第15話 由井(アキラ)

僕は一つずつ自分の歩いて来た道のりをたどっていくことにした。

まずは高田馬場に行き、ヨンフィのその後の消息について調べる。

彼女の友人のイ・ジユウの家にいき、彼女のその後について聞くと、彼女は韓国で日系のホテルに無事就職が決まったそうで、韓国に戻っているという。僕はついでに、あの女の写真を見せて、この女を知っているかと尋ねたが、彼女は、韓国語で、「いいえ」と答えた。


次に僕は高円寺の久美の家に足を運んだ。彼女は母親は、僕のことをかろうじで覚えてくれていた。久美は男と駆け落ちして、3ヶ月後には母親になるという。僕はお祝いの言葉を述べたが、彼女の母親は、自嘲気味に頷くだけだった。


それから僕は咲希の家に足を伸ばした。彼女の変わりようはすごかった。きちんとした黒髪になっていたし、派手なメイクもしていない。眉毛を描いているくらいで、どこから見ても普通の女子高生だった。久しぶりに彼女と話すと、

「もう彼とは別れたの。あなたが彼を叩きのめしてくれて、目が覚めたわ。あんな男のどこが良かったのかしらって。式だった気持ちが全くなくなったの。それで、自分を改めて見たら、ひどい顔しているじゃない。それから私は生まれ変わったの。今は、毎日充実していて楽しいわ。」

僕は、久美の母親にも、咲希にもあの女の写真を見せたが、全く知らないという。


そして、僕は原宿に行く。

原宿時代は、4ヶ月間と半月と、今まで一緒にいた女の中で一番長い期間だった。

彼女の名前は木下由井。彼女はアーティストだった。ストレートに伸びた黒髪は腰のあたりまで伸びていて、目は切れ長で、細い。身長は160cmそこそこ。一見するとおとなしい印象を受ける。

彼女の服装は独特で、いつもひらひらのスカートを履いていて、インド綿とかシルクとか肌触りの良いもの、体のラインが出ないものばかりを好んで着ていた。

でも、彼女のスタイルは決して悪くない。彼女はいつもほっそりとした体のラインを保っていた。

由井が僕を拾ったのは、表参道だった。一人で歩いていた由井は僕の姿を認めると、いきなり僕を平手で、勢いよく引っぱ叩いた。

僕は驚いたが、由井から目線を反らせなかった。由井は、

「いいわ。」

と言って、僕の腕をとり、原宿の自分のアパートの僕を連れ込んだ。彼女の部屋はもの凄い散らかりようで、足の踏場がないほど、色々なものが散乱していた。

CD・本・楽器・絵の具・洋服・ペン・カメラ・写真・縫い物・石膏ボード。様々なものがベット以外の床には所狭しと転がっていた。僕は由井に聞いた。

「あなたは何をしている人なんですか。」

「アーティストよ。」

「年は?」

「あんたバカ?」

「はい?」

「アートに年齢が関係ある?そんなくだらない質問しないで頂戴。私が30だろうが、20だろうが、10だろうが、良い物を作れる、作れないに、年は関係ないの!」

「どうして、僕を拾ったんですか?」

「拾った?面白いこというじゃない。あんたの瞳よ。その瞳を見て『美しい』と感じたから。あんたの目は一見すると、曇っているのに、よくよく見ると一点の曇りもない透き通ったガラスのような瞳をしているの。どうしても、その瞳が欲しかった。」

「いきなりビンタしたのは?」

「あんたの瞳が曇るかどうか実験したの。」

「それで、僕は合格したってわけ?」

「そうよ。私は人の体って、美しいものとそうでないものがあると思っているの。例えば、女性の象徴でもあるバスト。日本人の胸は乳首が外向きなのが大半。欧米人の乳首は内向き。でも、彼女らには日本人のような乳首がないの。欧米人の乳首は乳輪が大きいせいか、平べったいの。それに、大きすぎる乳房は垂れてしまう。私が前に見た写真で黒人の少女のヌード写真を見たとき、本当の胸の美しさはこれだって思った。形の良い胸。バランスの良い乳首と乳輪、ツンと上がった胸の形はアートだったわ。日本人では到底たどり着けない美ね。でも、私もあの胸まではいかないけど、胸の形には自信があるの。ほら。」

そういうと、彼女は服をめくり上げて、ブラジャーをしていない胸をあらわにした。確かに、彼女の言う通り、小ぶりだが、良い形をしている。乳首もピンクで、上向きだ。

「ブラジャーはしないの?」

「あんなものは必要ない。なぜ、こんなにも、美しいものを隠さなければならないの。わいせつ罪にならないのならば、常に上半身裸で皆に見せて歩きたいくらいなのに。」

そして、彼女はそのまま服を全て脱ぎ、全裸となった。僕にも服を脱ぐように言う。彼女は僕に目を閉じるように指示し、僕の体の隅々まで優しく愛撫し、さらに舐めまわした。足の裏、耳の裏、肛門や脇の下まで。文字通り、身体中の全てを触られた。

それが済むと、彼女は、同じことを僕にやれと命令する。僕は従う。

彼女の全てを舌と手で触れ終わると、彼女は音楽をかけ始めて、僕の上に跨った。彼女のセックスは、官能的で、情熱的で、そして独りよがりだった。

彼女はセックスの時には必ず音楽をかける。ハードロックの時は、激しく腰をふり、自分が満足するまで決してやめない。僕が射精しようがしまいが御構いなし。

逆にクラシックの時は、何時間でもかけて丁寧に時間をかけてした。たまに泣きながらすることもあった。そういう時の由井は普段の彼女とは別人だった。

彼女に言わせれば、性行為自体も、アートの一部だと言う。人の体を全身で味わうこと、魂と魂とのぶつかり合いだと。

由井にはパトロンがいるようだった。彼女は働いていない。

僕が会った次の日、由井はピアノにハマる。狭い部屋にはピアノを買ってきて置いた。寝る場所もない。あるのはピアノだけ。それ以外のもの全て捨ててしまった。由井の部屋は、僕と由井とピアノだけになった。

