第12話 火球

「若様。少しは身の程をわきまえてはいかがですか?」

 お仕着せを着て澄ました顔のフォーゲルが紅茶を注ぎながら、さりげなくお小言を言った。パンにたっぷりとジャムを塗って口にしようとしていたジョゼフはむっとした顔をする。パンを持った手が細かく震えていた。


「えーい。うるさい。貴様。誰に向かって口をきいている」

 今にも掴みかからんばかりの権幕だったが、フォーゲルは落ち着いて一揖してみせた。ジョゼフが強く出るときは脛に傷があるということなどお見通しだ。

「もちろん。我が主のご子息であらせられるジョゼフ・カーマイン様へ申し上げております」


「ああ。そうかい。ちょっと離れてる間にボケて相手の顔も分からなくなったのかと心配しちゃったよ」

 フォーゲルはうっすらと笑って頭頂部に手をやった。

「髪の毛はすっかり薄くなりましたが、まだまだ頭はしっかりしておりますぞ。それに……」


 フォーゲルはポットを手にした腕を曲げて見せた。

「こちらの方もまだまだ若様に引けはとりませんな。なんでしたら、朝食後に一戦いかがでございましょう?」

 ジョゼフは食いつかんばかりの表情でフォーゲルを睨みつける。


 しかし、すんでのところで思い直したのか、その怒りをトーストに向け、ムシャムシャと咀嚼を始める。咽喉に詰まらせそうになって、ジョゼフは慌てて紅茶を口に含んだ。まったくムカつくことに今日もミルクティの味は最高だ。エッグスタンドの上のゆで卵にスプーンを入れる。


 黄身が流れ出す寸前の絶妙な茹で加減の卵を味わい飲み込んだ。

「あのなあ。仮にも仕える相手に、身の程をわきまえろと言うのはどうなんよ?」

 ぶすくれた声を出すジョゼフに対してフォーゲルはどこからともなく鏡を差し出してみせる。


 唇を尖らせる若者の顔が写っていた。見たくもない不景気なツラを見せられてジョゼフの声は再び尖る。

「どーせ、俺は雅とか高貴さとは無縁な平凡な顔ですよ。侯爵家の血を引いてなさそうな容貌で申し訳ないですね。本当に」


「私がご覧頂きたいのは、こちらです」

 フォーゲルが鏡の中のジョゼフの左のこめかみのあたりを指した。青黒くはれ上がっている打撲の跡が痛々しい。

「一つ間違えば命を落とすところですぞ。なぜ、危険な真似をなさるのです」


「だってしょーがないじゃん。狩りの帰り道に馬車が山賊に襲われてたんだからさ。困ってる人を見かけたら助けるのは当然だろ。侯爵家の領内で、そのような不祥事が起きたら父上の評判にも関わるじゃないか。どうだ? 俺の行動に非があるか? ええ?」


 スプーンを突きつけて見得を切るジョゼフの姿に、フォーゲルはフンと鼻を鳴らした。

「ニックでもジョンでも、誰でもいいので加勢させてれば何も文句はいいませんがね。お一人で3人の賊に斬り込んだそうじゃありませんか」


 くっそお。固く口止めしておいたのに誰がしゃべりやがった。ジョゼフの顔にその思いがありありと出ている。フォーゲルはため息をついた。

「どうせ妙齢の女性を助けてカッコイイところを見せつけるという下心満載だったのでしょう?」


「えーい。うるさい。うるさい」

 図星をさされてジョゼフは喚き散らす。

「お前に分かるかよ。顔も平凡、腕は2流、良いのは家柄だけって散々言われる立場になってみろっての。俺だって、心の底から誰かに慕われてみてえんだよおおお」


 魂の慟哭をフォーゲルは酸っぱいものでも口にしたのかという表情で聞いていた。

「帝都での俺のあだ名は知ってんだろ。百戦百敗のジョゼフだぞ。おめーはいいよなあ。綺麗な嫁さんいてよお。器量だけじゃなくて貞淑で、気立ても良くて、いいとこずくめじゃねえか。その嫁をどうやって手に入れた? 言ってみろよ」


 フォーゲルは口髭を撫でた。

「アーシェラが人身御供にされそうになっていたところに偶々行き会って、助けたのがきっかけでしたな」

「だろ? じゃがいもに目鼻つけたような面なのに、最高級の嫁さん手にいれてんじゃねえか。この人生の勝ち組ヤロウ」


「まあ、確かに顔はイマイチですな。若様とどっこいですが」

「いや、俺の方がましだろ」

「目くそ鼻くそレベルの差かと存じます。まあ、こんな顔でもアーシェラはチャーミングと言ってくれますが」


「ちっきしょおおおお。言うに事欠いて、のろけかよ」

「ついでに申し上げれば、私と若様の剣の腕は、雲泥の差ですな」

「はいはい。そりゃそうでしょうとも。この国で5本の指に入る剣士様だもんな」

「いえ。3本の指には入ります」

 平然と上方修正するフォーゲルだった。


 テーブルに突っ伏し、ジョゼフは今度はいじけた声を出す。

「俺もそういうセリフ言ってみてえ」

 フォーゲルは良くぞ言ってくれましたという会心の笑みを浮かべる。

「なに。そんなに難しいことではござらん。お食事もお済みのようなので早速鍛錬いたしましょう」


「え。ちょ。おま。食後すぐの運動は体に良くないって」

「いえいえ。時は待ってくれませんぞ」

「俺は可愛い女の子にモテればいいんであって、化け物じみた強さが欲しいわけじゃないんだよ」


「そういえば、結局のところ助けた馬車には女性は居なかったのですか?」

「居るには居たよ。7歳の女の子だったけどな。お兄ちゃんありがとうってほっぺにキスしてもらったよ」

「それは……。まあ、少々幼すぎましたな」


 フォーゲルは会心の笑みを浮かべる。

「ということで、剣技の訓練です。強さと美女を手に入れるチャンスですぞ。私もお役に立てれば本望というものです」

 ジョゼフは渋々と立ち上がって、食堂の外へと歩き始めた。自分の足で行くか、フォーゲルに抱きかかえられて鍛錬場に臨むか、という状況では選択の余地はない。


 母屋を出て別棟に歩き出したときだった。うららかな春の空にたなびく薄雲を突き破って火球が横切った。ドンという衝撃音に続いて、上空で火球が二つに分離する。そのうちの小さい方が近くの山の中に落ちていくのが見えた。ジョゼフは心の内で感謝する。しめた。逃げ出す口実ができた。


「フォーゲル。4・5人集めろ。あそこは我が領内だ。何が落ちたのか、被害は無いのか確認せねばならん」

 馬小屋に向かうジョゼフの姿を見て、フォーゲルは肩をすくめたが、大声で人を集めながら自らも馬小屋に向かった。

 


 

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