side➡アナスタシア

第1話


 物心ついた時、あたしは既にその女の手を握っていた。


 彼女がいないと、あたしは涙を目いっぱいに溜めて、わんわん泣いていた。どんな凄腕の乳母も、メイドも敵わない。だから、彼女が仕事をしている図書館に、わざわざママがあたしを連れてきて、彼女の隣にいさせた。お仕事の邪魔はしちゃいけないから、あたしはいつも本を読んでいた。


 本はすごいの! ページをめくれば、色んな世界がそこには存在しているの! 絵本に飽きて、文字だけの本を読んで、また絵本に戻って、読めない字は、彼女に訊いた。


「これなんてよむの?」

「ままはは、だね」

「ままはは……」


 意味は、辞書に載ってる。血の繋がらない母親。あたしは、にっこり笑って、彼女を見た。


「ソフィアは、ままはは?」

「違うよ。私は継母じゃない」

「でも、ソフィアはママみたい。ママじゃないけど、それでもママみたい」


 あたしには母親が二人いるの。母上様とママ。母上様は普段、男のふりをして、あたし達に「パパ」と呼ばせている。ママは――確かにママだけど、でも、母上様もママも母親ならば、ソフィアだって母親で良いじゃない。


「おててつないで!」


 手を差し出せば、ソフィアは優しく微笑んで、あたしの手を握りしめてくれた。

 あたしは――ソフィアの――笑顔が、好きだったの。


「ソフィア、だっこ!」

「くすす。はいはい」


 彼女の腕の中が好きだった。


「ソフィア!」


 彼女に抱きつくのが好きだった。


「えへへ! ソフィア、あのね、お兄ちゃんがね、それで、エリオットがね」


 ある日、エリオットが笑顔を浮かべて言った。


「俺達のナーシャ、知ってるかな? ソフィアさんって、昔は母さんのことが好きだったそうだ」


 ……?


「ああ、好きって、くくっ、まさか、違う、違う。好きだったんだ。愛してたんだ。恋をしてたんだよ。ソフィアさんが、俺達の母さん、テリーに」


 ……。


「いやいや、俺は決して、喧嘩を売りに来たわけじゃぁない。姉さん、可能性の話をしに来たんだ。もしかすると、さ、ね? 愛しい姉さん、くくっ! 貴女は、ひょっとすると、……くくっ! ……ソフィアさんから、母さんの身代わりとして、見られてるかもしれないとは、思わないかな?」


 エリオットは、愉快げに笑っていた。


「我が片割れよ。よーく、観察してみると良い。そうすればわかるはずさ」


 ソフィアはいつも笑顔だった。

 いつしか、その笑顔が気持ち悪いと思うようになった。

 他の表情が見たくなった。

 だから、悪戯した。

 ソフィアのペンを隠した。

 でもソフィアは笑って、優しく、

「こら、いけない子」

 と、叱るだけだった。

 だから、消しゴムを隠した。

 ソフィアは笑って、

「くすす。お仕置きするよ?」

 と、優しくデコピンするだけだった。

 違う。怒って! 怒ってほしいの!

 ソフィアの髪の毛を引っ張った。

 ソフィアは不思議そうな顔をした。

 ソフィアの胸を掴んだ。ソフィアは艷やかに笑うだけだった。ソフィアは怒らない。あたしにいつまでも、優しく、母親のように、優しく、違う。そうじゃない。その目は、違う。違うの。そんな目で見てほしいわけじゃない。やめて、見ないで!


 あたしを、テリーとして見ないで!!!!!


「っ」

「それでは、本日の授業はここまで」


 先生が鞭を黒板に叩きつけた。


「来週までにドレスのデザインを考えてくるように!」

(……あー……あたしとしたことが……ボーッとしてた……)

