第19話 由井(悠太)

車に乗りこむと、ミシェルはパリの郊外へと車を走らせた。

車の運転は日本なら、危険運転と認識される部類に入るだろう。スピードもガンガン出すし、信号無視寸前が当たり前。実に男性的な運転で、普段の穏やかな彼とは違った一面だ。昨日もそうだったが、彼は運転中はあまり喋らない。

パリから40分もすると、由井の住所についてしまった。まだ朝だ。

「どうして?昨日は遠いって言ってだじゃないか。」

「遠いよ。だって、男二人で一時間も密室にいることは、僕にとってはとても長い。ユタがどんなにいいやつでも、とても遠く感じる。」

ミシェルは笑顔でそういう。憎めない奴だ。


僕は白い壁の由井の住む家を見た。平屋のこじんまりとした一軒家。小さな庭もある。いかにも画家が住みそうなアトリエ風の可愛らしい作り、由井が好きそうだ。表札には「YUI KINOSHITA」の文字がある。

「ユタ。」

「ウィ。」

「女だな。」

「ウィ。」

「じゃあ。僕はこれで、一回帰る。また迎えが必要なら、ここに電話くれ。」

そう言って、ミシェルはタバコの箱の裏に自分の電話番号を書いてよこした。

「頑張れよ。ユタ。バンザイだ。」

「サンキュ。ミシェル。またな。」

ミシェルはワーゲンに乗り込み行ってしまった。


僕は由井の家の扉をノックした。2、3回ドアのノックすると、扉が開いた。

出てきたのは由井だった。以前と変わらない、ひらひらのスカートに、長い髪、切れ長の目、ツンとした感じも以前のままだ。

「アキラ!」

僕は、ああそういう名前だったなっと思った。彼女は勢いよく僕に抱きついた。

「会いたかったよ。来るの遅い!何してたの!」

彼女は怒鳴っていた。目からは涙が流れている。

僕は彼女をなだめ、身を離すと、

「由井。葉子はどこにいる。」

と尋ねた。もはや僕は確信していた。葉子が由井ののところにいることを。

潮が引いたように、由井のテンションは下がっていた。

「…。ここにはいない。」

「どこに行った?」

「…。知らない。」

「嘘つくなよ。お前が嘘をつけると思っているのか。」

つい声が荒くなってしまった。彼女は俯いて、涙を溜めている。由井のこんなそぶりは日本では見たことがない。「しおらしい」という言葉が似合わない、強気で勝気の由井がフランスに行って苦しんでいたというまさみの話は本当のようだ。

「アキラに何がわかるのよ!このフランスの地で、どれだけ、私がアキラのことを想って生きてきたと思っているの。どれだけアキラに会いたくて、どれだけアキラのことを考えて過ごしてきたか。久々に再会できたのに、やっと再会した元恋人は会うなり、別の女の名前を口にする。そんなあたしの気持ちがあんたに分かるの?なんて不躾で、不誠実で、自分がどれだけ思慮に欠けているか分かっている?」

「…。」

沈黙が二人を包む。僕は、彼女のいう通り、ここまできて焦っていた。

最後の最後で、由井の気持ちを考えてあげる余裕がなかった。言い返す言葉もない。

そんなな僕の姿を見かねて由井は口を開いた。

「彼女の話をしてもいいわ。」

「本当?」

「ええ。でも、条件があるわ。」

「何?」

「抱いて。今すぐここで。」

彼女の目は真剣だった。

僕は彼女に口づけし、そのまま彼女の家の中に入って行った。


互いに奪い合うように、服を脱がし合う。久しぶりに触れる彼女の肌、視界に入ってきた彼女の裸体は、今まで以上に、官能的で、扇情的だった。

彼女の長い髪、女性らしい腰のライン、ピンクの乳首、やらかな弾力、彼女の喘ぐ声さえ、今までとは別人のようで、僕はまるで、今日初めて彼女を抱いている気がした。

これまで互いにこんなに積極的になったことはない。常にどちらかが受け身だった。

由井の言う、「魂と魂のぶつかり合い」と言う表現がわかる。彼女をベットに押し倒した時には、互いに何も身につけていなかったし、僕のものはこれまでにないほど固く、熱くなっていた。僕はすぐに彼女の中に入った。彼女の中も、これ以上ないほど濡れていた。

