだろう。でもそれもまた、先例の務めのひとつなのだろうか。


「またね」

 新海佳奈は僕と地球にそう呟いた。



 ♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰♰



「地球が母星から記念公園に、そして『』として完成してから数万年、もはやオウムアムアとの融合による他に、マントルエネルギーを再捻出する方法は存在しなかった」

「再建の目途はたちそうですか」

「私たちの力では到底不可能な上だろうけど、自己実現という思念を数億人が果たせなかった未練はやがて、種となって、自然と再生されるでしょう」

「それまで私たちはどうします」

「ゼンマイは既に巻かれましたからね――――――」

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オウムアムアの涙 綾波 宗水 @Ayanami4869

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