第3話
静かな夜の風を、バルコニーから当たる。緑のリボンが髪の毛と一緒に揺れ、ボクはため息を吐いた。
(今夜は静かだな。これが続いてくれたらいいのに)
「ドロシー様」
振り返ると、マグカップを持っているフランチェスカが立っていた。
「もう寝る時間ですよ」
「ねーねの世話はいいの?」
「今夜は一人になりたいそうです。髪を梳かしたので、あとはそっとしておきます。これでも私、メイドですから」
フランチェスカにマグカップを渡される。中にはホットミルクが入っていた。ありがたい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
フランチェスカはアナスタシアの侍女だというのに、その妹のボクに気を遣ってくれる優しいお姉さんだ。だからボクも彼女がメイドとは言え、敬意を払ってる。一緒に肩を並べて、今夜もこうしてホットミルクタイムに付き合っていただくんだ。
「ドロシー様、今夜はこれを飲んだらお眠りください。なんだか……顔色が悪いです」
「大丈夫。ちゃんと寝てるよ」
悲鳴さえ起きなければね。
フランチェスカが眉を下げた。
「困りましたね」
「全くだ」
「今夜も……一緒に寝ましょうか?」
「……フランチェスカ、ボクに気を使わなくてもいいよ」
「寝ましょうか?」
「いや……大丈……」
「寝ましょうか」
「……」
「寝ますね」
「……うん……」
小さく頷き――小さく呟く。
「ごめんね。付き合わせて」
「大丈夫ですよ。ドロシー様。フランは全然大丈夫ですよ」
フランチェスカが片方の手でボクの肩を抱き寄せた。
「今夜も……はぁはぁ……一緒に……はぁはぁ……寝ましょうね……♡」
(こんな調子じゃ良くないよな。フランチェスカにもこれ以上迷惑かけるわけにいかないし)
しかし、どうしようもないのだ。自分が持っている魔力でさえ、この悲鳴の主はわからないのだ。
「……ん」
ボクは夜空を見た。
「なんだろう? 鳥かな?」
「え?」
「フランチェスカ、何か聞こえないかい? 鳥の鳴き声のような」
口を動かす。
「音……」
頭の中で、悲鳴が響いた。
マグカップが地面に落ちて粉々になり、ホットミルクがばら撒かれる。しかし、構ってる余裕はない。ボクは頭を押さえ、その場でうずくまる。フランチェスカが跪き、ボクの肩を支えた。
「ドロシー様! ドロシー様!!」
(頭……! 頭が……割れる……!)
悲鳴が鳴り響く。
(やめてくれ……! もう沢山だ……!)
悲鳴が鳴り続く。
(あ、たま……が……)
――助けて――。
(うるさい、うるさい……、……っ)
――助けて!!
「うるさぁあああああい!!!」
何かがバルコニーに落ちた。フランチェスカが悲鳴を上げた。ボクははっと目を見開いた。悲鳴が止まった。慌てて頭を上げ、その方向を見る。
――落ちてきた女の子が、バルコニーに倒れていた。
「……フ、フランチェスカ……」
フランチェスカが立ち上がり、鎌を構えながら近付き、足で女の子を小突いた。女の子は落ちてきたにも関わらず、無傷であった。ボクは立ち上がり、女の子の顔を覗き込む。
「いけません、ドロシー様」
「大丈夫、ちょっと調べたいんだ」
ボクは地面に膝を立て、少女の頭に手を置いた。そして――彼女の中へと入っていく。
白い世界。白い扉。良い子のボクはノックした。入っても良いですか? すると、向こうから声が聞こえた。どうぞ。その声を聞いて驚いた。
ボクの頭に永遠に響き続けた、悲鳴の声だったから。
ボクは勢いに任せてドアを開けた。すると、そこには女の子が立っていて――ボクは目を開けた。
緑の目がボクを見つめていた。ボクはぎょっとして後ずさると、フランチェスカが鎌を女の子に向けた。
「フランチェスカ!」
慌てて止めると、フランチェスカの手が女の子の首元で止まった。女の子はそれを見て、ゆっくりと両手を上げた。
「やめて。何もしないから」
「何者だ」
「名前を名乗るのは自分からよ。当たり前のマナーでしょ?」
「あら、不法侵入者風情にマナーがおありで? 面白いこと」
「驚かせて悪かったわ。でもわざとじゃない。逃げ出してきて、たどり着いたのがここだっただけ」
「フランチェスカ、……鎌をしまって」
