第30話 最終決戦をよそに、お姉さまや大人の女性の退魔師は、衣装を脱ぎ捨てて俺を押し倒します

 結果として、その戸惑いが良かったのかどうかは分からない。

 ただ、羅羽への思いで熱くなっていた頭は、どこからともなく聞こえた声で冷まされた。

「それを言ってはならん」

 魂が抜けていた俺は我に返ったが、その分、身体の奥からわけもなく、怒りが込み上げてきた。

 鬼たちも、その声には気付いていたらしい。

 武器を手にして身構えるが、その口からは下卑た笑いが聞こえる。

 肝心なひと言を言い損ねた俺の様子が、よほどおかしかったらしい。

 ただ、傷の浮き上がった鵺笛の顔だけは、奇妙に凍り付いていた。

 俺の言葉を待っていたらしい羅羽が、恥ずかしそうにうつむく。

「お兄ちゃん、私……今じゃなくても」

 それ以上、言葉は出ないようだった。

 俺と背中合わせになると、長い爪を伸ばして身構える。

 だが、聞えた声が敵なのか味方なのか、俺には分からなかった。

「咲耶……」

 改めて目をやった先に見えたのは、どこからともなく降ってきた、一式の神主装束だった。



 ひらりと舞い上がった咲耶が脱ぎ捨てたらしいジャージが、どさりどさりと降ってくる。

 代わりに、ふわりと降り立ったのは、あの神主姿に杖を手にした咲耶だった。

 だが、俺の目の前に現れたのは、ひとりだけではなかった。

 鬼の世界との出入り口に、退魔師たちが集う。

 装束の色は違うが、その手には、高らかに音をたてる鈴のついた杖が携えられている。

 神主装束がずらりと俺の目の前に並んだので、咲耶の姿はしんがりに隠れて見えなくなった。

 これが退魔師の序列を表しているのだとすると、先頭に立っている紫色の衣をまとった初老の男が統領なのだろう。

 俺に向けられた眼差しは、ぞっとするほど冷たい。

 その前を、一瞬だけよぎった黒い影があった。

 統領が、杖を横たえる。

は・や!」

 澄んだ音と共にほとばしった銀色の光が、影と交錯する。

 それを合図に、周りから襲いかかる鬼たちの振るう刃と、退魔師の仕込み杖が火花を散らしはじめた。


 統領が、鬼たちの刃を薙ぎ払いながら、落ち付いた声で俺に告げる。 

「その力、解き放つべきは今でございます。昔鳥神社とこの家は、鬼どもが自ら、結界でつないでしまいましたゆえ、どこで紅葉狩を振るおうと、鬼の世界との出入りは断てまする」

 すると、俺のそばで祭文を唱えはじめた退魔師たちがいた。

 

  おはせよかし

  われらまちゐたり

  ここにいませよ

  たたんがため

  おにのみちを

 

