第18話 僻み根性

 ジョゼフは自室でぼーっとしている。まだ胸の鼓動の速さが収まらなかった。もちろんキスが初めての経験ということはない。ただ、余人の目の前であれだけ濃厚なのは衝撃的だった。先ほどの接触を思い出す。


 ジャンヌの舌が口腔内をくまなく動き回る。ジョゼフは唇が離れた後にジャンヌの喉が上下するのを見ていた。ジャンヌの目が開く。

「マスター。ありがとうございます。遺伝情報の採取は完了しました。分析と体内での適合に少々お時間を頂きます」

 それだけ告げると目を閉じ、ジャンヌは枕に頭を預けた。


 何を言っているのか半分以上は理解をできず、ジョゼフが固まっていると、フォーゲルとシエスタにベッドから助け起こされた。

「なかなかに積極的な方でしたな」

「いいものを見せて貰ったわよ」


 両腕を取られるようにしてジョゼフは自室に戻らされる。そして二人から色々と質問攻めにあっていた。

「若。大丈夫ですか? 生気でも吸い取られました?」

「吸精鬼ということは無いわ。一応聖水には反応しなかったもの」

「それではどういうことです?」


「一応聖職者の私にそれを聞くの?」

「そういうつもりも無いのですが。やはりそんなに良かったということですか?」

 シエスタとフォーゲルの会話にジョゼフが反応する。

「おい。本人前にしてなんて会話してるんだよ」

「おお。やっと反応しましたな。それで?」


 ジョゼフは困惑の表情を浮かべる。

「いや、まあ、確かに良かったよ。って変な自白させるんじゃねえ。でもなあ、なんで俺なんだ?」

「と言いますと?」


「俺はジャンヌさんと面識がないのは間違いない。あれだけの良い女と出会っていたら絶対忘れないからな。そんな初対面の俺とあれだけ積極的になる理由が分からねえ」

「若が助けたことで惚れたのでは?」


「実際のところ俺は何もしてない。現場に居たんだから知ってるだろ?」

「心意気に感じるところがあったとか?」

「俺の長年の経験からいってそれは無い。それは美男子だけに許される特権だ。俺みたいなのがいくら善行を積んだところで……」


 ジョゼフが声を詰まらせる。その声の暗さにフォーゲルとシエスタは顔を見合わせた。これは重傷らしい。

「まあ、今まではともかく、ジャンヌ様がジョゼフ様のことを好いておられるのは間違いないのですから。ジョゼフ様もまんざらではないのでは?」


 ジョゼフは悲しそうな顔をする。

「いや。結局のところ、俺じゃなくて、きっと俺の地位に惹かれたってだけのことだろう? 例えば俺が父上から勘当されたら、きっと見向きもしなくなるに違いない。それまでは見向きもしなかったくせに俺の家名を知った途端に態度を豹変させた女達と一緒なんだ」


「まあ、生まれは選べないですからな。そこは割り切ってカーマイン家に生まれついたことを感謝しつつですね」

「だからそれは嫌だってんだろ」

 ジョゼフはきっとフォーゲルを見据える。良くない目つきをしていた。


「試しに聞くけどな。お前が首にされたら嫁さん愛想をつかすか?」

「まあ、そんなことは無いと思いますが」

「だろ? 俺もそーいう嫁さんが欲しいんだよ。だから、身分を隠してダールウッドに来た時はワクワクしてたんだ。ま、結果としちゃ全然ダメだったけどな」


 いいさいいさ。どうせ俺は肩書が無ければ誰にも相手にされない男ですよ。膝を抱えて拗ね始めるジョゼフ。いい年をした男がやってもちっとも可愛くない。

「もう、いいや。今日の仕事はやめやめ。シエスタ様。ご足労をかけました。フォーゲル。お見送りを頼む」


 ジョゼフはすたすたと部屋を出て行こうとする。

「若。どちらに?」

 フォーゲルは答えを予想しつつ聞いた。

「飲みに行ってくる。たぶん金羊亭」


 マルルーは忙しく働いている。以前ジョゼフを散々にけなしていたが、その身分が明らかになってからもマルルーは態度を変えていない。女としての矜持の問題だった。ジョゼフがマルルーのしたことを咎めるなり、それを理由に意のままにしようとするなら、死を賭してでもマルルーは抵抗するつもりだ。


 ところが、領主になってからも相変わらずジョゼフはジョゼフだった。いまいち芽の出ない冒険者といった出で立ちで金羊亭にやってきては酒を飲んでいる。何か頼み事をする住民に対しては真面目に向き合っているようだが、威厳とか貫禄といったものはみじんも感じられない。


 ジョゼフからの自分への処置が異常なほど寛容なものだということは、マルルーも頭では分かってはいた。きっと自分に対する下心があるのだろうとも想像する。それならそれではっきりと言えばいいのに、ジョゼフがマルルーに好意をほのめかすことは無い。マルルーも正夫人は望めないにしても側室に迎えたいというのであれば考えなくもなかった。


 元々好きとまではいかないものの、気になる男ではある。シランジ子爵の私兵から守るように背中に庇ったときにちょっとだけ胸が高鳴ったことは目を背け難い事実だった。なのに、今日もいつもより早くやって来て、ちょっと面白くなさそうな顔でエールをちびちびとすすっている。


 そんな姿がマルルーには面白くない。一度袖にした相手なのに、それが若様だと分かった途端に秋波を送るのは、沽券にかかわると考える気性だった。せめて向こうからもう一度改めてマルルーに求愛してくれれば、話を受けてやるつもりはあるというのに本当にもう。


 館に担ぎ込まれたという若い美人の噂がマルルーの脳裏によみがえる。ジョゼフはそのせいで怪我までしたということだった。うっすらと残っている頬の傷がそれだろう。こうやって飲みに来ているのは私への当てつけだろうか? 頭から水をかけたり桶で殴るような女は願い下げということなのだろうか?


「お待ちどうさま」

 ついつい料理を乱暴に置いてしまう。マルルーは自分の気持ちを持て余していた。湯気を上げるあぶり肉の皿を見てジョゼフは顔を綻ばせる。骨を直接手でつまんで、肉を口に運ぶ姿は、とても貴族というようには見えない。ただ、気取らない感じは好感が持てる。


 火傷しないように熱々の肉を口に運びながら、ジョゼフはこっそりマルルーを観察していた。正体が分かってからもちっとも変わらないつっけんどんな態度。ジョゼフにとってみれば好感度は上がるばかりであった。しかし、取り付く島もない態度でもある。ジョゼフはそっとため息を吐いた。


 


 


 

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