第12話 花火の下で、浴衣姿の美少女ふたりが不敵な微笑を交わします

 プールからの帰り道、羅羽は俺と口も利かなかった。

「だいたいお前もだな……」

 男たちを引き寄せているのに気づけと言いたかったのだが、相手にもされないのでやめた。

 羅羽は羅羽で、家に着くが早いか、さっさと風呂場に駆け込んでシャワーを浴び始めた。

 後から俺も、と思って待っていたが、羅羽は一向に戻ってこない。

 その隙に、今の座敷で考えることがあった。

「さて、どうやってやり過ごすか……」

 咲耶の誘いに応じなければ、本当に今夜も金縛りをかけられかねない。

 それを解くにはキスされるしかない。

 また咲耶が式神と共に家まで飛んできた日には、羅羽との修羅場は必定だ。

 あれこれ考えているうちに、俺はいつのまにか寝てしまっていた。

 窓からは、夕暮れの光が斜めに差し込んでいる。

「あ、そろそろ行かないと……」

 目覚ましにシャワーを浴びに行ったところで、俺は呻いた。

「あのな……」 

 羅羽の服はおろか、両の下着まで脱ぎ散らかされていた。

 絶対に、触るわけにはいかない。

 自分で拾わせようとして、俺は家中を探した。

「いない……」

 

 俺は、とっさに外へ駆け出した。

 もしかしたら花火でも見に行ったのかと思ったのだ。

 街のあちこちには、案内の看板が立っている。

 

