第33話 秘められた力で退魔師の術を自ら破って、伝説の剣で世界を救います

 俺の心と身体の中で、何かが膨れ上がった。

 まるで、鬼がもともと自分の中に棲んでいたかのようだった。

 力を貸してくれるなら、鬼でも悪魔でも仏でも神でも、何でもいい。

 俺は、そいつに自分を委ねる。

 毒龍の咆哮よりも凄まじい怒号が、身体を引き裂かんばかりに轟き出た。

「母さんに触るな!」

 そのひと言で、俺の口を枷のように閉ざしていたものが壊れて落ちた。

 俺にかけられていた金縛りが解けたのだ。

 咲耶が、ほとんど同時に、呆然とつぶやく。

「克衛……ボクの、術を?」

 俺自身の身体の中に燃え上がった怒りは、全身を震わせる。

 手を伸ばした先にあるのは、文字通り、宙に浮いていた「紅葉狩」だった。

 自分でも信じられないことに、燃えるような色に光る冷たい刃は、抜き打ちに鵺笛を襲っていた。

「来たか、ついに」  

 そうつぶやくと、振り向きいた鵺笛は不敵に笑う。

 燃えるような光を放つ刃は、三つ又の短剣で受け止められていた。

 俺は鵺笛の目を睨みつけて、声を荒らげた。

「止めてやる! 何もかも!」


 俺は紅葉狩を短剣で捉えた鵺笛と、力ずくで競りあう。

 だが、刃の放つ光に力を奪われた鬼であっても、死に物狂いの抵抗は侮れなかった。

 怒号と共に俺は弾き飛ばされ、倒れたところでのしかかってきた鵺笛に、目を抉られそうになる。

 そこへ、横から襲いかかってきた者があった。

 咲耶が叫んだ。

「克衛! 毒龍が!」

 駆け寄る咲耶もろとも、毒龍は俺たちを吹き飛ばした。

 高々と舞い上がった俺たちに向かって、顎を開く。

 まだ手に持っていた紅葉狩では、歯が立ちそうにない。

 そこで、とっさに閃いたことがあった。

 俺は、まだ腰の尻ポケットにスマホがあるのを確かめる。

 女たちに迫られて投げ損なった、犬の藁人形を落とす。


 ……ぐうおおおおおおん!


 閃光を放つ狐たちが飛び交い、毒龍の目を眩ませる。

 だが、光の陰りとと共に狐たちが消え失せたときだった。

 俺の目の前には、鵺笛がいた。

 肩を掴んできたかと思うと、短剣を喉元につきつける。

「我をも利することとなったな」

 毒龍だけではなく、自分の目も眩ませてしまったわけだ。

 だが、このままでは、俺は頭か背中から落ちる。

 その最期は、鵺笛のクッションだ。

「ぞっとしないな、それは」

 軽口を叩いてみせると、布人形を引きちぎって投げ捨てる。


 ……お助け申そう!