ボクが言うと、フランチェスカがボクの前に戻り、鎌をしまった。女の子は立ち上がり、ボクはゆっくりと彼女に近づく。
「やあ。こんばんは」
「ええ。こんばんは」
「ボクはドロシー。……この国の、第二王女だ。……君は?」
「クライン。地図にない国の第一王女よ」
「地図にない国?」
初めての単語に、ボクは眉をひそめた。
「そんな国が存在するのかい?」
「ええ。追放された魔法使い達が集められた国だから、魔力のない人には見えないの」
「魔法使いが……集められた国だって!?」
思わずフランチェスカと目を合わせる。しかし、クラインは当たり前のように頷くだけ。
「そうよ。私はそこの国の、たった一人のお姫様」
「そこには、魔法使いがいるのかい?」
「ええ。もちろん」
「ってことは、君も魔法使い?」
「……残念ながら」
クラインが首を振った。
「私には魔力がないの。お父様とお母様は持っているのだけど」
「……そっか。……歴史の授業で習ったよ。魔法使いから魔法使いが産まれるとは限らない。魔力は奇跡の力。それを、ボク達の先祖様は恐れて、追い出した」
「追い出された魔法使いは住める場所にたどり着いた。そこは町となって、国となった。そこで生まれ育った私は魔力なし。だけど、魔法が使えなくたって、魔法陣の使い方は知ってる。とうとう成功したわ。戦地にたどり着いた時はどうしようかと思ったけど、上手くいった。キッド陛下はいらっしゃる? 私、彼に会いに来たの。助けを求めて」
「パパは今寝てるかも」
「いいえ、ドロシー様。この時間ですと……王妃様と仲良くスーパーマンごっこしている時間ですわ。邪魔してはいけません」
「ああ、ごめんよ! クライン! パパとママは、よく夜にスーパーマンごっこっていう遊びをしてるんだ。それをしている時は部屋に立ち入ってはいけないんだよ。なぜなら、入った途端、ママが発狂して、ははう……パパからは笑顔の長時間説教が待っているからね。朝になってからでも遅くはないさ。とは言っても、ボクはとても気になることがあるんだ。つまり君が……」
廊下の奥から、走ってくる音が聞こえてきた。ボクはクラインを引っ張り、ベランダから落ちた。後に、駆けつけてきたメイド達が、バルコニーに立つフランチェスカを見つけた。
「フランチェスカ、そこで何してるの!」
「ごめんなさい。アナトラさん。アナスタシア様が落ち着かないというから、ホットミルクを一緒に飲んでいたのだけど……彼女と些細なことで小さな言い争いになってしまって」
「あら、なんだ。そうだったの! 大きな音がしたから何かと思ったら……アナスタシア様が大暴れしたのね。怪我はない?」
「大丈夫です。けれど、マグカップを割ってしまったので、モップを持ってきますわ」
フランチェスカが誤魔化してる間、ボクはクラインと共に箒に乗り、夜空を飛ぶ。クラインが目を丸くし、後ろからボクに声をかけてきた。
「ねえ、あなた魔法使いなの?」
「そうだよ。ボクは魔法使い」
「民の皆が言ってた。ここの国王が魔法使いだって。でも、貴女も魔力を持ってるのね」
「その通り。ボクは魔力を持ってる。国の皆からは、唯一の魔法使いと言われてる。パパは魔法が使えることを隠してるんだ。バレたら、迫害されかねないから」
「貴女は平気なの?」
「平気だよ。……パパとママが、魔法使いがいても、平気な国を作ったからね」
ボクの部屋にクラインを下ろす。ボクも地面に足をつけ、箒をしまった。
「君に聞きたいんだ。ボクは……一年前から、君と全く同じ声の悲鳴が聞こえていた。あれは……君が何かしていたのかい?」
「悲鳴……? 私は貴女に向けて、悲鳴なんて届けてないし、声はなるべく抑えてた。だけど……一年前から……ってことは……そうね。……胸の中で、悲鳴は上げていたかもしれない」
「どういうこと?」
「全部ウィキッドのせいよ」
「ウィキッド?」
クラインが息を吐き、ボクのベッドに腰を下ろした。
「私の叔父らしいわ。お父様の弟。彼はずっと旅に出ていたの。だけど、一年前に帰ってきてから……全てが狂った」
ボクはクラインの隣に座った。
「良ければ教えてくれないかな? ……何があったんだい?」
「あいつが帰ってきてから、国が……」
