第17話 由井(アキラ)
目が覚めたら、昼だった。
こんなに熟睡したのは久しぶりだった。家を出てから、僕は一度も熟睡したことがない。どれだけ身体が疲れていても、2時間ほどで必ず目がさめる。どの女の隣で眠っていても、安心して眠ることはない。
僕はゆっくりと体を起こし、リビングへと続く階段を降りて行った。階下にはもう誰もいない。
僕は冷蔵庫を開けて、簡単な朝食を作り、食べた。
食べながら、今頃フランスは何時だろうかと、ぼんやりと考えた。
食事が済むと、僕は自分の部屋に行き、財布、通帳、印鑑、原付の免許証、ッパスポート、少量の着替えをバックに詰めて、家をでた。
外はとてもよく晴れていて、気持ちが良かった。
僕は駅まで歩いていき、原宿に向かった。
原宿に着くと、まっすぐにマスターの店に向かった。こんな早い時間にはマスターの店はどうせやっていないだろうと思っていたが、案の定マスターの店の前には準備中の文字。
僕は久しぶりに代々木公園に足を運ぶ。
平日に昼間なのに、結構な人がいる、バドミントンをする若者、犬を連れて散歩するご婦人、日陰で愛を語り合う恋人たち、スケボーの練習をするもの、楽器を演奏するもの。大道芸の練習をするもの。様々な人々が、それぞれの目的で、ここにいる。ないのは僕だけ。
僕は芝生の上に寝転んで見た、空が見える。青い空が。
自分が都会にいることを忘れてしまいそうだった。
僕はなぜか自然と涙を流していた。その涙の意味が分からない。
母が亡くなって泣くのは初めてだった。
今の自分の境遇が悲しいのか、葉子への同情なのか、単に自然の美しさに感動しているのか、もしかしたら、全部かもしれないし、どれも違うのかもしれない。
僕はしばらくそこでうとうとした。
公園で時間を潰して、いい頃合いになったら、マスターの店に向かった。
「マスター由井の住所は分かりましたか?」
「ああ。この間、友達のまさみって子が置いて行った。ほら。」
マスター渡してくれたメモは、キティちゃんが印刷されているピンクの用紙だった。
「これ、マスターの趣味ですか。」
「ばかもん。そんなわけないだろう。そのまさみって子のだ。」
「冗談ですよ。」
「ふん。」
僕はマスターの作ってくれたカクテルを一口飲んだ。
「アキラ。この間、お前がきた時よりも、顔つきが締まってきたな。何かあったのか。」
「いいえ。何も。」
「由井の居場所がわかって良かったな。」
「ええ。ありがとうございます。」
「もうすぐ、まさみって子が来るぞ。」
「えっ。」
「お前の話をしたらな、どうしても会って話がしたいそうだ。俺はお前の連絡先も何も知らんから、連絡の取りようもないしな。そうしたら、その子は次の日から毎日ここに通うようになった。毎日、店に入って来るなり、お前がきたかと聞いて来る。だいたい毎日7時くらいには来る。今日はきっと大喜びだぞ。」
「そうでしたか。」
腕時計の針を見ると、6時45分を指していた。あと15分くらい待ってもいいだろう。時間はいくらでもあるのだから。
「アキラ。」
「はい。」
「お前は、なぜ由井と一緒にいた?」
「珍しいですね。マスターがお客に立ち入ったことを聞くなんて。いつもそこは一線を引いていたのに、どうしたんですか?」
「いや、別に、深い意味はない。ただ、俺もこうしてここで多くの若者たちと出会っては別れてきた。もう何十年もだ。その中にはいろんな奴がいた。変な奴は大勢いた。最近は特に変わった若者が多い気がするがな。由井は俺から見たら分かり易い子だった。」
「彼女は単純過ぎですよ。誰から見ても分かりやすい子じゃないですか。」
「そういうことじゃない。俺は一目みて、一時間も話せば、大体のことは分かる。こいつは人見知りだとか、他人を信用していないだとか、人の愛情を欲しているだとか、自分の欲に苦しんでいるとか、自己実現に苦しんでいるとか、自分自身をごまかして演技しているとかな。でも、長年、若者たちを見てきた俺にも、お前のことだけはどうもよく分からない。今言ったことが当てはまるようで、その実、全てが外れているようでもある。お前には目的がない。だからといって人に流される訳でもない。人に愛されたいから由井と一緒にいた訳でもない。むしろ、愛されていたのは、由井の方に俺には見えた。」