 女の声だった。  

 俺の視界が一瞬だけ、真っ赤に歪む。

 目の前に現れたのは、あの冷たい光をたたえた刀だった。

 背筋が凍る思いがして、思わず、その名を呼んだ。 

「紅葉狩……」

 だが、手を伸ばす気にはなれなかった。

 真っ赤な光の中で、鬼たちは退魔師たちの刀に押されていた。

 こんな一方的な戦いに、手を貸す気にはなれなかった。

 だが、羅羽は俺の背中で囁いた。

「いいんだよ……お兄ちゃんが正しいと思うことをすれば」

 戦いの渦の向こうでは、鵺笛がじっとこちらを見つめている。

 そこから離れたところでは、咲耶が杖を手にしたまま、俺の様子をうかがっていた。

 どちらも、俺に選択を迫るように。

 ここで紅葉狩を手に取れば、全ては終わる。

 鬼の世界とのつながりを断ち切れば、鵺笛から羅羽を守ることはできるだろう。

 だが、俺は自分に恥じることになる。

 何よりも、鬼の世界に残された母さんはどうなるか分からない。

 それならば、紅葉狩を手に取らなければ、どうなるか。


 追い詰められた鬼たちが、雄叫びを上げた。

 死に物狂いの反撃に、今度は退魔師たちが後ずさる。

 やがて、鬼たちへの包囲が綻びた。

 咲耶の呼ぶ声が聞こえる。

「克衛! 戦え!」

 退魔師たちの隙を突いた鬼がひとり、俺のほうへと向かってくる。

 紅葉狩の前に腰砕けとなっても、まだ、諦めはしない。

 俺が立ちすくんでいると、目の前に統領が飛び込んできた。

 鬼の振るう刃を杖で受け止めると、もう片手に持った刀を振り下ろす。

 俺は思わず、統領のほうを押しのけた。

「やめろ!」

 他の退魔師に追われて、鬼は引き下がる。

 統領は、俺をはったと睨み据えた。

「どういうおつもりか……なるほど、その鬼にたぶらかされましたな!」

 ひとり合点して杖を突きだした先には、羅羽がいる。

 長く伸びた鋼の爪が一閃すると、弾き飛ばされた杖の代わりに、刀が降ってきた。

 俺は、腰のスマホに手を伸ばすと、統領に挑みかかった。

「もう、やめてくれ!」

 後ろ手に掴んだのは、犬の形をした藁人形のストラップだった。


 そこで動いたのは、退魔師の女たちだった。

 長い黒髪をたなびかせて、手に手に放り上げた神主装束が宙に舞う。

 気が付くと、俺は身動きもできずに組み敷かれていた。

 甘い囁きが、耳たぶをくすぐる。

「お静まりください」

 どいてくれ、と言おうと思ったが、声が出ない。

 気持ちはどうあれ、俺の身体は本能を裏切れなかったらしい。

 何人もの美しい女たちが蛇のように、俺の手足を絡め取っていたのだ。

 姉といっていいくらいの若々しい娘から、かぐわしい香りを放つ大人までが、匂い立つような裸身を晒して……。


 やがて裸の女たちは立ち上がると、髪の中から取り出した針や簪を手に、羅羽を取り囲む。

 羅羽は白い歯を憎々しげに剝きながら、鋼の爪をかざした。

 その足元で金縛りにかけられて転がる俺は、鬼と退魔師の戦いの向こうで佇む咲耶の姿を見つめるしかない。

 遠目にも、泣き出しそうなのをこらえて震えているのが分かる。

 俺が美しい年上の女たちに抱きすくめられていたのが悔しいのか。

 それとも、男の本能が働くと金縛りになるよう、薬を盛って術をかけたのを後悔しているのか。

 だが、突然、統領の叫ぶ声がした。

「ならん、咲耶!」

 その声には耳を貸すことなく、咲耶は戦いの中で交わされる刃の中へと飛び込んでいった。

 白刃が迫ればその下をかいくぐり、あるときは仕込み杖を抜いて受け流し、俺のもとへと駆け寄ってくる。

 羅羽を包囲していた女のひとりがそれに気づいて、咲耶の前に立ちはだかる。

 なおも止まらない咲耶に向けて簪を投げ放つ。

 だが、それを弾いた刀は、持ち主をすでになくして、女の足元に転がっていた。

 澄んだ鈴の音と共に、咲耶は両手で杖を突いた反動で高々と跳び上がる。

 流れるような黒髪の頭を越えて俺の側へと降り立つと、動けない身体を抱き上げて囁いた。

「ごめん……」

 濡れた柔らかい唇を重ねてくる。

 それでも、俺の身体に自由が戻ることはなかった。


 咲耶は、愕然としてつぶやいた。

 それを待っていたかのように、退魔師の女たちが動く。

 咲耶も、瞬く間に鋼の爪を縦横に振るったらしい。

 甲高い音がいくつも響いて、女たちは包囲の輪を緩める。

 だが、羅羽にとってはそれが限界だったらしい。

 出現した紅葉狩によって、かなりの力を削がれているのだ。

「お兄ちゃん……私、もう、ダメみたい」

 がっくりと膝を突いたところで、女たちは再び、羅羽へと一斉に襲いかかる。

 他の鬼たちもまた、足腰が思うようにならないうえに、退魔師の刀に武器を弾き飛ばされて、手も足も出なかった。

 もう、紅葉狩などなくても、勝負はつきそうだった。

 このまま鬼の世界の出入り口を壊さないで済むなら……。

 だが、話はそう簡単にはいかなかった。

 退魔師の女が、その裸身を俺の傍らに横たえる。

 自分でそうしたのではなく、弾き飛ばされたのだ。


 それが誰の手によるものかは、見れば分かった。

「鵺笛……」

 いままで戦いの成り行きを見守っていた鵺笛が俺を狙って、その中を駆け抜けてきたのだ。

 咲耶が再び囁いて、俺のもとを離れる。

「ちょっとの間の辛抱だよ」

 倒れた俺と同じくらい低い姿勢で飛び出すと、杖と刀を拾い上げた。

 だが、そのまま振るった刀は三つ又の短剣で受け止められる。

 鵺笛が低い声を立てる。

「小賢しいわ」

 そう言って貫手を放つが、杖の先の僅かな動きで弾き飛ばされた。

「お互い様じゃないかな、それは」

 鵺笛と向き合って立った咲耶が、にやりと笑う。

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