第16話 徹夜で戦った次の日は短いのに、妹鬼と美少女退魔師は俺を巡ってまた戦います

 目が覚めると、俺はベッドの中にいた。

「羅羽……?」

 いつもは勝手に隣で寝ている義妹の姿が、今朝はなかった。

「おい!」

 トランクスを着けただけの姿で、家の中をどたばたと探し回る。

 最後に風呂場の扉を開けると、羅羽が長い髪にドライヤーをかけていた。

「おはよ……お兄ちゃん」

 さっぱりした顔で笑いかける。

 胸の辺りで身体に巻いたバスタオルが落ちかかった。

 慌てて浴室のシャワーの中へ飛び込んで、もう、昼近いことに気付いた。


 あの戦いの後、どうやって家に帰って、いつ寝たのかもよく覚えていない。

 羅羽が先に作っていた昼前の朝食の中途半端さが、俺の体内時計を狂わせていた。

 たまらなく眠くなって、居間の座敷で横になると、すぐ隣で羅羽が寝そべった。

「お昼寝の前にさ……話しておきたいことがあるんだ」

 それは、人間世界と鬼の世界の行き来についてのルールだった。


「鬼の世界と人間の世界の間には扉みたいなものがあってさ、私たちは、そこを出入りしてるんだ」

 これも、お互いの世界が微妙なバランスで守られているためだという。

 その世界をつなぐ、「扉」と呼ばれる出入り口は、鬼たちが自分で開けたり閉めたりできる。

 さらに、鬼たちは「結界」という別世界を作ることができる。

 鵺笛たちが現れたのも、以前、俺が誰にも見られずに裸の羅羽を連れて帰ったのも、その結界の中だったわけだ。

「出入り口から自分の結界を広げることもできるしね」

 羅羽は簡単に言うが、その「扉」がどんなものなのかは、実際に見てみないと分からない。

「人間は、通れないのか? そこ」

「鬼に捧げられた者ならね」

 そのひとりが、母さんなのだろう。

 さらに、羅羽は言った。

「そういう人たちは、扉の開け閉めを任されるの。鬼たちが、人間の世界とのバランスを崩さないように」

 どうして、と尋ねてみると、羅羽は微かに笑った。

「みんな、こっちに出て来ちゃうから。だって、ここ、楽しいもの。」

 そんなわけで、と羅羽は話を真面目な方向に進める。

「扉を預かる者には、手を出しちゃいけないことになってるんだ」

 何でも、「扉」を管理する強制力の源は、遠い昔に鬼たちが封印した「毒龍」という化物なのだという。

 鬼たちの世界には多くの化物が棲んでいるが、この「毒龍」は最も凶悪らしい。

 血の臭いを好み、いったん解き放たれれば、飢えを満たすまで暴れ続けるのだ。

 その毒龍に触れられるのは、鬼に捧げられた人間の女だけなのだった。


「あの鵺笛ってヤツは、それが気に食わない」

 羅羽は思いっきり、顔をしかめる。

 何でも、その父親は、鬼の世界に連れてこようとした女を人間に横取りされて面子を潰されたらしい。

 お情けのように世話された相手との間に生まれた鵺笛はそれを恥じ、鬼の世界の掟にやたらとこだわるようになった。

 妥協や取引には一切、応じない。

 今では若い鬼たちと徒党を組んで、秩序を乱す見なした者たちを責め立てるのが常だという。

 特に、母親が人間の世界に出入りしていた羅羽については、ものの考え方を正すのが自分の使命だと信じて疑わないのだった。

 そんな歪んだ愛情を羅羽に向ける鵺笛は、人間の世界への出入りを握る母さんには憎しみを向けているのだった。

 そこで俺は、気になっていたことを聞いてみた。

「つまり……母さんには、何があったんだ?」

 だが、そこで意識が途切れて、俺は深い眠りに落ちていった。


 目が覚めたときには、もうヒグラシの声が聞こえていた。

「もう、こんな時間か……」

 だが、昨日の夜中の戦いは、それほど熾烈を極めたのだった。

 ふと傍らを見ると、羅羽が寝息をたてている。

 角の生えていない額にこぼれた前髪かき上げると、天井から声が降ってきた。

「こんにちは……っていうか、こんばんは? お邪魔だったかな?」

 慌てて跳ね起きると、そこには大きなトートバッグを提げた、ジャンパースカート姿の咲耶がいた。

「……何で、ここに?」

 俺の声で目を覚ました羅羽の顔つきが、急に険しくなる。

 咲耶はそれを気にも留めずに、小首を傾げて答えた。

「その質問、二通りの意味があるんだけど」

 まず、と指差したのは玄関のほうだ。

「カギが開いてた」

 それで今朝のドタバタをやったのだと思うと恥ずかしい。

 で、と話を続ける咲耶は、俺たちの前にトートバッグを突き出した。

「こんなんじゃお礼にならないかもしれないけど」

 中身も見ないで、俺は答えた。

「気にしなくていいよ」

 実際に鬼たちを追い払ったのは、俺の母さんだ。

 だが、鬼たちに地面へ叩きつけられて気を失っていた咲耶は、それを知らない。 

「情けないな……克衛を守れなかった」

 うつむく咲耶がいつになく自嘲するのに慌てて、俺は口を挟んだ。

「俺だって、あいつには歯が立たなかったんだ。ずっと咲耶を守ってくれたのは」

 ちらりと見やった先では、羅羽が立ち上がるところだった。

