第15話 母さんの計略が鬼たちを手玉に取ります
なぜ、母さんがこんなことを言い切れるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
だが、鵺笛は痛いところを突かれたらしく、明らかにたじろいでいた。
「おのれ、厄介な掟を……」
それは、鵺笛が抱えた鬼としてのジレンマだったらしい。
刃向かってくる母さんへの憎しみは深いのに、鬼であるが故に冒してはならないものがあるのだろう。
母さんは、それをよく知っているようだった。
「鬼の世界に迎えた人間の女に、あなた方は手出しができない」
つまり、母さんが去っていったところは、あまりにも遠すぎたということだ。
探したって、見つかるわけがない。俺も親父も手が届かない、全く別の世界なのだから。
羅羽が鬼でなかったらとても信じられないような話に、俺は愕然とした。
そこに追い討ちをかけてくるあたりは、鵺笛もやはり鬼だった。
母さんの抵抗を、鼻で笑う。
「お前はもう、人ではない。我らの仲間だ」
俺や親父とは全く違う何者かになってしまったらしい。
だが、何になったのかは認めたくなかった。
そんな俺の気持ちはどうあれ、母さんの言葉は、とても普通の人間とは思えないほど強く、そして厳しかった。
「それなら、手をお引きなさい」
仲間なら、自分にも、その息子にも手を出すなと言っているのだ。
相手の言葉尻を捉えて逆ねじを食らわせたわけだが、鵺笛も負けてはいない。
「だが、お前もここに来てはならぬはず」
あれもダメ、これもダメと、鬼の世界はずいぶんと難しい所らしい。
羅羽がこっちへ出て来たくなるのも、当然だという気がした。
母さんの余裕から、俺もずいぶんと落ち着きを取り戻していた。
「それは鬼の掟だわ。私の掟じゃない」
それは、ほとんど居直りといってもよかった。
聞いていて、スカッとする切り返しだ。
鵺笛から見れば、さぞかし、ふてぶてしい態度に見えただろう。
それでも、母さんの言うことは鬼たちにしてみれば筋道の通ったことだったらしい。
鵺笛の脅しも、月並みになってきた。
「勝手なことを、同じ鬼とて、掟に逆らえば命はない」
そろそろ手詰まりのようだった。
母さんも、うんざりしたように答える。
「あなたがたの掟に縛られはしても、自分で従うことはないわ」
仕方なく聞いてやっているんだと言わんばかりだった。
鵺はそこで、バカ丁寧な口調で静かに告げた。
「いずれ、帰らねばならぬというのに」
そこで母さんは、にやりと笑った。
「帰らなければ?」
だが、その目は笑っていない。
鵺笛は、まっすぐな目をして、重々しく答える。
「ここで命を」
三つ又の短剣を、胸元で構える。
だが、母さんは冷たく笑った。
「お取りなさい、取れるものなら」
そう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
なぜ、そんなに余裕たっぷりなのか、俺にはさっぱり分からなかった。
あの短剣の恐ろしさは、俺も身に染みてよく分かっていたからだ。
かわしたところで、それも牽制にすぎない。
思いもよらない死角からは、鬼の手が武器となって飛んでくるのだ。
さっきは鎧のおかげで命拾いしたが、母さんは生身の身体で丸腰だった。
俺は鎧をまとったまま、その目の前で身体を起こす。
「ダメだ!」
叫んだところで、母さんは聞いてもいなければ、俺に目もくれはしない。
ただ、掌で俺の頭を押さえ込むばかりだ。
まるで、悪さをした子どもが無理やり謝らされているようでもある。
かなりみっともない格好だったが、その様子は、かえって鵺笛の神経を逆撫でしたらしい。
「おのれ、居直るか」
歯を剥くと、口元の牙が見える。
母さんは、それには目もくれずに悠然と頷いた。
「あなたの一存ではできないはず」
何を言おうと、鵺笛はいちいち逆捩じを食らわされる。
次々に痛いところを突かれて、とうとう居直ったのは鵺笛のほうだった。
「ならば連れていくまでよ。全ての鬼を呼び寄せてでもな」
