第10話 初めての夜


駅とは反対の方向に歩いていく彼女を見送り、家に帰ろうかとした、その時。


ドサッ。


何かが倒れた音がして、僕は振り返る。


「・・・!?」


あまりに突然の出来事に、僕は言葉を失った。


そこに倒れていたのは、よく知っている人物。


先ほどまで一緒にいて、元気に会話していた女の子。


そう、小川結衣だったのだ。


「小川さん、大丈夫!?」


倒れた彼女のそばまで走り、肩を揺らしながら問いかける。


「じゅうでんが・・なくなった・・・みたい」


苦しそうに息をしながら、途切れ途切れに話してくる。

それを聞いた僕は、彼女の前に屈んだ。


「・・・どうしたの?」

「いいから、乗って」


戸惑う彼女を促し、おんぶした状態で立ち上がる。


「家どっち?」

「・・・・・あっち」


彼女の指示に従って、女の子を背負った僕はゆっくりと歩き出す。


彼女の手足は今にも壊れそうなほど細く、背中に感じる温もりは人間のそれと変わらず温かった。




「ここって・・・・」


彼女の案内によってたどり着いたのは、僕らが通う学校だった。


「学校に住んでるってこと?」

「・・そう・・・だよ」


あくまで学校の備品。

それは、言葉通りの意味だったようだ。


「これを使って・・教室まで・・・運んでほしい」

「わかった」


言われるがまま、彼女に渡された鍵を使って校門を開き、学校に入る。


早朝の学校とは違い、不気味な静けさを放つ学校。

恐怖心で動けなくなりそうな体に鞭を打ち、進んでいく。


僕らの始まりの地である教室を目指して。



いつもと同じ教室。いつもと同じ席で向き合う2人。

唯一、いつもと違って窓越しに見える夜景が、非日常感を醸し出している。


「だいぶよくなった?」

「・・・うん」


彼女の体から伸びたコードが、壁のコンセントと繋がっている。


窓際の一番後ろの席。通称デスシート。


何度席替えをしても彼女がこの席になる理由は、これだった。

教室の配置的に、コンセントが使える席はここしかなかったのだ。


「・・・初めて会話した日のこと・・覚えてる?」

「うん、覚えてるよ」


忘れるわけがない。

眠れずにいつもより早くに登校し、僕よりも早くに来ていたいじめられっ子の女の子と、流れで話をしたのだ。


「・・・あの時。私は充電姿を見られたと思ったの」

「そうだったのか」


彼女の寝顔姿に見惚れていて、全く気づかなかった。


ずっと疑問に思っていたことが解決し、少し晴れやかな気持ちになる。


「そういえば。さっきの鍵って、小川さんがいつも持ってるの?」

「・・うん」

「もしかして、毎朝校門の鍵を開けてるのも小川さん?」

「・・・そうだよ」


話によると、学校の鍵の管理は、ほぼ全て彼女が行っているらしい。

どうやら、僕が教頭先生に向けていた労いの気持ちは、彼女に送るべきだったようだ。


「もう一つだけ訊きたいんだけど。もしかして、靴も今日履いてたのしか持ってない?」

「そうだけど、どうかしたの?」

「ううん。なんでもない・・・」


彼女が今日履いていたのは、体育用のグランドシューズだった。


それは、普段袋に入れて教室のロッカーにしまっている。

つまり、早朝の彼女の靴箱に靴がなかったのは、いじめによるものではなく、最初から存在しなかったのだ。


よく考えてみれば、彼女しか学校に来ていない時間なのだから犯行は不可能だ。


先入観というのは怖いものである。

これからは気をつけようと、密かに思う僕だった。


「そういえば、どうして歩いて来たの?電車の方が早いのに」


ふと思いついた、素朴な疑問を投げかける。


「電車の乗り方わからないから・・・」

「そうか・・・」


一日中学校にいるのだ。知識が偏るのも無理のない話だった。


その知識を補うために、彼女は本を読むようになったのだろうか。

当の本人は、今日買ったばかりの本たちを嬉しそうに開封していた。



夜の学校。


教室は電気の光があるものの、窓の外や廊下は暗く、薄気味悪い。

こんなところでの生活を強いられてきた彼女を思うと、胸が苦しくなった。


「今日は僕もここに泊まるよ」

「でも・・・」

「大丈夫、親父には連絡したから」


彼女の心配がそれだったのかは定かでないが、僕は学校で一泊することにした。


椅子で簡易的なベッドを作り、横になる。


近くから聞こえてくる彼女の寝息。

学校とはいえ、一つ屋根の下で女の子と二人きりという状況。


その夜。僕が寝付けなかったことはいうまでもないだろう。




「おはよう」

「・・・おはよう」


爽やかな表情の彼女と、対照的に気怠げな表情の僕。


真冬の夜の学校に、椅子のベッド。

