第23話 妹鬼との夏の甘々生活も束の間、幼馴染の退魔師がパワーアップして帰ってきます

 結局のところ、田舎から連れ立って帰ってきたのは、俺と羅羽だけだった。

 バスの中で、俺がようやく羅羽に尋ねられたことがある。

「何で、あの神社だって分かった?」

 俺は、実家の神社について羅羽に話したことはない。

 答えは、いたって簡単だった。

「お兄ちゃんを尾行てったの、あの後」

「行きのバスでは見てないぞ」

 すると、羅羽は平然と答えた。

「だからね、バスについてったの」

 鬼のことだから走ったのか歩いたのかは分からないが、聞いても仕方のないことなので放っておいた。

「じゃあ、親父の実家でのあの声は、お前か?」

 あれは、親父の後釜に入った養子が、神社での夜這いを狙っているというくらいの意味だったのだろう。

 羅羽は、鼻で軽く笑った。

「遠くから見てても、何となく、そういう雰囲気があったのよね、あの男」

 つまり、闇に紛れて俺を見守りながら、咲耶の危機をも察していたということになる。

「助かったよ」

 感謝を素直な言葉に変えると、知らんぷりした羅羽は、事も無げに言った。

「お兄ちゃんに何かしないように、現場へ踏み込んだだけよ」

 俺は敢えて返事もせずに、羅羽の頭を撫でてやった。 


 そんなわけで、帰る田舎が完全になくなった俺は、中途半端に開けた街中での夏を謳歌することとなった。

 折しも、そろそろ盆休にさしかかろうかという頃だ。

 確か去年は、やはり実家に帰らなかった咲耶の部屋に通っては、うだうだと過ごしていた覚えがある。

 だが、いったん引き払われた下宿に足を運んでみても、再び咲耶が戻った気配はなかった。

 そんなある日のことだった。

 俺の家の玄関で、ドアをホトホトと叩く音がした。

「……克衛?」

 咲耶の声だった。

 ちょうど、羅羽が風呂に入っている間のことだ。

「何だよ、上がればいいのに」

 玄関まで出て声をかけたが、ドアが開く様子はない。

 かえって、声は遠ざかっていく。

「……克衛」

 俺は、それを追って外へ飛び出す。

 実を言うと、ときどき、折り鶴のストラップを後ろ手に投げてみたりもしていたのだった。

 もちろん、羅羽に見つからないように。

 退魔師としての咲耶の力は元通りになったはずだ。

 それなのに、やはり、何も起こりはしなかった。

「おい、どこだ!」

 住宅の塀や生け垣の並ぶ夜の道は、明々とした街灯の下で蛾が飛び交っているばかりだ。

 何日ぶりかに見る光景だった。

 鬼や、その世界から来る獣に出会わないよう、なるべく夜は出歩かないようにしていたからだ。

 夜闇の向こうから、声は微かに聞こえてくる。

「……克衛!」

 それがふと途切れた跡へと、俺は慌てて駆け出した。


 結論から言えば、俺の行動は、バカ以外の何物でもなかった。

 確かに、白衣の咲耶に追いつくことはできた。

「いつ帰ってきたんだよ」

 返事はない。

 ただ、長い衣がするりと脱ぎ捨てられただけだ。

「お……おい!」

 止めようにも、言葉が出ない。

 すらりとした脚と、豊かな曲線を描く腰の辺り、そしてつややかな背中が剥き出しになる。

 だが、その美しさに息を呑む間もなかった。

 道の上に脱ぎ捨てられた白衣がふわりと舞い上がると、闇の中をすさまじい速さで滑り降りてきた。

 そのときようやく、鬼の罠に引っかかったのだと思い知った。

「またかよ!」

 自分のバカさ加減に呆れながらも、地面に転がる。

 どうやら、これは正しい選択だったらしい。

 そいつは着地を嫌うのか、俺の頭をかすめただけで、再び夜空に舞い上がった。

 俺は慌てて、ズボンの尻ポケットをまさぐる。

「……ない?」

 頼みの綱のストラップがついたスマホを置いたまま、家から駆けだしてきてしまったのだ。

 その間抜けぶりを叱り飛ばすかのように、暗闇の中で甲高い声が響き渡った。

「世話が焼けるんだから、お兄ちゃん!」 

 

 

