第2話

 店のスタッフが、ソフィアを見て飛びついた。


「御無沙汰してます! ソフィア様!」

「アナスタシア姫が、授業でドレスのデザインを考えなければいけないと」

「まあ! ぜひ見ていってください!」


 ソフィアがどうだと言わんばかりにウインクした。生意気な女め。――胸がときめいた。


(……はっ、ドレス、ドレス……)


 実際のドレスに触れて、形を見て、なるほど、と思う。この形のドレスも確かにあったわ。ああ、これもそう。これもあった。でも、沢山ありすぎて、一体どれを選べばいいというの?

 目をくるくる回して悩んでいると、ソフィアがあたしの肩を叩いた。


「アナスタシア、あれ」

「え?」


 振り返るとそこには――ウエディングドレス。


(わあ……なんて……綺麗なの……)


 あたしはそのドレスの形を見て、店員に訊く。


「これは、どうやって作っているの?」

「レースを重ねているのです。ほら、こうやって斜めに」

「作り方がわかっていれば、素人でも作れる?」

「もちろん。型があれば」


 あたしは頷き、ドレスを見上げた。


「これを作るわ!」


 美しいブライダルドレス。


「ソフィア、決まったのなら即帰宅よ。デザインを描かないと!」

「決まったみたいでよかった。寮まで送るよ」

「はあ? 何言ってるの?」


 あたしはむすっと頬を膨らませた。


「時間がもったいないでしょ! ここから近いんだから、今夜はお前の家に泊まらせなさい!」


 ――食料庫を開けて、はっとする。


「なんでこんなに食料が豊富なのよ!」


 野菜を切り始める。


「普通! からっぽで! あたしが買い物に走るパターンでしょ! ったく! 用意周到女め! あたしがここに来ること、想定してたんじゃないでしょうね!? いやらしい!」


 完成したポトフのだし汁を飲む。


「完璧」


 サラダを仕上げる。


「完璧」


 焼魚を並べる。


「ふう」


 ソフィアがそれを見下ろし、あたしは両手を握りしめる。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「時間がもったいないんじゃなかったの?」

「あら! あたしの料理の腕に、胃を掴まれそうで怖いってわけ!? 残念ながら、料理も女のたしなみ! あたしの料理に恐れ嘆くがいいわ! どうぞ! 召し上がれ!」


 ソフィアがポトフにフォークを入れた。あたしはパンを食べるふりをして――相手にばれないようにそのフォークを見る。ジャガイモを突き刺した。ソフィアの口へ運ばれていく。十分煮え切ったジャガイモ、キャベツ、ソーセージ、キノコ達。煮れば煮るほど失敗するはずがないポトフという料理を開発した人ありがとう! さあ! どうよ! あたしのポトフ! どうよ!!!!


「……くすす。本当だ」


 ソフィアが笑みを浮かべた。


「腕を上げたね。アナスタシア」


 唇が動く。


「美味しい」

「……。……。……。……当然よね!」


 あたしは立った。


「大変。おかわり用の水を忘れてたわ。持ってくる」


 つんとしたまま、キッチンの中に入り、水瓶を手に取ってから――あたしは狂乱する。


(ぃよっしゃぁああああああああああ!!!!!)


 拳を天に突き出す。


(あたしのソフィー♡に、美味しいって、言ってもらっちゃったぁぁああああああ!!!!)


 壁を叩きまくる。


(あたしが料理下手過ぎて、見かねたドロシーが教えてくれたポトフ!! 大成功! 大成功よ! ドロシー!!)


 壁に寄り添う。


(なんとか部屋に泊まるのにも成功した。……今夜という今夜こそ……!)


 ――あたしのソフィア。その美しい黄金の瞳をこちらに向けなさい。

 ――あん♡ ナーシャ……♡ 恥ずかしいよ……♡

 ――ふふっ。あたしよりもうんと年上のくせに、意外と初心なのね。いいわ。あたしが色々、教えてあげる……。


(なぁーんちゃって! なぁーんちゃって! なぁーんちゃって! どゅふふふ♡♡!!)


 壁を叩きまくり、壁にあたしの手痕が残り始めた頃、はっと息を止め、天井を見上げる。


(しまった! コンドームを買い忘れてた!)


 あたしは制服をポンポン叩きまくる。


(夜の営みには、コンドームってやつが必要なのよね! 避妊は大事! なんか、代わりになるやつは……ない! あーん! あたしのばかばかばかぁー!)

