第8話 判断

「子爵様お呼びで」

「うむ。近頃はどうじゃ?」

 主に呼びつけられた家令のハンスは急いで頭を巡らせる。

「はっ。市の出店料は横ばいですが、関税は減少気味です。申し訳……」


 椅子にだらしなく座り右手で頬杖をついていたシランジ子爵は、左手に持つ指し棒でひじ掛けをピシリと打つ。

「そうではない。婚礼は無いのか。若い娘が式を挙げるという話がとんとないではないか」


 ハンスは首を垂れながら、主に見えぬようそっと嘆息する。また主の悪い癖が始まった。夜伽の為に雇用している娘たちに飽きたらしい。可能な限り意に添うようにしつけているくせに、従順すぎると物足りなくなる。シランジ子爵は定期的に悲嘆にくれる乙女を手折ることを趣味にしているのだった。


 3か月ほど前には、それを嫌って駆け落ちしようとした男女を捕らえていた。助命をちらつかせ娘を意のままにした上で、男を処刑し、娘はその後身投げをして自殺している。はるばる帝都まで、その噂が広まり、ハンスはさすがに外聞が悪いと処罰覚悟で主を諫めたのだった。またぞろ悪い虫が騒ぎ出したらしいとハンスの心は暗くなる。


「婚礼が無いことにはどうしようも……」

「黙れ黙れ。無ければ、いつぞやのように駆け落ち者を捕えてまいれ」

「しかし……」

「この間抜けが。美しい娘であれば、言い寄るものぐらい居るだろう。まとめて捕縛して来ればよい」


 反省するどころかむしろ前回のことに味をしめたシランジ子爵はでっち上げを命ずるのであった。ハンスは畏まりましたと返事をすることしかできない。

「そうじゃ。あの帳簿を持ってまいれ。娘はその中から選ぶとしよう。男は誰でも良い」


 農産物の収穫状況、治安活動の報告、交易の利益などの書類には目を向けないが、領内の美しい娘の絵姿を書いた分厚い帳簿をめくりながら熱心にその添え書きに目を通す。舌なめずりをしながらシランジ子爵は独りごちる。

「たまには気の強い女も良いな……」


 ***


 村人たちは地面に横たわって伸びていた。茫然自失としているものの怪我をしたわけではないらしい。フォーゲルの動きを目にとらえることができた者は誰も居なかった。ジョゼフも口をあんぐりとして立ち尽くしている。フォーゲルは袖についたゴミを払うとオルド村長に向き直った。

「待て。待ってくれ。決して傷つけるつもりはなかったんだ」


 村人たちと同様に立ち尽くしていたジョゼフが我に返って叫ぶ。

「ど、どういうことだ? いきなり村の連中をぶん投げたりして」

「攻撃は最大の防御なりですよ」


 フォーゲルはオルド村長に片目をつぶる。

「私達を殺すつもりはなかったでしょうけど、実力で拘束するつもりでしたね。場合によっては怪我ぐらいはやむを得ないと考えていたでしょう?」

 オルドは憮然とした顔をする。事情を呑み込めないジョゼフが喚いた。


「なんで俺達を捕まえるんだ? タウロスを退治しに来たんだぞ。ははあ、やっぱりそういうことか。生贄にすると称してその実……。うらやま、じゃなかった怪しからん」

 ジョゼフの手が左の腰に伸びた。


「申し訳ありません!」

 可憐な声が響く。駆け込んできたエリスが土ぼこりで服が汚れるのを厭わず、地面に身を投げ出して平伏した。

「村長は悪くないのです。お二人を騙す形になった罪は私にあります。罰するなら……」


「いや、この村で起きたことは私の責任だ。私のことはいかようにも処罰してくだされ。だが、エリスのことはなにとぞ領主さまにはご内聞に」

 責任の押し付け合いならぬ引き受け合いを始めた2人を前にジョゼフは目を点にして、力なくフォーゲルを見る。

「どういうこった?」


「美人も大変ということですな」

「意味が分かんねえよ」

「つまり意中の相手と所帯を持ちたいが、それには好色な誰かに一晩身を任せなくてはならない。それを回避するためには、死んだことにして他領に逃れるつもりだったのでしょう」


 ジョゼフの目に理解が広がる。

「ということはつまり……、エリスさんには想い人がいると……」

 はっとした表情でエリスは顔を上げる。その顔には決意が浮かんでいた。数歩離れていたところに落ちていたナイフに飛びつくと両手で頭上に掲げる。


 わが胸に振り下ろさんとエリスは腕を動かすが、フォーゲルは腰の剣を鞘走らせるとキンと弾き飛ばす。エリスはわっと泣き崩れた。

「お願い死なせて。このままでは、あの人にまで科が及んでしまいます。この世で結ばれないなら……。お願いでございます」


「姉ちゃん! 嫌だ。死んだら嫌だよ」 

 エドが飛び込んできてエリスに抱きついて泣き始める。その様子を見ながらジョゼフは頭をボリボリかいた。

「これバレたら、あの子爵だと何やらかすか分かんないぜ。少なくとも村長と血縁者は嬲り殺しだろうなあ」


 それを聞いてエリスはエドを抱きしめる。

「エド。ゴメンね。私が夢を見たばかりに……」

「なんか俺達、この村来なかった方が良かったんじゃねえか」

 ジョゼフはぼやく。


「お姉ちゃんゴメン。僕が勝手なことしたから。おじさん。お願い見逃して」

「どうか私を切って禍根を……」

「責めは村長の私が全て負います。なにとぞ」

 すがらんばかりにして拝むエリス達を前にジョゼフは困惑の表情を浮かべた。


「なあ。フォーゲル。どうすんだこれ」

「どうしたいですか?」

「って言われてもなあ。事実を告げるしかないんじゃねえか」

 ジョゼフの言葉に村人たちが死刑宣告を受けたような顔になる。


「村はずれの洞窟に出向いてみたけど、タウロスなんざ全然居なくて、無駄足でしたってとこじゃねえ? 浮浪者が住み着いて羊を盗んだのを臆病な村人が勝手に見間違えたとか。ほら、霧の中だと不思議とでかく見えたりするだろ?」

 それを聞いたフォーゲルは大きく頷く。


「またまた任務に失敗ってことになりますな」

「3つが4つになろうと大した差じゃねえよ」

 ジョゼフが秘密を明かすつもりがないと分かり、エドがその足に抱きついた。

「おじさん。ありがと」


 エリスは涙を拭うとジョゼフに抱きつき右ほおに感謝の気持ちをこめてキスをする。デレっとにやけそうになったジョゼフは左手をオルド村長の方に慌てて突き出した。

「いや。あんたのキスは要らねえよ」


 残念そうな顔を浮かべるオルド村長から視線をそらすとジョゼフはエリスの肩を押しやり宿屋の方に歩き始める。

「それじゃ、邪魔者はとっとと帰ろうぜ」

 2人を伏し拝む村人たちを背に、フォーゲルは会心の笑みを浮かべてジョゼフを追いかけた。



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