第14話 悠太
僕は確かめなければならない。
あの女はダミーかもしれない。
親父や、兄貴たちの差し金かもしれない。香織のことが思い出される。
「過去に還る」
あの女を探す上で、僕はきっと、自分の過去を振り返らなけばならない。それはあの女から僕へのメッセージだ。
僕は家を出てから初めて、親父に会う決心をした。
親父は銀座で大企業相手の税理士事務所を開いている。祖父の代からの付き合いで、有名企業の社長とも付き合いがあり、親父はしょっちゅう海外旅行や、ゴルフ、接待に出かけていて、日曜日でもほとんど家にいることがなかった。仕事人間の親父は家のことも含めて、育児も全て母に任せていた。母の病気の発見が遅れたのも、半分以上は親父のせいだと、僕は親父を憎んでいた。自分の人生の中で、二度と会いたくない唯一の人物だった。
新宿から地下鉄に乗り、銀座1丁目で降りる。親父の会社は中央通りの一角にある。平日の昼間ということもあり、人はまばらだが、奥は前々からこの銀座が苦手だった。皆が一様に着飾り、人々の服装も、街全体が硬い感じがするからだ。親父にはこんな街がお似合いなのだろう。
親父の会社に入ると、受付の女性は、僕を不審がる表情を浮かべた。
「相楽悠太と申しますが、父はおりますでしょうか。」
と告げると、女性は満面の笑みを浮かべ、
「こちらへどうぞ。」
と言って、親父の部屋に僕を案内した。
「コンコン。」
女性がドアをノックし、扉を半分ほど開ける。
「何だ。」
久しぶりに親父の低い声を聞いた。
「ご子息がお見えになられています。」
「通せ。」
女性は僕に中に入るように促した。
「何だ。お前か。」
一年以上も音信不通だった息子に会っても、親父は以前と何も変わらないそぶりだった。実際に、親父の容姿は変わらない。相変わらず、頭はだいぶ薄いし、いつもと同じスーツを着て、ネクタイを占めている。顎からモミアゲまでのびた髭は、以前より少し白くなっている。
「何だ。突然、仕事場まで訪ねてきて、何の用だ。金か。」
「聞きたいことがある。」
親父はデスクについたまま、僕がこの部屋に入った一瞬だけ顔を上げたが、あとはずっと目の前の書類に目を通している。
「何だ。俺は忙しいんだ。手短にな。」
「僕の彼女に痛い目をみせたり、僕を尾行させたり、僕の知人を追いやったりしたのは親父の仕業なのか。」
「何だ、随分と込み入った事情になっている見たいだな。」
「質問に答えてくれ。」
「俺がそんなことをするわけないだろう。そんな暇もないし、そんな無駄な金を俺が使うと思ったか。もし、お前を連れ戻すつもりなら、力づくで連れ戻す。それが俺のやり方だ。わざわざ、そんな回りくどい、姑息な手段など使わない。俺を見くびるな。息子といえども、言っていいことと悪いことがあるぞ。」
「わかった。」
僕がドアノブに手をかけて、出て行こうとしたとき
「悠太。」
と親父が僕を呼ぶ声がする。親父に名前を呼ばれたのは何年ぶりだろう。確か、まだ母が生きていた頃だ。
「何?」
僕は親父の方を振り返った。
「何をしても構わんが、俺に迷惑だけはかけるなよ。」
くそ親父は、くそ親父のままだった。
僕は、親父の会社を出ると、次男の夏樹兄さんのところに向かう。
うちの兄弟は、春一、夏樹、秋也、冬治、そして僕、悠太という名前で、上の4人はそれぞれ季節の名前。長男が28歳、次男が26歳、三男は24歳、四男は22歳で、僕が17歳。そのせいか、僕は小さい頃から兄たちに対して、ずっと疎外感を持っていた。
夏樹兄さんは明るい性格で、スポーツが大好きだ。中学時代は空手、高校時代はボクシング、大学時代は柔道と、格闘技のスペシャリスト痛いな男で、体格も兄弟の中で一番良い。今は日本を代表するような有名企業で営業職をしている。
秋也兄さんはロンドンの大学に留学しているし、冬治兄さんは日本の大学の大学院に進むと言っていた。
もし、僕を追うことができるとしたら、長男か次男しかいない。その二人のうち、比較的話しやすい方を僕は先に選んだ。
銀座から歩いて丸の内まで行き、高層ビルの立ち並ぶ一家に夏樹兄さんの会社はある。僕は少しばかり緊張してビルの中に入る。男も女も皆しっかりとしたスーツを着込んで、忙しそうに歩いている。僕のように、Gパンにスニーカーの者など一人もいない。自分が場違いなところにいると実感させられる。
ビルの中は快適だった。受付の女性の容姿もレベルが高い。
僕は先ほどと同じように、自分の名前を告げ、兄を呼び出してもらった。
ロビーはとても広いのに、静かで落ち着いていて、まさに大人の世界だった。誰も大声を出さないし、人々が歩く革靴の音がよく響いていた。
しばらく、ロビーで腰掛けていると、兄さんが僕を呼ぶ声がした。
「悠太。」