「アナスタシア?」

「ひゃあ!」


 振り返ると、ソフィアがあたしの後ろに立っていて、また悲鳴を上げ、腰を抜かす。


「水の場所わかる……って、大丈夫?」

「だ……だい……大丈夫……に……見えるの……この……巨人……」

「折角の料理が冷めちゃうよ」


 ソフィアが水瓶を持ち、あたしを見て、くすすと笑い、――手を差し出した。


「ほら」

(……ずるい女)


 その手は、昔と変わらず温かい。


(こんなの、惚れるなっていう方が……無理な話じゃない……)


 あたしが物心ついた時には、既にソフィアのこの温かな手を求めていた。ソフィアはいつだってあたしに優しくしてくれて、大泣きした時も、ソフィアに抱きしめられたら泣き止んでいた。ソフィアの腰に抱きついて、ソフィアにくっついて、金魚の糞のようについて回って、だけど、ソフィアがそれでも、笑顔で呼んでくれるの。


「ナーシャ」


 嬉しくて、嬉しくて、ずっと傍にいたくて、幸せで、そんな時に、――あいつが言ったのよ。


「俺達のナーシャ。自分が、ソフィアさんから、母さんの身代わりとして、見られてるかもしれないとは、どうして思わないかな?」


 あの日のことは今でも覚えてる。城の壁を壊したんだもの。あのクソ野郎を本気で殺そうとして、銃という銃を撃ちまくり、隙を見せたあいつの足を引きずり、壁に投げ飛ばし、踏んづけて、殴って、虫の息になったあいつに、とどめを刺そうとしたところで、


「アナスタシア」


【母上様】に止められた。

 エリオットが悪いのに、呼吸が出来なくなるほどの圧をかけられながら説教を受けた。


 泣いた。


 それからあたしは、ソフィアの目が怖くなった。笑顔が怖くなった。別の表情を見たくなった。困った顔、怒った顔。笑顔以外ならなんでもいい。そうすれば安心できる。


 ソフィアが、あたしをテリーではなく、アナスタシアとして見てくれているんだと確信できる。


 だから、ソフィアを困らせた。沢山わがまま言うようになった。でもソフィアは、まるで、なんとも思ってないように、笑顔のままあたしを止めるの。


 違うの。そんな顔させたいわけじゃない。

 困らせたいわけじゃない。

 あたしは、


 ただ、あたしは……、



 貴女に、アナスタシアとして――見てほしいだけ……。



(*'ω'*)



 デザインを描く。色鉛筆を使って、色を塗っていく。ソフィアがお風呂から上がってきた。あたしは集中している。ソフィアがキッチンに入った。あたしは描き続ける。ソフィアが近づいてきた。あたしは気付かない。ソフィアが――あたしの耳に、囁いた。


「ナーシャ」


 ――突然の攻撃に、あたしは舌を噛んだ。


「ふごぉっ!!」

「あ、大変」


 ソフィアが皿をテーブルに置き、悶えるあたしの顎を掴んだ。


「アナスタシア、舌出して」

「あ、あーー……」

「ああ、やっぱり噛んでる。寝る前に薬塗っておくといいよ。洗面所に出しておくから」

(思い切り噛んだ……。でも……耳が幸せすぎたから……後悔はない……♡)

「これだと、プディングは食べられないかな?」

(え?)


