-水曜日、「月光」と『破壊の破壊』、夢の中の虎。骰子の目は三(2)-

「ところでマコト、『破壊の破壊』の上映会を開いたら来るかい?」


 アキヒコは不意に話を変えた。


「んーそうだね、ぼくもあの映画は途中までしか知らないから、見たいっちゃあ見たいかな?」


「そう、武井くんは賛成と、で、田中さんは?」


「えっ」


 ユウナは話を振られて、吃驚びっくりした。


「あの映画は私には難解なんかい過ぎると思うのよね、なんだろう芸術路線げいじゅつろせんというか」


 普段、乙女ゲーム等の映画化や2.5次元舞台ばかり見ているユウナには『破壊の破壊』はやはり難しいということだろうか?


「ねえ、マコト『破壊の破壊』ってなあに?」


 あ~めんどくさい人に訊かれてしまった。アキヒコが車中で話題を振るから!


「ヨーロッパ映画! 二十年くらい前に取られたやつ」


「え~、お母さん俄然がぜん興味あるわ~」


 母はアクセルに力を込めた。車のスピードが上がる、止めてくれ!


「武井さんのお母さんも興味ありますか、とても変わった映画ですよ。それに内容も素晴らしい」


「確か去勢きょせいされたとかいう信仰告白から始まるんだよね?」


「まあそんな感じかな実際見てもらうとわかるけど」



 市街地の手前でアキヒコとユウナを降ろした。

 友人と別れ、母と二人きりになったマコトは車窓を眺めた。

 走り続ける軽自動車。

 どこまでも広がる緑、だがそれは雨に浸食されている。

 正面からは時折ワイパーが作動しガラスの視界を保護していた。

 親子は無言のまま緑色の再生産される車内という牢獄ろうごくに閉じ込められたようだった。

 結局母の夕食の買い出しにもつき合わされ、帰宅したころには18時を回っていた。

 夏至が近いとはいえ先週から降り続く雨の為その暑さも明るさも感じられなかった。


 適当に宿題を終わらせて入浴すると、まだ水曜日だというのに武井マコトは疲れ切っていた。

 別にモリエールのせいじゃない、昨日ユウナの『鳥マスク男』が気にかかっているのだ。

――カタリ派ねえ。

 自分の周囲を見回してみても、そんなことを知っているのは世界史の教諭と自分だけではなかろうか? 眠れない。

 するとLINEがユウナから届いてきた。文面を見るとひどく取り乱している。


『ねえ、マコト相談したいことがあるの、今いい?』


『ぜんぜん構わないよ』


 と、マコトは打ち返した。

 直ぐにユウナからの通話が入ってきた。ひどくあせっている様子だ。どうしたというのだろう?


『魂の運び手、鳥の王シムルグが私を殺せと言ってきたの!』


『なんだって!』


 武井マコトは仰天してその一言を言うのがやっとだった。


『殺すとかありえないな。で、タケシは何て言ってるんだ』


『わからない、でもシムルグの言うことは絶対だって言っていた』


『どれだけタケシが魂の運び手とやらを信用してるかはわからないが、かく正気じゃない。随分ずいぶん短期間に洗脳されたな、タケシに神秘主義の素養なんかあるわけない。おそらく簡単に素晴らしい考えだと信じ込んじまった可能性が高い』


『そういえばタケシといえば変な詩と格闘ゲームよね』


『ふむ、免疫めんえきがない、免疫がないから素晴らしいものに出会ったように感じた。だが何故君を殺せなどと――』


『もっと死んだ方がいい人間なんてこの学校も含めて、沢山いるわよ』


『全くその通りだ。他に思い当たる印象的なことは言っていたかい?』


『そういえば……』


『自分が死んでも世界は存在し続けるのか、自分が死んだら世界はなくなるのかって言ってた』


唯物論ゆいぶつろん唯心論ゆいしんろんか。本当に免疫がないな』


『マコトが知り過ぎてるだけじゃない?』


『まあ、ぼくの守備範囲しゅびはんいではありますな、絵を描くには様々な知識――雑多な小ネタに至るまで知っていた方が優位に立てるんだよ』


『マコトの場合は趣味も兼ねてるじゃない』

 

 そこで初めてLINEの向こう側でユウナが笑ったようだった。


『詳しいことは明日学校で話すから、タケシの居ないところで』


『らじゃ』


 そう言ってマコトはユウナとの会話を終了した。

――タケシ、いったい何を考えている? 鳥マスク男とは誰の扮装ふんそうだ? ユウナを殺せだなんて穏やかじゃない。

 ユウナが死ぬことによって何か得をする人物なのだろうか? 益々解からない。

 武井マコトはベッドに横になると今晩も夢のとばりに落ちて行った。




「守備は上々細工は流々。どうかねマコト君」


 いつもの黒い影がにゅっと姿を現す。そうだここは夢の中。


「君は自分で描いた絵を随分ずいぶんとぞんざいにするのだね」


 そう言うと黒い影はマコトが捨てた地獄絵図じごくえず蜻蛉とんぼの絵を再生し始めた。紙が影の両手でものすごい勢いで元通りになっていく。


「やあきれいな絵が姿を現した、ほかの絵同様部屋に飾っておけばいいのに」


「ぼくにも気に入る絵と気に入らない絵があるんだ、描いた絵が一々お気に召していたら部屋中絵で沢山だろう?」


「何故この二枚の絵は気に入らなかったんだい?」


「なぜ夢の中の黒い影に説明しなくちゃいけないんだい?」


「芸術というものは、不思議だ。それは芸術家にしかわからない」


「わからないなら黙っていてくれないか、棒人間」


「棒人間! そう呼ぶかね?」


 黒い影はケタケタと笑い出した。


「ほかに何と形容しろと? 本来の姿があるならそろそろ見せろ」


「残念まだその段階にはないよマコト君替わりにもう少し君の、」


 コホンとそいつは咳をした。黒い物質がぺりぺりと剥がれ落ちる。


「興味を引くものを今晩はお見せしよう」


 唐突に黒い影はマコトのまぶたおおった。それは一瞬の出来事だったので、マコトは何をされたのか皆目見当もつかなかったが、再び目を開くとそこにいたのは見事な一匹の虎であった。


 シベリアの王たる虎。堂々とした、獣の中の獣。

 彼の王はゆっくりとマコトと黒い影の前を歩いている。


「やあ、これは見事な夢の虎よ」


「どうやって虎を出した?」


「君の想像力から」


 虎は距離を取って決して二人には近づかなかった。


 ただ、その間にも毛づくろいしたり、横になったり、こちらを見てえたりしていた。


 マコトはの虎をえがきたいという、何ものにも替えがたい欲望に突き動かされているのを感じて、ひどく恥じ入った。


「いいんだ、夢の虎を描いてもいいのだよマコト君」


 影は意外にも優しい言葉をマコトへ投げかけた。


「ただ、目が覚めてから思い出せばいい。それだけのこと」


 そう黒い影が言うとマコトは雨音の中、心地よい奈落ならくへと落ちて行った。



武井メモ

シムルグ:ペルシア神話の鳥の王である。数々の逸話を持つ。

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