第14話 失神

 ジョゼフは奥歯をギリリと噛みしめる。

「逃げろ!」

 叫んだ途端に右ほおをザクリと斬られた。

「よほどお気に入りらしいな。まあ、確かに出来損ないの四男にはもったいないほどのいい女だ。俺達も味見させてもらおうぜ」


「若っ!」

 フォーゲルが若い衆を連れて駆け下りてくる。

「動くんじゃねえ。こいつをバラされてえか?」

 ジョゼフの首に左腕を巻き付けている男が叫ぶ。


「いくら閃光のフォーゲルでも、この状態なら、首をかき切る方が早いぜ」

 10歩ちょっと離れたところでフォーゲルは逸る部下を制した。

「さてと、おめえらにはお互いに殺し合って貰うとするが、その前にいいモン見せてやろう。主のスケが玩具にされるところをなあっ」


 男たちの一人が女性を捕まえる。後ろから双丘をわしづかみにした。ジョゼフを羽交い絞めにしている男が喚く。

「おい。ダン。調子こいてんじゃねえぞ。俺が最初だ。汚ねえ手で触んな。その服まくりあげろ」


「分かりましたよ。ボス」

 ダンが手を下の方に動かした。

「姉ちゃん、ご主人思いのいい子だね。ピクリとも抵抗しやがらねえ。さてと、お披露目といきましょうか」


 ジョゼフは右頬のカッという熱を感じながら叫ぶ。

「やめろ!」

「うるせえ坊ちゃんだ。しかも何も学ばねえ」

 ジョゼフの後ろの男は血まみれの短剣を耳たぶの方へと動かした。


 身をこわばらせたジョゼフの目の前で、ダンに為すがままにされていた女性の左腕がまっすぐジョゼフの方に向けられる。そして光芒が走った。ジョゼフに巻き付いていた腕の力が緩む。ジョゼフは身を捻って拘束から逃れた。物凄い勢いで駆け寄ってきたフォーゲルが周囲の男たちを斬り捨てる。


 ジョゼフは雄たけびを上げながら、ダンに向かって突進した。背後から女性の服の裾に手を伸ばしていたダンが慌てて体を起こす。そのダンの顔にジョゼフの拳が勢いよくぶつかった。ひっくり返ったダンに馬乗りになったジョゼフが左右の拳を振り下ろした。


「レディに恥を」

 相手の歯に当たって裂けた拳を気にせずジョゼフは左右のラッシュを繰り出す。

「かかせんじゃねえっ!」

 叫び声をあげながらジョゼフは殴り続けた。


 優秀な兄弟と比較され、落ちこぼれと見られがちなジョゼフだったが、その気質は優しかった。むしろ、あまり良いところが無かったからかもしれない。館で働く者や領内に住む人間に対して、貴族ということで威張り散らしたりはしなかった。努力した上での失敗に関しても寛容で、鞭を振るうことも滅多にない。


 領内の娘で気に入ったものが居れば、権力をかさにベッドに引きずりこむこともできなくはないがそんなことはしなかった。女性には礼儀正しく優しく接すべし。出所の分からない信念を持っているジョゼフからすれば、ダンのしたこと、しようとしたことは許されざることだった。


「若。若っ。落ち着いて下されい」

 フォーゲルがジョゼフの襟首をつかんで引きずり起こす。

「離せ。このクソ野郎を……」

「もう十分です。ご覧ください」


 荒い息をしながら見下ろすと、ダンの顔はまるで苺を踏みつけたようになっていた。すっかり抵抗する気は失せているようだが、息はしている。ジョンがやって来てその腕をロープで縛りあげた。フォーゲルはニックからサーコートを受け取りジョゼフに差し出す。

「あちらの乙女に」


 ジョゼフは立ち尽くす女性を見る。確かに屋外で相応しい格好では無かった。女性に近づき、肩からサーコートをかけてやる。余った布を前で合わせて女性の手に握らせてやった。指先が触れただけでジョゼフは全身に震えが起きる。細く繊細な指はひんやりと冷たく心地よかった。


 大儀そうに女性はジョゼフの顔を見上げる。

「あなた……ワタシ、マスター?」

 初めて発せられた声は小さいが、容貌に相応しい可憐なものだった。ジョゼフは慌てる。


「あ。いや。俺は……」

「ジョゼフ。マイマスター」

「えーっと。あいつらが余計なこと言ったから混乱してるんだね。そうだ。名前を聞いてなかった」


 女性は物憂げに口を開く。

「ジャンヌ」

「そうか。ジャンヌね。いい名だ」

「ワタシ……」


 ジャンヌの体がぐらりと傾ぐ。ジョゼフは慌ててジャンヌの体を抱きとめた。ガクリと首をうなだれ体を預けてくる。

「ど、どうした? どこかケガをしたのか?」

 ジョゼフが声をかけるがジャンヌは返事をしない。


「若。とりあえず館に戻りましょう。頬の傷の手当てやジャンヌ様の看護も必要でしょう」

「ああ。うん」

 フォーゲルの指示で一人がニックの方に駆けて行った。


 ジョゼフはジャンヌを抱きとめているものの妙にこそばゆい気持ちがする。どうも意識を失ったようで仕方が無いとはいえ、このような美しい女性を腕の中に入れているという経験が無かった。早く馬を連れてこないかなと思いつつ、照れ隠しの為にフォーゲルに気になっていたことを質問する。


「そういえば、俺を拘束していた男の力が急に緩んだんだが、どんな手を使ったんだ? さすがフォーゲルだな。あの距離をものともしないとは」

「いえ。若。私は何もしてませんが」

「ん? じゃあ、どうしてあの野郎は俺を離したんだ?」


 フォーゲルが手下に合図を送る。2人がかりで襲撃者のボスらしき男を引きずってきた。ぐったりとした体は力が入っていない。ジョンがボスの顔から髪の毛を払う。額に指の先ほどの大きさの赤黒い穴が開いていた。虚ろな目が木々を見上げている。

「なんだあの傷は? 見たことないぞ。あの光で……。ジャンヌさんが?」


 フォーゲルも大きく頷く。

「左様です。ただ、私の知る限りでも頭蓋骨にあのような綺麗な穴を開ける魔法は無かったと思います。まあ、古代魔法王国の秘術にならそのようなものがあるかもしれませんがね」


「まさか……。ということは、このジャンヌ嬢は、古代魔法王国の生き残りだというのか?」

 フォーゲルは肩をすくめた。

「私も魔法は専門外なので。クリス様なら何かご存じかもしれませんな」


 フォーゲルはフッと笑う。

「しかし、ジャンヌ様の見目麗しさは、この世の常のものとは思えません。古代魔法王国の女性は物凄い美貌だったと聞きますぞ」

「そりゃお伽噺の話だろ」

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