――そこで、クラインがはっとし、鏡の方向に振り返った。
「来た」
「え?」
「奴らが来た!」
クラインが慌てて立ち上がり、窓の方へ逃げる。
「どうしよう! まさか、ここまで追ってくるなんて!」
「な、なんだい? クライン、一体どうし……」
その時――鏡が突然光り出し……中から、からくり人形が飛び出した。
「!?」
唖然とすると、からくり人形がたどたどしく立ち上がり、丸い目をこちらへ向けてきて――両手を差し出し、とんでもない速さで突っ込んできた。
「うわわ!!」
ボクは慌てて避け、突っ込んだからくり人形は壁にぶつかった。クラインが叫ぶ。
「ドロシー! 逃げないと!」
「な、なに?」
「もう駄目! ここにはいられない! 奴らに居場所を突き止められた!」
からくり人形がゆっくり立ち上がり、振り返る。
「ドロシー!」
ボクは覚悟を決め、箒を再び手の上に姿を出させ、クラインと共に跨り、飛び出すように窓から外へ飛んでいく。からくり人形の姿が遠くなっていく。これで一件落着――と思いきや、からくり人形が羽を出し、ボク達を追いかけてきた。
「なんじゃ、こりゃあ!?」
一体が突っ込んできた。
「うわぁ!」
なんとか避け、振り返ると――からくり人形に囲まれた銀髪の少女が銀色の瞳を光らせ、ボクらを睨んでいた。
(なんだ、あの子……。感じたことがない種類の魔力を感じる……)
彼女の唇が動くと、からくり人形達が一斉に襲いかかってきた。ボクは箒に命令し、からくり人形を全力で避ける。
「くっ、畜生!」
「ドロシー! 私を下ろして! あいつらの狙いは私なの!」
クラインの手が……震えていた。
「貴女を巻き込むわけにはいかない。夜明けになったらまた城に戻ればいい! だから……」
「言っただろ。ボクは魔法使いだ」
ママから聞いたんだ。
「魔法は、人を助けるために使うものなんだ!」
片手に星の杖を出し、からくり人形に構える。頭に集中して、魔力に聞く。あいつを壊すためにはどうしたらいいかな? すると魔力は教えてくれるんだ。頭に浮かぶ文字を、ボクは読んだ。
「小さなミニマム、親指サイズのプリンセス、清らか君は、生き物みんな魅了する!」
杖から光が飛び出し、からくり人形に当たると、粉々に砕けて町の中へ落ちていった。空に残された銀色の少女の瞳が見開かれ、ボクと目を合わせた。背後から、クラインが明るい声を出した。
「すごい! 一瞬で粉々にしちゃった!」
「クライン、今城に戻るのはまずいかな?」
「いいえ! 私を下ろしさえすれば、貴女は平気!」
「それなら朝日が登るまで、戻るのはやめておこう! すごくいい隠れ家を知ってるんだ。大丈夫。あいつらも追ってなんかこないさ!」
ボクは銀色の少女を睨んでから、再び箒を走らせ、見覚えのある森への道を進む。城下町から外れた、一軒の家。たどり着くと、ようやく地面に下り、ボクはドアを叩いた。
「夜遅くごめんなさい! 開けてくれませんか! お願い、先生!」
必死に叫ぶと、ドアが開き――驚いた顔のニクス先生が立っていた。
「ドロシー? どうしたの?」
「わけは後で! さあ、クライン、入って!」
「お邪魔します」
ボクは家の周りに結界を貼り――誰も入れないようにしてから――ドアを閉めた。クラインが胸に手を当て、息を吐いた。
「はあ……。ドロシー、巻き込んでごめんなさい」
「ドロシー、どういうこと?」
「ニクス先生、ああ、先生、本当にごめんなさい。でも、他に頼れるところもなかったんです。テディお兄ちゃんは機密任務中だし、ナーシャねーねは恋の病を患ってるし、エリオットにーには親友のルイスと世界征服の作戦会議中の可能性がある。パパとママはスーパーマンごっこ。頼れるのがニクス先生だけなの。お願い、先生。今晩一晩どうか泊めさせてください。ボク良い子で授業受けますから!」
「ドロシー! ……落ち着いて。ソファーに座って。貴女もね」
ニクス先生がボクとクラインをソファーに座らせた。
「何があったの?」
「からくり人形に襲われて! 悲鳴の主がクラインで!」
「言葉には主語というものがあって、それ使わないとうまく説明出来ないという話をしたよね? ドロシー」
「でも! だって! だが! しかし!」
