-木曜日、マコト怪力乱神を語る、ユウナとタケシの事件。骰子の目は四(1)-

 相模原の山中に分校などない。



 木曜日。

 今日も雨は降り続いている。

 今朝は小雨だったのでマコトは愛車のカブで出掛けようとしたのだが、母の


「路面が滑って転倒したらどうするの」


 の一言で軽自動車に押し込まれてしまった。

 武井マコトの指定席は決まって助手席だった。

 車は平坦な緑の中をくねくねと走り続け目的地に到着すると、


「迎えに来るからちゃんと連絡を入れるのよ!」


 という母の声を尻目に傘をさすのも忘れて下駄箱に向かって走り始めた、もう恥ずかしい。



 ようやく放課後になり武井マコトはユウナと二人きり――適所だと思ったので美術準備室に入り内側から鍵をかけた。

 ここなら誰も入ってこられないし、小声で話せば誰もいないと思われるだろう。

 部屋にはいずれも石膏せっこうの三角形や円柱、そして昨日のモリエールだけではなく棚にズラリと置かれたマルス神や、ガッタメラ、裏切り者のブルータス、ミケランジェロ、カラカラ帝、ヘルメス神……等が二人を見下ろしていた。


「なんだか気味が悪いわね、マコトはいつもこんな胸像きょうぞうに囲まれて描いているの?」


「ここでは描かないよ、美術室までこいつらのいずれかを運んでそっちで描いているから」


 どうやらユウナはこの胸像の群れに畏怖いふしているようだった、さっさと話しは終わらせた方がいいだろう。


「ともかくまず鳥の王はカタリ派と聖杯の話をしたわけだね」


「ええ、でもカタリ派なんていったい何のことやらわからなくて……」


「アルビジョワ十字軍」


 武井マコトは身を乗り出してユウナにスマホをに表示されている記事を見せた。



1147年、法王エウゲニウス3世はアルビ派の増えていた地域へ説教師たちを派遣し、アルビ派信徒を穏健にカトリック教会へ復帰させようとした。しかし、ごくわずかな成功例を除けば、ほとんどの人が耳を傾けず失敗に終わった。

その後、トゥーレ教会会議や第3ラテラン公会議においてカタリ派(アルビ派)の禁止が正式に決定された。当初は法王が南フランスへ特使を派遣し、アルビ派信徒達にカトリック教会への復帰を呼びかけるという方法がとられていたが、南フランスに割拠していた領主達がフランス王権の及ばない範囲において法王庁の影響力を及ぶことを嫌い、その後押しを受けた地元の司教達も法王使節の介入を拒否した。

アルビジョワ十字軍は、レスター伯シモン・ド・モンフォールが総指揮をとって南仏を制圧した初期(1209年 - 1215年)、トゥールーズ(トロサ)伯レモン6世を中心とした南仏諸侯が反撃した中期(1216年 - 1225年)、フランス王が総指揮をとり南仏を制圧した終期(1225年 - 1229年)に分けられる。



「これ、世界史の授業では習ってないね」


「大学の史学科しがくかとかに行かないとやらないんじゃないかな。タケシは救いの山とか言ってたよな」


「ええ、確かに」


「十字軍とアルビ派の最終決戦の場が救いの山モン・セギュールだ。そこにマグダラのマリアが南仏に持ち込んだ聖杯が今でも隠されているとかなんとか」


随分壮大ずいぶんそうだいな話になってきたわね、アルビ派ってカトリックとどう違うの?」


「世界の創造主として崇められているのは実はいつわりの神で、本当の神は他にいるという思想。すんごく端折はしょった説明だけど」


そう言って武井マコトはいちごポッキーを口に運ぶと、ユウナにもそれを勧めた。


「本当の神……まるで鳥マスク男が自分は本物の神みたいな物謂ものいいをするから吃驚びっくりだわ」


 ぽりぽりとユウナはポッキーを食べる。


「まあ、すべからく密教というのは、神の正体は人間なんだよ、たとえば鳥の王なんてうってつけの名前で。こりゃ計算づくで来てるなあホント、殺されないように気を付けないと」


「ちょっと止めてよマコトまで!」


「悪い、悪い! 勘弁かんべんな」


武井マコトは慌てて謝辞しゃじを示すと提案した。


「もういい加減な時間だし、母さんに迎えに来てもらうから一緒に送ってもらって帰ろう」


 そう言って美術準備室の鍵を開け引き戸を開けると恰幅かっぷくのいい少年がいた。


卜部うらべタケシだ。まさか今までの会話を聞かれていた!? 

