第8話 俺をめぐって死闘を繰り広げた少女ふたりから同時に告白されました
杖の先が地面を叩くと、鈴が涼しい音で律を刻む。
咲耶は祭文を唱えるというよりは、むしろ歌っていた。
ひとふたみよいむなやこと
ひとのいのちはふたつなく
みよやいむなはおにのもじ
やえここのえにいましめて
とわにとざさんときのはて
後ずさる羅羽は、口を歪めてみせた。
「こんなことで!」
一方の咲耶は、冷然と微笑む。
「いつまで強がってられるかな」
そう言って唱える祭文は、声も高らかな歌に変わっていった。
ふるへふるへ
ゆらゆらとふるへ
やどりきたれ
にぎみたまわれに
よみにかへせ
あらぶるまがこと
何を言っているのかよく分からない。
だが、羅羽は忌々しげに叫んだ。
「こんな小娘に!」
相当、こたえているようだった。
そこへ咲耶は憐れみの言葉をかける。
「もう、いいでしょ?」
だが、羅羽は屈する様子もない。
高々と跳躍して、咲耶に襲いかかる。
唱えられる祭文は、それを断罪するかのような厳しい調子に変わった。
うて
おへ
はらひたまへ
まがつひのかみ
きよめたまへ
あとを
なほびのかみ
見えない雷光にでも打たれたかのように、羅羽は宙に舞ったままのけぞった。
だが、地面に落ちることはない。その姿は、少しずつ薄らいでいく。
夜闇の中へ、溶けて消えてしまいそうにも見えた。
もしかすると、これが鬼を殺す退魔師の術なのかもしれなかった。
俺は、そんなことまで望んでいない。
「やめてくれよ、咲耶」
やめろと命令できるような関係ではない。
だが、もちろん、そんな言い方で聞くような咲耶でもなかった。
杖を構えて、裂帛の気合を放つ。
「
鈴の鳴る杖が、羅羽に向かって突き出される。
俺はとっさに、それを奪い取ろうと飛びかかった。
「ダメだ、咲耶!」
「触るな、克衛!」
ほとんど同時に、咲耶が叫ぶ。
だが、杖に触るか触らないかのうちに、俺の身体は遠く弾き飛ばされた。
杖を放り出して、咲耶が駆け寄ってくる。
「大丈夫? 僕にしか使えないようになってるのに……」
心配しているのか呆れているのか、よく分からない。
そのどっちにしても、その手が差し伸べられることはなかった。
俺は気を失う間もなく、呻き声を立てる羽目になったのだ。
「ぐお……!」
腹の上に落ちてきた羅羽は、あちこちを見渡す。
やがて、尻に敷いた俺にようやく気付いたようだった。
「私……お兄ちゃん?」
めちゃくちゃ痛くて苦しかったが、とにかく、羅羽が無事でよかった。
俺は精一杯、平気な顔をしてみせる。
だが、 羅羽の目には、涙が光っていた。
「大丈夫か? お前こそ」
気遣ったのに、甲高い声で頭から怒鳴られた。
立ち上がるなり、ぽろぽろと涙をこぼす。
「バカ……本当に余計なことして! 何も知らないくせに!」
また、こういうことを言いだす。
勝手に怒ったり泣いたり忙しい。
俺は俺で、立ち上がるのがやっとだった。
「今度は何だよ? また、鬼の掟か?」
羅羽は頷いた。
涙を拭きながら、張りつめた声で答える。
「命を救ってくれたものには、命を懸けて尽くせ。それが殺すべき相手なら、命を捨てよ。捨てられねば……」
何ひとつ、片付いていなかった。
俺はとっさに立ち上がって、羅羽の言葉を遮った。
「言うな、それ以上! 俺は、お前と……」
それだけで、言いたいことは通じたらしい。
羅羽は、俺の目の前で涙を流して笑った。
「見ちゃったからって気にしないでよ、私の……」
言わなくていいことを口にされないよう、俺は先回りする。
もう、羅羽を守ることしか考えていなかった。
「俺は、お前と……」
だが、それは叶わなかった。
咲耶の声に押しとどめられたのだ。
「黙って聞いてれば……克衛! そいつから離れて!」
手のひと振りで、さっき放り出した杖を引き寄せる。
再び、激しい気合の声が聞こえた。
「
鈴が鳴って、杖が突き出される。
その先は羅羽ではなく、俺に向けられていた。
咲耶が冷たい目で睨みつける。
「それから先は、言わせない。言っちゃダメだ」