「アナスタシア様」


 そっと、背中に手を置かれる。


「ランチのお時間です。が、仮眠の方がよろしいですか?」

「大丈夫よ。行きましょう。お腹すいたわ」


 彼女に伝え、共に廊下に出る。あたしはため息を吐いた。


「やばい……。途中から何も覚えてない。あたし寝てた?」

「爆睡」

「課題は?」

「デザインしたドレスを作るため、来週までに考えてくるようにと」

「帰ったらメニーおば様に相談しようかしら」


 彼女に振り向く。


「フランチェスカはどうする?」

「作りたいデザインがあるので、それをベースに作っていこうかと」

「事前に情報を仕入れておくなんて、流石だわ。フランチェスカ。あたしも資料探しに図書室に行こうかしら」

「それならソフィアさんに聞いたらいかがです?」


 フランチェスカを睨むと、クスクス笑いだす。


「昔、ドレスショップで働いてたこともあるとか」

「色んな所で働いてるのよね。あの女。……どうせ嘘よ。本を読んで、その知識を自分がその場にいたかのように言葉を出してるだけ。あの女はね、嘘つきなの。気を付けてフランチェスカ。嘘は最強の武器よ。対抗するために銃を持って近づかないと、搾取されて終わるのよ」


 親指を差す。


「あれみたいに」

「私こそ魔法使い!」


 いかしたスーツを着たクラスメイトのフィッシィを、生徒達が囲んでいる。


「最高の魔法をお見せしましょう! どなたか、銀貨を」


 一人の生徒がフィッシィに銀貨を差し出した。フィッシィがそれを受け取ると、指の間に挟み、銀貨を銅貨にし、銅貨を金貨にし、元の銀貨にし、次の瞬間、銀貨の姿が消えた。


「イリュージョン!」


 あたしは彼の胸ポケットから銀貨を取り出し、持ち主に返した。


「あ!」

「どうぞ」

「ありがとう」

「プリンセス・アナスタシア! また貴様か!」

「フィッシィ、お金を絡ませたマジックは止めてと言ってるでしょ。貴方のやってることは強盗と一緒よ」

「強盗じゃない」


 フィッシィが蝶ネクタイを整えた。


「魔法を見せているのさ!」

「お金を稼ぐに見合ったマジックを見せるのね」

「ふん! 見せてやろうではないか! 私の魔法を!」


 フィッシィがトランプを皆に見せた。そして角を千切る。トランプを揉むと、おっとなんてこと! トランプの角が元通りに!


「イリュージョン!」

「彼のもう一つの手に千切れた角があるはずよ」


 フランチェスカがフィッシィの作られた拳を掴み、無理やりこじ開けると、そこには千切れたトランプの端が隠されていた。


「もっと技術力を磨いて」

「これは素人レベル! 今度こそ本物の魔法をお見せしましょう!」


 次にフィッシィは2枚のトランプを取り出し、それを離すと新しいトランプを取り出し、また次々とトランプを取り出し始めた。これには皆が拍手をした。


「イリュージョン!」

「彼のジャケットの内側にテープが貼られているはずよ」


 フランチェスカがフィッシィのジャケットを無理矢理めくると、そこにはテープに貼られた次のトランプが待っていた。


 あたしはため息を吐き、腕を組んだ。


「いい? 貴方がしていることはただのマジック。ネタも仕掛けもきちんとある。魔法使いって名乗るのは、魔力を持ってからにしてちょうだい」


 そう言って、フランチェスカに振り返る。


「行きましょう。フランチェスカ」

「はい」


 ツカツカ歩いていけば、見学人も去っていく。同情した優しい生徒が、フィッシィに一ワドルだけ残し、去っていった。それを見て、フィッシィが地団駄を踏んだ。


「くそー! あのお姫様め! 絶対にいつか私の完璧な魔法を見せてやる! 覚えてやがれ!」

「相変わらずですわね。フィッシィったら」


 フランチェスカが不満げな顔をしている。


「魔法のことを何もわかってない」

「本物を見たら、簡単に魔法なんて言葉、出せなくなるわ。ドロシーを紹介してあげようかしら」

「友人として意見します。お考え直しを。ナーシャったら。あんな雑魚に、愛しくて仕方ない小さなドロシー様を会わせるなんて、精神および身体衛生上悪いです。命令ということであれば、フランがいつでも処しますから」

「大丈夫。そこまで頼んでない」


 分かれ道だ。足を止め、フランチェスカに振り返る。


「解散よ。あたしはこっちに行くわ。フランチェスカは?」

「ドロシー様の元へ」

「今日も頼むわね。守ってやって」

「お任せを」


 フランチェスカが腰にしていたベルトから鎖と鎌を取り出し、遠くへ飛ばした。そして、そのままその方向へ素早く飛んでいく。


(さて、あたしは課題のため、本を探さなくちゃ)


 国内で5番目に大きな学校の図書室へ入る。勉強するには、ここが一番いいのよね。


(今日も静かで良いところ……)

「実は、前から愛してました。僕の恋人になってください。ソフィアさ」


 カウンターに目掛けて、躊躇なくバズーカを撃つと、男子生徒が窓から飛んでいく。なんかもー嫌なかんじぃー!