 一歩退いた咲耶の目の前を通って、居間から出ていく。

「私、ちょっと」

 昨日の夕方のことを思い出して、俺は呼び止めた。 

「おい、ひとりで出歩くのは」

 肩が剥き出しのキャミソールに、きれいな脚がすらりと伸びたハーフパンツ。

 中学生女子が出歩くときの服装としては問題が大きすぎた。

 だが、羅羽は、ちらりと振り向くと横目で答えた。

「夜にならないと出てこないわ、あの鬼たちは。昼間にだって鬼の力は使えるけど、弱くなっちゃうから」

 その冷たい眼差しが向けられた相手の不愛想な声は、耳元で聞こえた。

「へえ、そうなんだ、行ってらっしゃい、ごゆっくり」

 しばし咲耶と睨み合った末、羅羽は玄関のドアの向こうに消えた。

 とりあえず、鬼と退魔師の対決は避けられたことになる。

 自分にそんな言い訳をしながら、俺は台所へ向かった。

「桃切るから、持ってきてくれよ」


 桃は大きくて、柔らかくて瑞々しかった。

 羅羽と一緒なら、もっとおいしかっただろう。

 そんなことを考えながら、切った桃を口に運ぶ。

 咲耶からすれば、そんな俺はふさぎ込んで見えたらしい。

「気になる? 羅羽ちゃんのこと」

「そりゃあ、兄貴だから」

 当たり前のことを答えたつもりだったが、咲耶は寂しそうに笑った。

 急に、話をそらす。

「ボク、ちょっと分かんないことがあってさ……夕べのこと」

 鵺笛とかいう鬼は恐ろしかったし、やっと会えた母さんが去っていったのは悲しかった。

 だが、咲耶が聞いてきたのは、かなりどうでもいいことだった。

「今朝、目が覚めたら、浴衣着てアパートで寝てたんだけど」

 だから俺も、目いっぱいおどけてみせる。

「あ、ああ、浴衣着せたのは、羅羽だからな、俺じゃなくて」

 すると咲耶は、疑わしげに目を細めてみせた。

「ふーん、じゃあ、どうやって部屋の中に運んだんだ?」

 カギは浴衣の袂にあったが、見つけるのがたいへんだった。

「それも、羅羽だ羅羽。どこにあるか分かんなかったからさ」

 袂に気付くまでは、羅羽が忍者装束の中まであちこち探ったのだ。 

 うろたえながら説明すると、咲耶は恥ずかしそうにうつむいた。

「……重かったでしょ? ボク」

「いや、鎧武者姿で」

 身体の感触は、全然なかった。

 なぜか面白くもなさそうな顔で、咲耶は突っ込んだことを聞いてくる。

「気になってること、他にあるでしょ?」

 

 俺は正直に、今朝からの経緯を話した。

 ひととおり聞いた咲耶は、まるで占い師のような改まった口調で聞いてきた。

「まず……お母さんの名前は?」

なぎ……越井凪」

 おぼろげな記憶の中から現れた母さんの姿が、そこでようやく名前と重なった。

 咲耶はそこで、俺の母さんを名前で呼んだ。

「で、凪さんは、夕べ、どうしたの?」

 俺は、母さんと鬼たちのやりとりを話した。

 咲耶は、それをひと言でまとめる。

「つまり、鬼になってしまった凪さんは、その中でも一目置かれてるわけね」

 その理由として、咲耶は羅羽の話を、次の三箇条にまとめた。

 

 ①鬼たちは扉を出入りできる

 ②鬼に捧げられた者は扉を任される

 ③扉を預かる者には、手出しができない


 いちいち指を立てながら数えあげた咲耶は、俺が言葉にできなかったことを、遠回しに言い当てた。

「捧げられるってことは……分かるよね」

 考えたくないが、子どもじゃあるまいし、見当はつく。

「……俺は、鬼の子なのか?」

 咲耶は眼鏡をちょいと跳ね上げて、さらりと言い切った。

「克衛が鬼だったら、あの護符は使えないし、桃だって食べられない」

 護符というのが、あの3つのストラップのことだというのは分かった。

 分からないのは、最後のひとつだ。

「桃?」

 咲耶は、小さなフォークに刺した桃を白い歯でかじりながら、遠い目をする。

「昔から、魔を祓う力があるっていわれてたんだけど……本当に効くとは思わなかったな」

 その意味に気づいたとき、俺は改めて、幼馴染の怖さを思い知った。

「じゃ、あれは?」

 咲耶はひと言で答える。

「たぶん、そう」

 たかが桃に追い払われた羅羽が、急に心配になってきた。

「あ……」 

 探しに行くのには、言い訳がいる。

 もっとも、咲耶は俺のために席を立つ気はないらしい。

「大丈夫、たぶん、帰ってくるよ」

 犬や猫の子が腹を空かせるのを見越す時のような言い方だった。

 だが、俺はそうは思っていない。

 たぶん、羅羽は咲耶の悪意に気付いているはずだ。

「悪い、留守番頼む」

 幼馴染の誼で、それだけ言い残して立ち上がる。

 だが、玄関を出たところで、後ろから肩を掴まれた。

「行かないでよ……」

 その手をふりほどくと、咲耶は俺の前に回り込んで言った。

「ボク、克衛ん家のカギの置き場所、聞いてないんだから」

 このまま我が家に住みつきかねない勢いだった。

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