 俺に向かって再び襲いかかろうとする、布状の白い獣は空中で真っ二つにされた。

 目の前にひらりと舞い降りたのは、バスタオル一枚に素足の羅羽だった。

 そこで俺に投げてよこしたのは、スマホだった。

「はい、忘れちゃダメでしょ、大事なものを」

 皮肉たっぷりに言うのは、もちろん、咲耶お手製のストラップがしっかりついたままだからだ。

 辛辣な言葉は、さらに続く。

「あれは野衾のぶすま。鬼たちが、山奥に男を誘い込むのに使うの。どうやるかっていうと、お兄ちゃんが見た通りね」

 俺が見た咲耶の後ろ姿は、影も形もない。

 だが、羅羽はそれに対抗するかのように、その素肌からバスタオルを剥ぎ取る。

「全く、妹にこんな格好させて!」

 それは、燐光に包まれた裸身のことだったのか、それとも額に突き出た角のことだったのか。

 いずれにせよ、鬼の力が発動したのは間違いなかった。

 バスタオルが横薙ぎに一閃すると、首を巻き取られた鬼が、闇の中から引きずり出されて転がる。

 だが、俺たちの周りに影となって潜んでいたのは、それだけではなかった。

 ひとり、またひとりと、燐光に包まれた身体が浮かび上がる。

 羅羽がつぶやいた。

「結界を広げてるのよ、鬼たちが……あの出入り口から」

 だが、俺はもう、恐れはしない。

 鬼たちの群れの中へと駆け込むと、犬の人形を後ろ手に投げる。


 ……ぐおおおおおおん!


 叫び声と共に現れた狐たちが、鬼たちに食らいつく。

 もちろん、鬼たちもそう簡単に怯みはしない。

 口元から牙を剥きだしにして、唸り声を上げながら、指の禍々しく曲がった手を伸ばしてくる。

 あるいは、厳めしい刺又や鎖付きの首枷を手に襲いかかってくる。

 そこで俺が後ろ手に投げるのは、布人形だ。


 ……お力添え申さん!


 背中越しに聞こえる声と共に装着された鎧は、鬼たちの爪や武器を弾き返す。

 だが、そこまでだった。

 肘から伸びた刃が折られてしまった今、頼れる武器はあの「紅葉狩」だけである。

 だが、咲耶がいないのでは、どうやって呼び出せばいいのか分かりはしない。

 ちらりと羅羽を眺めやれば、バスタオルはずだずたに引き裂かれている。

 長い爪を振るっても、数人がかりで押さえ込もうとするのが精一杯だった。 

 一か八か、俺は折り鶴のストラップに手を伸ばしたが、それが大きな隙となった。

「お兄ちゃん!」

 そのまま腕を背中に捩じ上げられた俺に気を取られた羅羽が、後ろから羽交い絞めにされる。

 胸を反らして抜け出そうとするが、鬼が二人がかりでは力が及ばないらしい。

 俺もまた担ぎ上げられ、夜空に向かって放り出された。

 落としたストラップも、高々と舞い上がる。

 後ろ手に……。


「お待たせ」

 落ち着いた、低い声が俺の耳元で聞こえた。

 身体が空中でくるりと回ったかと思うと、横抱きにされたまま、軽々と舞い降りる。

 もちろん、男の俺をお姫様抱っこしているのは、久々に見る神主姿の女の子だ。

「咲耶!」

 その名を呼んだのは、鬼が大鉈なたで打ちかかってきたからだ。

 咲耶は俺を地面に下ろすが早いか、衣の袂から取り出した鉄扇をひと振りで開く。

 鉈はあっさりと受け流され、闇夜に舞い上がって消えた。

 咲耶は更に、涼やかな歌声で舞い始める。


  まうさむ

  かしこみて

  こいねがひたてまつる

  みこころ

  ここにあるべし


 俺の目の前が、ぼんやりと赤く照らし出された。

 そこに現れたのは、あの、抜き身の刀だった。

「紅葉狩……」

 俺の呼びかけに応えるかのように、鬼を斬る神剣は、差しだされたこの手の中へと収まる。

 鬼たちは一斉に雄叫びを上げると、俺を押し包むようにして襲いかかってくる。

 だが、俺が横薙ぎに振るった紅葉狩の放つ真紅の閃きの前には、敵ではなかった。

 武器を取り落とした鬼たちは、すごすごと闇の中へと消え去る。

 ただ、紅葉狩の及ぼす力の前には、羅羽も例外ではなかった

 燐光が消え失せたせいで、俺に裸の背中を向けたまま、まごつく羽目になったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る