互いに激しく性器を動かす。彼女の腕は僕の背中に回され、僕の背中には彼女の爪が食い込む。その痛みに僕はさらに興奮する。痛みさえ快感だった。

僕は危うく彼女の中で果てそうになった。由井は四肢を力強く僕の体に絡めていて離そうとはしなかったからだ。


終わって、ベットの上で裸の由井を見ていて、僕はきっと葉子とはこんなことは永遠とできないのだろうと思った。

そんな僕の思考を読み取ったかのように、突然、由井は目を開けて、身体を起こすと、枕元に置いてあったタバコに火をつけた。

「タバコ、また始めたんだね。」

「ええ。こっちにきてからね。」

そう言って、裸体のまま天井めがけて、煙を吐き出す。煙には窓から差し込んだ光が横から当たっている。その光景はとても美しかった。

「何から話そうかしら。」

「なんでも。」

「そう。じゃあ、まず、彼女の居場所からね。あたしは、今、現在の彼女の居場所は分からない。3日前まで、彼女と私は一緒にここで暮らしていた。それが、三日前、突然出ていくといい始めた。あたしは彼女に理由を尋ねた。彼女は丁寧に一から教えてくれたわ。あなたのことも彼女自身のことも。あなたがここに訪ねてきたら、知らないと言えとも言われた。一応約束は守ったわ。彼女は知らないと答えて欲しいとは言ったけれども、教えるなとあ言わなかった。あたしは5日前に彼女の服を借りようと、彼女の部屋に入って、偶然、航空機のチケットを見つけてしまった。それは明日の8時パリ発、ソウル行のチケットだった。まだ時間があったのに、早くにここを去ったのは、あんたがフランスに向かったと言う情報を得たからじゃないかしら。とにかく、彼女はまだフランスにいるはず。」

「そうか。全部聞いたんだな。由井。なぜ、僕の本当の名前を知っていたのに、僕のことをアキラと呼ぶんだ。」

「あんた本当にばか?あんたがアキラだろうが、健治だろうが、悠太だろうが、歳がいくつだろうが、そんなことあたしにはなんの興味もないことだし、関係ない。あたしはあんたの魂と呼応しているのだから。出会った時に同じことを言ったでしょ。」

「そうだったな。それで、香織のことなんかもみんな由井は知っているんだね。」

「ええ。全部聞いたわ。葉子は香織さんのことを『私たちの理性』だって。」

「私たちの理性?」

「そう。アキラも葉子も小さい頃から愛のない環境で育ってきて、その反動で、他人の中にしか自分の存在証明を得られない人間になってしまったって。ねえ、愛の対義語って知っている?マザー・テレサは無関心だって定義したけど、あなたたちのように親に無関心に育てられた人間は、他人の中にしか己の存在意義を見出せない。だからこそ、他人に尽くすことも苦痛でないし、簡単に離れることもできる。普通の人間は情や愛がある。だから簡単には割り切れない。離れることには精神的苦痛を伴うの。けど、あなたたちは違う。葉子は、自分たちは人が羨むような、お金や容姿は生まれた時からあるけど、ずっと孤独だったって。誰も信じられる人間がいなかったって。自分の周りの人間は、自分の表面しか見ない。そのことについてしか話さないし、興味がない。そんな人間たちばっかりだったそうよ。それが、あなたを追ううちに、香織さんを見つけて、その香織さんを傷つけて、あなたと香織さんの間を引き裂いてしまったことを、彼女は本当に後悔しているように、あたしには見えた。葉子はその後、香織さんに直に会ってみて、彼女に懺悔したそうよ。それでも、香織さんは怒ることもなく、最後まで葉子の顔をみて、目を逸らさないで、話を聞いていたそうよ。葉子は生まれて初めて人前で泣いたそうよ。」

