第3話 不幸な男

 フォーゲルは詰所から出ながら、少々の金額で話がついたことを神に感謝する。ジョゼフが大けがをしたり、不慮の死をとげたりすることなく、自分たちの素性がバレるという最悪の事態も回避することができた。しかし、ジョゼフはぶつくさと文句を言っている。


「あーくそ。痛ってえ」

「まあ、その程度で良かったじゃないですか」

「フォーゲルはなんでケガしてないんだよ」

「見てただけですから」

 満点の星空の下の2人を沈黙が包む。


「俺がボコボコにされてるときに見てただけ?」

「自分の力量を過信したんだから自業自得でしょ」

「あのなあ」

「そうそう、あの百人長が踏んづけようとしたときはジョッキ投げましたよ」

「そいつはどうも。有難くて涙が出るぜ」


 その後無言で金羊亭に戻ったジョゼフはちょっとだけ期待をしていた。しかし、看板娘マルルーから何らかの感謝の行動があるかもとの思いはあっさりと打ち砕かれる。やや客の減った店のテーブルにつくと忙しそうに動くマルルーは事務的に言った。

「もうすぐ看板なんです。お酒は出せますけど、料理はあるものだけになりますよ」


 それでいいと料理と酒を注文したフォーゲルに頷くとマルルーはさっと立ち去る。ジョゼフは失望といら立ちの混じった顔をした。

「そんな顔をしなさんな」

「でもよ。お礼に抱きつくかどうかはともかくとして、言葉の一つぐらい」


 周囲の客はジョゼフの顔をチラチラと見ている。それを気にせず、ジョゼフはマルルーを視線で追っていた。

「俺の顔覚えてないのかも。それか、結構腫れちまって分からないとか」

「もう諦めたらどうです」


 マルルーがジョッキを運んでくる。お待ちどうさまとだけ言って離れて行った。

「それじゃ、まあ、無事にベッドで寝れることに乾杯」

 フォーゲルの言葉にジョッキを掲げて口を付けたジョゼフは。意を決した顔をする。いきなり立ち上がって、マルルーを追いかけようとした。


 びったーん。


 ジョゼフはバタリと床に倒れる。その醜態にどっと笑い声が巻き起こった。マルルーも振り返って怪訝そうな顔をしている。鼻を押さえながらジョゼフは体を起こして立ち上がり、振り返ってフォーゲルに悪態をついた。

「何すんだよっ⁉」


 フォーゲルはのんびりと残ったエールを喉に流し込む。

「どこへいくんです?」

「はあ? てめーは人を呼び止めるのに足引っかけんのか?」

「いやあ。さっきは止めそこなったので。まあ、足が長くて窮屈というのもありますな」


 今や店の中の誰もがこの見せ物に注目していた。

「鼻が低くなったらどうすんだよ、コノヤロー」

「心配するほど元から高くはないでしょう?」

 もう相手にしてられないとジョゼフが振り返ってマルルーの方に向かう。


「あのさ。さっきのことなんだけど」

「あんたの起こした騒ぎの損害賠償は勘弁しておいてあげるから」

「はい?」

「皿とかジョッキとか、それにテーブルとイスもね。結構被害大きいんだけど、まあ、一応私を気遣ってくれたみたいだし。じゃあ」


 ジョゼフは茫然と立ち尽くす。すぐ横に座っていた男が立ち上がりジョゼフの肩を叩く。

「いい根性してるじゃねえか。兵士に楯突こうってんだ。でも我らのマルルー姫のハートをつかむには至らなかったようだけどな。まあ、その心意気だけはたいしたもんだったぜ」


 これがジョゼフのケチの付きはじめだった。


 罰金を払ったので稼ぎますよ、というフォーゲルに尻を叩かれ、青い痣の残る顔でギルドに顔を出して依頼を受ける。新入りということで難易度の低いものしか受けさせてもらえなかった。それでも文字を読めるというアドバンテージを生かして、実質的に一番実入りの良い薬草の採集を受ける。


 薬草の生えている場所はワーグが出ますよ、と心配する係員を押し切って請け負った。ワーグは人間とほぼ同じ大きさの狼の一種で、力も強く集団で現れると、襲われたものは骨も残らない。帝国の騎士でも1対1でなんとかというモンスターだった。2人は不案内な道をなんとか目的地まで向かう。


 ワーグは出なかった。しかし、肝心の薬草も根こそぎ刈られた後だった。なんとかかき集めたが依頼された量の4分の1にも満たず。失敗扱いとなり報酬は貰えなかった。雑貨店で売ろうとしても少量では捨て値しか提示されない。ならば直接小売りしようと翌日広場の朝市で並べようとして役人に制止された。


「他所じゃ、5のつく日は店を出すのは自由だぜ」

「ここはそうじゃないんだ。場所代を払えないなら没収する」

 ジョゼフは怒ったがフォーゲルに宥められる。

「悪法も法です。これで騒いでも分が悪い」

 周囲でも似たような光景が繰り広げられていた。困ったような、諦めたような顔が目立つ。


 次に受けたゴブリンの巣穴を掃討してくれという依頼も失敗した。既に何者かによってゴブリンは殺しつくされていたのだ。流血の跡が残る洞窟をくまなく探しても子供一匹すら居ない。ギルドの事務員はお気の毒ですが、と首を振るだけで、またしても骨折り損のくたびれもうけ。


 仕方ないということで、引き受け手の足りなかったマールボロまでの護衛を引き受ける。隣国マルドゥーンのマールボロ市で商売をしてダールウッドまであと2日というところまでは順調だった。その翌日の払暁に10人ほどの集団の襲撃を受ける。人相風体から言って、大陥没の向こうにあるイェーガーの食い詰め者と思われた。


 ジョゼフ達冒険者の奮戦により辛くも襲撃者を撃退できる。しかし、依頼主の商人兄弟のうちの一人がかなりの重傷を負ってしまった。傷自体はダールウッドの教会の女祭司シエスタが治したが、その費用と交易に対する高い関税を支払うと依頼主にはたいして利益が残らない。肩を落とした依頼主が払った報酬は、結局一人につき銀貨1枚だった。


 ジョゼフはツキ無しという噂はあっという間に町に広まる。ギルドの事務員は言を左右して新たなものを引き受けさせてくれなくなった。さらにムカつくことに、ジョゼフがスコット百人長に路上で出会うと意味ありげに笑われる。金羊亭にはやってこないのが救いといえば救いだった。


 ジョゼフはなけなしの銀貨1枚で朝から飲みに飲みまくる。懐が寂しいので料理はほぼ頼まず、安い火酒を浴びるように呷った。そして、喉が焼けるほど度数の高い酒の飲み過ぎでテーブルに突っ伏して正体を失くす。その様子をフォーゲルは微妙な顔で眺めていた。

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