第4話 運命の日


「・・・・・・ん」


ぼやけた視界の先に天井が見えた。


シミの数まで知っている、おなじみの天井。

ちなみにシミの数は0個だ。


徐々に覚醒していく意識と、いつまでたってもぼやけている視界。


しばらくたって、自分が泣いていることに気づいた。


なにか悲しい夢でも見たのだろう。

枕元にあるはずのティッシュに手を伸ばす。


慣れた手つきでティッシュを二、三枚抜き取り、目から流れる液体を拭き取る。

ついでに鼻もかむと、少し離れたゴミ箱に向かって投げた。


しかし、ティッシュはゴミ箱までの半分の距離も届かず、床に不時着陸。


僕はそれを拾って、不恰好なダンクシュートを決めた。


カーテンが開けっ放しの窓の外は、完全に暗くなっていた。


ポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。


時刻は『0:02』。充電は『5%』を示していた。


「マジかよ・・・・・」


制服姿で熟睡していた自分に驚き、充電をせずに寝たことを後悔する。


食事、入浴、宿題。やるべきことが、頭の中でリストアップされる。

それらを取捨選択し、残ったものに優先順位をつけていく。


その結果、最優先事項は『喉の渇きを潤すこと』に決まった。


携帯にケーブルを指し充電が開始されたことを確認すると、一階の台所にある冷蔵庫を目指す。


制服のシャツはしわしわになっていた。



真っ暗な台所に、電子レンジの時計表示が浮かび上がる。


手探りでスイッチの場所を当て、電気を点ける。


姿を現した冷蔵庫には、無数の付箋が貼られていた。


この付箋らに除霊効果などはない。

付箋の正体は、極端に記憶力が悪い父が残したメモであった。


明日の予定からゴミ出しの曜日まで。様々な種類のメモが書かれている。


冷蔵庫を開けて飲み物を探すが、お茶やコーヒーにビールと、これといったものが見つからない。


「これで我慢するか・・・」


僕が手に取ったのは飲みかけのコーラだった。


ペットボトルのラベルの少し下あたりまでしか入っていないコーラ。

炭酸は抜けきっているが、キンキンに冷えている。


乾ききった喉を潤すため、勢いよく飲む。


駄菓子を混ぜて作ったような、独特な甘みが口いっぱいに広がった。


ゴトッ


飲みあげたコーラのラベルを剥がしていると、真っ暗なリビングから音がした。


僕と似て控えめな性格の心臓が、突如存在を主張しだす。

やはり、付箋に除霊の効果はないらしい。


リビングの方に目を向けて、不恰好な戦闘態勢をとっていると。


「・・・凌太起きてたのか」


幽霊ではなく、少し驚いた様子の親父が顔を出した。

あんなにうるさかったのが嘘のように、心臓がおとなしくなる。


「なんだ親父か・・・」


親父が冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに移してから口に含む。

風呂上がりなのか、親父の首にはタオルが巻かれていた。


コップに注いだお茶を飲み干すと。

親父は、僕の方を向いてこんなことを尋ねてきた。


「・・・学校はどうだ」


いつからか。親父は僕に、度々この質問をするようになった。


僕はこの質問があまり好きではなかった。


『良い』と言えば嘘になるし、『悪い』と言えば悲しませることになる。

だから僕はこう答えるように決めている。


「・・・ぼちぼちだよ」


その答えに、親父は喜ぶでも悲しむでもなく。無表情のまま、一呼吸置いて。


「そうか」


と、答えた。


いつもと同じ質問に、いつもと同じ答え。


社交辞令のようなやりとりは、家族の会話とはほど遠いものだった。



「もう朝か・・・」


窓の外では、スズメとカラスが合唱コンクールを開催している。


あれから風呂に入り、インスタントラーメンさんにお世話になった後。自室に戻って睡眠を試みたが、失敗に終わった。


数時間前に着替えたばかりの部屋着から、シャツのしわが戻らない制服姿に変身する。


一階に降りるとすでに親父の姿はなく、テーブルの上には菓子パンが置かれていた。


僕はそれを半分ほど食べてから、袋を半分に折って開かないようにして、テーブルの上に戻す。


「行ってきます」


誰もいない家に挨拶をして、学校へと向かう。


時計が指す時間は、いつものそれよりも一時間ほど早かった。



いつもと同じ道に、いつもと同じ景色。

いつもと違う電車に揺られること一時間。


僕は校門の前にいた。

「もしかしたら開いてないかも」と少し心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。


「教頭先生も朝早くから大変だな」


学校の鍵を管理していると聞いたことのある、教頭先生を頭に浮かべて、校内に入っていく。


いつも色とりどりな靴箱はどこも空で、校内用のスリッパだけが綺麗に並んでいた。


「誰もいないのか・・・」


自分が一番だと思うと、少しだけテンションが上がった。

