-日曜日、否定するところの神と、巻き戻る「世界」砕けた骰子(1)-

 そしてマコトは目を覚ました。

 いつもと変わらぬ自分の部屋、ベッド、本棚。すべて夢だった? 否、裸足はだしに残る感触はタケシの家のつめたいかわらの物だった。


 メフィストは、は実在するのだ。

 スマホを確認するとアキヒコからメールが入っていた。


『toマコト 明日どうしよう? タケシの家に行って様子を見てみる? 勿論まだ体調が回復していなかったらいいんだ、おれ一人で行くことになるけど』


 冗談じゃないこんな機会を逃してたまるか風邪など気合だ、気合で治す。

 アキヒコはガラケーなのでメールで返事を書いた


『だいたい風邪は良くなったよ、明日は行けそうだ。足はあるのかい? 家までくれば送るけど』


 そう返信してマコトはスマホを充電器に繋ぐと寝る前のカラフルな薬を服み、布団に潜り込んだ。


 目を閉じると暗闇が広がりマコトは暗闇に、真の闇に放り出された。

 其処には夜の森も、鮮やかな花火もなく、ただひたすら孤独な闇があった。

 まだ体がだるい、メフィスト。あいつが無理やり治ってもいないうちから連れ出したりするからだ。

 悪魔野郎め。だが間もなく睡魔が訪れ暗闇から一転して理不尽な劇場が始まった。


「黙れローラン」


「なんだと!?」


 激昂げきこうしてマコトは振り向いた、筋骨隆々の美丈夫、メフィストフェレスだ。


「此処は暗すぎる、光あれ」


 果たしてそこは真っ白な空間となった。


「光に愛されぬ者の言葉とは思えないね」


 ぼんやりと灯った不思議な明かりに照らしだされたのはアキヒコだった。

 マコトには驚愕きょうがくというよりも安心感の方が不思議と湧いてきた。


「明日、タケシの家に行くのだろう?」


「悪魔は何でもお見通し」


 アキヒコは呆れて見せた。


「そりゃそうさ君たちが何か余計なことを訊いたりしないか、事前にチェックしなくちゃね」


「何故お前のチェックが必要なんだぼく等は訊きたいことを訊き、話したいことを話す、それの何が悪い?」


「こっちにもこっちの都合があるのだよ、アキヒコくんならわかるかい?」


「解かりませんね」


「まあいい、二三言ってほしくないことがあるだけだ、無論言わないとは思うがね」


「どういうことだメフィスト?」


「まず鳥の王の正体について感づいていても絶対に言わない事」


「は? 未だに鳥の王は正体不明だぜ?」


 アキヒコは面食らってシドロモドロ言った。


「次に此の私の存在について話さない事」


「話す必要なんてないだろ」


 二人は段々と呆れてきた。この悪魔はどれほど虚栄心が強いのか。


「それよりどうして同時に二人の夢の中に入れるのだい?」


 もっともなことをアキヒコが聞いてきたのでメフィストの方がしどろもどろになっていた。


「それはだね、私は悪魔であると同時に神でもあるからだ」


「ソロモンの72柱の魔神」


「そう、れっきとした神だ」


「入ってたっけ?」


 二人は顔を見合わせた。


「神であるとともに悪魔とされた、あのふるいじじいに」


メフィストの言葉に二人は顔を見合わせた。


「知らない方が身の為さ」


「いやさ、多分エロヒムとかシャダイとかについて言ってるんだと思うんだけど」


「参った、まいった。良く出来た子供たちだね君たちは……!」


 メフィストは大袈裟おおげさに驚くと。今度は、


「暗闇よ来たれ」


 と言いその通りになった。


「おやすみ諸君」


その声を聴くや否や問答無用でマコトの意識は本当の意味での闇へと落ちて行った。




 相模原の山奥に分校などない。


 日曜日、テスト前の貴重な休みだというのに律儀りちぎにアキヒコはやってきた。


「悪いねテスト前なのに」


「お互い様だろ、マコトそりゃ言いっこなしだ」


此処ここまでどうやって?」


「父さんに送ってもらったよ」


「あちゃー、迎えに行くべきだったかな、悪いことをした」


 話している間に母が玄関から出てきていた。


卜部うらべくんとこ行くんでしょ?」


「あ、はい……」


 物怖ものおじしない母にアキヒコは少し驚いたようだった。


「卜部の山葵わさびったら有名だからね、乗せてくよ。マコト! ぼさっとしてないで吉村君を後部座席に案内しなさい」


「入ってどうぞ」


「お邪魔します」


 アキヒコは何度か乗った狭い軽の後部座席に滑り込んだ。続けてマコトも隣に座る。


「タケシへ至る山葵田わさびだへ至るタケシ、出発」


「言われなくても行くわよマコト」



 やがてもっと山深い道を赤い軽は走り出した。