由井は、一日18時間ずっとピアノを弾いていた。夢中になって弾いているので、ご飯を食べることすら忘れてしまい、よく貧血になった。

ものズゴイ集中力で何かに向かっている時の由井は他の全てを忘れた。僕の存在すら。


「なぜ、そんなにいろんなことにハマるの?」

「一回しかない人生を精一杯生きなくてどうするの。明日死んでも後悔しないように、今を全力で生きるのよ。」


由井はよく帰ってこないことがあった。きっと他の男と寝ているのだろう。

「男も芸術もなんでも自分で試して見なくてはわからないじゃない。」


僕は、一度彼女にお願いしたことがある。

彼女の今までの積極的な性行為ではなくて、僕に任せてくれないかと。

能動的な性行為をさせてほしいと。

その場で由井は承諾し、すぐに性行為は始まった。

終わった時、由井は大粒の涙を流して泣いていた。

それ以来、由井の態度は一変した。

彼女は僕のことを「あんた」とは呼ばずに、当時使っていた名前「アキラ」と呼ぶようになった。

その発音は、海外風で、アキラの「ア」にアクセントがつくつく独特のものだった。

由井それからどこに出かけるのにも、僕を同伴させた。写真展、絵画展、コンサート、オペラ、歌舞伎、舞台、行きつけのバー、友人との食事にも、僕を連れていき、彼氏として紹介した。

由井の行きつけのバーのマスターによると、彼女が地方から原宿に出てきてから数年で初めて紹介された彼氏だそうだ。彼女はいつも違う男を連れていた。それが全くなくなった。彼女は毎日、僕といた。

さらに、時々由井は居酒屋で弾き語りなどをしてお金を稼ぐことまで覚えた。

由井は、ピアノ以外にも、ギター、ハーモニカ、バイオリン、トランペット、ビオラを弾ける。

そんな僕と由井の別れは唐突に訪れた。彼女が油絵にハマったのだ。彼女は例のごとく、カンバスに向かっていた。僕がそばにいることが集中力を乱すと文句を言うようになった。

「アートの制作途中で見て欲しくない。」

と言う理由で、部屋の外に出される。しかし、油絵の完成なんて、1日2日の話じゃない。結局、僕は、彼女の作品の完成を待たずして。彼女の元を去った。


ひさしぶりに、原宿の飲み屋のマスターのもとを訪ねた。

「おお。アキラ。どうしてた。随分ひっさしぶりだな。」

「ご無沙汰しております。」

「元気か。」

「はい。」

「何ヶ月ぶりだ。由井は元気にやっているかな。」

「僕も久しぶりに、彼女に会いにきたんです。」

「じゃあ、知らないのか。」

「何がです?」

「あいつはお前が出て行ってすぐに、油の勉強をするとかでフランスに飛んで行ったぞ。」

「そうでしたか。全然知りませんでした。ずっと音信普通でしたので…。マスター、彼女の住所を知りませんか。」

「いやぁ、わからんな。」

「そうでしたか。じゃあ、もし由井の友達がここに来ることがあったら、僕が由井を探していると伝えてもらえませんか。」

「分かった。会えるといいな。」

そして、僕はここでもマスターにあの女の写真を見せた。

「いやー美人だな。分からん。見たことある気がするし、見たことも無い気がする。なんせこの歳になると、若い子の区別がだんだんとつかなくなって来るもんでな。すまん。」

マスターはそう言って、鼻の下の髭を触っていた。まだ50代だと思うのだが。


渋谷にはいかなかった。どう考えても、聡子があの女とつながっているとは思えないし、僕は前回手切れ金を受け取っている。そもそも、政界とつながりのある聡子とこれ以上関わり合いになるのは危険だった。


池袋の恵子は、彼女の職場を訪ねた。僕は自分が彼女の甥と言う設定にした。職場の若い男に聞くと、彼女は職場を辞め、田舎に帰ったと言う。僕と別れてからすぐに、職場に電話で辞意を伝えたそうだ。

念の為、僕はあの女の写真を彼に見せたが、知らないと言う。


最後は梓だった。彼女のアパートを訪ねると、彼女は訝しがる表情を作ったが、部屋の中にまで招き入れてくれた。

「学校辞めたんですってね。」

「はい。」

「何も、君が辞める必要なんてなかったのに…。」

「もともと、僕にはああ言う集団生活は合ってなかったんです。未練はありません。」

「そう。」

「梓さん、今は?」

「保育士の資格の勉強中よ。あなたたちと同じ学生ね。」

「そうですか…。」

「あなたは、今どうしているの?」

「実は、人を探しています。」

僕はあの女の写真を彼女に見せた。

「あら、葉子ちゃんじゃない。」

「先生!知っているんですか!」

「久しぶりに『先生』って呼ばれたわ。懐かしいわね。知っているも何も、あなたの元同級生じゃない。確か一年Dくの子よね。あなたの隣のクラス。すごく美人で目立っていたから彼女のことはよく覚えているわ。」

「フルネームはなんて言うんですか?」

「確か、設楽葉子って名前だったと思う。」

僕は梓にお礼を言って、彼女の家をでた。

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