第9話 標的
「ちきしょう。やっぱり、そんな気がしていたんだよ。あれだけの美人だもの」
「未練たらたらですな」
「そりゃそうだろよ。俺には美人の嫁さんいないし」
「じゃあ、引き返します?」
「秘密を告げられたくなかったらってか?」
「そういう手もありますね」
「俺が欲しいのはそうじゃねえんだよ。心の底からの愛っていうかさ。俺の中身を見て好きになってくれる女性が欲しいんだよ」
そんな虚しい会話の翌日に2人はダールウッドの町に帰り着く。ダールス川にかかる跳ね橋を渡って町に入った。塀の中は妙に騒然としている。ジョゼフは顔見知りになった冒険者を捕まえた。
「何かあったのか?」
「ああ。ツキなしのジョゼフか。どうもシランジ子爵がこの地から除封されることになるらしい。私兵や子爵に取り入っていた連中が大騒ぎさ」
「その割にはあんた落ち着いてるな?」
「まあな。冒険者ギルドは一応独立してるから、誰が町の支配者になろうがあまり関係ない。それにまあ、あのおっさん、正直評判良くなかったから。知ってんだろ?」
曖昧に頷き、ジョゼフは別れを告げた。
借りていた馬を返却して、金羊亭に向かうとシランジ子爵の私兵と冒険者がにらみ合いをしていた。
「今まででかい面しやがって、もうお前らの主は領主さまじゃねえんだ」
「後任が決まるまでは統治してるんだ。そこをどけ!」
ジョゼフが何事かと近づいていくと、因縁のあるスコット百人長が叫んだ。
「いたぞ!」
兵士が10人ほど駆け寄ってくる。
「大人しくしろ」
「はあ? いきなり何だよ?」
ジョゼフは兵士たちの様子を伺った。以前の乱闘時とは明らかに雰囲気が違う。
「シランジ様の目を盗んで、駆け落ちしようとしたな。領主の権威をないがしろにした罪で捕らえる」
「ちょっと。なんで、よりによって、私の恋人がそいつなのさ」
兵士に周りを囲まれたマルルーが叫ぶ。
「親し気にしていたという証言もあるんだぞ。そうか。違うと言うのだな。ならば、その男を切り捨てるが文句はないな」
「それで私への疑いが晴れるなら構わないけど」
冷たいマルルーのセリフにジョゼフが抗議する。
「そりゃねえだろ」
「だって、ヘマばかりの冒険者のあんたと恋人なんて天地に誓って無いから」
ジョゼフを取り囲む兵士たちが剣を抜く。それを見てフォーゲルが割って入った。
「私闘で人を殺せば帝国法で裁かれることになるぞ。剣を納めるなら、この男を連れて一緒に行ってもいい。シランジ子爵の面前で決着をつけようじゃないか」
落ち着き払ったフォーゲルの態度に兵士たちは気圧される。
兵士たちの視線が注がれるとスコットは剣を納めるように命じた。
「いいだろう。大人しくついて来い。変な真似をすれば、斬り捨てるぞ」
わいわいがやがやと騒ぐやじ馬を引き連れて、マルルー、ジョゼフ、フォーゲルを中心に兵士たちは館へと向かう。
ジョゼフはフォーゲルに目線で問いかけ、フォーゲルは首を横に振った。肩をすくめてジョゼフは歩いていく。館の門前に到着した。
「さあ、中に入るんだ」
スコットが横柄に言うとフォーゲルは首を縦に動かした。
それを合図にジョゼフはぱっと躍りかかって、拘束している兵士から縄を打たれたマルルーを奪い取った。剣を抜いてマルルーの縛めを切断する。
「もう、大丈夫だからね」
ぱあん。腰を引き寄せるジョゼフの頬をマルルーは思い切り張った。
「ちょ。せっかく助けたのに何すんだよ」
「気安く触るな。このスカンピン。あんたのせいで疑われたんだからね。本当にあり得ないから」
「マジで酷くねえか」
「お前達状況が分かってんのか?」
スコットがイライラして怒鳴る。
「うるさいわね」
「黙ってろ」
ジョゼフとマルルーに同時に罵られて、スコットの顔は真っ赤になる。
「こうなったらやむを得ん。力づくで……」
「俺の女は傷つけるな!」
館の正面のバルコニーのところからシランジ子爵が叫ぶ。ひょろひょろとした手を振り回していた。
「どーすんだよ。さすがに人数多すぎだぞ」
周囲の兵士たちが抜剣するのを見てジョゼフがフォーゲルに慌てた声をかけ、マルルーの手を引き自分の後ろにかばう。もう1発顔を張られるかと思ったが、マルルーの手からは微かな震えが伝わってくるだけだった。
後ろを取られないようにと、館の塀を背にしたために、三人を兵士たちが十重二十重に取り囲んでいる。高い塀に隠れて見えなくなったが、シランジ子爵の甲高い声が降ってきた。
「さっさとその娘を我が部屋に連れて来ぬか」
取り囲む兵士たちは油断なくジョゼフ達を見据えつつも身動きをしない。そして、スコットは命を下しかねていた。乱戦になればマルルーを傷つけてしまう恐れがある。擦り傷程度でも主が不機嫌になるのは明らかだったし、顔やデリケートな部分に大きな傷を付けようものなら何をされるか分からない。
それにフォーゲルという男から発散されるものに剣士として後れを感じていた。スコットは痩せても枯れても100人もの兵士を束ねる立場である。それなりの剣技は有していたし、相手の腕を見計らうことはできた。凡庸な風貌をしているもののフォーゲルという男はなかり出来るとスコットは見て取る。
館の中から家令のハンスが走り出てきた。
「百人長。早くしろとの殿の仰せだ」
「分かっています。しかし、あの男は油断なりません」
「こっちは百人いるんだぞ」
「やじ馬の中には冒険者連中もいます。殿が除封されたとの話が広まっているので、いつ奴らが思い切ったことをするか分かりません。背後から襲われては苦しい戦いになります」
ハンスは苦い顔をする。
「せっかく第7軍が哨戒に出ている時を選んだというに」
「非番の20人ほどは町中に残っています。ほら」
スコットが指さす方向では三々五々と正規兵が館に向かって集合しつつあった。ハンスはそちらに視線を走らせる。
「どちらにしても我々は殿に怒られることになるんだ。ここは覚悟を決めて勝負に出るしかあるまい。正規兵も中隊長が不在中に自分たちの判断で動くことはあるまいよ。腕が立つという男もあの若いのには遠慮があるようだ。一斉に仕掛けている間にあいつの身柄を押さえてしまえばいい」
ハンスの示唆にスコットは大きく息を吸った。
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