 それを見届けた――カウンターにいる――金髪の――黄金の瞳を持つ女が、あたしを見た。あたしも女を見た。そして、可愛い瞳を鋭くさせて、大きな音を鳴らして、カウンターへ近付いていく。


「いい年したババアのくせに、男子生徒に手を出したの? いやらしい!」

「出してないよ」

「図書室で淫らな行為はやめてくれる!? ここは! 神聖なる勉強を求める生徒のための本の都なのよ!」

「わあ、何それ。素敵な表現」


 くすす。


「本の都。私も使って良い? アナスタシア」


 パパの左腕の、ソフィア・コートニーが、美しく笑った。あたしは片目をピクリと痙攣させ、ソフィアを睨んだ。


「あんたね、平民のくせに、お姫様に言うことないの?」

「? ああ。……くすす。今日も綺麗だね」

「違うわ!! 馬鹿!! ご機嫌よう! アナスタシア様! だろうが!! この!!! たわけ!!!!」

「あーはいはい。気分いかが?」

「最悪よ! なんでお前がここにいるのよ! 中央図書館は!?」

「本日はこちらの図書室への派遣日」

「最低よ! あたしがどんな本探してても、声かけないでよね!」


 あたしは本棚の街へ向かい、ソフィアのいるカウンターを後にする。しかし、すぐ戻ってきて、カウンターを両手で叩く。


「どうして声をかけないの!?」

「君が声をかけるなって言ったから」

「あたしは姫よ!? 主の娘なのよ!? お前は! あたしが探してる本のある場所へ! あたしを案内しなければいけないと、なぜわからないの!?」

「はいはい。わかった。くすす。仕切り直すよ」


 ソフィアが立ち上がり、はっとしたあたしが見上げると――頭を撫でられ、髪の束を持ち――キスをされる。


「ご要望は? お姫様」


 胸が高鳴る。


「……、……、……、だから……、……つまり……、……あの、……、……、探してるの。……、……、えっと……、……、……本……」

「何の本?」

「……、……、……ドレス……」

「ドレス? ああ、デビュタントが済んだから……次の舞踏会の準備?」

「授業で……作るのよ。ドレスを」

「授業で? はぁ。そんなこともするんだ」

「そうよ。それで……プリンセス・ドレスを……決めるんだから」

「プリンセス・ドレス? 何それ」

「あら! 知らないの!? はぁー! これだから平民はいけないのよ!!」


 持ち直したあたしが優位に立つ。


「仕方ないから教えてあげる!」


 あたしが選択した科目であるデザイン科では、自分達でドレスを考え、作り、着て、ファッションショーを行うのである。その中からより優秀で、美しく、輝いていた者に、プリンセス・ドレスの座が与えられる。


「レディにとって、プリンセス・ドレスの座を与えられることは、名誉あることなの。見てごらんなさい! みんなダイエットを始めてる!」

「やっぱりお腹空いた! お菓子食べちゃお!」

「健康的に」


 ソフィアを見上げる。


「だから、ドレスのデザインを考えなければいけないの。わかったら参考になりそうドレスが書かれた本のある場所へ連れていきなさい」

「本はないけど、連れて行こうか?」

「え?」


 ソフィアが立ち上がると、背後にあった扉を開け、事務所に入っていった。


「ちょ、ちょっと? ソフィア?」

「すみません、あの」


 中で、ソフィアが名演技を始めた。


「なんだか……けほけほっ……体調が良くないようで……」

「え!? ソフィアさんが!?」

「早退しても……?」

「もちろんです! どうぞお大事に!」

「くすす。ありがとうございます」


 鞄を掴み、颯爽と事務所から出てきたソフィアを、じー、と見ていると、ソフィアがあたしの肩を押した。


「ほら、行くよ。本よりも実物」


 そう言われ、ドレスショップに連れてこられた。


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