その言葉通りになった。
羅羽への肝心なひと言が、告げられない。
口が動かなかった。
代わりに、羅羽を抱きしめることもできない。
咲耶が、杖のひと振りで俺を引き寄せたのだった。
「克衛は……ボクのものだ」
宙を舞う俺の身体を、柔らかな胸が抱き留める。
今までの咲耶とは思えないほど甘い吐息が、囁きかけた。
「渡さない……こんな鬼なんかに」
息を呑んだところで、更に俺の呼吸は止まった。
咲耶の唇でふさがれたのだ。
しばらく呆然としたところで、ようやく口を開くことができた。
「咲耶、お前……」
幼馴染でしかなかった相手に、いきなりこんなことされても、どうしていいのか分からない。
むしろ、動き出すのは羅羽のほうが早かった。
「この女は!」
ひと声叫んで、闇の中に跳び上がった。
燐光の衣を揺らめかせて、ギラリと光る爪を咲耶に向かって振るう。
俺は、その間に立ちはだかった。
「やめろ、羅羽!」
爪の切っ先は、鼻先で止まった。
目の前で、羅羽は泣きじゃくる。
「お兄ちゃん、言ったよね。私と結婚するって!」
俺の後ろで、咲耶が言い返した。
「まだ言ってない」
確かに、その通りだ。
俺はまだ、結婚の誓いを立てていない。
だが、羅羽は言い張った。
「分かるの! 私! お兄ちゃんが考えてること!」
それも、たぶん本当のことだ。
すると、かなりまずいことがある。
羅羽を前にしたり組み敷いたりしたとき、心ならずも頭に浮かんだ妄想の数々も、バレているということだ。
そんなことなど知らない咲耶は、羅羽の言うことにいちいち揚げ足を取ってくる。
「誓えなかったら無効ね」
確かにさっきは、羅羽が殺されるかもしれないという心配で頭がいっぱいだった。
だが、頭が冷えると、添い遂げるとはとても誓えない。
それでも、羅羽は食い下がった。
「じゃあ、さっきのだって、お兄ちゃん返事してない」
それはそれで、ひどい話だった。
人を金縛りにしておいて、一方的に告白したり、ファーストキスを奪ったり。
咲耶は慌てて、俺の様子をうかがった。
「……克衛?」
別に怒ってはいない。
咲耶の気持ちは嬉しかった。
だが、あまりのことに、今は冷静な判断ができない。
咲耶に向き直って告げることができたのは、これだけだった。
「とりあえず、羅羽連れて帰る」
そうするより他になかった。
だが、咲耶はいたく不満そうだった。
「知らない!」
それだけ言い捨てて、咲耶は姿を消す。
困り果てたまま、俺はその場に立ち尽くした。
「俺……その」
そこで俺を後ろから静かに抱きしめたのは、羅羽だった。
「嬉しかった」
咲耶と違って、囁き声は爽やかだった。
俺は、それにもうろたえる。
「え?」
羅羽が何を喜んでいるのか、分からなかったのだ。
だが、そんな気持ちも読まれてしまっていたらしい。
額が、こつんと背中に当たる。
囁き声が答えた。
「この世でいちばんきれいだって思ってくれたこと」
まずい。
たちまちのうちに、目の前には清らかな裸身が蘇った。
「いや、これは、その……」
羅羽は言い訳する俺を、両肩を掴んで向き直らせる。
「お兄ちゃん!」
その怒りは当然のことだが、目の前では、もっと重大なことが起こっていた。
俺は、言葉を失った。
「あ……」
羅羽の額から角が消えているのは、願ってもないことだ。
鬼の爪も、もう引っ込んでいる。
だが、燐光の衣が消えてしまったのはよろしくない。
「お兄ちゃあん……」
情けない声を上げて、羅羽は裸のまま、すがりついてくる。
慌てて辺りを見渡すと、ありがたいことに人通りはない。
俺は朝から着ていたカッターシャツを脱ぐと、つややかな肩からかぶせた。
それでも、背中の裂け目からは、夜目にも白い肌がのぞいている。
俺はそれを隠すように、羅羽を抱きかかえた。
「帰ろうか」
返事はない。
羅羽はシャツの下の細い肩をすくめると、恥ずかしそうに頷いた。
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