第2話 ラルト中隊長

 そこからは大乱闘になる。


 ひっくり返った男に追撃しようとするジョゼフ。マルルーを押さえていなかった兵士が横合いから殴りかかった。

「貴様。何をするんだ?」

「うるせえ」


 兵士の腕の下をかいくぐったジョゼフの掌底が相手の顎にたたきつけられる。マルルーを押さえていた一人が慌てて呼子を吹き鳴らし、もう一人と左右からジョゼフに両腕を広げて襲い掛かった。右から組み付こうとした兵士を投げ飛ばすと、近くのテーブルの上に落下する。


「てめえ。何しやがる」

 そのテーブルで飲んでいた3人連れが立ち上がった。内心ではみんなの偶像である看板娘マルルーに手を出したことを腹に据えかねていたのか、不幸な兵士をどつき始めた。拘束を解かれたマルルーが叫ぶ。

「もう。店の中でやめてよ!」


 それを聞いたジョゼフが店の外に駆けだす。それを見た下士官が喚いた。

「クソ野郎を逃がすな。たたんじまえ」

 ジョゼフにやられた兵士も、まだ無傷の兵士も一緒に追いかける。ジョゼフは表で2人を相手に大立ち回りを演じていたが、応援の兵士が駆け付けてきてたちまちのうちに劣勢になった。


 大勢の兵士に折り重なられて身動きが出来なくなったジョゼフの前に下士官がふんぞり返る。

「さっきは良くもやったな」

 下士官はジョゼフの頭をブーツで踏みつけようとした。


 ガシャン。下士官の後頭部を陶器製のジョッキが強襲する。エールの匂いを振りまきながら振り返った下士官はぐらぐらする頭でやじ馬連中に指を突きつけた。

「こいつらの誰かが犯人だ。捕まえろ……」

 そこまで言うと目を回して地面に倒れ伏す。


 わっと兵士たちが冒険者を中心とした周囲の人間に襲い掛かった。こうなるともう収拾がつかない。

「俺じゃねえっての。おう、こうなったらやってやるぜ」

「抵抗するということはお前が……」


 手や足が乱れ飛び、罵声が広場を満たす。金羊亭の外壁にもたれながら様子を眺めていたフォーゲルは口髭を撫でた。まったく。初日からこんな騒ぎを起こして、と慨嘆する。のしかかっていた兵士を振り払って再び殴ったり殴られたりを始めたジョゼフを見ながらフォーゲルは苦笑いを漏らした。


 そこへ、馬蹄の音を響かせながら騎馬の一団が広場に走りこんでくる。先頭の羽飾り付き兜を被った人物が良く通る声で詰問した。

「帝国第7軍第1騎兵中隊のシューラ・ラルトだ。これは何の騒ぎだ?」

 馬上から周囲を睥睨する威厳と冷え冷えとした美貌に皆動きが止まった。


「やべえ。正規軍だぜ」

 そこかしこからささやき声が漏れる。

「その恰好からすると、シランジ子爵の警備兵が居るはずだな。責任者は誰だ?」

 集団が左右に割れて、マルルーにちょっかいを出した男が前に押し出される。


「階級と名前を言え」

「スコット百人長であります。ラルト……」

「中隊長だ。それでこの騒ぎの責任は貴公にあるのだな」

「ラルト中隊長殿。ここは我が主の領地。いくら正規軍の方とはいえ権限はないはずですが」


「私に異を唱えようというのか」

「いえそのような」

「そもそも貴公の上官はどうした?」

 スコットは目を泳がせる。広場から離れたとあるお店でよろしくやっているとは言えない。


「まあいい。この騒擾に出て来ぬ事情など知りたくもない。貴公がこの場の最上級者というならそれで構わん。先日イェーガーのあぶれ者による大規模な襲撃があったな。恐れ多くも陛下はこの方面の状況を憂慮されておられる。それゆえ特に帝国第7軍が治安維持にあたることになった。さて、この騒ぎの原因を聞こうか?」


「私が治安維持活動を遂行しようとしたら、そこの男が殴りかかってきた……」

 スコットがジョゼフを指さすと周囲から一斉にブーと不満の声があがる。

「酒場のネーちゃんにちょっかい出して引っぱたかれたんだろ。それを理由に詰所に引っ張っていこうとしたくせに」

 人垣の後ろの方からの声に反射的にスコットは黙れと叫んだ。


「ほう」

 赤毛の長髪を長く編み込み、士官の服に身を包んだラルト中隊長が一睨みするとスコットは真っ青になった。

「言い分は詰め所で聞こう。逃げるなよ」


 ラルト中隊長はジョゼフの方に向く。

「貴殿にも同行願おうか。余人は解散しろ。10数える。残っている者にも尋問することになるぞ。いーち……」

 ラルト中隊長の声が8をカウントする頃には気絶していた者も含めてほとんど人が居なくなっていた。


 その場にはマルルーとジョゼフ、そしてフォーゲルが残っている。マルルーは腰に手を当ててラルト中隊長を見上げた。

「私も一緒に行った方が……」

「いや、結構だ」


 ラルト中隊長はほんの少しだけ顔を緩める。

「あなたを見れば、おおよその想像はできる。あのスコットという男を告発するかね?」

「いえ。2度と店に顔を見せなければ結構です」

「そうか。今後、うちの隊の者も店の世話になるだろう。品行方正なはずだが、もし酔って羽目を外すような者がいれば遠慮なく言うがいい」


「……ありがとうございます」

 マルルーは頭を下げると店の中に戻って行った。

「さて、貴公はどのような立場なのかな?」

 質問されたフォーゲルが頭を下げる。


「そこの男は仕事上の相棒でして。おそらく、この度の騒ぎで罰金を言いつけられると思いますが、大きな金は私が管理してます。一緒に伺わないと、一晩素敵な所で過ごすことになりそうですからな」

「少し頭を冷やさせた方がいいと思うが」


 笑いを含むラルト中隊長の声にジョゼフが唇を尖らせる。

「女性に対してお触りするような野郎は殴られて当然だと思うんですがね」

「それは見上げた騎士道精神だな」

「お褒め頂いてどうも」


「まあ」

 ラルト中隊長にはっきりとした笑みが浮かぶ。

「顔にいくつか赤い腫れを付けていては折角見得を切っても台無しだな」

 ジョゼフは肩を落とす。


「さすがに10人いっぺんに相手するのはしんどいですよ」

「そうか。まあ、同じ女性として、その義侠心には謝意を示そう」

「では無罪放免で?」

「あくまで私人としてだ。公人としては、これだけの騒ぎを起こした責任は追及せざるを得ない。ついてきて貰おう」


 馬首を巡らすラルト中隊長の後にジョゼフはついて行く。近づいたフォーゲルが声を潜めて話しかけた。

「少しは反省してください。まだ初日ですよ」

「仕方ねえだろ。やっぱいいとこ見せたいじゃねえか。それにこっちもすげえ美人だぜ」

 フォーゲルはやっぱり一晩頭を冷やして貰った方が良かったかとちょっとだけ後悔した。 

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