第14話 逆転に次ぐ逆転、最後に現れたのは懐かしくも意外な人でした

 鋼の爪を振りかざして身構える羅羽の前に、鬼たちは立ちすくんだかに見えた。

 やはり、同じ鬼には手を出しにくいらしい。

 いや、羅羽のことだから、それはもしかすると狙い通りだったのかもしれなかった。

 だが、どこからか、鳥が甲高く鳴く声が聞こえてきた。


 ピイイイイイ……ピイイイイイ……。

 

 それが合図であるかのように、姿のはっきりしない鬼たちの間から現れたのは、ひとりの若者だった。

 身にまとう燐光は、裾の長い衣の形を取っている。

 すらりとした背格好で、顔立ちは整っていた。その額には、1本の角が生えている。

 羅羽が、その名らしきものをつぶやく。 

「ヌブエ……」

 若者が、皮肉な顔で笑った。 

「そう。夜闇の中、何処からともなく響き渡る妖しの鳥の鳴き声が、我が名だ。鵺の笛……」

 こいつも、ややこしそうなヤツだった。

 話が終わる前に、羅羽は鋼の爪をひと薙ぎする。

「長い。名乗りがムダに長い」

 それを軽くかわした若者は、不愉快そうに言った。

鵺笛ぬぶえの邪魔を、敢えてするか」

 その持って回った物言いが、よほど気に障ったのだろう。

 面倒臭そうな溜息ひとつの後、わざとらしいくらいの明るさで答えた。

「だって、もう、見せてしまったんだもん」

 思わせぶりな笑顔を見せる。

 その鵺笛とかいう若い鬼は、歯を剥き出して怒った。

「……殺す! その男!」

 口元からは、犬歯が長い牙となって覗いている。

 だが、それは同じ鬼にとっては珍しくもなかったのだろう。

 怯みもしないで、羅羽は静かに答えた。

「無理ね。私が守るもの、お兄ちゃんは」

 その一方で、鵺笛の息は次第に荒くなっていく。

 やがて、低く抑えた声が訪ねた。 

「知っておろう、裏切れば、どうなるか」

 どこかに、微かな哀願の響きが感じられた。

 羅羽が鋭い目つきで、鵺笛を見据える。

 抑揚のない声が、鵺笛の思いを軽くはねつけた。

「追ってくるがいいわ。ひとり残らず、倒してみせる」

 鵺笛の身体が、小刻みに震えだした。

 身体の奥から絞り出すような呻き声を漏らす。 

「なぜ、なぜ分かってはくれぬ!」

 羅羽はしばし言葉に詰まった。

 どう答えようか迷っているようでもある。

 それほどまでに、鵺笛の様子は痛々しい。

 だが、羅羽はやがて、憐れみを込めて諭した。

「だって鵺笛、つまんないんだもの」

 それはないだろう。

 考えに考え抜いた返事だったのか。

 それとも、答えようがなくて、こういうしかなかったのか。

 どちらにせよ、それは俺から見ても、あまりにも冷たすぎた。

「我がものにならぬというなら……」

 鵺笛が、文字通り牙を剥く。

 燐光の衣の中から滑り出た三つ又の短剣を、羅羽は鋼の爪で払った。

 闇の中で火花が散る。

 鵺笛の空いた手が指先を鋭く伸ばして、羅羽の喉元を襲う。

 本当の武器は、これだったらしい。

 

 俺はとっさに、横から羅羽の身体に飛びついた。

「許せ!」

 燐光に隠されているだけの身体は、滑らかで、柔らかい。

 だが、地面に押し転がさなければ、鵺笛の貫手をかわすことはできなかったろう。

 もちろん、羅羽もそれは分かっていた。

「お兄ちゃん……」

 それ以上は言葉にならなかったらしい。

 ただ、固くしがみついてくる。

 固く抱きしめてくる腕のたおやかさと、微かな胸の感触に、俺は焦った。

 また、金縛りにされてはかなわない。

 だが、そうなる心配がなかったのは、相手にとっては皮肉だった。

「羅羽から離れろ人間!」

 駆け寄って鵺笛の放つ鋼鉄の指が、俺たちに迫る。

 どうにか、羅羽と抱き合ったままで転がってかわした。

 鵺笛の肘までが地面にめり込んでいる隙に、俺は立ち上がる。

「俺が相手だ」

 とりあえず、これで羅羽を守ることはできる。

 嫉妬に燃える鵺笛はもう、俺しか見てはいない。

「人間風情が……」

 唸り声を上げはするが、その腕が地面から抜けるまでは、ひと息の間が必要だった。

 しかし、俺が背中を向けて逃げられるほどの余裕はない。

 ましてや、羅羽や咲耶を残していくわけにはいかなかった。

 一か八か、この間に賭けるしかない。

「だからどうした!」

 叫んだ俺が頭から突進すると、今度は逆手に握った短剣が真っ向から降り下ろされる。

 だが、それが額を割ることはなかった。

 その前に、身体が思いっきり前につんのめったからだ。

 といっても、転んだわけではない。

 敢えて体を投げ出して、地面にスライディングをかけたのだ。

 その反動で、後ろ手に放り投げたものがある。

 それは、布人形のストラップだった。

 

 ……お助け申そう!


