第72話 戦後

 爆発が引き起こした衝撃は大気のハンマーとなって大陥没周囲の崖を吹き飛ばす。同時に地震波となって周囲の土地を大きく揺らした。ダールウッド周辺にいた者達はこの世の終わりではないかと語りあう。馬車の中でシエスタの治療を受けながら、ジョゼフもその衝撃を感じていた。


 痕が残ったものの運動機能には障害が残らずにジョゼフの火傷の治療が終わる。フォーゲルの進言を入れ、大事を取ってダールウッドに帰還すると大陥没に物見を出した。偵察に出した者からギザースが影も形も無く吹き飛んだとの報告を受けて、住民の顔に生気が戻り、次第にダールウッドは歓呼の声に包まれる。かなりの人的損害は発生したものの非戦闘員には被害が及ばずに済んだのは奇跡と言えた。


 領主としての役割を機械的に果たしながら、ジョゼフはジャンヌの帰還を待ち続ける。どこからかひょっこり現れると信じていた。しかし、第七軍から詳細な被害状況が入ってくる頃になると、ジョゼフの顔から表情が消える。それでも、ラルトが腕を包帯で吊ったまま挨拶にやって来た時には、その無事を喜んだ。


 心の中は真っ黒に塗りつぶされながらも、ジョゼフは領主としての務めに精励した。犠牲者へ弔意を示し、遺族が生活に困らないように配慮する。帝国やマルドゥーンのみならず、イェーガーからも義援金が寄せられていた。その金を惜しげもなく使うジョゼフの声望は日増しに高まっていく。


 オットーはそんなジョゼフを英雄として押し出そうと画策するが、ジョゼフはそれを拒絶した。

「私は何もしていません」

 取りつく島もない態度にオットーは腹を立てるが、珍しくもジョゼフは態度を改めない。


 さらに腹立たしいのは、レオポルドの乱心による影響で期待したほどは皇帝への信頼が揺るがなかったことだった。レオポルド自身は蟄居を命ぜられて帝位への道を断たれたが、二人いる姫のうちの一人に婿を取ればいいという方向に話がまとまりつつある。そして婿候補にカーマイン家の誰かを推す声は小さかった。


 やはり、貴族の中で、これ以上カーマイン家の勢力が伸長することを警戒する動きがある。レオポルドがまいた種がようやく芽吹いた形だった。ギザースによる被害が小さすぎたというのも影響している。国難ということになれば強い力を求める者も多く出るが、あいにくと世界は平穏だった。


 内乱が起きたマルドゥーンはエシール女王を中心にその痛手から癒えつつあり、オットゼール帝国との友好関係は揺らいでいない。また、長らく険悪だったイェーガーとの関係も修復の兆しが出ていた。百年前の恨みがあるギザースを討ったということは心理的にかなり影響がでている。


 皇帝ハリファ自身にはジョゼフを婿として迎える意欲はかなり強かった。しかし、肝心の姉姫は乗り気ではない。宮殿から外に出ない姫には、ジョゼフの直近の活躍よりも長く語られていた無能の評判の方が印象が強かった。レオポルドが悪しざまに罵っていたことを耳にしていたのも大きい。


 極秘裏にハリファが直接ジョゼフに打診しても固辞するばかりではどうしようもなかった。ギザース戦に活躍したラルトと共に辺境の安寧に努めたいと言われては、ハリファも引き下がらざるを得なかった。そのことを後に知ったオットーは激怒するが、ジョゼフは気にもとめない。


 ハリファは新たに家を興すことを命じた。ジョゼフはギザースを倒せしものを表すギザーズィンの名を冠した辺境伯家の初代当主となる。立派な跡継ぎが他に三人もいるオットーとしては、抗議をするわけにもいかなかった。末子としては理想形ともいえる待遇である。


 さらに、追い打ちをかけるようにジョゼフはシューラ・ラルトを正夫人として娶ってしまった。ハリファも温厚なだけの皇帝ではない。ジョゼフとオットーの間の隙間風を感じて楔を打ってきた形だった。不満を漏らすオットーに他の息子たちは意外なことに同調しようとしない。