 後部座席の二人は気が気ではない、何せマコトのおばさんの運転なのだ、峠を攻めているのではないのだから。

 シートベルトを締めていることを確認する。

 道はやがて一車線となり対向車をやり過ごすスペースのある細い道となった。

 後部座席の二人は気が気ではない。

 そのうちガードレールすらなくなり、落石注意の看板まで現れた。


「ちょっととんでもない所に来たな」


「タケシの家ってこんなに山奥だったんだ……」


 かく母の運転が気が気ではない。

 母は既に運転に必死で無言になっていたので、二人も無言でそれに接した。

 いくつかの峠、カーブ、坂道を越えようやく一つの古びた看板が車窓しゃそうから目に入った。そこには、


『卜部山葵園』


と、大書されていたがさびだらけで判別も難しい。


「着いたのね~ん」


「いやまだあと一キロとかじゃないのか?」


「吉村君残念! 駐車場がありました!」


 母は砂利じゃりの駐車場に軽を頭から停めると(バックから駐車ができないので)二人を下した。


「お母さん卜部君の両親に挨拶してくるから宜しくね」


 そう言うと武井クミコはそそくさと山葵園わさびえん母屋おもやに入ってしまった。


「僕たちも行きますか」


「そうだな」


 霧雨の中、二人が歩き出すと母屋と山葵製品の販売所は山の下にあり、裏山の中腹が山葵田となって清涼な水がきらきらと流れていた。

 あの晩観た山葵田と昼間見るそれはまるで違うものに見えた。

 何せ夜の山葵田は星々を吸い込んでもう一つの宇宙を映し出していたからだった。

 あれがきっと鳥の王の言う反宇宙に相違なかった。

 だから日頃あの光景を見ていたタケシは鳥の王の言葉を信じたのに違いないのだ。


「おーい、武井!」


 アキヒコに呼ばれて考え事をしていたことにマコトは恥じ入った。なんたる失態。

 急いで母屋の手前にいるアキヒコのもとまでマコトは駆け出した。


「おじゃましまーす」


 雨のせいか余計に暗い母屋に入ると陳列棚ちんれつだな一面に山葵漬けや山葵の和え物、練り山葵など様々な種類の物、大きさや味付けの異なる物が置かれていた。


「全て商品なんだろうか、ねえ」


「母さんが帰りに買って帰りそうだ……しばらく山葵料理が続きそう」

             

 商品のコーナーの奥が住居スペースのようで二人はかしこまって上り込んだ。


「卜部さーん、吉村と武井ですお邪魔しまーす」


「しまーす……」


 廊下は暗く板張りでだだっ広く右へ行っていいのか、左へ行っていいのかさっぱり解らなかったが、かすかに明かりが漏れている方がどうやら居間らしい。

 みしみしきしむ板の間を二人は渡って、ようやく卜部家のリビングへと辿り着いた。


「あらいらっしゃい、吉村君と武井さん」


 ソファでマコトの母と話していたタケシの母と思しき女性が振り向いて声をかけた。


「マコト、ちゃんと卜部君のお母さんに挨拶なさい」

 

「こんにちは、初めまして武井マコトです」


「吉村アキヒコです」


「あははは、緊張きんちょうしなくていいのよ、二人とも掛けて。今麦茶をお出しするわね」


 言われるまま二人はソファの空いてる席に腰かけた。

 程なくして卜部夫人が二人分の麦茶を持って戻ってくる。


「ごめんなさいねお茶請ちゃうけが山葵漬けで、どうぞつまんで頂戴ちょうだい


 しばし無言のままマコトとアキヒコは麦茶を飲み、山葵漬けを食べた。


 ここまで来るのにかなり喉が渇いていたらしい。それを武井クミコは見ていたがとうとう口を挟んだ。


「二人とも何をしにわざわざ卜部さんの家まで来たか言わないと」


 そう言われて二人は顔を見合わせて、お前が言えよというポーズをを取ったがついにマコトが口を開いた。


「タケシ君に会いに来たんですよ。ユウナが田中ユウナちゃんが、最近なにか様子が変わったと言うので」


「オレもそう思います。何か今まで言わなかった変わったことを言うようになったので……」


 怒られるかな、と思いマコトもアキヒコもヒヤヒヤしていたのだが、卜部夫人のリアクションは予想外のものだった。


「そう心配してくれてありがとう、タケシは確かに最近おかしいの。ひとり言をぶつぶつ言うようになったし、今までより反抗的になったわ。その上今回の停学。もうどうしていいかわからなくて……食事以外は部屋にこもりっきりよ、相談に乗ってくれるなら本当に助かるわ。会いたがるかわからないけどタケシに会ってあげて」



武井メモ

山葵漬け:山葵の茎を酒粕で漬けたもの、美味。

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