「そうか。それにしてもさっきから、あんたたちって。どう言う意味だ。」

「悠太にとっても、それまで付き合ってきた女性は、あなたの容姿や自分の都合だけであなたを評価し、扱ってきたって。それはあたしのことも含めてね。でも、その香織さんと言う人は、あなたに何一つとして強制しなかった。あなたを自由にさせ、あなたの人間性を尊重していた。どんどんと穏やかになっていくあなたの瞳から、葉子はあなたが居場所を見つけたのだと思った。もう、それを邪魔してはならないと思った。でも、人間の気持ちって、そんなに簡単にいかないもので、今までずっと遠くから見守り続けてきた、自分の最愛の人が、ひょこっと現れた、女に奪われていくのがたまらなく、ついにあなたの前に姿を表してしまった。葉子はそれからも、あなたからひたすら逃げ続けた。でも、あなたは、まるで彼女が与えた試練を乗り越えるように、着実に彼女の迫って行った。葉子の大半は、あなたの幸福を願い、身を引くと行った考えが占めていたけど、後の10%くらいは、あなたと一緒にいたいと願っていたはずよ。あなたはその気持ちに導かれて、ここまでたどり着いた。」

「なぜ、そうまでして、僕を拒否するんだ。僕は確かに葉子を追ってきた。彼女に対して親近感もある。彼女の考えもある分かるし、僕たちは同じ種類の人間だと感じている。彼女はそんな僕のことが怖いのか。香織のことを意識しすぎていないか。自分が会いたいなら会えばいいじゃないか。自分の人生なのだから、我慢しても仕方がないだろう。」

「あなたはまだ知らないの?」

「何が?」

「あなたたちの出生の秘密よ。」

「僕が養子だってことだろう。」

「違うわ。それだけじゃない。」

「じゃあ、なんだって言うんだ。」

彼女はそこまで言うと、大きく深呼吸して、自分を落ち着かせた。

「いい?あなたは今『同じような人間』と言ったけど。それは違う。あなたたちふ二人は同じなの。あなたの父、相楽龍彦は女の子の誕生をひたすら望んだ。その結果、あなたが愛人の子として生まれた。その愛人が葉子の母、設楽望よ。さらに付け加えるなら、彼女は17歳。あなたの双子の妹よ。」

「…。」

「龍彦は望に子供ができたと聞かされて、それが男だと聞くと、激昂し、望と縁を切った。望にして見れば、男だろうが、女だろうが、龍彦は愛してくれると思っていた。だから裏切られてショックだった。彼女は龍彦を恨んでいた。彼女は、男女の双子という事実をを隠していた。彼女は龍彦を試したの。そこで、彼女は生まれた男の子だけを龍彦に引き取らせるようにあれこれ苦心した。一方で、自分の手元にいる女の子の存在を隠しながら。設楽望は徹底的に娘の存在を隠した。葉子を姉の遥の養女にして、法律的にもすでに彼女たちは親子ではなくなっている。戸籍、住民票や公的なことやお金の問題も全て巧妙に操作して世間の目を欺いてきた。さらに望は龍彦は経済的に龍彦に復讐を試みる。かつて男にいいように扱われてきた自分の過去から、女性を美しくさせるという職業に最初は誇りを持っていた。それが、だんだんと商売がうまくいき、多忙になったある時から、金銭的なことにしか興味がいかなくなった。今度の彼女の目的は一部上場するような、大きな企業になり、龍彦を見返すこと。そして、葉子が高校に入学する頃、以前から付き合いのあった政治家への売春斡旋を始めた。葉子は、高校入学時に、偶然あなたを見つけて、一目で自分の身内であることを悟った。本当のことを打ち明けるつもりだった。なのに、あなたは半年も経たずに高校をやめてしまった。実家に電話しても、いつも留守。不審に思った葉子は、探偵を雇い、あなたの行方を探させた。あなたが見つかるとさらに葉子はあなたの過去、今までの女性遍歴まで多岐にわたって調べ上げた。その過程で、彼女は自分とあなたとの関係、数奇な運命を知ってしまった。葉子はあたしの前でもずっと苦しんでいるように見えた。あたしが何がそんなに辛いのかって尋ねてみても、首を横にふるだけで、何一つとして答えようとはしなかった。それが、3日前に突然、今までのことを洗いざらい話して、翌日には彼女の姿は消えていた。」

そこまで話し終えると、彼女はやっと服をまとい始めた。

僕は怒りで体が震えていた。熱が身体の奥底から湧き上がってきた。今、自分の父に対しての増悪がふつふつと煮えたぎるマグマのように、僕の内部を駆け回っている。なんという罪深い男なのだ。女性を、子供をなんだと思っているのだ。僕たちは父の都合の良いオモチャじゃない。と、同時に、僕にも、葉子にもあいつと同じ血が流れているかと思うと、反吐がでる。

