-火曜日、鳥の王のはばたきと、マコトの「芸術」骰子の目は二(2)-

 このままじゃまた眠れない。

 天井を見ながら尚もまたマコトは溜息ためいきをついた。

 どうせ勉強するのは英語一科目なんだしそうだ、お絵かきお絵かき……


『救いの山に逃げ込んだものだけが聖杯の在り処を知っている』

 だったっけ? ゲームの影響受けすぎじゃない?


 ごろりと起き上って勉強机に向かうと、コピー用紙を取り出しマコトは何らかを描き始めた。


 それは昨晩の混沌とうって変わった秩序ともいえる美しい絵だった。花冠を被った女性が手に杯を持ち下半身は今にも飛び立とうとしている蜻蛉とんぼだ。うねる髪は秩序ちつじょ正しく波を打ち、彼女を縁取っていたし、杯からこぼれた雫がはねとなり彼女と連なっていた。


 やがて食事に呼ばれるとマコトは絵を放棄して立ち上がった。


「それでね、最近の自動運転ってすごいのよ、ハンドル離してもアクセル踏まなくても走るの」


「へぇ、そうなんですか」


 お母様、貴女がその話題を持ち出しますか。


「でもそれが進んでるのが残念なことに、日本じゃなくてEUなんですって~、あ、マコトお替わりは?」


 母はマコトに卵豆腐を勧める。


「いや、ぼく卵アレルギーあるし、一つで充分。こっちの煮びたし貰うよ」


「でもね、完全自動運転の車が流通するようになるのはちょっと先のことみたい、残念~」


 そう、武井クミコ様あなたが、いの一番に買うべきですよ。


「ごちそうさま」


「あら今日はがっつり食べたじゃない? ダイエット止めたの?」


「元からダイエットなんてしていないよ、誤解しないで」


 そう言ってマコトは二階の自室へと消えた。


 もう部屋を閉め切るには暑いな。

 そう一人ごちてマコトは扇風機せんぷうきのスイッチを入れた。

すると先ほど描いた、秩序のマコトともいえる美しい絵が勉強机から舞い上がり、ベッドの上に着地した。

 それはマコトにとって昨日の地獄絵図と同じくらい観ていられない物だった。

 こんな美辞麗句びじれいくで塗り固めた、おべんちゃらに何の価値があろう? 少なくとも昨日の絵の方がましな出来栄えだった。

 こちらの方が称賛しょうさんする人間は沢山いたとて、そんな称賛はマコトにとって害悪でしかなかったのだから。

 だからこの絵は破いた。

 破り捨てた。

 いずれわかる、己はサリエリ足りえてもアマデウスとなることは決してできないであろう。

 芸術がそれほどまでに残酷であることをマコトは既に理解していた。

 破いた絵をゴミ箱に捨てた後、マコトは再び勉強机に向かっていた。


 勉強のためではない。

 夕方、ユウナから聞いたことを整理するためだった。


 鳥の王、とは何者であろう? マコトが鳥の王と聞いて思いつくのはエッシャーとシムルグの二者だけだった。常識的に。


 おまけに鳥のマスクも装備中。

 バカバカしい。

 カタリ派の隠し財宝か……それも何世紀にも渡って言われてきたことじゃないか? いまさら何を? 目新しさも何もない。

 そも聖杯の探求はマグダラのマリアが南仏に聖杯を持ち込んだという伝説に端を発しており、今現在において何ら新しい情報はない。


 では鳥の王は何故今さらそんなことを蒸し返すかのように言うのか?

 そして鳥の王とは何者だろうか?


 我々に近しいものということだけは解っている。

 そうでなくては不自然な点が多すぎるのだ。


 そしてマコトは今度は混沌でも秩序でもない『どうでもいい』絵をコピー用紙に描きはじめていた。

 それは精神の安定にもなるし、頭に浮かぶバカな考えを払拭ふっしょくするにはそれが一番だということも熟知していた。

 そしてそれが描きあがるころには夜も更け、眠りのとばりがマコトの脳髄のうずいおおわんとしていた。


 眠れるのだろうか?


 降りしきる雨音の中、試しに床に入ってみると、たちまちマコトは眠りへと滑り落ちて行った。



武井メモ

聖杯:キリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯。

マグダラのマリア:新約聖書中の福音書に登場する元娼婦の女性、イエスに従った。

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