 ハリーは元々ジョゼフを捨て駒とする策に反発を感じていた。クリスは魔法にしか興味が無いし、シャールという玩具を得るきっかけを与えてくれたジョゼフを気に入っている。ハインツは、どういう形であれギザースを倒すという功績を上げたことを高く評価していた。


 新妻二人の希望により、あまり華美でない式を挙げたジョゼフ・ギザーズィンは、表面上は順風満帆のように見える。第七軍の残兵がそっくり指揮下に入った辺境伯という地位は、公的に帝国内でかなりの力を有していた。部下にも恵まれ、美人の妻が二人もいる。誰もがうらやむ境遇と言えた。


 しかし、ジョゼフは内心でぽっかりと穴を抱えている。ジャンヌが側にいないということでどうも落ち着かなかった。シューラもマルルーも献身的にジョゼフを支えているし、ジョゼフも細やかな愛情を示している。そこに偽りはない。ただ、それはジョゼフなりの責任の果たし方だった。


 自分が命を貰った恩人のジャンヌのためにもきちんと生きなくてはならない。育ちの良さがこういうところに現れてしまっていた。哀しみのために自暴自棄になったりはしない。少し表情に陰を帯びるようになってしまっていたが、領主としての覚悟や威厳の表れとして、むしろ評判は悪くなかった。


 そんな中、ジョゼフは人知れずジャンヌのことを夢に見るようになっている。夢を見た翌朝はほんのちょっとだけ幸せな気分になり、その後すぐに落ち込んでしまう。夢で会えるだけ幸せと呼ぶべきか、喪失の現実を何度も味合わされる不幸と呼ぶべきか。ただ、それをジョゼフは一人の胸にしまい込んでいた。


 しかし、ジョゼフに近い者はさすがに無理していることに気が付いている。ナンシー、フォーゲル、シューラ、マルルーなどはそれぞれジョゼフの様子に胸を痛めていた。それでも口に出すことはしない。本人が黙って耐えているのをそっと見守っていた。


 本来、シューラやマルルーはジャンヌが居なくなったことを喜ぶ立場である。ただ、二人とも自分たちがジョゼフを支える三本脚の椅子のようなものだということを理解していた。脚が一本欠ければ、いずれは上に乗ったジョゼフもろともに倒れるしかない。それを片方は理性で、もう片方は感性で察していた。


 地位が上がったことに伴う危険性を憂い、様々な策をめぐらすノーランは生き生きとしている。ジョゼフの代わりに着々と帝国内での地歩を固める作業に熱中していた。皇帝とオットーの間でバランスを取りながら第三極を目指す。あまり覇気が無いジョゼフではあったが保身のために必要と説くとあっさり了承された。


 ノーランはジャンヌを失ったことは惜しいとは思いつつも、一方で首筋に感じる圧力を気にしなくなって済むことにほっとしている。ジョゼフを自分の才覚を振るうための絵筆のように感じている面も自覚しており、それが表に出てしまった時にはジャンヌの冷たい一瞥に肝を冷やすこともあったからだった。


 そして、古くからの側近であるフォーゲルはすっかり消耗している。オットーとジョゼフの間に挟まれて仲を取り持つのに腐心していたが、最後はジョゼフについた。今ではオットーが送り込んでくる間者を発見し、丁重に送り返すのに血眼になっている。アーシェラの腕の中で安らぎが得られなければ体調を崩していたかもしれない。


 シルリはフォーゲルとは別行動で暗躍していた。珍しくジョゼフの周囲に誰も居ないタイミングを図らったようにシルリが居室に現れる。殿、とシルリが短く呼びかけた。ジャンヌの特訓で帝国語も単語レベルでは操れるようになっている。シルリはジョゼフに遠乗りに出かけるように勧め、半ば拉致するように馬に押し上げた。

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