葉子はそんな重荷を一人で背負ってきたのか。僕はなんと、浅はかで、愚かだったのか。

「それで、由井はそのことについて、どう思う?」

「やっと、あたしの気持ちを聞いてくれたのね。そういうところからも分かるように、あなたたちには愛がない。自分の存在証明のためだけで、他人と付き合っているから。それはひどく冷たい行為だわ。」

「マスターにも、どうして由井と一緒にいた?って聞かれたよ。長年、若者をみてきても、お前だけはわからないとも。」

「そうでしょうね。あたしも、葉子の話を聞いて、やっとあなたたちのことがわかり始めた。常人には理解できない、あなたたちに皆が惹かれる理由は、あたしもそうだったけど、その容姿、特にその瞳にあると思うの。あなたたちは、他人を利用しようとかいう邪気が一切ない。だからとても透明で、澄んだ瞳をしている。けれど、あなたたちには愛がない。汚れてはいないけれど、輝きもない。普通の人は心に必ず汚れがあって、それが瞳に現れる。そんな普通の人から見れば、あなたたちはとても魅力的なの。ミステリアスで、透明なガラス細工のように見える。不思議よね。影も光もない。あたしは、あなたたちを『虚無』だと思う。フランスに来て、独りで苦しんで、あなたのことをひたすら考えた。あなたには愛がなかった。だからこちらがいくら想っても関係なし。でも、あんなに尽くしてくれた。自己満足も、恩着せがましさも一切感じられなかった。あたしはそこに愛があってほしいと願った。でも、そこには愛はなかった。虚無は人の心を寂しくさせる。でも、あたしは愛がないことによって、救われた。多分、今まであなたが関わって来た女性たちも救われたんじゃないかな。あたしが、自分勝手になったり、自らを壊しかけたタイミングで、あなたは姿を消してくれた。そのおかげで、独りで考える時間があって、愛を欲して、奔走していた自分に気がつくことができた。本当に大切なものが何かを考える、いい機会をあなたは与えてくれた。でも、葉子の話だと、香織さんだけは違った。彼女だけは、あなたのそんな虚無を見抜いていたんじゃないかって。その上で一緒にいることができた唯一野『人間』だと葉子は言っていた。」

「随分と、香織のことを持ち上げるんだな。」

「葉子にとって、彼女の存在はとても大きなものだったんじゃない?あなたたちの価値観からすれば、到底理解できない『人間』だから。」

「そうかもな。なぜ、そこまで分かっていて、由井は僕に抱かれようと思った?僕には愛がないんだろう?」

「そうよ。でも、あたしには愛がある。確かな愛が。その愛がこの身体を通して1%でもあなたに伝わればいいと思った。今日のあなたのセックスは今までで最高だった。何も考えずに、夢中になって、あたしを感じてくれていた。今までのあなたには考えられないことよ。セックスの最中でさえ、あなたの心はいつもどこかに行っていた。それが、今日は、心も体もあたしの中にあった。あたしは最初で最期の生涯最高のセックスができたと思っている。頭の、身体の芯から熱くなってあなたを感じた。最高の絶頂を味わった。もう二度と男の人と体を重ねなくてもいい、このままここで死んでしまってもいいとさえ思った、だから、あなたにあたしの中で果てて欲しかった。」

「大げさだな。僕は親父のように無責任な奴にはなりたくない。」

「そうだと思った。でも、あなたはお父さんとは違うわ。これからどうなるかわからないけど、少なくとも、今までのあなたは、女性を傷つけるようなことはしなかったし、これからもしないでしょう。その信念を持ち続けるなら、お父さんのようにはならないはずよ。」

「ありがとう。」

目頭が熱くなり、自然と涙が頬を伝った、僕は声をあげて泣いた、由井は嗚咽交じりになる僕の背中を優しく、何度も、何度も、無言でさすってくれていた。

僕は母に甘える幼い子供ように彼女にしがみついて、泣いていた。


その晩、僕と由井は、一日中、一晩中、朝まで何度も何度もセックスをした。

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