申し訳程度の暖房設備のおかげで凍え死ぬことはなかったが、椅子の固さからか体のあちこちから悲鳴が聞こえる。


それに加え、年頃の女の子と一夜を共に過ごしたのだ。

とてもではないが、心身共に休まった気はしなかった。


「今日は何か予定あるの?」

「・・・特に何もない」

「それなら、一緒に来てほしいところがあるんだけど・・・」


僕が寝付けなかった理由はもう一つあった。

それは、ある考え事をしていたからだ。


そして、その考え事に、僕なりの答えを出すことができた。


しかし、それは不完全なもので。

僕一人で結論づけることはできないものだった。


完成に必要不可欠な一つのピース。


それを確かめるために、僕は彼女をある場所に連れていくことにした。




「ここって・・・」


日曜日ということもあり、いつもより乗客の多い電車に揺られること一時間。

僕たちはある家の前にいた。


駅を出てすぐの交差点を右に曲がり、左手にある大きな坂を登ると見えてくる家。

体に刻み込まれた道順によってたどり着いたのは、僕の家だった。


「僕の家だよ」

「・・・なんで?」

「いいから」


半ば強引に彼女を家に連れ込む。


一応言っておくが、邪な気持ちによる行動ではない。

僕にそんな度胸がないことは、僕自身が一番知っている。


彼女を僕の家に連れてきた理由。


それは、彼女の今後について。

親父も含めた三人で、話し合うためだった。


「ただいま」

「おかえり。それと・・・いらっしゃい」


僕の後ろにいる女の子を視認し、親父が少し複雑な表情を浮かべる。


「とりあえず、リビングで話そうか・・・」


親父に促され、僕たちはリビングに向かった。



親父と机を挟んで向かい合う僕と彼女。

その構図は、結婚の挨拶に来たカップルのようだった。


「「「・・・・・」」」


気まずい沈黙が流れる。


辺りを見回すといつもよりリビングが綺麗になっている気がした。

きっと僕の連絡を受けて、掃除でもしたのだろう。


それは昨日の夜のこと。


親父に学校に泊まる旨の連絡をした際、それに加えて『明日来客があるかも』と伝えておいたのだ。

先ほどの反応を見るに、それが小川結衣であることに親父は気づいていたのかもしれない。


「本当にすまなかった!」


突然立ち上がったかと思うと、お手本のような綺麗な礼をして、親父が謝罪を始めた。

芸能人の謝罪会見を思わせる光景を前に、僕と彼女は互いに驚いた表情を浮かべる。


「俺がした行為は君の人生を踏みにじる行為だ。涼太のためだったなどと正当化しても、決して償いきれるものではない」


息子が連れてきた女の子を真直ぐに見て、親父は語る。


「許してくれなんて都合のいいことは言わない。ただ凌太に罪はない。俺のことはどう思ってくれても構わないが、どうか凌太とは対等な関係でいてほしい」


親父の真剣な訴えに、彼女はどう答えるのか。

それは、僕にも検討がつかなかった。


「・・・顔をあげてください」


彼女に言われた通りに、親父がゆっくりと顔を上げる。

その目をしっかりと見て、彼女は続けた。


「・・・私は生まれた時からいじめられることが決まっていました。ですが、そのことに疑問を持つことはありませんでした」

「・・・・・」


親父は黙って話を聞いている。


「洗濯機は洗濯をするために、掃除機は掃除をするために開発された。いつだって機械は、人間の生活を豊かにするために生まれてきたのです」

「・・・・・」

「そして、それは私も例外ではなく。いじめの対象となりうる人間を守る。それこそが私が開発された意味だと、そう思っていました」

「・・・・・」

「でも、鈴木くんと話して。守る対象だった人に守られて。その考えは、徐々に変わっていきました」

「・・・・・」

「こんな私でも、ひとりの人間として生きても良いんだと、彼が教えてくれたんです」


彼女の顔が僕の方を向く。

そのまっすぐな想いの一つ一つが、僕の心に深く突き刺さる。


「そんな恩人のお父さんに。感謝することはあっても、恨むなんてことはあり得ません」

「・・・そうか」


彼女の話を聞いて思うことがあったのか。

親父は文字通り全身の力を抜き、ソファに座り込んだ。


「それで相談なんだけど・・・」


僕はタイミングを見計らって、本題に移ることにした。


「小川結衣が住む場所を探してほしい・・・だろ」

「なんでわかったの」


言おうとしていた内容を先に言われて驚く僕に、得意げな表情の親父が答える。


「学校に泊まって彼女の現状を知ったなら、お前はこう考えるだろうと思っただけさ」

「・・・なるほどね」

「それで、その答えももう用意してある」


やけに仕事の早い親父に素直に感心する。

親父は、僕に向けていた視線を小川結衣の方に移して、こう続けた。