 テーブルを見ると、ソフィア特性のプディングが置かれていた。あたしは、ふっ、と鼻で笑う。


「舌の痛みが、プディングに負けると思ってる? なめないで!」


 あたしはスプーンを手に取った。


「あんたのプディング如き、あたしは負けたりしない!」


 口に入れた瞬間――プディングの甘さと――舌の痛みが――同時にやってきた。甘、痛、でも、まろやか、痛、しかし……美味、痛……。


「悪くないわ!」

「無理しないで」

「悪くないって言ってるでしょ! 無理してない!」

「くすす。それならいいけど」


 ソフィアがあたしの肩に上着をかけた。


「今夜は冷えるから、これを着て」

「……うん」


 こういう、なんでもないように気遣えるソフィアが――好き。


「あ、すごい。本当にドレスだ」


 あたしのデザインを見て、ソフィアが驚いた顔をした。


「黄色のドレスにするの?」

「……そう」

「君は、赤いドレスが似合うと思うけど」

「黄色のドレスが好きなの」


 ソフィアの髪の色に似てるから。


「フリルの色をオレンジにしたら、お洒落だわ」

「うん。すごい。本当にお洒落」


 ソフィアがあたしを見る。


「これを着るの?」

「そうよ」

「……うん。確かに似合いそう」


 ソフィアがあたしの髪の毛に触れた。びくっ、と肩が揺れる。ソフィアの手があたしの髪の毛をまとめ始める。その手が、くすぐったい。


「三つ編みでまとめると可愛いかもね」

「美容室で、やってもらうわ」


 三つ編みね、三つ編みでまとめれば、いいのね。


「髪飾りをつけたら完璧だね」

「当然」


 髪飾り、アクセサリーも考えなきゃ。でも、ドレスがメインだから、派手にはできない。シンプルなものにして……。


「見たいな。これを着るナーシャ」


 ――ソフィアを見上げる。


「……ほん、とうに?」


 ソフィアが瞬きする。


「本当に、見たい?」

「……」

「か、……勘違いしないで! お前に気を使いたいわけじゃなくて……お世辞は、いらないと思っただけよ!」


 あたしは、ママじゃない。


「主の娘相手だからって、変なこと言わなくたっていいの!」


 あたし、テリーじゃない。


「本気じゃないなら」


 あたしはお前の想い人じゃない。


「そんなこと言わ」

「本気で見たいって言ったら、見せてくれるの?」


 黄金の目が、あたしを捉える。あたしはその目から逃げられない。吸い込まれるように魅了されてしまう。あたしの体温が上がっていく。固唾を呑む。どうしてなの。


 なんで、こういう時に限って、真剣な顔で、あたしを見てくるの。


 いつも、笑ってるくせに。にこにこしてるだけのくせに。こういう時だけ。あたしと、真剣に向き合う時だけ。


(ずるい、ソフィアは、……ずるい……)


 ソフィアの唇が近い。ソフィアの髪の毛が垂れる。ほのかに、彼女から石鹸の匂いを感じる。そのまま、抱きしめられたい。そのまま、その唇で、あたしの、唇を……。


「……写真」

「え?」

「写真、撮って。それなら、パパとママも見れるわ」


 そうだ。写真。その口実があった。


「何人か呼んでいいの。いいわ。呼んであげる。カメラマンとして」

「……それは……くすす。楽しそう」


 いつものソフィアに戻った。どこか、胸が安心する。


「それなら、色んな子達のドレスも見られるわけだ」

「そうよ。あたしがプリンセス・ドレスの座を獲得するところも、見られるわよ」

「そんなもの与えられなくても、君は綺麗だよ」


 ……。


「そんなの! お前に言われなくたってわかってる!」

(やばいやばいどうしよう、ソフィーに綺麗って言われちゃった……! 絶対プリンセス・ドレスに選ばれないと……! ダイエットして、お肌ケアして、もうとにかく美容に美容を重ねて……!)

「だけど、夜更かしは美容の敵だ。歯を磨いて、もう寝よう」

「はっ……! そうよ。夜更かしはいけないわ! 睡眠は大事なの!」


 あたしは食べ終えたプディングの皿を片付け、綺麗に歯を磨き、――ソフィアのベッドに潜り込んだ。


「それじゃ、お休み」

「ナーシャ、いつもの部屋もあるけど」

「今夜は冷えるから、あんたのベッドを温めてあげようとしてるんでしょ!? おら!! わかったらとっとと来なさいよ!」

「はいはい。お姫様の仰せのままに」


 ソフィアもベッドに入り、――後ろからあたしを抱きしめた。


「お休み。ナーシャ」

「……お休み」


 それからは、ソフィアが寝るのを待つの。ソフィアの寝息が聞こえたら、振り返って、ソフィアの胸に顔を押し付けて、彼女に抱きつく。これで――やっとあたしは眠れるの。ソフィアの胸は、とても安心する。心臓はドキドキしてるけど、気持ちは高まって、好きが飛び出しそうだけど、彼女は今眠っているから、大丈夫。何も聞かれやしない。


「ソフィー」


 何も聞かれないからいいの。


「愛してる」


 そうして、あたしは、――夢の世界へ旅立った。




 手が動く。そっと、上に上げられ……小さな頭を撫でた。長い髪の毛をすくい、落とす。胸に顔を押し付ける彼女は、気持ちよさそうに眠っている。だから、頭を撫でて、囁く。


「そんなにくっついたら、窒息しちゃうよ。ナーシャ」


 もう眠っている彼女の体を、優しく抱きしめた。



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