 現れた鎧武者が、俺の背中を受け止めた。

 さらに、全身へと装着される。

 落ちてきたときの衝撃は、鎧が吸収してくれた。

 お互いに、短剣と刀の切っ先を突きつけ合って転がる。

 それを止めたのは、母さんの声だった。

「克衛! あの子が!」

 指さした先では、いちばん高く弾き飛ばされたらしい咲耶が落ちてくる。

 だが、鵺笛の下に敷かれた俺は、身動きが取れないのだった。

「どいてくれ、鵺笛!」

 頼んでみたが、聞く様子はない。

「我らにはかかわりのない女だ」

 だが、そこで立ち上がった者があった。

 それは、力尽きて横たわる退魔師たちではない。

 裸身の女たちとの闘いに倒れた、羅羽だった。

 呻き声を上げて鋭い牙を見せながら、剥がせば死ぬと言われた退魔師の護符を引きちぎる。

 紅葉狩の赤い光の中、羅羽の額に角が生えた。

 鵺笛が慌てる。

「待て! 羅羽! 無理をするのは我ひとりでよい!」

 羅羽は聞かない。

「放っておけない。お兄ちゃんの心が痛いの、分かるから。だから……鵺笛を、お願い!」

 牙の覗く歯を食いしばって、高々と跳躍する。

 止めようとする鵺笛を、紅葉狩で牽制する。

 羅羽は、まだ宙を舞っている咲耶の身体を受け止めると、軽々と舞い降りる……。

 わけにはいかなかった。

 さっき目を眩ませたはずの毒龍が、二人まとめて咥えこみにかかる。

 鵺笛が激高した。

「貴様!」

 怒りに任せて振り下ろされる手刀は、鎧武者の反応でかわすのが精一杯だ。

 母さんがつぶやいた。

「どちらかひとりしか救えなかったら、許して」

 羅羽と咲耶を追って、高々と跳躍する。


 鵺笛がうろたえ混じりに立ち上がったときだった。

 紅葉狩の光が届かない闇の中に消えた母さんは、やがて舞い降りてきた。

 抱えているのは……羅羽だ。

 鵺笛が慌てて確かめる。

「けがはないか?」

 羅羽の目からは、涙がこぼれた。

「ごめん……お兄ちゃん」

 だが、母さんはシビアだった。

「他に打つ手はないの?」

 俺は即答した。

「あるさ」

 スマホから、折り鶴の形をしたストラップを引きちぎって、後ろ手に投げる。

 さっきは鵺笛に押さえ込まれていたせいで、できなかったのだ。

 俺の目の前には、神主姿の咲耶が、呆然として現れる。

「僕は……どうして?」


 事情を説明している暇はなかった。

 獲物を取り返された毒龍は、耳をつんざくような絶叫と共に、憤然として俺たちへと向かってくる。

 つい、両腕で耳を覆ってしまったのは、俺も咲耶も同じだった。

 羅羽が平気なのは、鬼の感覚が違うからなのだろうか。

 鵺笛に至っては、隙を狙って、再び短剣を突きつけてくる。

「ちょうどいい……あの毒龍の餌食になってもらおうか」

 俺の片手では、とても紅葉狩など振るうことはできない。

 身体をまとう鎧武者が動いてくれて、ようやく鵺笛の短剣をかわすことができたくらいだ。


 ……あの声には、耐えるしかござらん!


 仕方なく、紅葉狩を両手で構える。

 耳にどっと流れ込んでくる毒龍の叫びに、頭がくらくらした。

 それでも、鎧武者の動きに従って、力の限り紅葉狩を縦横に叩きつける。

 牽制の短剣さえ弾いてしまえば、鵺笛が生身の腕で貫手や手刀を放つことはない。

 だが、俺もまた、その腕を斬り落とすことはできないのだった。

 その間にも、毒龍は顎を開いて、俺たちを呑み込みにかかるのが見えた。

「やめろ……お前も食われるぞ!」 

 止めても、その分、短剣か指先を突き刺す隙を与えるだけだった。

 戦いをやめようとはしない鵺笛の狂気は、凄まじいものがあった。

 同じ鬼の羅羽でも、退魔師の咲耶でも、手出しができない。

 動くことができたのは、ただひとりだった。


「伏せなさい!」

 我が子を守ろうとする母親の底力は、鵺笛の狂気をも凌ぐものがあった。 

 有無を言わさず羅羽と咲耶を薙ぎ倒した母さんは、刀と短剣を振るって戦う俺たちに飛びかかってくる。

「危ない!」

 慌てて紅葉狩を引いた俺を、鵺笛が逃すはずもない。

「もらった!」

 刀を短剣で牽制した鵺笛が、俺の喉元へと貫手を放つ。

 それが、母さんの首筋をかすめた。

 白い衣を、紅葉狩の放つ光よりも赤い鮮血が染める。

 俺は咆えた。

「よくも!」

 それは、毒龍の叫びにも増して荒々しかったと自分でも思う。

 だが、母さんは口からも血を吐きながら、俺を押しとどめた。

「母さんも、鬼なんだから……私の仲間を、そんな目で見たら、許さない」

 そう言うか言わないうちに、俺たちの頭上を毒龍のウロコ腹がかすめていく。

 最後に尻尾が通り過ぎようとしたとき、母さんはいきなり、そこに飛びついた。

 血の匂いに引かれたのか、毒龍は頭を返して顎を開いた。

「母さん!」

 自らの尾に食らいつく毒龍の牙の向こうに、その姿は消えた。

 残されたのは、遠いとも近いともつかない声だけだった。

「今こそ、断ち切りなさい……あなたの力で!」

 飢えた毒龍は、われとわが身を食い尽くしていく。  

 やがて、それが満たされたのか、次第に闇の中へと溶けて消えていく。

 鵺笛が、がっくりと膝をついた。

「負けた……投げうつべきは、我が命であったのに」


 俺は、紅葉狩を高々と振りかざした。

 咲耶が、高らかに祭文を唱える。


  たつやたつや

  ほむらたつや

  しずまりたまへ

  ははのみころも

  そでたもと 

  ふたつのちぶくら

  みはだえに

  みどりごいだきて

  いだきあげ

  よみのみちへと 

  いざないたまふ

  

 毒龍が消えて、闇が晴れる。

 気が付くと、俺たちは昔鳥神社の裏にある、あの空き地に佇んでいた。

 辺りがまだ、ぼんやりと霞んでいるのは、あの花火を上げた河原から這い上ってきた、濃い霧のせいだ。

 その中で退魔師たちは、刀を収めた杖をついて立ち上がると、鈴の音ひとつで姿を消した。

 深々と頭を下げて見送った咲耶の足元には、ひとりうずくまっている若者がいる。

 俺の後ろで、羅羽がその名をつぶやいた。

「鵺笛……」

 人間の世界にひとり取り残された鬼は、俺たちに背を向けて立ち上がった。

「もう、その名は使えまい」

 その美しい顔にくっきりと浮かぶ傷を隠すかのように、霧の中へと姿を消す。

 おそらくこの世にただひとりしかいない同胞に、声だけが告げた。

「霧が濃いうちに帰れ。帰るべき家の扉に、カギはかかっておらんはずだ」

 謎めいた言葉に首を傾げていると、羅羽は何かに気付いたように、俺の後ろでもじもじする。

 ちらと眺めてみて、慌てた。

 今朝起きたままの格好で、おそらく素肌へ直に着たのであろうシャツの長い裾を、しっかりと掴んでいる。

 多分、その下は下着一枚だ。

 羅羽に着せろといわんばかりに、俺の頭に降ってきたものがある。

 それが咲耶の脱いだ袴だと気付いて、慌てて辺りを見渡す。

 そこにはただ、ひんやりとした霧がたちこめているだけだった。  

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