「本当にどうしたんですか?マスター。今日はやけに多弁ですね。」
「アキラ。」
「はい。」
「こないだお前が見せてくれた写真の女の子だが、あの子、ここにきたことがああった。」
「そうですか。」
「この間お前が帰ったあと、俺は思い出した。由井の元からお前が居なくなったあと、あの子は由井と一緒にこの店に来た。でも、話題はアキラのことじゃなくで、他の男の名前だった。」
「ユウタでしょ。」
「分からん。」
7時ちょうどに昌美は店に入ってきた。僕の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。
「久しぶり。アキラ。私のこと覚えている?」
「あぁ。フラメンコをやっていて、チビだけど、巨乳で、顔がミニーちゃんに似ている子だろう。」
「何それ。あたしのことそんな風に見てたの?」
「君が初めて僕と会った時に、自分でそおう自己紹介したんじゃないか。そっちこそ覚えていないのか。」
「ウソ!本当?全然、覚えていない。はは。」
彼女は、そういうと、また明るい笑顔を浮かべる、笑顔の素敵な女性だ。
「由井のことなんだけど…。」
彼女は首からジャラジャラ下げたネックレスを気にしながら喋っている。そういえば、服装もどことなく由井のものと似ている。
「今、フランスにいるって。住所ありがとう。助かったよ。」
「ねえ、手紙じゃなくて、出来るなら会いにいってあげて。お金ならあたしも少しカンパするから。」
「どうして?」
「由井。あなたが居なくなって、しばらくずっと沈んでいたのよ。この世の終わりみたいな感じがしていた。ほら、彼女って極端でしょ。あんなんだから。私、由井がいつ自殺するんじゃないかって心配だった。なんとか、踏みとどまったのは、由井サポートしてくれる女の子が現れたから。その子は一から十まで、全ての面倒をみたわ。彼女のわがままも全部聞いていた。そして、ついにはフランス留学まで、その彼女のお金で由井は実現することができた。意気揚々と由井は飛び立っていった。でも、しばらくしてから届いた由井からの手紙には、アキラのことばかり考えているって書いてあった。毎日毎日、アキラのことばかりかんがて過ごしているって。」
「疑問点が二つある。一つは、由井は英語も仏語もぺらぺらのはず。向こうでコミュニケーションに困ることはないはずだ。もう一つは、その、由井をサポートしていた女の子ってこの子かい?」
僕は葉子の写真をまさみに見せた。
「そうよ。アキラこの子のこと知っているの?」
「ああ。知っている。」
「一体、この子の目的は何なの?私、不思議で仕方なかった。どうして、赤の他人がいきなり由井に対してそこまでするのか。由井のわがままは常軌を逸しているものもあるし、普通の人間なら怒り出すような自分勝手なものも沢山合ったのに、彼女は何を言われても、平気で、由井に尽くしていた。そんな彼女が私は得体が知れず、ちょっと怖かった。でも、由井はみるみる元気になっていくし、とりあえず、これでよかったんだって納得したけど…。」
「アキラ。お前みたいだな。」
「マスター。」
「すまん、話は聞かせてもらっちまった。しかし、話を聞いていると、その美人の嬢ちゃんは、アキラの女バージョンみたいじゃないか。一緒に居ると、どんどん由井は良くなっていくが、離れたらどん底に落ちる。相手に尽くし続けるが、ある時、ピタリとやめられる。それは相手にやらされているのではなく、自分から主体的にしているからだな。もう一つ、やめるという強さ。由井はアキラにしろその嬢ちゃんにしろ、依存してしまったんだな。あれだけ自分というものを持っている由井だが、その分、一度中に入った人間に対しては普通の愛情以上のものを欲し、時に与えることが出来る。それが木下由井って女の子だろう。そんな魅力的な彼女だからこそ、こうして、アキラもまさみも彼女のために必死になれる。そうだろう?」
「そうですね。」
僕はそれ以上、マスターにも、まさみにも何も言えなかった。僕はアキラじゃない。「悠太」であり、由井を追いかけている訳でもない。その「美人の嬢ちゃん」を追いかけてきたのだ。
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