「小川さん。今日からうちに住まないかい」

「「・・・え?」」


親父の提案は、僕の想像の斜め上をいくものだった。


「それはいろいろとまずいだろ」

「じゃあ逆に訊くが、彼女に一人暮らしができると思うか?」

「・・・」


親父の問いに僕は答えることができなかった。


デパートやマンションで一人暮らしをしようと思えば、色々と手続きが必要となる。

それをクリア出来たとしても、通学の手段やご近所付き合いなど、問題は山積みだ。

それらを彼女が、人間社会の知識に乏しい小川結衣が、完璧にこなせるとは思えなかった。


「というわけで、どうかな?」


反論の余地をなくした僕を横目に、親父が小川結衣に向けて問う。


親父に先を越されてしまったが、その答えを聞くことこそ、僕が彼女を家に連れてきた理由だった。


学校なんかではなく、ちゃんとした場所で人間らしい生活を送ってほしい。

そう僕が思っても、それを彼女が望んでいないのならば、余計なお世話というものだ。


彼女にその意思があるのか否か。


それこそが、パズルを埋める最後のピースというわけだ。


「私は・・・鈴木君のお父さんが・・鈴木君がいいなら・・・一緒に暮らしたい」


彼女の想いを聞いた僕と親父は、お互いの顔を見て頷く。


「じゃあ、これからよろしくね」

「・・・よろしくお願いします」


親父が出した手を握る小川結衣。

大統領同士のように固い握手は、僕に新しい家族が出来たことを示していた。


「じゃあ、お母さんにも挨拶しないとな」

「そうだな」

「・・・はい」


母の仏壇の前で正座をし、三人一列に並ぶ。

目を瞑り、それぞれの想いを語りかけた。


「・・・・・・よし」


親父の掛け声を合図に目を開ける僕と小川結衣。

すると、親父は続けてこう言った。


「それじゃあ、今日はお祝いに出前でも頼もうか。結衣ちゃん、お寿司とピザどっちが食べたい?」

「・・・お寿司が良いです」

「わかった」


少しのぎこちなさを残した会話から感じる不安と、これからの生活に対する期待。


様々な感情が交差するリビング。


そこで確かな存在感を放つは、仏壇に飾られた一つの写真。

そこに映る母は、心成しかいつもよりも笑っている気がした。



お寿司を食べ、お風呂も済ませた僕たちは、家族揃ってリビングでテレビを観ていた。

流行りの芸人さんの漫才に親父は爆笑し、小川結衣は熱心に見入り、僕はそんな二人の様子を後ろから眺めていた。


小川結衣は、母が昔着ていたパジャマを身に纏っていた。

彼女が家に居ることに最初こそ違和感しかなかったが。今ではそれも薄れ、なんなら最初からここにいたと錯覚するほどに馴染んでいた。


考えてみれば、ついこの間まで話したこともなかったいじめられっ子の女の子が、今では家族の一員となり一緒にテレビを観ている。


こんな未来を誰が想像できただろうか。

人生何が起こるかわからないものである。


「そろそろ寝ようか」


お笑い番組が終わると同時に、親父が声をかける。


色々あって忘れかけていたが、明日は月曜日。

学生である僕たちは学校に、社会人である親父は職場に行かなければならない。


「そういえば、小川さんの寝床はどうするの?」

「それももちろん考えてある」


「こっちだ」と案内する親父に、僕と小川結衣はついていく。


「なるほどな」


親父の思惑を理解した僕は、感心したように頷いた。


親父の案内でたどり着いたのは、今は使われていない母の部屋だった。


「今日からここが結衣ちゃんの部屋ね」

「すごい・・本がいっぱい・・・」


部屋に案内された彼女が真っ先に食いついたのは、所狭しと並んだ本だった。

小説家だった母が自分で書いたものはもちろん、趣味で集めたものもたくさんあった。


「・・・これ、読んでも良いですか?」

「もちろん。本以外のものも好きに使って良いから」

「・・・ありがとうございます」


彼女はお礼を言うとすぐに本を選びだした。


「明日は学校だからほどほどにね」


すでに本に夢中である彼女に呼びかけて、僕と親父は部屋を後にする。


「親父、ありがとな」


その言葉には、小川結衣を家族として迎え入れてくれたという意味の他に、別の意味も含まれていた。


母が使用していたあの部屋は、もう何年も使われていなかった。

にも関わらず、先ほど見たあの部屋はホコリひとつ無かった。


おそらく、親父が定期的に掃除していたのだろう。


そんな僕の思いを悟ってか、親父はこう答えた。


「家族なら当然だろ」


短い言葉の中に詰め込まれたたくさんの感情。

親父が父親で良かったと、僕は心の底から思った。

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