僕は立ち上がって、近づいてくる兄を見る。軽く右手を上げて挨拶する兄の姿は、相変わらず快活そうに見えた。
「どうした、突然。」
「聞きたいことがあって。」
「何だ。」
夏樹兄さんの声は大きい。ロビーの中に響き渡るような声だ。さすがは体育会系。
「兄さんたちの誰か、僕のことを探していた?」
「いいや。」
「本当?」
「俺たち兄弟がお前のことなんか探すわけないだろう。」
「それ、どういう意味?」
「…。俺は、忙しいんだ。今はお前には構っていられない。もう行くからな。」
「夏樹兄さん!」
「あんだよ。」
「ちゃんと説明してよ。」
「春兄のところに行けよ。」
「春兄さんのとこ?」
「そうだ。」
そう言って、あっという間に夏樹兄さんはいなくなってしまった。僕は仕方なく、言われた通り、、春兄さんのところに行くことにした。
春兄さんは、東大を卒業後、財務省に入った、親父が企業の金庫番なら、春兄さんは国の金庫番だ。春兄さんは5人兄弟の長男としての責任なのか、いつも冷静で隙のない男だった。僕が小学校卒業時にはすでに社会人だった兄との距離は年齢上に遠かったと思う。
春兄は完璧主義者だった。何でもやるからには勝たなくてはならないとよく言っていた。僕の記憶には春兄さんの笑顔はない。春兄さんには、恋人や自分の心の内を打ち明けるような友人はいない。昔から常に一人だった。僕ら兄弟ともほとんど関わろうとしない。春兄さんは、兄弟というより、どこか他人行儀な、教師のような存在だった。無言のまま、自分の行動を見て学べと言われているような背中だった。
久しぶりにあったのに、春兄さんは、眉ひとつ動かさずに、淡々とした口調で話す。メガネの下の鋭い目が僕を見つめていた。
「どうした。」
「夏樹兄さんのところに行ったら、春兄さんに聞けって言われてきた。兄貴たちが僕を探すわけがないと言われた。その理由を尋ねたら、春兄さんのところに行けと言われた。」
「そうか。分かった。一時間後にもう一度ここに来い。全て教えてやる。」
「はい。」
春兄さんの体は細い。身長は180cm近くある。余計に冷たい印象を受ける。でも、春兄さんは誰よりも明確な答えを出してくれる。
一時間後に僕は同じ場所で、春兄さんから二つの封筒を受け取った。一つには現金が束になっている。もう一つは戸籍の写しだ。
僕は初めて見るその書類に目を通すと、父や母の名前、それに兄たちの名が並び、僕の名前のところには、「養子」の二文字。
僕は愕然とした。兄たちと本当の兄弟ではないことは構わない。かれども、あの優しかった母の子供じゃなかったことがの方が100倍ショックだった。
「今まで気がつかない方がおかしい。」
春兄さんはそう言った。
「母さんが亡くなったの時の年齢はいくつだった?」
「58」
「そうすると、お前が生まれたのは、母さんが41歳の頃という計算になる。不自然だろう。それにお前の名前や、俺たち兄弟との年齢差も。まぁ、あの親父のことだ、男4人でどうしても女が欲しかったのだろう。母さんが冬治を生んで、子供ができなくなると、よそにでも女子を作ろうと精を出したのだろう。お前の母親が誰かは俺も知らない。でもお前は、親父の愛人の子で、何かしらの事情で、引き取られた。お前が来たのは俺が中学2年生の頃、お前が3歳のときだ。だから俺たち兄弟がお前に何の興味もない。家を出ようが、何をしていようが構わない。親父の遺産もお前には流れない。その金は餞別だ。もう俺のところには来るなよ。それと俺たちに迷惑だけはかけるな。」
封筒の中身は100万円以上はある。14年間の僕との付き合いを、これからの兄弟としての付き合いを、未来を、たったこれだけの金額で断とうという。
実に、春兄さんらしいやり方だ。合理的で、無駄がなく、感情もない。明確で明瞭。彼の存在そのもののようなやり方は決して間違っていない。僕はそんな彼のことをこれっぽっちも恨んでいない。春兄さんは、昔から今と変わらない。こういう人なんだ。
春兄さんは黙っている僕を無視し、そのままさっさと仕事に戻ってしまった。
僕は二つの封筒をポケットにしまい、トボトボと地下鉄までいき、電車に乗って、再び新宿に戻った。
「過去に還る」
あの女が言った言葉を思い出していた。
自分の出生は知った。でも、だからと言って、なんなのだ。あの女はそんなことまで知っていたというのか。僕は僕の過去を知った。
でももっと違う過去のことをあの女は言っているのではないかという疑問が湧いて来る。
親父や、兄貴たちからはあの女の情報は一切出ていない。おそらく、僕の見当違いだったのだろう。
あの女を追跡するためには、家を出てから今日までの軌跡を振り返るべきなのだ。
その中にあの女につながる何かがあるはずだ。
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