  昔鳥せきちょう神社夏祭り


 よく見れば、ひとつひとつに現在地からの地図も書いてある。

 帰り道でもいくつか見かけたから、羅羽も気づいていたかもしれない。

 もし、花火大会に行こうとしているのだとすると、その時間が問題だ。

 立て看板の案内は、こうだった。


 納涼花火大会 午後6時半より


 よく昼寝したもので、あと1時間しかない。

 だが、咲耶との約束を、羅羽は知らないはずだ。

 こうなると、まだ怒っていてくれた方が気が楽だ。

 下手に鉢合わせしたら、それこそ修羅場が待っている。

「いや、花火とは限らない……」

 この街に疎い羅羽のことだ。

 道に迷ったりしていたら、昼間の二の舞になる。

 いわゆるヤンキーの兄ちゃんたちは、祭になるとぞろぞろ出てくるのだ。

 そう思ってるそばから、薄暗がりの中、小柄な女の子がその手の連中に取り囲まれていた。

「やめろ!」

 思わず割って入ったが、他の声のかけようはあっただろう。

 ガラも頭も悪そうな顔が、男女まとめてこっちを見る。

 人違いだった。

 どうやら、ナンパ成功の現場だったらしい。

 女の子を押しのけて、男たちが俺を取り囲む。


「お兄ちゃん!」

 声のしたほうを見たのは、俺だけではなかった。 

 ヤンキーどもも、薄闇の中を呆然と見ている。

 祭下駄を鳴らして、小走りに駆けてきたのは浴衣姿の羅羽だった。

「嬉しい! 探しにきてくれたんだ!」

 そう言うなり、俺に抱きつく。

 あっけに取られていたヤンキーどもの目は、羨望の眼差しに変わった。

 羅羽は俺にしがみついたまま、その目を鋭く見返す。

 ヤンキーどもは愛想笑いしながら、後ずさった。

 さらに、冷たい声で最期のひと押しをする。

「お連れの方、お帰りのようですよ?」

 眺める先では、さっきまでナンパされていた女の子が、すたすたと歩み去っていく。

 そっちを羅羽と見比べていたヤンキーたちは、元の相手を何事もなかったかのように追っていった。

 俺はというと、小さな手で腕をぐいと掴まれる。

 引く手を緩めもせずに、羅羽は歩きだす。

「神社、どこか分かんなかったし、心細かったし……帰ろうと思ったら、道、分かんなくなっちゃって」

 その割には、向かう方向に縁日のざわめきが聞こえてくる。


 その後は、お約束のアレだった。

「あ、お兄ちゃん、リンゴ飴買って!」

「あ、水風船だ!」

「あ~ん、金魚取れなかった! お兄ちゃんやって!」

 全部、羅羽のおねだりだ。

 これから俺たちだけで生活していかなくてはならないというのに……。

 それでも、縁日の灯にも鮮やかな山吹をあしらった浴衣をまとった羅羽は可愛かった。

「似合う? この間は、お兄ちゃん、湯あたりしちゃったから……」

 その先は真っ赤になって、言わなかった。

 たぶん、鎧武者や咲耶の手を借りて、俺を運んだのだ。

 裸で。

 当然、咲耶も裸だったわけだ。

「お兄ちゃん?」

 羅羽が怪訝そうに、俺の顔を見上げる。

 そこは、他のことを考えながら笑ってごまかした。

「良かったな、座敷の押し入れに、俺と親父の浴衣があって」

 危なかった……。

 危うく、金縛りに遭うところだった。

 一応、スマホのストラップには、藁の犬人形や布の人形と共に、折り紙の鳥もついている。

 それを投げれば咲耶を呼べなくもない。

 もう、この神社に来ていることだろうから。


「待った?」

 お約束のひと言が、人混みの中から聞こえた。

 現れたのは、咲耶だ。

 夜空を見上げて、和歌を口ずさむ。


 彦星のゆきあひを待つかささぎの門わたる橋を我にかさなむ


「彦星が織姫と会うのを待つ、カササギの渡す橋を貸してほしい……菅原道真の歌だよ。昔鳥せきちょうは鵲を、偏とつくりに分解したものさ」

 ちょっとクールな解説を決めてみせる辺りは、名門私立の女子高生だ。

 目の覚めるような青色の、菖蒲を染め抜いた浴衣姿で、祭下駄をからころ鳴らしながらやってくる。

 胸や腰の線が、浴衣にくっきりと現れていた。

 だが、俺がそれに見とれることはなかった。

「ぐえ……」

 羅羽が後ろから、思いっきりベアハッグを食らわしてきたのだ。

 俺が口もきけないでいる間に、咲耶に愛想よく挨拶する。

「じゃあ、一緒に見ましょうよ、花火」

 咲耶も、年上の余裕で満面の笑みを浮かべる。

 だが、俺を見つめる目は冷ややかだった。

「そうだね。克衛も両手に花で……言うことなしだろうし」

 俺は、全ての発言が禁じられたのを察した。

 何か言えば、浴衣の外からでも感じられる豊かな胸を押し当てられ、本当に金縛りを食らうだろう。

 その後は……解除のキスだ。

 さらには、羅羽が咲耶との間に割り込んできて、片腕を抱える。

 咲耶に軽く会釈すると、礼儀正しく挨拶を返す。

「お気遣いなく。花は片手で充分ですので」 

 だが、浴衣姿の少女ふたりと過ごす花火大会の夜は、そんな甘い時間にはなりそうになかった。


「顔……貸してくれねえかな」

 縁日の灯のまばゆい中で、淀んだ声が聞こえた。

 行き交う人の群れの中から、ひとり、またひとりとガラの悪い連中が現れる。

 どこかで見た顔だと思っていると、さっきの小柄な女の子が現れた。

 小柄な割に、全身に不良じみた雰囲気をにじませている。

「ひとり増えたじゃん……」

 俺の後ろからも、ひゅうと冷やかしの口笛を吹くのが聞こえる。

 さっきの、倍の人数はいる。

 完全に、囲まれていた。

 こういうときは、逆らわないのがいちばんいい。

 俺ひとりなら。

 運が良ければ、財布を渡せば済む。

 だが今は、女の子が2人もいる。

 俺はスマホに手を伸ばした。

 ストラップを投げて、あの光る狐たちを呼ぼうと思ったのだ。

 大騒ぎにはなるだろうが、逃げる隙はできる。

 その考えを察したのか、咲耶はかすかな声で止めた。

「人には使えないんだ。ボクも呼べない」

 あのストラップを 狐も放てなければ、鎧武者も動かせない。

 羅羽は羅羽で、腕にしがみついてくる。

 絶体絶命だった。

 俺たちを取り囲んだまま、ヤンキーどもは人の波の中を少しずつ進んでいく。


 やがて、縁日の屋台の並ぶ参道を外れて、連れていかれたのは暗い空き地だった。

 女の子が言った。

「こいつら、やっちゃってよ」

 どうやら、さっきの男たちが羅羽に見とれたのが面白くないらしい。

 逆恨みもいいところだが、それをどこまで晴らす気だろうか。

 もし、手を出すなら俺だけで充分だ。

「……羅羽、咲耶と逃げろ」

 そう囁いて足を踏み出そうとしたが、足が動かない。

 羅羽が凄まじい力で、俺の腕を抱え込んでいるのだ。

 微かな声で囁き返す。

「お兄ちゃんは動かないで」

 そう言うなり、腕をするりとほどいて俺の前へ出る。

 闇の中から、男たちの手が羅羽へと伸びる。

 俺は羅羽を押しのけた。

「よせ」

 だが、今度はそこで、足が動かなくなった。

 前へ出たのは、咲耶だった。

 金縛りをかけたのだ。

 すぐさま、男たちが鼻息も荒く掴みかかってくる。

 浴衣の上からでも分かる身体に、最初から目をつけていたらしい。

 だが、咲耶は怯えた様子もない。

 闇の中で、羅羽がその様子をちらりと見やるのが分かった。

 咲耶も、そのまなざしを受け止める。

 その瞬間、花火が上がる。

 羅羽と咲耶が交わした、不敵な微笑が見えた。

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