物を言うのに、相手より少しでも優位に立とうとする有様は、惨めのひと言に尽きた。
母さんはというと、ようやく本題に入れたらしい。
ひと息つくと、重々しい口調で答えた。
「それができなくなるように、私はここへやってきたの」
鵺笛は息を呑んだが、それは他の鬼たちも同じだった。
その呆然とした様子は、捕らえられた羅羽にとってはいい機会だったはずだ。
やろうと思えば、鬼たちの手をふりほどくことくらいできただろう。
だが、羅羽もまた、母さんの姿をじっと見つめていた。
やがて、鵺笛がためらいがちに口を開く。
「まさか……最初からそのつもりで」
分かっているが、言いたくはないと言ったところだろうか。
そこではじめて、母さんは俺に声をかけた。
「克衛、鬼と人の世界の行き来を断ちなさい」
荒唐無稽なうえに、あまりにも漠然とした話だった。
だが、鵺笛はものすごい目つきで母さんを睨みつける。
「そのときは、掟も何もあったものではない。ここにいる人間、ひとり残らず死んでもらう」
俺はというと、こう答えるしかなかった。
「できないよ」
世界がどうのこうのと、話があまりに大きすぎる。
それでも、母さんは俺の頭を押さえつけたまま、有無を言わさずに言い切った。
「あなたには、その力があります」
そんなものが仮にあったとしても、同じことだった。
俺は駄々っ子のように首を横に振る。
「そうじゃなくて、そんなことしたくないんだ」
記憶の奥底に封じられていた母さんの姿が、実体を持って目の前に現れたのだ。
この後でどんなことが起ころうと、帰したくはなかった。
母さんは、哀しげに笑いながら言った。
「私の息子だから授かった力なのに」
「そんなの、いらない!」
喚き散らす俺を後ろから抱きしめて、母さんは囁いた。
「聞き分けて。子どもじゃないんだから」
「子どものうちに置いていったくせに!」
屁理屈をこねると、済まなそうな声が帰ってきた。
「あなたを守るには、そうするしかなかったの。でも、こうなった以上は……」
「いやだ! ずっと一緒にいてくれよ」
抱きすくめてくる腕を振りほどいて、俺は後ろへ向き直る。
だが、返ってきたのは厳しい声だった。
「ダメよ。もう、鬼になってしまったから」
そう言う母さんの目は、俺ではなく、鬼たちを見ている。
やがて、仕方なさそうにゆっくりと頷いた。
「では、参りましょう」
俺は最後の切り札を持ちながら、使い方も知らなければ、使う気もなかったわけだ。
鵺笛が鼻で笑うのも当然だった。
だが、母さんは最後の最後で、ひと言だけ付け加えた。
「掟に従って」
それは、俺まで巻き込んだ今までのやりとりが、全て狂言であることを示していた。
鬼たちに捕らえらえた俺たちを、無事に救い出すための……。
鵺笛は、忌々し気に目をそらしながら答えた。
「よかろう。おぬしだけを連れて帰る」
鬼たちに向けて顎をしゃくる。
燐光の塊がいくつも、夜闇の中に薄れていった。
やがて、鬼たちの手から解放された羅羽が、地面に放り出されかかった咲耶の身体を抱き止めた。
今度は、鵺笛が母さんに告げた。
「そちらの番だ」
答える代わりに、母さんの姿はみるみる霞んでいく。
無駄だとは知りながらも、俺は呼び止めた。
「行っちゃだめだ!」
夜闇の中で、微かな声だけが答える。
「母さんのことは気にしちゃダメ。あなたしかできないことをしなさい」
がっくりと膝をついた俺を見下ろしながら、鵺笛の姿も背中を向けて消えていく。
「いずれ、迎えに来る」
その最後に残された声は、険しい顔で口元を引き結んだ羅羽に向けられていた。
やがて、辺りは夜闇の静けさに包まれる。
あのヤンキーどもと、そいつらを顎で使っていた女の子は、まだ気を失って倒れていた。
代わりに、声を立てたのは咲耶だ。
「鬼に借りを……作っちゃったのかな、ボク」
俺は、敢えて答えなかった。
夢と現実の狭間をさまよっている咲耶だけは、そっとしておいてやりたかった。
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