 鵺笛が突進していった先から、金属の打ち鳴らされる音は聞こえなかった。

 身体を起こして振り向けば、鎧武者の腕から伸びた刃が鵺笛の短剣を受け止めている。

 だが、鵺笛は甲高い声で嘲笑する。

「所詮はカカシよ!」

 以前に羅羽が発したのと、同じような叫びだった。

 揃えた指を伸ばした掌が、鎧武者の身体を貫通する。

 もっとも、その中身はない。

 それは、ここにいる俺自身だからだ。

 鎧武者の声が尋ねる。


 ……お覚悟はよろしいか?


 たぶん、こうなるだろうとは思っていたが、まだ、腹は決まっていない。

 それでも、俺の身体はいつの間にか鎧をまとっていた。

 鎧武者が囁く。


 ……拙者を呼ぶということは、共に戦うということでござれば。


 それを早く言ってほしかった。

 だが、文句を垂れている暇などない。

 鵺笛の貫手が、さっき鎧に開いた穴めがけて飛んでくる。

 肘から伸びた刃で応じれば、今度は三つ又の短剣が首筋を狙ってくる。

 さすがにこれはどうにもならないと思ったが、鎧武者が教えてくれた。


 ……しころを傾けられよ。


 何のことか分からずに戸惑っていると、鎧が勝手に動く。

 首筋を差しだされ、慌てて身体をすくめる。

 短剣の切っ先は、どうにかその辺りの装甲が受け止めてくれた。

 それだけで、俺は息も絶え絶えになる。

 だが、鵺笛は退屈そうにつぶやいた。

「己が望んでまとわねば、その鎧は役に立たんぞ」

 別に、これをまとって鵺笛と闘うつもりなど毛頭なかった。

 だが、ここは強がってみせる。

「汚したくはないのさ、羅羽の手も、俺の手も」

 挑発すれば余計に追い込まれるのは分かっている。

 それでも、そうしなければならない理由が俺にはあった。

 逆上した鵺笛の拳が、俺の顔面に迫る。 

「ほざくな!」

 そこで鎧武者が俺の足を後ろに引いた。

 

 ……得物を持つ手を掴まれい!


 言われるままに、短剣を持つ手をがむしゃらに抱え込む。

 身体が、くるりと回転した。

 さらに、俺を促す声がする。


 ……そのまま投げなされ!


 気が付くと、自分でも信じられないような見事さで一本背負いが決まっていた。

 仰向けの鵺笛が、茫然とつぶやく。

「俺が、まさか……」

 だが、これが勝負の終わりではなかった。

 俺の背後で、羅羽が叫んだ。

「お兄ちゃん!」

 振り向けば、大勢の鬼が持ち上げている身体は二つあった。

 ひとりは、済まなそうに俺を見つめている羅羽。

 もうひとりは、未だに気を失っている咲耶だった。 

「離せ! 離さないと……」

 俺は肘を立てて、その先にある刃を足元の鵺笛に向ける。

 だが、それを突き立てるために膝を突くだけの踏ん切りは、まだつかなかった。

 鵺笛も、その隙を見逃すような鬼ではなかったらしい。

 いつの間にか、後ろから俺を羽交い絞めにして、喉元に短剣をつきつけていた。

「ならば、鎧を捨てろ」

 


 そのときだった。

 遠くから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「あなたにしかできないことがあるわ、克衛」

 闇の彼方から、夜目にも白い衣をまとった、端正な姿の女が現れる。

 俺の身体を締め上げていた鵺笛の力が緩んだ。

「お前は……!」

 その腕をなんとか振りほどいた俺だったが、思うようには動けなかった。

 がっくりと崩れ落ちる身体を感じながらも、目の前にいる懐かしい人を呼ぶ。

「……母さん?」

 そうはいっても、幼い頃に俺の前から消えた顔を、俺はよく覚えてはいないのだった。

 だが、そこにいるのは間違いなく、俺の母親だった。

 鵺笛が、恨みがましい声を上げる。

「おのれ、あくまで逆らうか!」

 静かに歩み寄ってきた母さんが、屈みこんで俺を抱きかかえた。

 その指先の優しい感触に、身体の奥から涙があふれてくるような気がする。

 鵺笛は、その俺たちに向かって短剣を振り上げる。

 それでも母さんは、怯む様子もなかった。

「あなたに私は殺せません」

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