第10話 悲痛な叫び2
スコットより半瞬早くフォーゲルが声を張り上げる。
「本日より、この地マールバーグ一円はカーマイン侯爵閣下の領地となった。閣下の代理人であるご子息に武器を向けるは反逆行為とみなす!」
空気を震わせる大音声は、城館前のみならず、町全体に響き渡った。
封土の変更は皇帝の御璽が押された帝国公文書の到達をもって効力を発する。ただ、統治の空白期間を避けるために、後任が現地入りするまでは、前任者は権力を行使することができた。シランジ子爵がその隙間時間で己の欲望を満たそうというのも統治者としてどうかという点を無視すれば別に問題はない。
しかし、後任の統治者が着任したとあっては、完全に違法行為だ。子爵の私兵たちが動揺を始めるのを感じて家令ハンスが声を張り上げる。
「うろたえるな。素浪人の戯言だ。カーマイン侯爵の名を騙るとは笑止。帝国に名だたる侯爵もそのご子息も広く顔を知られている。どこにおられると言うのだ?」
ハンスが息継ぎをして続けた。
「軍略に優れる嫡男ハリー殿、魔法学院で歴代一位とされる天才魔術師のクリス殿、武技に長け天下無双と言われるハインツ殿が一体どこにおられる? 残念だったな。私は主のお供をしてお目にかかったことがあるのだ。この詐欺師め」
ジョゼフがげっそりした顔でフォーゲルに話しかけた。
「なあ。舞台効果は満点だと思うぜ。だけど、めちゃくちゃ俺の精神削られてんだけど」
そんなジョゼフを気にせず、フォーゲルは威厳のある声で宣告する。
「カーマイン侯爵閣下のご子息であられる四男のジョゼフ様だ。若君の御前である。頭が高い。控えよ!」
声量と態度に押されてはいたが、周囲の人間はみなポカンとした表情だ。フォーゲルは背負い袋からさっと丸めた布を取り出して、ジョゼフの肩から垂らす。
深紅の生地に銀糸の縁取りがなされた帯に銀色の星型の徽章がつけられていた。帯の中ほどには金糸で双頭の獅子が縫われている。徽章が銀色と言うことは侯爵家、縁取りの色は相続権を有する男児であることを示していた。そして、双頭の獅子はカーマイン家の紋であることは帝国内で良く知られている。
帯を垂らしている当人はちっとも貴族らしい典雅さや、威厳を持っていなかったが、その帯はその身分を示していた。取り囲んでいる兵士たちから喘ぎ声が漏れ、ジョゼフの後ろから力ないつぶやきが聞こえてくる。
「ちょっと、冗談でしょ。私……」
マルルーのつぶやきは絶望の響きに満ちていた。知らなかったとはいえ、頭から水をぶっかけ、桶で頭を強打している。先ほどは平手打ちまで。どんな罰が与えられるか想像もつかなかった。気丈なマルルーだったが眩暈を感じてふらつく。その腕をジョゼフがつかんだ。
「大丈夫か?」
マルルーが見ると、ジョゼフが心配そうに顔を覗き込んでいる。自分の腕をつかんでいるジョゼフの手を見て、顔に視線を戻すと、ジョゼフが力ない笑みを浮かべた。
「これは、倒れそうだったから支えただけだぜ。平手打ちは勘弁してくれよ」
マルルーを懐柔するかのように歯を見せた。
ジョゼフの肩から下がる帯を目にして第7軍の正規兵たちが、シランジ子爵の私兵を押しのけるようにしてやってくる。そのまま、外に向けて半円型の陣を組んだ。それを確認するとフォーゲルは両手を組んで手首をぐるぐると回す。
「さあて、俺の言が信じられないという奴はかかってくるがいい。少しは楽しませてくれよ」
緊張感に耐えきれなくなったのか、兵士の一人が剣を抜いて斬りかかってきた。
「あがっ?」
次の瞬間には5歩ほど離れたところに吹っ飛んでいた。やや低く腰を落として右ひじを突き出した姿勢から、フォーゲルはゆっくりと元の姿勢に戻る。
「さてさて、剣を抜かなければならない相手はいるかな?」
フォーゲルが一歩前に出る。ジョゼフを取り囲む正規兵の中から感嘆の声が上がった。同時にシランジ子爵の私兵に動揺が走る。俺達下っ端じゃ間違っても勝てる相手じゃない。後ずさりする兵士たちを尻目にフォーゲルはスコットの面前に立った。テラスから喚いている子爵のことは双方ともに眼中に無い。
スコットは素早く思案を巡らす。ジョゼフ相手にあれだけ侮蔑の視線を向けていれば、間違いなく報復されるはずだった。一方で目の前の男を倒し、目撃者を含めて、あのカーマイン家の四男が存在しなかったことにするのも不可能だ。まず、このフォーゲルという男は今までなぜ気づかなかったと不思議なぐらいの覇気を放っている。
ただ、立場上、スコットは剣を抜かざるを得ない。何もしなければ子爵から百人長の地位をはく奪される。万事休す。覚悟を決めて裂ぱくの気合と共に剣を水平に薙いだ。フォーゲルの姿はすでになく。剣を握る腕を捻られ、関節をきめられる。みしと骨が鳴った。握力の緩んだ手から剣が滑り落ち、この日の騒乱は収束する。
シランジ子爵の一行はその翌日には馬車を連ねて、ダールウッドを去った。より帝都に近いが、湿地だらけで大地の実りも少ない狭小な新たな封地に向かう。雇人のうち目端の利く数人は理由を作って、ダールウッドに残留する。ジョゼフは城館の門前でシランジ子爵が去っていくのを見送った。
ジョゼフがこんな形でダールウッド入りをしたのには理由がある。後任が現地入りするまでは、前任者は権力を行使することができることから、着任を妨害するというせこい真似をするのを警戒したのだった。結果的にその用心は不要であり、ジョゼフの心に少なからぬ傷を負わせる。しかし、ジョゼフに感傷に浸る暇はない。
華美を通り越して悪趣味な館の内装を作り変える必要もあったし、本領から急ぎ人を呼び寄せる必要もあった。第7軍が治安維持を担ってくれることになっているが、住民の慰撫、市の管理、裁判などジョゼフの手足となる人材が不足している。着任のセレモニーを開いて、町の有力者や周辺の村の長などの挨拶も受けねばならなかった。
その内の一人、シエスタ祭司長の要請を気軽に請け負って、自分は初夜権を行使しないと確約したことで、ダールウッドではすぐに婚礼が相次いだ。幸せに輝かんばかりの新郎新婦に、主賓として下手くそな祝辞を述べ、館に戻ったジョゼフは、館の一番奥の自室に入ると叫ぶ。
「チッキショー!」
その声に館の使用人たちは顔に憐憫と同情を浮かべるのだった。
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