「私から説明しますわ。その……私は、クラインと申します。魔法使いの国の王女です」
「は」
ニクス先生がきょとんとし――慌てて家の窓が空いてないか確認しだした。しかし、空いてなかったようで、ニクス先生が辺りをキョロキョロ見ながら、声を潜めた。
「あまりその言葉を言わないほうがいい。クライン。ドロシーはキッド陛下の娘で、お姫様だから許されてるけど……他所から来た子がいたら、迫害されかねない」
「貴女も迫害する?」
「あたしはしないよ。……魔法には過去に、色々助けられたことがあるから」
ニクス先生がクラインを見た。
「あたしはニクス。ドロシーの学校の先生なんだ」
「魔法使いなのに、学校に行ってるの?」
「魔法が使えるだけで、ボクは人間だよ。勉強はしないとね」
「私は……学校なんて行けなかった。姫だもの」
クラインが少し……寂しそうに俯いた。
「私は国のシンボル。迫害された魔法使い達が集められた国で生まれ育った。平和で、とても安全な国よ。魔力のない人には見えないから、地図にない国なんて呼ばれて。ある日、ずっと旅に出ていた、お父様の弟のウィキッドが国に帰ってきたの。みんな大歓迎してウィキッドを迎えたわ。だけど……あいつ、反乱を起こしたの」
クラインの声が……低くなった。
「自分達を迫害した人間どもを許すな。今度は俺達の時代だって言って……仲間を引き連れて、お父様とお母様を拘束し、魔力を持った人達を集めて、手当たり次第戦争を仕掛け始めた。だけど、自分達は魔法使いだから……姿を隠すことが出来るから……地図に存在する国と国が互いに攻撃されたと誤解して争い始めた。国は弱まり、潰される。ウィキッドはね、国を潰していき、この世界を魔法使いだけの世界にするつもりなの。だけど……そんなの間違ってる。魔法使いも人間も、命ある限り、共存して生きていくべきよ。お父様もお母様もそれを望んでる。なのに……あいつ、いい年のくせに、私、婚約の契りまで交わされたの! 民を殺すと脅されて、仕方なく! 全てがおかしくなった! ……一年前の話よ」
クラインが自分で自分を抱きしめた。
「声に出さなくても……胸の中で、ずっと叫んでた。誰か助けてって……」
「……」
「ばあやが……言ってたの。この国の王、キッド陛下は魔法使いで……とても強くて……きっと、私達を助けてくれるって。だから、魔法の使えない私は、魔法陣を書いて、等しい価値のものと引き換えに、国から抜け出したの。ここに来るために、色んな所に行ったわ。戦地も、外国も、砂漠も、海も、沢山行って……ようやくたどり着いたの。キッド陛下よ。キッド陛下だけが頼りなの……」
クラインの瞼が下りかけている。しかし、クラインは首を振り、無理やり目を覚ました。
「朝日が登ったら、ドロシー、お願い。貴女のお父様に会わせて。私、国を守るためにここまで来たの。どうかお願い」
「力になるよ。クライン。だけど……」
ボクはニクス先生に顔を向ける。
「城は危険なんだ。追手がいた」
「どうして追手がいたの?」
「わからない。クラインは、居場所を知られたって言ってた。ね?」
「ずっと追いかけてくるの。しつこい奴らよ」
「……気になるな」
ニクス先生がボクとクラインの手を握った。
「ひとまず、今夜はここで休みなさい。ドロシー、結界は張ってる?」
「さっきやった」
「うん。それなら二人とも、もう寝ようか。上の部屋を使って」
「ママの部屋にする」
「ご自由にどうぞ」
「おいで。クライン。案内するよ」
ボクはクラインの手を取って階段を上がっていく。それを見ながら……ニクス先生が受話器を手に持った。ボクとクラインは、昔ママが使ってた部屋に入り、ベッドに寝そべった。――壁に、亡くなったお爺ちゃんと、三つ編みのママの写真が飾ってある。
「とりあえず休もう。睡眠は大事だ」
クラインも頷き、ボクの隣に寝そべり……すぐに眠ってしまった。疲れていたようだ。
(朝日が登ったら、すぐに城に戻らなくちゃ)
ボクも箒を飛ばす体力を取り戻さなくてはいけない。クラインの隣でぐっすり眠った翌日――ニクス先生から、ストップを掛けられた。
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