第4話 少年の頼み

 ぺたぺたぺた。乾いた道を走ってくる音がしたと思うと金羊亭の重い扉がバンと開かれた。テーブルに突っ伏して半分死んでいるジョゼフは顔を動かすこともしない。

「悪いけど、夜の営業はまだやってな……」

 マルルーの良く通る声が途中で止まる。


「あんた、その足どうしたの?」

 マルルーの質問に答えず、闖入者は声を絞り出した。

「ねえ。ジョゼフさんいる?」

「ああ。いるけど。あの飲んだくれは役に立つかねえ」


「お願いです。会わせてください」

 必死な声にほだされたのかマルルーはテーブルに伏せているジョゼフを指さした。せっかく好意で作ってあげたパンがゆは手つかずのままで湯気が上がらなくなっている。


 あの騒ぎの日、マルルーもジョゼフが颯爽とあのスケベ男を殴ったところまでは感謝していた。ただ、その後のお店の損害と、自らの行為を誇るような言動がマイナスポイントになっている。そもそも冒険者というのは概ね下心しかないと思っており、マルルーはいちいち体目当ての男を相手にするつもりは無かった。


 それでもジョゼフの根は悪くないかもと思ったのは、疾駆してきた馬の蹄にかけられそうになった老婆をかばった姿をたまたま目撃したからだ。しきりと恐縮する老婆にへらへらと笑うとジョゼフはギルドの方に連れと向かって行った。それで、やけ酒をあおっているのに同情し、潰れないようにとサービスで出したパンがゆへの仕打ちがこれである。


 ペタペタと近寄って行った男の子はためらいがちに声をかける。

「あの。僕エドっていいます。ジョゼフさん、お願いです。お姉ちゃんを助けてください」

 だが呼びかけに応えることもなくジョゼフは酒臭い息をふーふーと吐くばかり。

「うう。頭が割れそう。死ぬ……」


 その様子を見ていたマルルーは一旦厨房に姿を消すと木桶に水をいっぱいいれてやってくる。パンがゆを隣のテーブルに避難させると木桶の水を勢いよくジョゼフの頭からぶっかけた。好意をむげにされた怒りも入っている。

「つめてっ!」


 ジョゼフはようやく首だけ持ち上げる。水を滴らせた顔は蒼白だった。髪の毛の色と同じ金色の眉の下の目の焦点がようやく合って、目の前の少年の顔が見える。年は10前後だろうか。可愛らしい顔立ちをしていた。対するジョゼフの顔立ちは可愛くもなければかっこよくもない。


「ええと……」

 エドはやっと反応したジョゼフにすがらんばかりにしてかきくどく。

「お願いです。僕なんでもしますから、お姉ちゃんを助けて。このままだとお姉ちゃんはタウロスに殺されちゃう」


 自分の言葉に悲しくなったのか、ボロボロと涙がこぼれ始める。こんな姿を見ていてマルルーが情にほだされないわけはない。

「ねえ。エドくん。お腹減ってるでしょ? 他人に出したもので悪いけど、このパンがゆ食べて。食べながらお姉ちゃんに詳しくお話してくれるかな?」


 しゃくりあげながらエドはマルルーを見る。マルルーはにっこりとほほ笑んだ。金羊亭の看板娘の笑顔はエドを落ち着かせるに十分だった。エドはちらりとジョゼフを見る。

「お姉ちゃんに話してくれたら、お姉ちゃんからもジョゼフさんに頼んであげる。ね?」


 エドはマルルーに誘われ、椅子に座ってパンがゆを食べ始めた。そして、問われるままに事情を話す。エドは金羊亭のあるダールウッドの町から歩いて4日ほどのところにあるジモール村に住んでおり、ジモール村の近くに最近恐ろしいタウロスが住み着いたことを語る。

「エドくんのその足は……。走ってきたの?」


 イドの足裏は豆がつぶれてひどい状態だった。

「だって。次の満月の夜にお姉ちゃんが生贄にされちゃうから」

 そう言って両目からまたぼろぼろと涙を流し始める。


「村長さんは村のために我慢しろと言ってるし、巡察隊も僕の村に来るのはずっと先なんだって。でも僕はお姉ちゃんを助けたくて。前に行商のおじさんに聞いたんだ。ダールウッドの冒険者なら、どんな怪物だって倒しちゃうんだってさ。それでお願いに来たの」


 エドは顔を曇らせる。

「でも。ギルドの人に話しても相手にしてもらえなくて」

「あの欲深どもめ。今度うちの店に来たらたたき出してやるんだから」

 握りこぶしを作って明後日の方角を睨むマルルーの顔を見てエドが怯えた表情になる。それに気が付いてマルルーはエドの頭を撫でてまた笑顔を作った。


「怖がらせてごめんね。お姉ちゃんはエドくんに怒ったんじゃないから。それで、どうしたの?」

「一生懸命お願いしてたら、綺麗な女の人が入って来て話を聞いてくれたんだけど、悲しそうにしながら、ごめんなさいって言うんだ。ジモール村はダールス川のこっち側だから助けてあげられないって」


「それって、ラルトさん?」

「うん。ラルトさん。そして、ここのお店のことを教えてくれたの。手が空いてるジョゼフって人がいるから頼んでごらんって」

 エドはスプーンを置く。


「ねえ。ジョゼフさんお願いです。お姉ちゃんを助けて。今はお金ないけど、助けてくれたら僕なんでもしますから」

「おめえに何ができる?」

 ジョゼフがだらしなく椅子の背もたれによりかかっていた。


「ちょっとジョゼフさん。あんたねえ。こんな小さい子が必死になって頼んでるのよ」

 マルルーが柳眉を逆立てるとジョゼフが力なく言う。

「仕方ねえだろ。ギルドの決まりだとタウロス退治の値段は金貨2枚からだ。規定を破って仕事を受けたらアサシン差し向けるってルールなんだぜ」


 ジョゼフはふわわあっと欠伸をする。

「まあ。俺としても、こんないたいけな子供の頼みを断りたくはねえが、四六時中アサシンに狙われるとなっちゃ落ち着いて酒も飲めねえ。ぼうず。悪いが他の人に頼みな」


 マルルーの顔がみるみるうちに険しくなる。怒鳴りつけようと口を開いた機先を制してエドが切り出した。

「僕のお姉ちゃんは村一番の美人なんです」

「あ? 村一番っていってもな。ジモールって田舎の……」


「マルルーさんと同じくらい美人です」

 面と向かって美人と言われてマルルーはぱっと顔を赤くする。

「マルルーさんみたいに元気じゃないですけど」

「それじゃあ、ダメだ。マルルーなんかと同じくらいじゃ」


 ごん。木桶がジョゼフの頭に振り下ろされる。

「痛ってえ。死ぬほど痛ってえ。何すんだよ」

「ふんっ」

 エドはタガが外れそうになっている木桶とマルルー、ジョゼフを目を丸くして見つめていた。

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