 タケシはユウナの腕を彼女が顔をゆがめるほど握りしめるとこう言った。


「オマエ達、楽しいお喋りにオレ抜きか? オレ抜きでこっそり密会か?」


「や、めて……痛い、タケシ」


タケシは力を抜こうともせず、益々ユウナの腕を締め上げた。


「つ……」

 最早痛みのためうめくことしかできないユウナは、普段の愛らしい顔を顰める。マコトが止める間もなくギリギリと半袖の腕を締め上げる。


「止めろタケシ!」


 マコトの制止も聞かず、ぎりぎりとユウナの腕を苛む。


「武井、元はといえばお前が悪いんだ、ユウナにわれるまま勝手に鳥の王の話を聞いた。オマエも同罪だぞ? ユウナの痛みはオマエの痛みだマコト」


「じゃあぼくを締め上げればいいだろう、チョークスリーパーでもなんでも受けてやる。何故そうしない? そうやってユウナを痛めつければつけるほど彼女の気持ちはあんたから離れていく、何故わからないタケシ!?」


 そう言われてタケシは呆けたような表情になりようやくユウナを解放した。すぐにユウナは床に倒れ伏した。

 ユウナの額にはじっとりと汗が浮かび上がっていた。

 夏服の袖からのぞく二の腕には徐々にあざが浮き出始めていた、それだけタケシの力が強かったということだ。

 可哀想に痛みのために呻くことしかできないのだ、保健室に連れて行かなくては。

 だが当の本人はそんなことお構いなしに彼女に詰問きつもんした。


「ユウナ、どういうことだ? まさかオレと別れる、なんて考えてるんじゃないだろうな?」


「まー、暴力振るわれてついてく女の子なんていないね」


「マコトは黙ってろ!」


タケシはすさまじい悪意のこもった目線を武井マコトへ向けたがマコトは全くそれには動じなかった。


「こりゃ保健室だな、痣になってるし先生にも報告しないと」


「これはオレとユウナの問題だ、他の誰も関わらせない、武井、お前だって例外じゃない」


「ほう、では鳥の王も無関係だというのだな?」


「ユウナ! どこまでマコトに喋った!?」


「……救いの、やま」


 やっとのことでユウナはしぼり出した。ともかく女友達が彼氏それも面識のあるどころか自分の友人のタケシにDVされて黙ってるわけにはいかなかった。


「武井はカタリ派について知っているな?」


「まあ、一通り。さっきユウナに解説したし」


「知らないままで良かったんだよ! 余計なことしやがって」


……知らないまま? 何故知ってはいけない? 謎だらけだ。


「ともかく今回の事は生徒指導の教諭には報告するし、ユウナは保健室へ連れて行く」


 マコトはきっぱりそう言った。マコトがそう言うやいなやタケシはまだ座り込んでいるユウナを強引に立たせ、走り出した。


「ちょ、なにやって――」


 マコトは追いかけようとしたが、美術準備室は二階。

 タケシは小柄なユウナを背負うと全力で走り出した。

 階段も二段抜かしだ、危なくて見てられないが、追いかけてもなお足の速いタケシには追いつかない。

 とうとう上履きのまま駐輪場ちゅうりんじょうまで行くと丁度タケシが豪雨の中、愛車のヤマハFZX750のエンジンをかけているところだった。

 あろうことかユウナを後ろに乗せている!

 しかし本当に凄まじい雨だ。

 マコトは下着まで濡れているのを実感しながら、それでもタケシを止めるのに精一杯叫んだ。


「ちょ、拉致らちってんじゃねーぞ!! オマエ何してるのか解かってるのか?」


「自分の彼女を家に送るだけだ、ごく普通の行動だろ?」


 くぐもった声がタケシのフルフェイスの奥で笑うと凄まじいエンジン音を立ててマコトが口を挟む間もなく、駐輪場をこれ以上ない加速で出て行った。



武井メモ

アルビジョワ十字軍:南フランスで盛んだった異端アルビ派(カタリ派と同義)を征伐するために、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍。1209年 - 1229年

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