第5話 香織(健治)

僕は、男女の性行為については時間も内容も別にどうでもよかった。

もともと淡白な方なのかもしれないし、早くから経験していたせいもある。

同年代の男子がコンビニやファミレスなんかで話している内容が理解できない。「やりたい」と思うことがなかった。

セックスなんて、日常に転がっている。食事をするのと一緒で、気分がよければ食べるが、気分の悪い時には食べない。その程度のものなのだから。


香織さんは、その点では、あまり熱心でもないし、性格もサバサバしていて、今のところは、女性特有の粘着質な部分も見えない。

普段、彼女が会社に行っている間、僕は自由にさせてもらっている。

朝起きて、彼女の弁当を作り、彼女の出勤一時間前には彼女を起こし、二人でゆったりと軽い朝食を採り、彼女を見送る。時にはマンションの入り口まで一緒に降りて、見送ることもある。

彼女が仕事に行ったら、朝食の後片付けと、ゴミ出し。掃除機をかけて、洗濯機を回す。シーツを洗い、天気の良い日は布団を干す。


僕はよく家事をしていた。もともと家事が好きでない母は、僕が家事をすると喜んでくれた。母の死後は、家事が僕の仕事になった。

僕は、母のために料理を覚えた。洗濯や掃除も、整理整頓も、効率よくできるようになった。それは兄たちの家事をするためじゃない。


香織さんが出かけて、一通りの家事が終わると、僕はゆったりとした時間を過ごす。テレビを見たり、雑誌を読んだり、香織さんの読む文庫本を読んだり。

知識はそれで十分だった。それだけあれば、香織さんとの生活の中の会話に困ることはなかった。

もともと僕は聞き役に回る性格なので、自分から話を振ることはあまりない。それでも、会話の中で自分から話を振らなければならない場面には、彼女の得意なことや、興味がありそうな話題を振れるように香織さんの趣味趣向を学ぶ必要があった。

彼女の買ってきた雑誌にアロマテラピーの特集が載っていれば、紀伊国屋でその手の本を立ち読みし、ロフトで一式を買い、疲れて帰った彼女にひと時の安らぎを与える。

彼女が疲れていれば、風呂上がりに、手の握力がなくなりそうになるまで、全身マッサージをする。

仕事で嫌なことがあって、涙を流す夜は、彼女を抱きしめて、背中をさすり、彼女が眠るまで手を握りしめている。

彼女の休日には、昼まで一緒に寝て、遅い朝食を摂り、新宿御苑あたりを、そこら辺にいるカップルと同じように手を繋いで散歩し、映画を見たりウインドウショッピングを楽しんだりした。


彼女はまだ僕を束縛しない。

毎日千円のお小遣いを置いてくれる。たまには僕の服を買って帰ることもある。僕は特に欲しいものなんかないので、2、3日分のお金が貯まると、彼女の喜ぶものを買いに行く。

テレビで見た、イチオシスイーツを、女性たちに囲まれながら、行列に並んで買ってきたり、アロマや季節のお花だったり、中平香織が好きであろうものを選ぶ。

もともと、彼女が稼いだお金なのだから、彼女のために使われるべきなのだ。


時々、僕は新宿の街を散歩する。

特に人が大勢いるところを好んで散歩する。

人の波に囲まれていると落ち着く。

誰も僕を気にしない。僕も他人をきにしない。

そんな非干渉で無機質な人々の塊が好きだ。

無責任で、自由な新宿は、今まで渡り歩いてきたどこの街よりも居心地がいい。

この街にはなんでもある。ないものを探す方が難しいくらいだ。

それらを求めて、日本中、世界中から人が集まる。

本当に大事なものや、大切なものなんて見つかるはずがないのに…。

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