何事も一番だと嬉しいものである。


誰の声も足音もしない学校に新鮮さを覚えながら、二階にある教室に向かう。


いつもの学校とのギャップと、生活リズムの崩れから。僕のテンションは自然と高まっていく。


教室に着く頃には最高潮となり、なんなら鼻歌まで歌っていた。

しかし、教室のドアを開けた瞬間。その高揚はどこかに消えてしまった。


なぜならそこに、誰もいないなずの教室に。

小川結衣がいたからだ。



窓際の一番後ろの席。


今まで何度か席替えが行われてきたが、小川結衣の席は毎回そこだった。


窓際の一番後ろといえば、一般的には競争率の高い席である。


しかし、僕らのクラスでは、誰が言い始めたのか『デスシート』と呼ばれていた。

なんでも、その席に座ると不幸になるそうだ。


そして今、僕の視線の先でその席に座る小川結衣はというと。


「・・・・・寝てるな」


体を机に預け、窓の方を向いて眠っていた。

「スースー」と、静かな寝息が聞こえてくる。


僕は起こさないように、椅子をそっと引き自分の席に座った。


特にすることもなく、時計の秒針を目で追っていると。


「・・・ん」


吐息と共に、寝返りを打った彼女がこちらを向いた。


僕はこの時の光景を一生忘れないだろう。


そこにいたのは、いつもの姿からは想像できない。

可愛らしい1人の女の子だった。


長い前髪で隠されていた目は、人形のようにぱっちりしていて、滅多に開かない口からは少しよだれが垂れている。


そんな無防備で可愛い女の子に、年頃の僕は目を奪われた。


相変わらず静かな教室に。時計の秒針と、僕の鼓動だけが響く。



どれほどの時間そうしていたのか、突然彼女は目を開いた。


「「・・・・・・」」


完全に見惚れていた僕と、バッチリ目が合う。


慌てて目を反らし、言い訳を考えるが、何も出てこない。


二人だけの教室に気まずい空気が流れた。


永遠にも思える長い沈黙。

それを破ったのは、意外にも彼女の方だった。


「・・・・・・みた?」


五席向こうから、かろうじて聞こえるくらいの小さな声で発せられた質問。

僕はその意味がわからず、頭の上に?マークを浮かべた。


「・・・みたの?」

「みました!」


先ほどよりも大きく、どこか緊迫感のある声でもう一度尋ねられ、僕は反射的に肯定してしまった。


「そう・・・・・」


証拠を突きつけられた被告人のような、思いつめた表情を浮かべる彼女。


僕は、その反応に違和感を覚え、彼女に尋ねる。


「そんなにみられるの嫌だった?寝顔」

「・・・寝顔?」

「うん。寝顔」

「・・・・・・なんだ」


なにやら、勘違いがあったらしい。


ほっと安心する彼女は、赤点を回避した時の僕のようで、なんだか可笑しかった。


「・・・なんで笑ってるの?」

「え?もしかして顔に出てた?」


どうやら感情がそのまま表情に出ていたらしい。

僕が自分の顔を両手で触っていると、彼女はくすくすと笑った。


その仕草がとても可愛らしくて、僕の心はくすぐられる。


「・・・でも、なんで私の顔じっとみてたの?」


子供が、空に浮かぶ雲について母親に尋ねるように。純粋な目で尋ねてくる。


「それは、小川さんが可愛かったから・・・」


この特別な空間がそうさせたのか、それとも変則的な生活リズムによるものか。

僕は思ったことをそのまま口にしてしまっていた。


「そう・・・・・」


彼女の顔がみるみる赤くなる。


僕が、頭の中で必死に言い訳を探していると、廊下の方から話し声がした。


僕は慌てて姿勢を戻し、平静を装う。

それと同時に、数人のクラスメートが談笑しながら教室に入ってきた。

昨日観たテレビなど、他愛もない話に花を咲かせている。


ちらっと、五席向こうの彼女を確認する。


そこに座っていたのは、いつもと変わらず無表情な女の子だった。



その日の夜。贅沢に足を伸ばせる湯船の中で、僕は今日の出来事を思い出していた。



長期休暇明けの同級生のように、雰囲気をガラリと変えた学校。


誰もいないと思っていた教室で、ひとり眠っていたいじめられっ子。


いじめられっ子の仮面の奥に垣間見えた、年相応の可愛らしい女の子の顔。


そして、いじめを見て見ぬ振りして、傍観する僕。



「・・・よし」


小さな決意を胸に秘めて、芯まで温もった身体を立ち上げる。


髪の毛から滴る水滴は、すでに冷たくなっていた。



タオルを首から下げて、冷蔵庫の中からコーラを取り出す。


帰りに買っておいた未開封のコーラ。

開栓と共に奏でられた、綺麗な破裂音を口で塞ぎ、火照った身体を冷ましていく。


ほとんど一気に飲み干して、足早に自室へと向かうと、随分久しく感じられるベッドに飛び込んだ。


うつ伏せの状態で、目覚まし時計に手を伸ばし、明日の起床時間を入力する。


その時間は、いつもより一時間早いものだった。


こうして、長い長い一日が過ぎていった。

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